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出会い


 恥ずかしくて誰にも言ったことはないけれど、僕は愛というものがわからない。

 なぜって、僕はそれをもらったことがないからだ。



 ◆



 一人で生きるようになったのは、もう随分と昔のことだ。

 それこそ、小学生の頃から。


 両親は育児放棄気味で、親らしい事をしてもらった記憶はほとんどない。

 家の中はいつも空っぽで、食卓の上にお金だけが乗っていた。

 

 友達も恋人も出来たことはないし、職場の人とも事務的な会話だけ。

 酷い時は丸一日誰とも会話をしない、なんて日もあった。

 我ながら、寂しい男だと思う。

 

 ……まあ、別にいいのだけれど。

 そんなのには、もうすっかり慣れているし。

 

 ちゃんと働いて、ちゃんと食べていけている。

 それでいいのだと思う。


 十分なのだ。

 何年か前に始めた株もそこそこ順調でお金にもさほど困っていない。

 これ以上を望むのは贅沢というものだろう。

  

 もっと不幸な人なんて世界中にはたくさんいるし――



 ――そんなことを考えながら歩いていると、ふと、一人の少女が目に入った。


 時刻は夜の七時。

 もう日は落ちて、街灯が道を照らしている。


 一日の仕事を終えた、会社の帰り道。

 僕の住むアパートの前のベンチに、彼女はいた。


 思わず目を引かれる、真っ白のもこもことした髪。

 そして側頭部から生えるくるりと回った角。


 その姿は、一昔前ならコスプレでしかありえなかった姿で、今となってはあまり珍しくない姿だ。


 ――獣人、かあ。


 獣の特徴を持った人。持ってしまった人。

 彼らが初めて確認されたのは今から五年も昔のことだ。

 

 その始まりは東京都の小学生の男の子。


 彼は突然、予兆も何もなく、どうしようもないほどに変わってしまったという。

 髪も、目も、肌も、骨も……そして性別も。

 彼はある日目が覚めると、獣人の少女になっていた。

 

 後に性転換病だの獣化病だのと呼ばれる病。

 それは、彼を皮切りに世界中の人間の体を作り変えた。


 最終的に変わったのは大体全人口の五%くらいだったか。

 しばらくすると新しい患者が出なくなったので、今はもう落ち着いているが、当時は酷い騒ぎになったのを覚えている。

 テレビも世紀末だの、宇宙人の仕業だのとうるさくて――


 ――いや、それはどうでもいいか。

 要するに僕が今言いたいのは彼女がその性転換病の患者だという事だ。


「……」


 じろじろと見るのは失礼なので意識して目を逸らしつつ、アパート――彼女の方へ向かう。

 そして彼女を視界の端に捕らえつつ、すれ違った。


 そしてそのまま僕自身の部屋に向けてまっすぐに歩く。

  

 ……あの子小さかったな、まだ子供なんじゃないか、なんて考えながら。

 

 

 ◆



 次の日。

 僕は会社帰りに同じ道を歩いていた。


 昨日と違うのは、今日が金曜日だという事だろう。

 次の日が休みだという事で、足取りも軽くなる。


 もうスキップをするほど子供ではないけれど、それでも不自然にならない範囲で足を速めながら道の角を曲がり――


 ――アパートを正面にしたところで、彼女の姿が見えた。


 ……今日もいる。


 白いもこもことした髪と、くるりと回った角。

 昨日と同じ特徴の彼女が、昨日と同じ場所に座っている。


 ……大丈夫なんだろうか。


 そう、つい思ってしまう。

 少し離れたところから見る彼女は、やはり大人には見えない。


 昨日横目に見た顔立ちや身長からして中学生くらいか、それともそれより下か。

 どちらにせよ、少なくとも夜――まだ十九時とはいえ――ベンチに座って時間をつぶすような年には見えない。


 もちろん、顔の作りや身長が若く見えるだけで実は大人だったという可能性もある。

 その場合、大丈夫だろうか、なんて考えるのは失礼に当たるだろう。


 でも。


「……僕も、昔」


 一瞬、彼女の姿がかつての自分に重なった。


「……」


 思い出すのは数日前にテレビで見たニュース。

 性転換病の患者の少女が実の親から虐待を受けていた、というもの。


 たとえ新しい患者が出なくなっても、すでに変わったしまった人が元に戻るわけじゃない。

 五年前のあの日から、性転換病被害者に対する差別や児童虐待が社会問題化していた。


 ……何か、あったんだろうか。

 

 家に帰りたくなくなるような何かが。

 春とは言ってもまだ肌寒い時期、外にいたいと思うような何かが。


「……」


 そう、考えつつも自分の家へと足を進め――

 

 ――何もせずに彼女の横を通り過ぎた。


 ……僕には、どうしようもない。

 

 下手に声をかけて、嫌がられたら僕は完全に不審者だ。

 逆に通報されたら困るし、しかたない。


 そもそも勘違いの可能性だって高いのだ。 

 時間もまだ部活帰りとかならおかしくない時間。

 あんまり遅くまでいるようなら、警察に連絡すればいいだろう。

 

 目を逸らし、足早に部屋へと向かう。 

 部屋に入る直前、振り返って見た彼女は、ベンチに座り、体を丸めるようにして足元を見ていた。


 


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