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お礼


 意識が浮上していく。

 眠気が薄れ、段々耳から入ってくる音がわかるようになっていった。


「……う」


 目を開けると窓からは日の光が差し込んでいる。

 光の強さからもう朝ではないということが何となくわかった。

 

 ……朝じゃない?


「……っ仕事!」


 慌てて体を起こし時計を見る。

 針は九の文字を刺していた。


「……遅刻だ! 

 急がない……と……って今日は土曜日か」


 ベッドから転がり落ちたところで気が付く。

 全身から力が抜ける気がした。


「寝ぼけてたか……」


 疲れてるんだろうか。

 以前、寝ぼけるのはストレスが溜まっているからだ……なんて話を聞いたことがある。


 そう、例えば……昨日のこととか。


「……はあ」


 嫌な気分を吐き出すようにため息をついた。

 そして、切り替えるために顔でも洗おうと立ち上がる。


「……ん?」


 ちょうどその時だった、玄関からチャイムの音が響いた。

 


 ◆



「……え?」

「あの、こんにちは」


 目の前の光景に混乱する。

 宅配便だろうかと扉を開けると、そこには例の少女がいた。


 人違いではないだろう。彼女の髪と角は特徴的で、早々見間違うものじゃない。

 真っ白のもこもことした髪が、日の光を反射して僕の目を刺激する。

  

「なぜ、ここが……」


 わかったのか、と言いかけて気が付く。

 わかって当然だ。昨日、僕は何をしたのか。


 傘を渡してそのままこの部屋に転がりこんだのだ。

 そこを見ていれば誰にだってわかる。


「その、これを」


 彼女の声にその手元を見ると、彼女は傘を僕に向かって差し出していた。

 僕の傘だ。昨日彼女に渡した。


「昨日は、ありがとうございました」

「……いや、ど、どういたしまして」


 頭を下げ、お礼を言う彼女に、しどろもどろになりながらそう返す。


 予想していなかった事態に混乱している。

 この年頃の子と話すことなんてないから、どうすればいいのかわからない。


 薄っぺらい人生経験を掘り返して、必死に頭を捻る。


 と、そこで気が付いた。


 彼女の顔色がいい。健康そうだ。

 昨日危惧したように風邪を引いたりはしなかったらしい。

 

「その、元気そうでよかった」

「え?ああ、はい。おかげさまで。

 貸してもらった傘のおかげで風邪を引かずにすみました」


 笑ってそう言う彼女に少し安心する。

 昨日は散々後悔したけれど、そう言ってもらえると、やってよかったと思えた。


「余計なお世話じゃなかったのなら、よかった」

「そ、そんなことはないですよ!

 その、本当に、嬉しかったですから……」


 手をパタパタとさせ、上目遣いでこちらを伺う彼女に少し衝撃を受ける。


 はにかむように笑う彼女はとても可愛らしく見えた。

 昨日もそう思ったけれど、この子の顔は本当に整っている。日の下で見るとなおさらだ。


 ……いや、性転換病の患者だということを考えると、そう思われるのも不本意なのかもしれないけれど。


「そ、それで、ですね。これ、お礼です……」

「え?」


 彼女の声で、考え事から現実に引き戻される。

 声と共に差し出された手。そこにはタッパーがあった。


「これは」

「よかったら、食べてください」


 目の前に差し出され、無意識につい受け取る。

 手に持ったそれはまだ暖かかった。


「そ、それでは。昨日はありがとうございました」

「……えっと」


 僕が驚いて何も言えないでいるうちに彼女はもう一度頭を下げ、その勢いのまま歩き出す。

 そして、数歩僕から見て右に歩き――


 ――隣の部屋の扉を開いて中に入っていった。


「……え?」


 隣?隣の部屋?

 そこに住んでるの?


 ……そういえば。


 ほんの二週間くらい前、空き家だったはずの隣の部屋から音がしてきて不思議に思ったんだった。

 あの時は誰か引っ越してきたのかなあ、と思っていたけれど……。


 それが彼女だった?


「……もう、驚きすぎて何がなんだかわからないな……」


 短い時間の間に色々なことが一度に起こって困る。

 精神的な疲労のせいか体の力が抜けそうだ。


 体を引きずるように部屋に戻り、もらったタッパーを机の上に置いた。

 

「……」


 恐る恐るタッパーを開けてみると、中には煮物が入っていた。

 にんじんは花の形に飾り切りされ、里芋は六角柱に似た形になっていた。

 とても素人が作ったようには見えない。


 ありていに言えば、とても美味しそうだ。


「……あ、美味しい」

 

 一つつまむと、少し薄味だが、実際に美味しかった。

 


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