寸説 《人狼物語》
寸説再び!
晴れ渡る空の下、この物語の主人公は道で通りがかった老人の馬車の荷台に乗せてもらい揺られていた。
「ここから行けば近いか。じいさん、ありがとう。ここでいいよ」
主人公である少年は荷台から降りて老人に感謝をのべると財布の小袋から銅貨を数枚渡して別れる。
「森を抜けるだけだ」
少年は森の中で舗装された道を通っていく。
「やけに静かだな?」
何度か止まり森の中を覗くが野生の動物がいない。時折、鳥が鳴くくらいだ。
十分ほど道を進むと丸太の壁で囲まれた建物が見えてきた。
「帰ってきた!」
少年はうーんと伸びをして肩に掛けていたナップザックを背負い直し、壁の中に入った。
「相変わらず何も変わんないな」
壁があったのは彼の故郷である村を害獣から守るためだ。そんな故郷は都市の流行なんて知らないかのように色々と古臭い。だがこれが少年には落ち着ける。
少年は去年、都市へと行き、騎士の下で見習いとして修行していた。都市は少年の故郷の田舎とは違い、いろんなことが目まぐるしく起きていた。その中で頑張った少年は騎士である主から許可をもらって二週間ほど休みをもらい帰郷していたのだ。
「ああ! お兄ちゃん、お帰りなさい!」
二つ年下である小柄な少女が少年に抱きつく。
「ただいま」
少年は自分の妹の頭を優しく撫でる。
「もう、心配したんだからね?」
「ごめん、まだ馬には乗れなくてヒッチハイキングしたんだ」
妹は少年から離れると笑顔を見せる。
「無事に帰ってこれたんだからみんなに知らせないとね」
「そうだな。みんなには世話になったし、みんなは仕事か?」
「うん、昼間だからね。村長は居ると思うよ」
少年は妹と共に村の中心にある村長の家に向かった。
妹がノックをして応答を待つ。
「はいはい、誰かね?」
扉を開けたのは禿頭の老人。彼が村長である。
「おお! 少年。戻っておったか。さあ中に入りなさい」
腰の曲がっていない村長はいそいそとキッチンへ歩く。少年と妹も中に入れてもらう。
「疲れただろう? 座りなさい」
キッチンから二人分の椅子を運んできた村長はテーブルに並べて元々あった二脚の椅子の一つに座る。
「はい。少し荷台に揺られ過ぎて酔ってしまいました」
大丈夫? と妹が聞いてきたので少年は社交辞令だよと返す。
「そうか騎士の修行は大変かね?」
「そうですね。剣の腕を磨いたり、騎士様の身の回りのお世話までしていますから少し肩が凝りました」
それは社交辞令? と妹が聞いてきたので少年はこれは本当と返す。
「まだ一年目なので弱音を吐いている場合ではないんですが」
少年は苦笑する。
「さあ、どうぞ」
キッチンから姿を現したのは村長の奥さんである夫人だ。シワが多く、白髪だが見た目より若く感じるのは綺麗な洋服で着飾っているからだろうか?
