【28】世界が例え滅びようとも
「あああああ……やめろ! 触るんじゃあない! 触るなッ!」
レオナルドは後ろ手を縄で縛られ、ランデルシャフト南区衛兵隊詰所の廊下を引っ立てられてゆく。
まるで、暴れ馬の様な彼の右腕をしっかり抱え込んで抑えている衛兵は、垂れ犬耳の獣人族だった。
獣人族が嫌いなレオナルドは、心の底から湧きあがる嫌悪を我慢できずに叫び散らす。
「汚らわしい獣の分際で、この私に触れるんじゃあないッ!! 身の程を知れッ!!」
大昔、一部のシャスティア教徒達が人間外の他の種族を劣等な人種として迫害していた時代があった。
現代のシャスティア教徒のほとんどが、それを恥ずべき黒歴史としているが、レオナルドは別だった。彼は人間外の種族――特に獣人族をある理由から逆恨みしており、その感情を正当化する為、この間違った人間至上主義を正しいと思い込んでいた。
だから、獣人族の男に犯罪者として引っ立てられている現状は、レオナルドにとって到底我慢ならないものであった。
「クソがッ! 家畜の臭いが移る、畜生が!」
彼は詰所の地下にある留置場に連れられる間、ずっと差別的な言葉を叫び散らした。
そして、牢屋の前に着くと鉄格子の扉が開けられる。
すると、獣人の衛兵がレオナルドのケツを蹴りつけて、彼を無理やり牢屋の中へと押し込んだ。
「うぎゃっ!」
レオナルドは湿ったかび臭い石畳のうえに突っ伏し、情けない悲鳴をあげた。
寝転んだまま身を翻し、上半身を起こすと、獣人の衛兵が牢屋の入り口をくぐり抜けたところだった。
その背後では、鉄格子のむこうから、他の衛兵達が嫌らしいにやつきを浮かべ、レオナルドを見おろしていた。
「きっ、貴様ら、なにがおかしいんだッ!!」
しかし、衛兵達は何も答えない。
そうするうちに獣人の衛兵がレオナルドに近づいて来て、その胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。
「汚らわしい獣? 家畜の臭いだぁ?」
獣人族の衛兵がレオナルドを殴りつける。
「うぎゃあっ!」
鈍い打撃音と共に、彼はのけぞって尻餅をついた。
「ななな、なにをするんだッ!! じじじ人権侵害だぞ?!」
「人権侵害?! こいつ、人権侵害とか言いやがったぞ?!」
獣人族の衛兵が、肩をすくめて他の衛兵達の顔を見渡し、ゲラゲラと笑う。
他の衛兵達も爆笑した。
その笑いが収まらないうちに、獣人族の衛兵は尻餅をついたままのレオナルドの腹を思い切り踏み抜く様に蹴った。
「くぼぁああああ」
レオナルドは芋虫の様にのた打ち回り、反吐を撒き散らす。
獣人族の衛兵は、その大きく太い指をレオナルドの頭部に食い込ませ、彼の顔面を吐瀉物の上に叩きつけた。
びしゃっ、という音と共に、粘度の高い飛沫が飛び散る。
「てめえ、こっちの人権を散々無視した様な事をほざきやがって、自分の人権は主張すんのか? あ?」
獣人族の衛兵は、レオナルドの背中を思い切り蹴りつける。
「ううっ……」
「なんで、てめえみたいな野郎ってのは、散々言いたい放題言っといて、自分は誰からも文句をつけられないって勘違いしてんだろうな?」
獣人族の衛兵は、もう一度、レオナルドの背中を蹴りつけた。
「どんだけ自分が偉いつもりなのか知らねーけど、やられたら、やりかえされんのは、当たり前なんだぜ? 王様だろうが貴族だろうが、てめえみてえな坊さんでもみんなそれは同じだ。この世のルールなんだよ! ……もしかして、そんな事も知らねーで、この歳まで生きてきたのか? おっさんよぉ!」
再び鈍い打撃音が鳴り響く。
悲鳴は聞こえなかった。
レオナルドはゲロ塗れになりながら、白眼をむいて気絶していた。
ルミナ達が『導師』レオナルドと邂逅を果たした次の日の朝だった。
クローディアはなかなか起きてこないルミナ達の様子を見に行こうとして、扉口の前で彼女達の話し声を立ち聞きしてしまった。
