お粥
風邪を引くと、昔のことを夢に見る。
体が弱っているからか、体に引きずられて心が弱っているからなのか。
嫌な事、辛い事、思い出したくない事。
それらを否応なしに見せ付けられる。
今日の場合は小学校に上がったばかりの時のこと。
僕はクラスの子が遊園地に連れて行ってもらったという話を聞いて、それが羨ましくて仕方がなかった。
『……お母さん、僕、遊園地に行ってみたい』
その日は、いつも深夜に帰ってくる母親が珍しく早く帰ってきていた。
その上、いつもカリカリしてるのに機嫌のよさそうな顔で笑っていたのだ。
だから僕はチャンスだと思った。
『……はあ?』
……でも、帰ってきたのはそんな言葉で。
『遊園地ぃ?
……くっだらない。そんなとこに行ってなんかいいことあんの?』
僕は何も言えず俯いて。
『はー。ほんと、嫌な子ね。
何にも出来ないくせに、要求だけは一丁前なんだから』
寝室に戻って泣くことしかできなかった。
……ああ、そうだ。
これが、このときのことが原因だ。
僕が人と関わらないようにした理由。
人と関わるのが怖くなった理由。
嫌な子になりたくなくて。誰かと話すのが怖かった。
だって僕には、何も出来ないから。
……?
――ああ、そうか。
少し、既視感があった。
ここ数日、僕がずっと考えていたことだ。
僕が彼女に何を出来るというのか。
……そうだ。そうだった。
僕はただ、怖かっただけだ。
彼女の負担になるのが嫌だったわけじゃない。
周りから変な目で変な目で見られるのが嫌だったわけでもない。
色々貰っていたのに、何も出来ないのが嫌だった。
あの時のように、嫌な子――嫌な奴だと思われるのが嫌だったのだ。
◆
目が覚める。
見慣れた天井、そしていつもの布団の感触。
「……?」
でも、一つ違う事があった。
額の上に何か物が置かれている。
手を伸ばして触ってみると、濡れたタオルの感触がした。
「……これ、は」
タオルを手に取り、体を起こす。
風邪で弱った体は、とにかく重かった。
「あ、起きたんですか?」
「……え?」
いきなりかけられた声に振り向くと、そこにはここ最近見慣れた姿があった。
白いもこもことした髪と、くるりと回った角。
「勝手に入ってごめんなさい。様子がおかしかったから気になったんです」
「……いや」
頭を下げる彼女に否定を返す。
わざわざ看病してもらったのに、文句を言うほど恩知らずじゃない。
……でも、そうか。様子がおかしかったか。
眠る前、最後の記憶は病院から帰ってきて、ベッドに倒れこんだ辺りで途切れている。
そんなふらふらの状態を見られたのなら、様子がおかしいと思われるのも当然だろう。
「もうすぐお粥も出来ますから。それまで寝ていて下さい」
「……ありがとう」
彼女は、いいえーと言って笑うと、僕の肩を軽く押してベッドに寝かせた。
そして、タオルを水に浸して絞り、僕の額に乗せる。
冷たいそれは、僕の額から熱を取ってくれた。
「……でも、これでまた」
「え?」
また、僕は彼女から貰ってしまった。
まだ何にも返せてないのに。何も出来てないのに。
夢が、思い出した記憶が僕を攻め立てる。
何も出来ない人間、嫌な奴だ、と。
「……僕は、君に何をすればいい?」
「……?」
わからない。
何をすればいいのか。どうすればいいのか。
「教えて欲しい。どうすれば僕は君に返すことが出来る?」
「お返し、ですか?」
そうだ。
何でもいいから、僕に言ってほしい。
何か物でもいい、お金でもいい。
何もしないなんて耐えられない。
――でも
「なにも」
――彼女から返ってきた言葉はそれだった。
「え?」
「……このままで良いんです。それ以上はいりません。
私の料理を食べてくれて、私と普通に接してくれれば」
それが、私は欲しかったんですと彼女は言う。
――それは、そんなのは。
お返しでもなんでもない。僕は何も出来ないままだ。
「――さ、出来ましたよ。お粥です。
熱いので気をつけて食べて下さいね」
否定の言葉を口に出そうとした僕の前に、それが置かれる。
ベッドに付いたサイドテーブルの上、そこではお粥が湯気を立てていた。
彼女が手に匙を持たせてくれる。
勧められるままに一口、口に含んだ。
「……」
――暖かい。
ちょうどいい塩加減と、優しい梅の風味が口の中に広がる。
初めて食べる味だ。
僕はお粥なんて食べたことはない。作ってもらえたことはない。
風邪の時はいつも一人で何も食べずに水だけ飲んで寝ていたから。
「……美味しい」
「よかった」
目の前で笑う彼女。
その笑顔はとても優しくて。
――なぜか、よくわからないけど、涙が出てきた。
「本当に、美味しい」
良い大人が人前でみっともないと思う。
でも涙をなぜか止められなくて。涙を拭いながらお粥を口に入れる。
お粥を食べ終わるまで、涙は止まらなかった。