妹は早速、夫人が馳走してくれた焼き菓子をつまむ。
「ん~! 夫人さんの焼き菓子はいつもほどよい甘さで美味しい~」
幸せそうに次々とパクつく妹に少年は苦笑いしながら続ける。
「それで村で変わったことはありませんか」
少年の問いに村長はうーんと唸る。
「まだ被害という被害は無いのだが、最近狼どもが山を降りているらしい」
「本当ですか!?」
それは一大事だ。狼たちは人間よりも力強く狡猾な生き物だという。一匹でも対処は難しいのに、もし群れごと人里にまで降りてきたなら厄介だ。しかし賢いゆえ山を降りることなんて滅多にないはず。それこそ群れから追い出されたり、食べ物が無くなったりしなければだが
「安心しなさい。一人だけだが傭兵を雇っておる。それに木こりや猟師も交代で村番をしてくれている」
「でも群れだったら村は全滅してしまいますよ」
妹の動きが止まった。
「私たち死んじゃうの?」
不安げに見つめてくる妹を安心させるために頭を撫でて焼き菓子を勧める。
「大丈夫だ。お前のことは兄ちゃんが守る」
「うん」
安心したのか妹は再び食べ始める……四人分あった焼き菓子が半分に減っているのは気にしない。
「確かに群れられては困る。だが兵士ではない儂らでは駆除など難しい。狼どもが去るまで村を守ることしか出来ん」
「それなら俺も村番をしますよ。剣の稽古だってしていますし、素人に毛が生えた程度ですけど」
「それは嬉しい。だが今日ぐらいは妹と居なさい。久しぶりの再会を家族水入らずでな」
「ありがとうございます」
その後、他愛もない世間話をすると村長の家を辞した。結局、焼き菓子は妹が全部食べてしまった。本人はとても気分が良さそうだ。そんなに美味しかったのだろうか? 少しで良いから食べればよかった。そういえば朝から何も食べていない。
「おや?」
黒装束の痩せた中年男がこちらに気づく。
「これは少年、久しぶりですね」
「お久しぶりです説教師さん」
声をかけてきたのは村外れの礼拝堂にいる説教師だ。口うるさいが困っている人を見つけると見捨てられない暖かい心の持ち主だ。
「村に何か御用ですか?」
「はい。村長にお話が。ご在宅でしたか?」
「居ますよ。俺たちもついさっき顔を見せました」
説教師は礼を述べるとそそくさと歩いていく。
少年たちは自宅につくと少年は早速ベットに飛び込む。
「ふいー疲れた」
「お兄ちゃん、わたし仕事するから」
「了解。夕飯になったら起こしてくれ」
少年はベットで寝返りを打つ。するとギッコンバッタンと聞こえだす。これは妹が機織り機で機織りしている音だ。
少年たちの両親は生前は父親が糸を染色して母親が機織りして商品を行商人に売ることで生計を立てていた。
だが父親が徴兵されて戦死、母親が病で亡くなると、両親の仕事は少年と妹がやらなければならなくなり、しばらくはそれを仕事にして食べていた。
でも少年は都市に憧れて、そして妹のため安定した収入を得るために村を出た。だから今は妹が一人でやっていた。
(もっと仕送りが出来るようにしたいな)
少年は幼い頃から聞いていた機織り機の音を子守唄に眠りについた。
「起きて、お兄ちゃん」
「ん、うーん」
少年は妹に揺り起こされる。
「あと十分」
「ダメ、ご飯冷めちゃうよ」
妹は少年をベットから引っ張り下ろす。
「今日は何だ?」
煮物だよ、と妹が木椀によそりながら答える。
二人でテーブルについて食事を始める。
「お肉は猟師さんから芋は若夫婦さんから貰ったんだよ」
「そうか、旨いなこれ」
嬉しく微笑む妹を見て少年は改めて帰ってきたのだと実感した。
腹を満たすと少年が話し出す。
「生活はどうだ? 不自由ないか?」
「大丈夫だよ。織物は高く買ってくれるし、お兄ちゃんが仕送りしてくれるから。贅沢はできないけど、この村には贅沢できるほどの娯楽はないし、強いていうなら」
妹は食器を洗う手を止める。
「やっぱ何でもな~い」
「何だよ。気になるじゃん」
「乙女の秘密を探ってはダメなのです」
妹は笑いながら洗い物を再開する。
(乙女か)
少年は久しぶりに再開した妹の背中を眺めて思った。
(見ないうちに、こいつも女性らしくなったな。そろそろ結婚を考える時期か。いい相手を見つけてほしいな)
しみじみとしていると、それは起きた
ウオーン
遠くで遠吠えが聞こえる。
狼が来たのだ。
「今日も泣いてる」
「毎日鳴いてるのか?」
「うん。一週間ぐらい前から夜になると泣き出す」
オーン、ワオーン
「少し様子を見てくる」
俺は椅子から立ち上がり、壁に立て掛けていた剣をとる。
「行っちゃうの?」
「大丈夫だよ。様子だけ。村からは出ないから。何かあったら壁のボウガンを使え。あれならお前でも狼を殺せる」
しゅんと落ち込んでいる妹の頭を撫でる。
「気をつけてね」
心配を隠そうと微笑む妹に行ってきます、とだけ告げて家を出た。
オオーン
未だに狼の遠吠えが村中に響く。まるで誰かと会話しているようだ。
(山の方だよな?)
