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裏の話1

今日は二話更新で、これは二話目です。

新着から来た人は前の話から読んでください。

 それは今から十八年前の事。


 私は代々旅館の厨房を預かる料理人の家庭に生まれた。

 記憶に残る一番最初の音は、父のまな板の音。

 トントンという一定のリズムを聞きながら私は育った。


 物心が付いた頃にはおもちゃの料理道具を握らされていて、それを使って遊ぶたびに父が嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。


 後になって知ったが、どうやら父は私に後を継がせたいと、英才教育を施そうとしたらしい。


 とりあえず料理をするところを見せていれば料理が好きになるだろうと思ったようだ。


 ある程度年を取ってその事を聞いた時には適当だなあ、なんて思ったものだが、それが功を奏したのか、私は小学生になる頃には料理に夢中になっていた。


 今思い返しても、学生時代の記憶は料理だらけだ。

 授業が終わればすぐに家に帰って包丁を握る日々。辛い事も多かったけど、それ以上に充実していた。


 私は料理人になり、いつか父の後を継ぎたいと考えていた。

 必ず後を継ぐのだと努力していた。


 ……きっと後を継げるのだと、信じていた。




 それが、その夢が終わってしまったのは今からほんの二年前のことだった。

 ある日目が覚めると、全てが変わってしまっていた。


 私は病に罹り、女性の獣人になってしまっていた。


 性転換病だの獣人病だの言われている病。

 名前は、知っていた。怖いな、とも思っていた。


 ……でも、まさか自分が罹るとは思っていなかった。


『……残念ですが、息子さんの体は治りません。少なくとも、今の医療技術では』


 医者のその声はどこか遠くから聞こえてきた。

 現実味がなくて、信じられなくて。


 母は私を抱きしめて泣いていた。

 父は声を押し殺して目を押さえていた。


 だって、性転換病は……料理人にとってはこれ以上ないほどに致命的な病気だったからだ。


 性転換病は罹った人の体を根本から大きく変える。


 身長がびっくりするほど低くなり、体重も軽くなり、肌が白くなった。

 髪が真っ白になって、瞳孔の形が変わって、頭からは角が生えた。


 ――そして、味覚もまた、変わった。


 私の体は獣人、人とは違う生き物に変わってしまっていた。

 

 大好きだった父の煮物が美味しく感じられなくなった。

 前日に私が作った料理は吐き出しそうになった。


 つい昨日まで美味しいと感じていたものは、全て味が濃すぎて食べられたものじゃなかった。


 人とは違う、敏感すぎる舌。

 もう私が料理人になることは不可能だった。



 ……その日、私の夢は終わった。



 

 それからの日々はあっという間に過ぎ去っていった。

 それまでと違う虚ろな日々。何もすることがない時間は空っぽだった。


 母の勧めで、旅館の女中になったらどうかと女性の喋り方や仕草を学び、働き出した。

 でも最初はよかったが、それも日が経つごとに辛くなっていった。


 だって、どうしても厨房の前を通るのだ。

 もう私が入れない場所の前を。


 

 ……結局、私が父と母に頼んで旅館を離れることになった。

 今からほんの二週間前のことだ。


 


 

 引っ越した先は母の知り合いが大家を勤めるアパートだった。

 旅館があった田舎とは違う、都会の住宅街。


 特にすることはなかった。一日中家にいた。

 両親は大学にでも行ったらどうかと言ったが、料理しかしてこなかった私だ。勉強なんて出来ない。


 食事をするために久しぶりに包丁を握った。

 自分の味覚に合わせて料理を作る。美味しかった。でも他の誰も同意してくれないんだろうなと思うと涙が溢れてきた。


 家にいるのが辛くなってきて、家の前にあったベンチに座る。

 少し寒くて、でもそのおかげか気が紛れて、少し楽になった。


 その日から、何となく、暇な時はベンチに座るようになった。


 



 そして昨日。いつものようにベンチに座っていると雨が降ってきた。

 勢いが強くて、あっという間に髪が肌に張り付いた。


 雨粒が次から次へと降って来て、体を打ちつける。

 もしかしたら風邪を引くかな、と思った。


 でも、何となく家に入る気にはなれなかった。

 いっそ何もかも流してくれないかな、なんて考えていた。


 目を閉じて、俯く。体が急速に冷えていくのを感じた。


 ……そんな時だった。

 いきなり、雨が止んだ。


 驚いて顔を上げると、知らない男性が私の上に傘をさしていた。


『……早く、帰った方がいい』


 彼はそう言って傘を私に渡した。

 手の中にある傘に驚いているうちに彼は走り去ってしまう。


 そして、その時初めて、私は自分の姿が酷い事になっているのに気が付いた。

 普段もこもこして、あんなに手入れが面倒な髪が潰れてべったりしている。


『……あの人に、気を使わせちゃったかな』


 見ず知らずの人に迷惑をかけてしまって申し訳なく思う。

 隣に住んでいるようだったし、何かお礼でもした方がいいかな、と思った。

 

 何をするべきか悩む。

 でも考えてみると、私に出来ることなんて料理しかなかった。


 部屋に帰り、体を拭いた後、何となく包丁を握る。

 そして気が付くと、食材を手に持っていた。


 久しぶりに人のために作る料理。

 それは楽しくて、本当に楽しくて、気が付くと一品作り終わっていた。


 出来た料理は一番得意だった煮物。

 先日作ったものと違って、私が美味しいと思えるぎりぎりまで味を濃くした。


 それは正直あんまり美味しいとは思えなくて、

 ……でも味見しているとなんだかすごく楽しくなった。





 次の日。


 もう少し後のほうがいいかなと思いつつ、待ちきれなくて隣の部屋のチャイムを押す。

 すると昨日の男性が寝起きの顔で玄関に出てきた。


 そしてお礼を言い、勢いのままに料理を渡す。

 彼は驚いていたけれど、確かに受け取ってくれた。


 


 興奮のままに部屋に戻り、ベッドに飛び込む。

 そして意味もなくベッドの上を転がった。


『痛い!』


 ベッドから落ち、体を打つ。

 そのせいか、段々興奮が薄れてきた。


『……どうだっただろう、あの煮物』


 少し不安になってくる。

 出来る限りのことはしたけれど、それでも今の私には普通の人の味覚は分からない。


『ううううぅぅぅぅーーーー』


 いてもたってもいられなくなってきて、エプロンと叩きを持って部屋の掃除を始める。

 この二週間キッチン周り以外は掃除してなかったので結構汚れが溜まっていた。


 


 そして、その時が来る。


 キンコンという、チャイムの音。

 玄関に行くと、彼が立っていた。


 彼が差し出す器を受け取る。

 中身は空っぽになっていた。


『その、これ、食べて、くれました?』


 そう聞くと、彼は頷いてくれた。

 そのことが嬉しくて、少し泣きそうになる。


 でも、それは駄目だ。

 私には聞かなくちゃいけないことがある。


『……どうでした?』


 緊張のあまり口の中がカラカラになる。

 彼が答えを口にするまでの時間が永遠にも感じられた。


『……美味しかったよ』


 そして、彼は、そう言った。言ってくれた。

 

『ほ、本当、ですか? 本当に美味しかったですか?』

『え、ああ、うん、美味しかったよ』


 信じられなくて、もう一度聞く。

 でも確かに彼はもう一度そう言ってくれて。


『ありがとう、ございます』

『また、作りますね』


 だからそれが本当に、本当に――




 ――本当に、泣きたいくらい、嬉しかったのだ。



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