【04】旅立ちの時
「でも勇者パーティを辞めるってどうやって……? あいつが怒るだろうし」
ルミナが涙に濡れた目元をこする。
するとアーシェは得意げな顔で、両手をいっぱいに広げた。
「このまま、どっかに逃げだしてしまえば良いんだよ! 遠くの誰もいないところで三人で暮らすんだ。……素敵なアイデアだろ?」
「でも、それなら魔王はどうするの? 誰が倒すの?」
ルミナは幼い頃からずっと魔王を討つのは『勇者』である、自分の使命だと何度も繰り返しレオナルドに言い聞かされてきた。
したがって彼女は、絶対に自分が魔王を倒さなければならないという強い脅迫観念を抱いていた。
「そんなもん、他の大人に任せておけばいいんだよ! だいたい、あたしら子供じゃん。世界の命運なんて重すぎるっつーの!」
そのアーシェの言葉に、サクヤがうんうんと首を縦に振る。
「少し前、魔法学院に立ち寄った時、その図書室で、彼にバレない様に、こっそり調べたのだが……魔王の出現以降、戦争や飢餓で死ぬ人の数自体は減っているらしい」
「え? なんで」
ルミナが首を傾げる。
「だって暗黒時代に入る前から世界の国々はお互いに戦争ばっかりしていた。それが魔王討つべしで一致団結を果たした。その事により以前まで続いていた戦争はなくなり、各国の協力体制ができあがった。勿論、モンスターが活発になったりと、良いことばかりじゃないのだが。少なくとも、昔も今とそれほど変わらなかったらしい」
「ほら。だから、魔王なんて別に倒さなくって良いんだよ」
アーシェが明るい笑顔で追い討ちをかける様に言った。
「……そっか。そうなんだ」
衝撃的なサクヤの目撃談を聞いてから曇りっぱなしだったルミナの表情にわずかながら光が差す。
まだ半信半疑といった様子だが、ここで初めて「自分が魔王を倒さなくても良い」という発想が彼女の中に芽生えた。
しかし、今度はサクヤが暗い表情でうつむく。
「……だが、もしも本当に逃げだすとして、当面のお金は絶対に必要。どれくらいかかるかはわからないが」
パーティの資金はレオナルドがすべて管理しており、彼女達には月に一回、しなびた林檎がひとつを買えるぐらいのお小遣いをもらえる程度だった。
この経済的に依存させられている状況も、これまで彼女達がレオナルドに刃向かおうと考える気力を削いできた原因のひとつだった。
「そうだよね。わたし達、お金持ってないもんね……お小遣いはちょっとだけだし」
再びルミナはしょんぼりと肩を落とす。
するとアーシェが突然、自分のベッドの脇にある背負い袋の中を突然あさり始めた。
「どうしたの? アーシェちゃん」
ルミナが怪訝な表情で問うた。するとアーシェはいくつかの装飾品と宝石類を両手に乗せて二人の方へ差しだした。
サクヤとルミナは驚いて言葉を失い、アーシェの顔と両手のお宝との間で視線を行き来させる。
「お前それはどうした? まさか……」
「アーシェちゃん、駄目だよ……」
「しっ、失礼な!」
アーシェは何事か勘違いしている様子の二人に対して抗議の声をあげると、咳払いをひとつする。
「これはねー、ちょっと前に遺跡探索しただろ?」
サクヤがぽんと両手を打ち合わせる。
「ああ、辺境の村に立ち寄った時、近くの遺跡に巣くうオークを退治してくれって頼まれたやつか」
「そんな事あったねー。そういえば」
どうやらルミナも思いだした様だ。
レオナルドは旅先でこうした依頼を受けてはルミナ達にやらせて、自らは指一本動かさずに報酬をせしめて私服を肥やしていた。
彼が自分達の事を勇者パーティだとふれまわる理由はここにあった。
「その時に遺跡の奥で見つけたんだよ。オークが村人から盗んだ物なら返そうと思ったけど、ほらこれ……どう見てもかなり古い時代の物だろ?」
そう言ってアーシェは二人にお宝を一個ずつ手渡す。
「確かにそうみたいだな……」
サクヤが片目を瞑りながら受けとった指輪をランプの明かりに照らす。
「あとで念の為に村長さんにも探りをいれたけど、オークに奪われたのは家畜や作物だけだって」
「じゃあ、これは元々遺跡にあった物っていう事だな?」
「そゆこと」
アーシェは「にひひ」とほくそ笑む。
本来ならば、この手の品物を発見した時はレオナルドに必ず報告するのが勇者パーティのルールであった。
「あのおっさんには黙っておいたんだ。言ったら子供にはまだ早いとかなんとか難癖つけられて、とりあげられちゃうからな。よく知らないけど、こういうのは金目の物なんだろ? 確か」