村の北には小高い山があり、そこに狼たちは群れをなして暮らしている。なので山に入るときは武装は必須だ。
少年は山側に面している北門へと向かった。
(あれ?)
北門の門扉が開いていた。この村では夜間は門扉は閉めなければならないのに。
(まさか!?)
少年は最悪を想像して北門へと駆ける。
門から出ると外は暗闇が支配していた。
まだ夜目になれていないらしい。警戒を厳にする。
(気配!?)
少年は素早く振り返り、鞘から剣を抜いて構えた。
振り向いた先にいたのは村の篝火を背にした大柄な黒い影。
(まさか熊まで降りてきたのか!?)
強大な相手に緊張の汗を流していると、影が両手をあげた。
「おいおい!? 待ってくれよ! 俺は人間だ。剣を向けるな!?」
(あれ?)
ゆっくり近づくと、確かに影の正体は人だった。
「驚かさないでくださいよ」
「それはこっちの台詞だ。村から駆け出すから何事かと声をかけようとしたら剣を向けられたんだからな」
「すみません」
確かに自分が悪かったと謝罪すると相手の男は笑顔で許してくれた。
「まあ仕方ねえよ。毎晩狼どもが吠えてっからな」
お互いの顔が暗くて分かりにくいので村の中に入る。
(うわー)
篝火に照らされて初めて判別できた男の姿は凄かった。
ボサボサの髪に揉み上げが繋がった伸び放題のひげ、筋骨隆々の身体が服を着ていても分かるほどだ。
(これって暗闇の中で見たら熊にしか見えないよな)
いや、昼間でも一瞬判別が出来ないかもしれない。というか子供が見たら泣きそうだ。
「どうした坊主。俺の顔になんか付いてんのか?」
さすがに熊っぽいとは言えないので少年は別の質問をする。
「そういえば初めて見る顔ですけど、誰ですか?」
「ん? そういえば坊主も誰だ? この村のヤツなのか?」
「俺は元々この村の人間です。最近まで都市に居て、今日帰ってきたところです」
「何だ、そうなのか。俺は村長に雇われた傭兵だ。よろしくな坊主」
ガハハと豪快に笑う傭兵。確かに傭兵っぽい荒々しさと力強さを感じる。
「そうだ、坊主。俺、今暇なんだ。話し相手になってくれよ」
「いいですよ」
少年と傭兵は外に出て北門を守るように立つ。
「さっき都市に居たって言ってたよな。何してたんだ?」
「将来騎士になるために修行と奉公をしているんですよ。傭兵さんは都市に行ったことはありますか?」
「護衛の仕事で何度か行ったことはあるが、ゆっくりしたことはねえな」
「傭兵の仕事は忙しいんですか?」
傭兵は腕を組み唸る。
「忙しいってより、忙しくしなきゃ食っていけねえからな。依頼が来なきゃ稼ぎがねえし」
オーン
「また鳴いてやがる」
「狼が山から降りているらしいですね。前はこんなことなかったのに」
「でも奴ら、鳴くだけで姿は現さねえ。明らかにこっちを警戒してやがる」
傭兵の言うように狼たちは姿を現さない。逆に夜目の効かない少年たちを暗闇に誘い込もうとしているようだ。
「これは今まで戦ってきた狼より厄介かも知れねえ」
「狼と戦ったことがあるんですか?」
「ああ何度かな。坊主は狼を見たことはねえのか?」
ハハハと少年は苦笑する。
「遠くからしか見たことないです。それに森に居たのでハッキリとは」
「それじゃあ俺の武勇伝を聞かせてやるよ」
「是非とも」
少年は傭兵の話に耳を傾けた。
「お兄ちゃん!?」
傭兵の目覚ましい活躍に感動していると、村から妹が息を切らせて駆けてきた。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ!? 帰りが遅いから心配したんだよ!」
少年は時間経過の早さに驚き、すまなそうに妹に謝るが妹は頬を膨らませてプンスカ怒っている
「よう嬢ちゃん」
「あ! 傭兵さん。こんばんは」
礼儀正しく挨拶する妹。
「いつもお仕事お疲れ様です。お夜食をどうぞ」
そう言って妹はずっと手に持っていた鍋を下ろして木椀に夕食に食べた煮物をよそった。
