2 ごめんなさい、ウソ、ついてました
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最初の休み時間を迎えると、乙宮さんやルカさんといった面子がさっそく舞坂さんのもとへ集まってくる。あの夢と同様、ぼくの席は舞坂さんの隣だ。
「とにかくこれではっきりしたってことだよね」鼻息荒く言ったのは、乙宮さんだ。「あれが、ただの夢じゃなかったって」
「じゃあ、やっぱり今夜も……」
ぼくはおそるおそる懸念を表明する。舞坂さんと再会できた――その喜びにひたるのを、迫りくるステージツーが許してくれそうにない。
「まだ、わかんねーだろ。あんなもんが二晩も続いてたまるかっつーの」
そう憤慨するのはミッチーだ。
「偶然だ。偶然に決まってる。おれらが毎晩、一緒になって同じ夢を見るなんて、そんなばかげたことが現実に起きるはずねえ」
ミッチーがぼくらの置かれた状況を否認するのも無理ないよね。なんせ、彼は戦闘アイテムが白チョーク一本な男……。
「つーか、あんた、さっさと百円よこしなさいよ。賭けはアタシの勝ちなんだし」
クラスに転入生がやってくるのは前もってわかっていた。それで乙宮さんとミッチーは、その当該人物がぼくこと神永カムイであるかどうか、今朝になってギャンブルの対象にしたというわけだ。
「知るかボケっ。てめえなんぞに、子ども銀行券だってやるわきゃねえだろ」
悪態をついて離れてゆくミッチーと入れ替わりで登場したのは――残虐イケメンな安達くんだ。
「で、リンはこんなに早く復帰して大丈夫なのか? 無理はよくないぞ」
「こういう状況だから」
伏し目がちに応じるいまの舞坂さんには、ヤンキーモンスターたちを瞬時に掃討してみせた、あの剣豪のオーラなんてみじんもうかがえない。
それからも歯の浮くような気遣いの言葉を投げる安達くんに、乙宮さんが茶々を入れた。
「ってか、アダッチー。いきなり距離詰めすぎ。委員長、困ってんじゃん。記憶ないっつってんだから、カムイくんとおんなじで転校生みたいなもんでしょ? もっと節度ってやつを守ってあげなきゃ」
「乙宮……あんたもずいぶん馴れ馴れしいって」
ルカさんが突っ込みを入れると、乙宮さんは、あははははっ、ちげえねえ、なんて江戸っ子みたいなリアクションを返し、それからぴょんって身をひるがえすと、教室の片隅でポツンとしているメガネっ子さんのもとへ駆けてゆく。
「ちょっと珍念ちゃん、遠慮なんかしないでよ、うちら、命を助け合った仲なんだしさあ……」
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ると、みんな自分の席へ戻ってゆく。
と、舞坂さんがノートのはしっこに何かを書きつけ、定規を使って素早く破り取った。そっぽを向いたまま、その紙切れをぼくのほうへ差しだしてくる。
どきりとしながら、ぼくは受け取る。まさか、デートのお誘い? んなわきゃないよね、と秒速で否定したものの、期待が真夏の積乱雲みたいにふくらんでゆくのをとめられない。
胸を高鳴らせながら、ぼくは文面に目を走らせた。
*
転校初日、日付はすでに四月の半ばに差しかかっている。
本当は年度の初めとともに学校生活をスタートさせたかったのだけれど、お父さんの仕事の都合や、引っ越し業者の手配がなかなか進まなかったといった事情が重なり、こんな時期までぼくの転校がずれこんでしまった。
とうに学校の授業は始まっていたし、できれば苦手な体育もさぼることなく無難な学校生活への船出を果たしたかった。
しかし状況が状況だ。舞坂さんの指示通り、ぼくは仮病を使って四時限目の体育をズル休みし、保健室への逃亡に成功したのだ。
発育測定のデータまとめがあるとかで、養護教諭が留守になると、保健室にはぼくと舞坂さんのみが残された。カーテンで仕切られた隣のベッドで、舞坂さんの動く気配がする。
