雨
友達とか恋人だとか、遠い世界の話だと思っていた。
言葉としては当然知っているけれど、僕には関係のない事だと。
一人で生きて、一人で死んでいく。
それが僕にとって当然のことだったからだ。
仲が良さそうに歩いている人たちを見て、羨ましいと思ったことはある。
手を繋いで歩くカップルに憧れたことも。
でもそれは、手の届かないところに生っている果実でしかなくて、実際に手が届くなんて考えたこともなかった。
……それなのに、そんな僕に、最近生まれて初めて親しい人が出来た。
一緒に食事をしたり、並んでテレビを見たり、休日に遊びに出かけたり。そんなことが出来る人が。
彼女と一緒にいる時間はとても心地よくて、楽しくて。
気がつくと何よりも大切なものになっていた。
――でも、だからこそ、僕は悩んでいる。
大切だからこそ、間違えたくなくて、失いたくないと思う。
僕は彼女とどう向き合っていけばいいのか。
彼女が僕に向ける感情がどんなものなのか。
……それが、どうしてもわからなかった。
◆
僕が頭を抱えている間も時間は過ぎていく。
気がつけば五月も終わり、梅雨の季節になっていた。
「……ついてないな」
雨の中、傘をさして足早に家への道を歩く。
ついぼやいてしまったのは、雨がちょうど僕が駅を出たあたりで降り始めたからだ。
「……」
運が悪いな、と思う。
さっきまでは仕事が少し早く終わって、運が良いと思っていたのに。
どうやらそれは完全に勘違いだったようだ。
スラックスが濡れて足にまとわりついて気持ちが悪い。
横からの雨と、地面から跳ね返った水滴で下半身は水浸しになっていた。
革靴もとっくに水が入っていて、歩くたびに水の感触がする。
「……はあ」
大きくため息をつきつつ――
――ふと思った。
そういえば、あの日もこんな感じじゃなかったか。
三ヶ月前のあの日、彼女に傘を渡した日のことだ。
……懐かしいな。
まだそんなに時間は経っていないのに、そんな風に思う。
きっと、あの日から僕の生活が大きく変わったからだ。
お礼の煮物、看病、お粥、病院、角の掃除、水族館。その他にも色々なことがあった。
なんでもない、毎日の食事や共に並んで過ごす時間も。
それらは全てあの日、彼女に傘を差し出したことがきっかけだ。
あれがなかったら今はなかっただろう。
……そう思うと、この雨も悪いものじゃないのかもしれない。
「……」
……そうだ、この角だ。
ここを曲がったところで彼女が見えて――
「――え?」
角を曲がった先のアパートの前のベンチ。
そこには、彼女があの時と同じように座っていた。
◆
「な、なんで」
驚き、慌てて彼女に近づく。
彼女は傘をさしておらず、雨に濡れるままになっている。
そんなところまであの時と同じだった。
「……え?」
彼女が僕に気付いて顔を上げる。
普段はもこもことしている髪が雨で濡れて潰れていた。
長い時間雨に打たれていたということだ。
「どうして……いや早く中に入ろう。風邪を引くよ」
「……あっ」
聞きたいことはあるけれど、そんなことより彼女の健康の方が大事だ。
手を伸ばし、彼女の手を握った。
「こっちに」
「……」
手を引き、部屋へと促す。
握った手は冷え切っていて、早く暖めなければと焦ってしまう。
扉を開け、僕の部屋に入る。
そして彼女を風呂場に連れて行った。
「すぐにお風呂に入って。僕はバスタオルとかの準備をしておくから」
そう言って風呂場から出て行こうとし――
――背後から衝撃を感じた。そして、彼女の手が僕の腹部に回る。
「……まって、ください」
首だけを回して後ろを見る。
彼女が、僕の背中に抱きついていた。