「すごーい。流石はアーシェちゃんだよ」
ルミナがアーシェに抱きつく。
「へへへ……やめろよ、照れるだろ、もう」
と、言いつつ満更でもなさそうなアーシェだった。
その光景を羨ましそうに眺めていたサクヤが「こほん」と咳払いをする。
「兎も角、彼が飲んだくれているうちに、我々も動こう」
「……サク。行けるのか?」
アーシェの問いかけにサクヤがにやりと笑う。
「まだ魔力は戻りきっていないが体調はだいたい戻った。思い立ったが吉日」
「キチジツ?」
ルミナが首を傾げる。
「東方の言葉でラッキーな日という意味。やると決めた日がなにかをするのには最良の日って意味」
「やっぱりサクちゃん物知りだねー」
ルミナにほめられて、ご機嫌そうに「ふふん」と鼻を鳴らすサクヤだった。
「それじゃ、とっとと、荷物まとめようぜ。今日があたし達のしょぼくれた人生の中で一番ラッキーな日にしてやるんだ」
そのアーシェの言葉を合図にかけ声をひとつ。三人は宿をでる準備をし始めた。
宿をこっそりと抜けだした三人はできる限り人目につかない様に裏通りをとおり、町をとり囲む外壁の門が見える場所まで辿り着いた。
「わかっていたけど、やっぱり夜は門が閉まっているなー」
物陰から様子を窺いながらアーシェが眉尻をさげる。
今、彼女の視界には通りと半円形の広場を挟んだ場所にある鉄格子の門が映り込んでいた。
門の前には長槍を持った二人の衛兵が立っており、その右隣には見張りの衛兵が詰める石造りの四角い小屋があった。小屋の小さな窓からは明かりが漏れている。
「どうする? やっぱり宿に帰って朝になって門が開くまで待つ?」
ルミナがアーシェとサクヤの顔を交互に見て問うた。
「いいや。今やる。やるったらやる」
そう言って、サクヤが物陰から足を踏みだす。
「サクちゃん……」
不安げな声でルミナに呼ばれたサクヤは立ち止まり、物陰の方を振りむいた。
「大丈夫。こんなの彼に怒られるよりなんて事はない。そこで見てて」
「気をつけろよ!」
アーシェが、びしっと親指を立ててあげる。
サクヤも同じ様に親指を立て返す。そして、再びちょこちょこと歩き始めた。
通りを渡り、広場を横切り、門の前に立つ衛兵の元に辿り着く。
衛兵達は訝しげに顔を見合わせる。
「おや。こんな夜更けに……お父さんとお母さんはどうしたんだい?」
その問いに答えずサクヤは杖を衛兵の眼前に突きだす。すると杖の先から、ぽふっ、と煙が吹きでた。
その煙を吸った二人の衛兵は膝を折り地面に突っ伏して寝息を立て始める。
風属性の初級魔法【眠り煙】である。
そのあと、サクヤは何食わぬ顔で見張り小屋の扉をこつこつと叩いて【眠り煙】の呪文を詠唱する。
小屋の扉が開いた瞬間に魔法を発動させて、中にいた二人の衛兵を眠らせた。
それからサクヤは小屋の中に侵入すると、奥の壁にあったレバーをさげた。
すると滑車の回る音と共に、門を閉ざしていた鉄格子がせりあがり始める。
その光景を物陰で見ていたアーシェとルミナが駆けだす。丁度、見張り小屋から姿を現したサクヤと顔を合わせる。
「流石は賢者様だ」
「本当だよ。サクちゃん、すごーい」
二人の賞賛を浴びて鼻高々といった様子のサクヤだったが、すぐに表情をきりっと引き締め直す。
「さあ、急ごう。魔法の効果はそれほど持たない。すぐに目覚めるはずだ」
「ああ。今の扉が開く音で見回りの衛兵とかが来るかもしれないしな」
「行こう。みんな!」
こうして三人は、門をくぐり抜けた。
すると、ルミナが立ち止まって門の内側を振り返る。
「どうした、ルミナ」
アーシェが怪訝な表情で尋ねる。
ルミナは首を横に振って微笑む。
「ううん。なんでもない」
「さあ、早く。どこかの岩場で朝まで隠れて、できるだけ遠くへ行こう」
そのサクヤの言葉にルミナとアーシェは力強く頷く。
門の外側から荒野を割って西へ続く街道をしばらく行くと、ルミナが不安げな表情でぽつりと呟く。
「でも……あんな書き置き残して来て良かったのかな? あいつ、怒らないかな?」
「いいって、いいって。だいたい、もう、あのおっさんが怒鳴ろうが喚こうが、あたし達には関係ないだろ?」
アーシェは悪戯っぽい笑みを浮かべた。すると、サクヤが鹿爪らしく言う。
「あれくらいじゃないと、彼は我々に拒絶されている事を理解しないだろう」
こうして三人は星明かりに照らされた夜空の下、新たなる旅路をスタートさせた。