カーテンを開けようとしているようなので、あわてて手伝う。
かくしてぼくと舞坂さんは、ベッドに腰掛けた状態で向かい合うこととなった。
「それで、えっと……話し合いたいことって」
メモにはそう用件が記されていたのだ。
舞坂さんがあごを引いてぼくをじっと見つめている。やっぱり、目力、強い。
「あの――」
たまらず言葉を継ごうとしたぼくをさえぎるように、舞坂さんが口を開いた。
「黒いネズミ」
「え?」
まさか、英訳しろってことじゃないよね? 舞坂さんが混乱するぼくの一挙手一投足も見逃さないというように眼力をぐっとこめ、なおも不可解な問いを投げてくる。
「黒いネズミ、夢に出てこなかった?」
この荒神第二中学校があるのは千葉県だ。そう。あの黒いネズミを頂に置く、日本一有名なテーマパークは東京の植民地のような顔をしているけれど、実際は千葉県にある。
ところでぼくの住んでいた社宅は埼玉にあったし、今朝、軽めの自己紹介でぼくが埼玉県民だったことも明かしている。
……要するにこう指摘したいというわけですか? 埼玉県民だったおまえは夢に見てしまうほど、千葉県の誇るあの黒いネズミに恋焦がれていたんじゃないか、って。千葉民族の、元埼玉人へのご当地マウンティングとして……。
「ディ……ディズニーランドくらい、い、行ったことあるから」
一度だけですけどね。困惑というより恥辱にふるえていたせいか、ぼくの返答はやや、つっけんどんになってしまった。
すると、舞坂さんが意表を突かれたみたいに目を丸くした。そのまましばらくぼくを探るような目つきで見つめたあと、ふいに顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「ご、ごめんなさい、変な質問しちゃって……念のためっていうか、心当たりがなければぜんぜんいいんだ……でもよかった、本当に、よかった」
しみじみとつぶやく舞坂さんに、ぼくは見事な置いてけぼりを食らっていた。
なんか、話が噛み合ってない気がするんですけど。舞坂さんは無自覚にマウンティングをかましてしまったことで良心が痛んだ……そういうことでいいのかな? 事実、舞坂さんは肩を落とし、恥じ入っているように見えたんだ。
舞坂さんがそのまま押し黙ってしまうと、ぼくも言葉の接ぎ穂を見失ってしまう。焦るぼくの中で福音のようにひらめいたのは、いつだかネットで見かけた、女の子との会話術の記事――自分が語るのではなく、相手が楽しく語れるように心がけよ、そのためには質問力を磨け!
「バババ」落ち着け。ぼくはごくんとのどを鳴らしてから、あらためて問いを放つ。
「舞坂さんは、バレエを習ってたの?」
すると、舞坂さんの顔が熟れたプラムみたいに赤みを増した。ぼくはぎくりとする。フラッシュ映像のように、ぼくの上をあざやかな百八十度開脚で飛び越えてゆく舞坂さんの姿が脳裏をよぎる……自爆だ。これじゃ、自分がむっつり痴漢野郎だって告白したも同然じゃないか!
ぼくが汗だくになっていると、舞坂さんがロボットめいたカクカクとしたしぐさを見せたあと、口を開いた。
「い、い」
「え?」
「いまはもうやってないけど、五歳のとき、体験教室で先生に体が柔らかいね、センスあるねって褒められて、それで、なんか、その気になっちゃって――」
おおお、痴漢疑惑でフルボッコな展開はこっちの思い過ごしだったんですね、とぼくが傾聴の体勢に入ったにもかかわらず、舞坂さんが急に口をつぐんでしまう。一転して、その顔が青ざめている。わけがわからず、ぼくはますます戸惑ってしまう。
やがて、じわじわと理解がおとずれる。慎重に、ぼくは切りだした。
「あの……舞坂さんは記憶喪失だったんじゃ――」
舞坂さんはクールモードのときの目力の強さが幻だったみたいに、涙まじりのすがるような目つきになると、その口から蚊の鳴くような声がもれた。
「ごめんなさい……ウソ、ついてました」




