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雨 裏


 ドロドロとした、嫌な感情が渦巻いていた。

 胸の中、深いところで。


 これが何なのかは、私にももうわかっていた。


 劣等感。


 人より自分が劣っている時に感じるもの。

 もしかしたら、成長の原動力になるかもしれないものだ。


 ……まあ、ただしそれが努力で克服できる場合は、だけど。


 私の劣等感、この胸で渦巻くものはそれじゃあどうしようもない。

 だって、私が劣等感を感じているのは生まれ持った性別についてなのだから。


 私が男として生まれた事はどうしようもない事実で。

 それは努力で変えることは出来ない。


 ……もし私が生まれた時から女性だったら。

 最近、よくそんなことを考える。


 意味のない妄想だけれど、どうしても止められなかった。


 

 ◆



 今日も私はアパートの前のベンチに座る。


 六月。夏が近づいてきて、少し蒸し暑いころ。

 少し汗をかきつつ、それでもここに座るのは、そうしていると気が紛れるからだった。


 どうしようもない事に悩んでいて、部屋に一人でいると辛い。

 そんな時、ここで空を見ていると少し落ち着く。


 あの時と同じだ。

 ここに引っ越してきたばかりの時と。  


「……まあ、でもあのときよりはマシかな」


 だって、今の私にはあの人がいる。

 恋人ではないけれど、それでも傍には居てくれるから。


「……ふふ」


 ほら、あの時とは違って、笑うことは出来るのだ。

 作り笑いじゃなくて、本当に。


「……」


 ……贅沢だったのかな、と思う。

 私みたいな元男が、男の人と恋人になりたいと思うこと自体が。


 恋人にはなれないけれど、それでも一緒には居られる。

 それで、十分幸せじゃないか。


 だって、今のままでも、隣に居て仲良くしてくれるのだから。


「……」


 ……そうだ、それでいいんだ。

 だから……………だから、この胸の痛みは忘れないといけない。


 それがあの人のためで…………きっと、私のためにもなる。

 

「……」


 ポツリ、という雨粒が落ちる音がした。

 最初は途切れ途切れに、そしてすぐに本格的に降り始める。


 あっという間に全身が雨でぬれた。

 冷たくて、少し気持ちいい。


 考えすぎていた頭が冷える。冷静に。これまでどおりに。


 うん、私は大丈夫だ。

 この後、あの人が帰ってきても、きっと私はいつものように笑える。


 もうしばらくしたら帰ってくるだろうから、それまでにちゃんとした格好をしておかないと。

 そして、晩御飯を作って、笑顔でお帰りなさいと言うのだ。いつもどおりに。


「……うん」


 そう考えて、立ち上がろうとした――その時だった。


「……え?」


 近くで、雨をはじく音。

 驚いて顔を上げる。するとそこにはあの人がいた。目を見開いてこちらを見ている。


 ……どうしてここに?

 帰ってくるにはまだ時間が早い。


 いや、違う。そんなことを考えている場合じゃない。

 まずいところを見られてしまった。何か言い訳を考えないと。


 今の私の姿が酷い事くらいは私にもわかる。

 このままだと、彼に気を使わせることになるだろう。


 混乱しながら必死で頭を動かす。

 何か、何か言わないと。こうしていた理由、彼が納得してくれるものを――


「どうして……いや早く中に入ろう。風邪を引くよ」

「……あっ」


 ――でも、必死で考えていたそれらはあっという間に消えてしまった。


 暖かい。

 じんわりと、彼の熱が冷え切った手に伝わってきた。


 手が握られている。彼の手に、私の手が。


「こっちに」

「……」


 握った手を引かれて誘導される。

 家の中、風呂場へと。


 でも私の頭の中は、握られた手のことでいっぱいだった。

 彼の手が暖かくて、本当に温かくて。


 ……そして、何故かそのことが泣きたいくらい嬉しい。


「……」

  

 どうして。

 

 どうしてこんなことをするんだろう。

 折角、言い訳しようとしていたのに。頑張って諦めようとしていたのに。


 酷い人だ。初めて彼を恨みたくなる。

 ……だって、こんなに暖かかったら、嬉しかったら。


 ……そんなの、諦められるわけないじゃないか。


「すぐにお風呂に入って。僕はバスタオルとかの準備をしておくから」


 気がついたら私は風呂場にいた。

 そして、彼が手を離す。


 暖かいのが離れて、それが、どうしようもないくらい寂しい。

 嫌だ。傍にいてほしい。ずっとずっと、これまで以上に。


「……まって、ください」


 だから、気がついたら私は彼の背中に抱きついていた。

 



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