「いつもありがとうよ。そうか兄妹だから何か似てたんだな」
熱々の煮物を受け取った傭兵が納得しながら肉を頬張る。
「他に何か必要な物はありますか?」
「いや大丈夫だ。旨い飯も食えたし、今晩は過ごせそうだ」
「ではお椀は家の前に置いておいてください。ほら行くよ、お兄ちゃん」
妹は少年の袖を引っ張る。
「おい引っ張るなよ。で、では明日」
「おう。 妹さんを大事にしろよ」
ニヤニヤと笑う傭兵に別れを告げて自宅に帰る。
「もう最低だよ」
自宅に入ると開口一番に妹は兄に言った。
「様子を見てくるだけって言ったのに、いつまで経っても帰ってこないんだもん。ものすごく心配したんだからね」
「ごめん」
それしか少年は言えなかった。理由をいくら説明したって、それは言い訳にしかならないのだから
「罰として」
それまで怒っていた妹が急にモジモジし始めて頬を赤らめる。
「わたしと、一緒に寝てよ」
翌日、少年は日の出と共に目覚めると寝起きがびっしょりなのに気づいた。
「すごい寝汗だ。昨日は激しかったからな」
何が激しかったかというと今現在も少年に抱きついている妹の寝相が酷かったのだ。子供の頃から妹にせがまれると断れない少年は一緒のベットで寝てやるのだが、寝ている間の妹は拳が出たり、足が出たり、はたまた何かの技をかけてきたりと少年を抱き枕にしているのだ。この寝相は未だに治ってないらしい。
(風呂に入りたいな)
だが今動いたら妹が起きてしまうかもしれない。それにーー
(いつの間に成長したんだ!)
抱き枕にされている少年の身体に妹が密着しているのだ。足は絡められて腕には豊かになった胸が甘い吐息が耳をくすぐる。
昔はこんなことは無かったのにと困惑する少年。だが少年も妹も日々大人に近づいているため仕方がないことだ。
(これはヤバイ!?)
思春期の男児である少年には悟りを開くことができず、理性が崩壊する前に妹を起こすことにした。
「おい、朝だぞ」
「ふぇ?」
自由な方の腕で妹を揺らすと寝ぼけ眼で妹が見つめてくる。
「おはよう。風呂に行きたいんだが、宿は開いてるか?」
この村では村長の家以外の村人たちの家には洗い場は在っても浴槽がないのだ。そのためゆっくり湯に浸かりたいときは宿屋に行って風呂を借りるのだ。
「あそこは朝早いから開いてるよ」
そう言って妹は再び寝てしまった。
「あの~お兄ちゃんは風呂に行きたいんだけど」
「ダ~メ。わたしが起きるまで」
不機嫌そうな声をあげる妹。こんなときに無理矢理起こそうとすると右ストレートが顔面に来ることを知っている少年は何もできない。
「起きるって、後どのくらい?」
「あと十分」
(昨日の俺じゃん!?)
「分かった十分だな。十分経ったら起こすからな」
返事がない。すでに妹は寝てしまったようだ。
少年は理性の崩壊を抑えるために再び寝ることにした。だが寝つけない。
妹のせいで気が昂っているのもそうだが最近の少年は昼間は主の騎士の世話をするために忙しくて自主練習の時間が無かったので朝練するために早起きしていた。それが習慣になってしまったからだ。
(何か他のことを考えないと)
少年は悶々としながら耐え続けた
「疲れた~ぐふ」
少年は宿屋の受付カウンターに倒れこむ。
「なにをそんなに疲れてんだい?」
宿屋の女主人である宿主が煙草の煙を吐く。
「ケホケホ。それがですね」
煙を払いながら今朝のことを宿主に話す。
あのあと十分経っても妹は起きず、一時間経ってようやく起きたことも……さすがに妹にドキドキしていたことは伏せたが
「それは仕方ないんじゃないのかい? 妹はお前に甘えたいんだろ」
「甘えてくれるのは嬉んですけど。年齢的にも兄離れして相手を見つけてほしいと思って」
「お前は妹離れができるのかい?」
「うっ」
痛いとこを突かれて何も言えなくなってしまう。
それを見て宿主はケラケラと可笑しそうに笑う。
