角掃除
ブラシの説明書を読む。
様々な形のブラシの説明と、それぞれにあった使い方。それらが丁寧に書いてあった。
「……へえ、このブラシは曲がったところに使うのか」
流石は高級ブラシといったところか。
説明書はわかりやすく、力加減などの細かいところまで説明してくれている。
……力加減、強すぎるのは駄目なのか。
毎日掃除しているのなら、強く擦る必要はない、と。
「……なるほど」
そういえば昨日の掃除では彼女が顔を赤くしていたけれど、これが原因なのかもしれない。強く擦りすぎて痛かったのだろうと思う。
……次はもっと優しくやらないと。
「……ただし、個人差があります……と」
最後まで読んで、説明書を閉じる。
角の掃除はきっと、夕飯後だ。それまで少し練習しておこう。
◆
そして夕飯後。
お茶を飲んだ後、話を切り出した。
「……これを買ったんだ」
「? これは?」
ブラシを彼女に見せる。
「獣人用ブラシ……?」
「……いつも、色々世話になってるから。そのお礼みたいなものかな」
料理とその後の片付け。
言葉にするとこんなに短いけれど、それが決して簡単なものではない事は僕も知っている。
「……え?そんな、悪いですよ。大したことはしてませんし」
「そんなことはないよ」
本当に助かっているし、感謝している。
それに、毎日の料理だけじゃない。
あの日、作ってくれたお粥がどれだけ僕を救ってくれたか。どれだけ嬉しかったか。
口下手な僕では君に上手く伝えられなくて、それが本当にもどかしい。
「君がいてくれてよかった。君の料理が食べられて嬉しい。
……だから、悪くなんてない。君のおかげで、僕は今、幸せなんだ」
僕にとって食事は作業のようなものだった。
死なないために、飢えないために必要なものを食べる。ただそれだけ。
でも君と出会ってから変わった。楽しいと、そう思うようになったから。
「今日の料理もとても美味しかった。どうか、そのお礼をさせて欲しい」
「…………はい、わかりました」
彼女が頷いてくれた事が、とても嬉しかった。
◆
「じゃあ、角の掃除をしようか」
「お、お願いします」
それから少し時間が経って、角の掃除をする事になった。
椅子に座った彼女の後ろに立つ。
そして、ブラシを取り出し、右手に構えた。
「……始めるよ」
「は、はい」
まずは根元からだ。
説明書にはそれがいいと書いてあったのでそれに従う。
「……」
「……ん」
角と髪を押さえ、根元が見えるようにした。
ブラシを角に近づける。
……昨日は痛かったみたいだから……。
夕飯前の練習を思い出す。
丁寧に、慎重に、力を入れないように……。
彼女の角の根元。
そこを僕は、そっと、なぞるように擦った。
と――
「……ひいいいいああああああああああああああああ!?!?」
突然、彼女が大声で叫んだ
そして、椅子から転げ落ちる。
……え、失敗した?
「だ、大丈夫!?」
「……な、なにを……したんですか……」
慌てて近づくと、彼女が震えながら、角を押さえ、顔を真っ赤にして問いかけてくる。
いや、なにをと聞かれても、説明書通りにしたつもりだったんだけど……
「えっと、いや、普通に……」
「嘘です!絶対普通じゃなかったです!」
「す、すみません」
手を上下に大きく振って講義してくる彼女に慌てて謝る。
怒られてしまった。反省しないと。
どうやら僕は間違ってしまったようだ。
「もっと普通に……昨日くらいなら……多分、大丈夫ですから」
「ご、ごめん、わかったよ」
これは駄目です、絶対駄目ですからね!と彼女が念押ししながら椅子に座る。
僕もその後ろにもう一度立った。
……昨日と同じくらい……というともっと強めか。
丁寧に、でも力を込めて、彼女の角を擦る。
「……そ、そうです……そんなかんじで……ぅう」
「わ、わかった」
今度は大丈夫のようだった。
少し安心する。
「……」
「……ぅ、う」
その調子で角全体を掃除していった。
◆
しばらくの時間が経って、掃除が終わった。
「はあ、はあ」
彼女は昨日と同じく、顔を真っ赤にして息を荒げている。
僕が上手くできていないからだろう。とても悔しい。
「あの、明日はどうする?」
「はあ、はあ、え?」
女医さんは肌荒れが治るまでは他の人にやってもらったほうがいいと言っていたし、明日はまだ治ってはいないだろう。
でも、今日失敗してしまったし、もしかしたら彼女が嫌がるんじゃないかと思った。
「そ、それは…………………………その、明日も、お願いします」
しかし、彼女は、目を逸らしながらそう言った。
「わかった。明日は頑張るよ」
どうやら首にならずにすんだようだった。
名誉挽回のチャンスが与えられたみたいだ。
……明日はもっと頑張ろう。
もっと説明書を読み込んだり、動画を探したりとかもいいかもしれない。
彼女に喜んでもらいたい、そう思った。




