痒み
この話は本日二話目です。
今日初めての方は前の話から読んでください。
「……とりあえず、中に入ってもらえるかな?」
「……はい」
何があったのかはわからないけれど、玄関に立たせたままにしておくわけにはいかない。
彼女を部屋へと招きいれ、椅子に座らせる。
「……それで、どうしたの?」
「その、角が痒くて眠れないくて……。
……こんな時間に申し訳ないんですけど角の掃除を手伝ってもらえませんか?」
そう言って、彼女が深々と頭を下げる。
……それはまた、なんともタイムリーな話だった。
まさか調べてすぐにそんなことになるなんて、考えもしなかったし。
「えっと、まあ、それはいいんだけど……」
「手伝ってくれますか!ありがとうございます!」
了承を伝えると、彼女が、笑顔で立ち上がり、いそいそと僕の前にやってきて、目の前にかがむ。
そして僕に後頭部を突き出した。
「この、左角の根元を掃除して欲しいんです。
その辺りは私からは見え辛くて」
「あ、ああ、うん。わかった」
勢いに押されるように、差し出された歯ブラシを受け取る。
そして、目の前の彼女の角を見た。考えてみると、彼女の角をここまでまじまじと見つめるのはこれが初めてだ。
「……」
もこもことした髪から突き出した角。
色は黒くて、太い。一定の間隔で節のようなものもあった。
「……髪に触るよ」
「はい」
角の根元を見るために、白い髪を掻き分ける。
その髪は驚くほどに細く、柔らかく、肌触りがいい。
「……角にも」
「……はい」
そっと、角に触る。
硬い。でも、血管が通っているだけあって、暖かかった。
「……」
「…………ん」
髪と角を押さえて、根元を確認する。
……これは……どこが汚れているんだろうか。
色が黒なのでよくわからない。
「汚れがよくわからないんだけど……」
「えっと、根元の全体をやっていただけると。細かいところは私にもわかりませんし」
背中が痒いことがわかってもどこが痒いのかわかりにくいのに似てます、と彼女が言う。
……そんなものなのか。
しかし、全部ならそれはそれでわかりやすい。歯ブラシを動かして、凹凸に沿うように角の表面を擦っていく。
「……」
「…………ん、うぅ、」
真剣に、丁寧に、角を擦る。
間違って傷でもつけたら大変だ。
……しかし、歯ブラシは掃除がしづらい。
先端が太いから上手く頭と角の隙間に入らないのだ。
昨日注文したブラシみたいに、色々な形のブラシがあると掃除もし易いんだろうけど。
「……」
「…………ぅうぅ」
集中する。
「……」
「……ぅぅぅぅう」
……その、ちょっと声が。
もしかして痛かったりするんだろうか。もしくはくすぐったいとか。
ネットにも敏感だと書いてあったし。
「あの、大丈夫?」
「え?だ、だいじょうぶです!そのまま続けてください!」
「……そ、そう?」
……まあ、大丈夫だと言うのならいいんだけど。
そのまましばらく掃除を続けた。
◆
「それで、痒みはどうかな」
「……はあ、はあ……えっと、ですね」
掃除を終え、どうなったかたずねる。
彼女は顔を真っ赤にして息を荒げていた。
……やっぱり痛かったのかもしれない。
もう少し力を弱めるべきだったか。反省する。
「……えっと……駄目みたいです」
彼女が首を振る。
……それは困った。
「……これは、病院に行ったほうがいいんじゃないかな」
昨日見たサイトを思い出して、そう言う。
そもそも、眠れないくらいというと症状は相当酷いんだろうし、素人の手に負えるような状況じゃないのかもしれない。
これ以上悪化する前に見てもらったほうがいいだろう。
「え……病院ですか……」
……すごく嫌そうな顔だ。
嫌いなんだろうか。
「行ったほうがいいと思うよ。酷くなってから後悔しても遅いし」
「うぅ……そう、ですよね……わかりました」
うなだれている彼女を尻目に、スマホを取り出して、近くの獣人も大丈夫な病院を探す。
幸いな事に明日は土曜日だ。多少遠くても僕が車を出す事が出来る。
「獣人科……あった。ここからだと車で一時間くらいだね」
「……やだなあ……」
朝早くに出るとして、その準備をしておいた方がいいだろう。
車を動かすのも久しぶりだし、軽く整備もすることにする。
「……やだなあ……」
しかし、これでようやく少しは彼女の役に立てるかもしれない。
小さく呟き続けている彼女には悪いけれど、それは少し嬉しかった。