「だから仕方ないんだよ。親と決別したい、自立したいって思う時期に両親が居なかったんだ。それにお前も外に出ちまって妹は思いをぶつける先を失ったのさ。あの子は人としては出来ているけど、力の抜き方が下手だからね」
また宿主は煙を吐く。
「宿主、掃除終わりましたよ」
掃除用具を運びながら風呂場から出てきたのは妹と同い年の少女がこちらに気づく。
「あらあらお兄さんじゃないですか、久しぶりですね」
抑揚なくしゃべる少女の目はいつも眠そうに半眼だ。別に眠いわけではないらしいが
「お手伝い、今日は宿屋か」
「ええ。最近綺麗好きの熊が来ましたから。彼は朝風呂が好きみたいなので朝早く掃除していました」
(熊って傭兵さんのことだろうな)
聞かなくても分かってしまうほど、あの人は熊っぽい。
「傭兵さんはここに泊まっていたんですね」
「まあ客だからね。村長が呼んだから宿代は村長から貰ってるけどね」
「宿主、お腹空いた」
「厨房にまかないがあるからそれを食べな」
「分かった、じゃあ妹さんによろしく」
お手伝いは食堂へと消えていった。
「ふう。いい湯だった」
少年は肩にタオルを掛けて自宅でゆったりしていた。
妹はギッコンバッタンと機織りしている。
「何か手伝えることはあるか?」
そうだね~と妹は機織りを続ける。
「そうだ、薬師さんのところに行って染色を貰ってきてよ、赤と水色」
少女は洋服ダンスを開くとジャリジャリとお金の入った小袋を取り出し、中から一枚の銀貨を取り出す。
「量はいつも通りって言ってくれれば分かると思うよ」
銀貨といつも染色液を入れている空き瓶の二つを少年に手渡して機織りを再開する
「なあ」
「何?」
妹は仕事の手を止める。
「何か欲しいものないか? 給金なら貰ったし」
洋服ダンスが開けられたときに中を覗いたが質素な服が数着あるだけで女の子にしては物寂しい感じがしたのだ。都市に居た女の子達は華美な服やキラキラ輝くアクセサリーを身に付けて同い年の子と談笑していた。妹だってそういうのに憧れがあるはずだと思った。
「今のところは無いかな」
考える素振りだけをして機織りを再開する妹。
「何でもいいぞ」
「何でもって言われても」
妹は困ったように笑う。
「じゃあ早く頼んだ染色が欲しいかな」
「そ、そうだな」
少年は自宅を飛び出した。
薬師の店に着くと何やら中が騒がしい。
「だからもうありませんって」
「いや有るはずだ。この前、君が森で採取しているのを見たぞ!」
「何度も言いますけど、あれはうちじゃ商品にならないから森に置いてきたと」
店のカウンターを挟んで眼鏡の青年と二十才前半と思われる白衣を着た長身の女性が言い合っていた。青年の方は少年がよく知る薬師だ。女性の方は誰だろうか?
「ああ少年、久しぶりだね。お使いかな」
少年に気づいた薬師が笑顔を向ける。
「はい。妹に頼まれまして。赤と水色をいつも通りらしいです」
分かったと言うと少年から空き瓶を受け取り、後ろの天井まで届く棚から大きく重たそうな瓶を下ろす。
「待ちたまえ。わたしの話が先だろう!?」
「商売になる方が先です」
子供のようにわめく白衣の女性に薬師はピシャリと言う。
「あの~どうかなさったんですか?」
可哀想に思った少年は白衣の女性に話しかける。
白衣の女性は少年を一瞥すると彼にバレないようにニヤリと笑い、猫撫で声で少年に詰め寄った。
「聞いてくれよ~そこの悪い薬師が意地悪するんだよ~」
「意地悪ですか?」
「そうなんだよ少年~」
「耳を傾けなくていいですよ。その人がしつこいだけだから」
薬師にべーっと舌を出す白衣の女性は子供にしか見えなかった。
「ほら補充し終わったよ」
少年は染色液で満たされた瓶を受け取り代金を払った。
「ほら、貴女も帰りなさい。うちには貴女が欲しいものは有りません」
シッシと手をはらう薬師に白衣の女性は舌打ちして店を出ていく。
「すみません」
「何だ?」