その結果、クローディアは三人の正体が勇者達であった事を知る。
戸惑いは勿論あった。
しかし、それ以上に、彼女達に対して抱いていた疑問に、すべて答えが得られて納得できた事の方が大きかった。
あの尋常ならざる戦闘能力。
そして、かたくなに自分のクラスを口にしようとしなかった理由。
更に憧れていた勇者達が、こんなところにいる理由も。
厳密に言えばクローディアも一応は、シャスティア教徒という事にはなる。
しかしそれは、熱心にお祈りをしたり、教典を穴が空くまで読み込んだりするほどではないが、冠婚葬祭などはシャスティア教式という程度のものだった。
そんな彼女でも、これまで『勇者』は世界を救う運命にある事がなんとなく正しいと信じて、それは当然だと疑いもしなかった。
その特別な存在である『勇者』に憧れ、自分も世界を救う英雄の仲間になって旅をする事に、無邪気な憧れを抱いていた。
しかし、扉のむこう側から聞こえてきた三人の悲痛な言葉の数々を聞いて、クローディアはそんな自分を恥じた。
何も知らずにこの世界に生まれ落ちて、自らの意志とは無関係に魔王を倒す事を強いられ、大勢の人々の期待を背負わなければならない。
それがどれほどの重荷なのかを考えようともしなかった。
やはり世界の何もかもを、あの幼い三人に無理やり背負わせるのは間違っている。クローディアはそう思った。
例え魔王を倒し、暗黒時代を終わらせる方法がそれしかないのだとしても。
――もし、あの子達が役目を放棄したぐらいで滅びてしまうなら、間違っているのはこの世界の方!
クローディアはひとつ大きく深呼吸して、絶望に満たされた部屋の扉を開けたのだった。
アップルパイを食べ終わったあとで、クローディアはひとりギルド本部へとむかう。
アメリアにルミナ達の様子を報告する為だ。
しかし、クローディアは散々迷ったあげく、部屋の前で立ち聞きした内容を告げるのはやめようと考えた。
彼女はレオナルドの口からあの三人の正体が明かされる事はないだろうと読んでいた。そのつもりがあるなら、昨日あれほどの騒ぎになる前に、口にしていただろうからだ。
だから、自分が何も言わなければ、あの三人の正体が明かされる事はない。そう予測していた。
勿論、クローディアは母であるアメリアの事を信用してはいる。きっと母ならば、あの三人に無理やり魔王を倒しに行けだなんて言わないと確信していた。
しかし、ルミナ達の意志とは無関係に知り得た情報を本人達の許可なく口にするのは抵抗があった。
実は扉越しに話を聞いていたと明かして本人達の了承を得ようかとも考えた。だが、それも迷った末に結局やめた。
クローディアは、あの三人が純粋に自分を慕ってくれている事を充分に理解している。
しかし、だからこそ、まずは直接ルミナ達の口から聞く方が先だと考えた。
そうするには今よりも更に深い信頼を獲得しなければならない。そして、その過程を飛ばすのは不誠実な気がしたのだ。
だから、三人が話す気になるまで、聞かなかった事にする。
それがクローディアの選んだ道だった。
「……じゃあ、三人から特に目新しい話は聞けなかったと?」
「ええ、お母様」
執務室の書斎机を挟んでむき合うアメリアに返事をしながら罪悪感を覚える。
それでもクローディアは己の意志を曲げようとしなかった。
「それで、あの男の方は、なにか喋ったの?」
「あの男もだんまり。未だに黙秘を続けている」
クローディアの予想どおり、レオナルドは、彼女達や自分の素姓を明かす様な事はしていなかった。
「……一応、負け犬の首輪の無許可使用で、投獄される事にはなるだろうけど……」
「刑期はそれほど長くないと」
クローディアの言葉にアメリアが頷く。
きっとあの男は、ルミナ達の事をおとなしく諦めてはくれないだろう。二人はそれを確信していた。
「……なんにせよ、あの子達は、このギルドきっての大型新人だ。なにがあっても手放す事はしたくない」
と言って、不敵に微笑む自らの母親の言葉を受けて、ひとまず胸をなでおろすクローディアだった。
「それから、あの水夫達だが。全員、首輪を解除されて治療院に運ばれたらしい」
「そう……」
「ただ心身共に衰弱が酷く、社会復帰は当分先になるらしい。ぽつり、ぽつりと今回の件について話始めているらしいが」
彼らが相当酷い仕打ちを受けていたであろう事は想像に難くない。そして、ますます、あの男に三人を渡す訳にはいかないと、決意を新たにするクローディアだった。
アメリアの話は更に続く。
「……あと、もうひとつ忘れていた。先にあの遺跡を発見し、故意に報告を怠った青髭ポチョムキンの『召喚師』フィオーレ・サルコファガスら四名を衛兵隊がついさっき捕縛にむかったそうだ……私からの話は以上だな」
「ありがとうございます、お母様。……それで、お願いがひとつ、あるのだけれど」
「お願い?」
「少し、お休みをいただきたくて。私も、あの子達にも……」
「それは、勿論、構わない」
「ごめんなさい」
と、そこでアメリアは、相貌を崩し優しげな微笑みを浮かべる。
「……あの子達を、しっかり支えてやるんだぞ? 優しいお姉ちゃんとして」
「はい」
クローディアはまったく照れる事なく、力強く即答した。
一方、ランデルシャフト南区衛兵隊詰所の地牢獄にて。
「糞、糞、糞、糞……。なんで私がこんな目に。私は正しいはずだ。私は間違っていない」
レオナルドは冷たい地下牢獄の床に腰をおろしながら、血走った眼をいっぱいに見開き、右手の親指をチュバチュバとしゃぶる。
「……私が世界平和の為にどれだけの力をそそいで来たのか……『勇者』とその従僕を育てあげるのにどれほどの苦労をしいられてきたのか。それは正しい行いのはずだ。ならば、私はなにひとつ責められるいわれはない」
彼は拒絶され、殴られて、ゲロ塗れになっても、まだ自分が間違っているとは思わなかった。
しかし、絶対的な支配下にあると思い込んできたルミナ達や、下等だと見くだしていた冒険者や獣人族など、自分よりも劣った地位にあると思っていた者達に反逆を受けて、彼のプライドは粉々に砕け散った。
冗談でもなんでもなく、精神崩壊寸前であった。
「糞っ。これだから女は……女は感情的にしか物事を考えられない下等生物だから、すぐにボクを馬鹿にする。キモイだのなんだのって、ボクを差別し始めるんだ、畜生ッ!!」
レオナルドは女性を性欲の対象とは見ていたが、基本的に見くだして憎悪していた。
彼にとっての“良い女”とは、怒鳴りつければ逆らおうとしない、自意識が育つ前の幼い少女か、母親、または偶像の女神シャスティアだけであった。
「あの腐れ売女共め……あの発情期の雌猫共め……畜生ッ!! 畜生ッ!! ルミナ達も、あの女達の様になってしまったのか?! 汚染されてしまったのかッ?! 畜生ぉおおお……ボクの可愛い従順だったルミナを返せぇええッ」
すると、そこで鉄格子の前に看守が姿を現す。
「おい! 貴様、ぶつぶつと五月蠅いぞ!」
しかし、レオナルドはしゃぶっていた親指の爪をガリガリと噛みながら囁き続ける。
「ボクを批判するな。ボクを批判するな。ボクを批判するな。ボクを批判するな……」
「おい、お前、いい加減に……」
看守がすべて言い終わる前だった。
急にレオナルドは立ちあがり、それまでとはうって変わった聖職者の微笑みを浮かべた。
あまりの変わり様に看守は恐怖を感じて、たじろぐ。
「なっ、なんなんだ、お前……」
レオナルドが鉄格子に歩み寄り言った。
「……手紙を書かせてもらえないだろうか?」
※今更いうまでもありませんが、本編中のレオナルドの言動と作者の趣味嗜好や主義思想はいっさい関係がありません。