不機嫌そうに白衣の女性が返す。そのイライラしたオーラに少年は少し気圧されるが話を続ける。
「何かお困りなら手伝いましょうか」
「君が~?」
白衣の女性が怪訝そうに少年を見下ろす。
「はい、出来ることなら」
ふーんと少年の全身をじろじろと見る。
「まあまあだな。今回は妥協してやろう」
クククと白衣の女性は笑う。
少年は何かを許可されたのか分からなかったが良いとした。
「それでは早速頼もうかな」
白衣の女性はポケットから紙片を取り出す。
「トリカブトと狼の細胞とヒキガエルの毒とーー」
「ま、待ってください。何種類必要なんですか?」
「ふむ一二種類だ。他の五十七種類は意地悪薬師のところで揃えた」
「全然意地悪じゃないじゃないですか!? 結構品揃え良いじゃないですか!?」
「そうではない。有るはずのものを無いと言い張るから意地悪なのだ。わたしだってタダでと言っているわけではないのだ。金はいくらでも払うと言っているのに、あの薬師は!?」
イライラと長髪を掻きむしる白衣の女性は歩き出す。
「どこ行くんですか?」
何? と白衣の女性は少年を睨む。
「今から材料を探しに行くんだ。早くしなければ日が暮れてしまう」
「先に妹に頼まれた荷物を置いてきていいですか?」
「ダメだ」
即答すると白衣の女性はつかつかと歩いて行ってしまう。
(ごめん、また遅くなる)
少年は心の中で妹に謝罪すると白衣の女性を追いかけた。
少年と白衣の女性は村の南門を抜けて森の道に来ていた。
「確かこの辺だった」
白衣の女性は突然道を逸れて森に足を踏み入れた。少年は制止したが気にせずにどんどん進んでいってしまう。
「危ないですよ。この森には危険な獣が出るんですから」
少年が注意するが白衣の女性は止まらない。
「心配するな助手。最近この森には人を襲う動物は居ない」
「助手って僕ですか?」
「他に誰が居るんだ? 私の周りに鹿でも居るか?」
人間の近くに野生の鹿が来るわけがないと苦笑したが少年はハッとなり辺りを見回す。
彼女に言われて少年は昨日感じた違和感を思い出した。
(やっぱり森が静かすぎる)
普段なら獣の鳴き声や、それがないにしても人間が森に入ってきたのだから逃げる足音やこちらを窺うときの息づかいが微かでも聞こえるはずだ。
「どうした助手? 早く行くぞ」
少年は違和感に後ろ髪を引かれながら森の奥へと進んだ。
十分ほど歩くと前を歩いていた白衣の女性がしゃがんだ。
「ここだな」
辿り着いた場所は池と言ってもいいような小さな湖だった。
本来ならここは森の獣たちの水飲み場なので村人は近づかない。だが自分達は難なく来てしまったので少年は静かに驚く。
「ふむ、案外簡単に目当てものが捕まえられた」
白衣の女性は立ち上がると、その手には大きな蛙が力なく逆さ吊りになっていた。
白衣の女性は白衣から麻袋を取り出すと蛙を放り込んだ。
「何してるの?」
警戒が込められた声に振り向くと湖の向こう側に少女がこちらを睨み付けて立っていた。
「猟師!」
「少年じゃない! 元気そうだね」
お互いに認めると湖を迂回して二人は再開を喜んだ。
「昨日は会いに行けなくてゴメンね。狼騒動で礼拝堂の警備をしていたんだ」
礼拝堂は北の森の麓にあり、狼に真っ先に狙われるが石造りで頑丈なので狼には簡単に破ることは出来ない。それでも包囲されて居座られても困るため村から傭兵以外の戦える人が夜に礼拝堂のようすを見に行くらしい。
「おお! これは猟師ではないか!」
大仰に言うと白衣の女性は二人の間に割り込み猟師の手をとった。
「単刀直入に言おう。狼の爪をくれないか?」
「はい?」
目を輝かせて口説くような白衣の女性に猟師は少し引いている。
狼の爪というのは猟師が衣服の上から着ている狼の毛皮のことだ。これには牙のついた頭や爪の有る四肢がそのままになっており、四つん這いになれば遠目から見たら本物の狼に見える。彼女はこのスタイルで猟を生業としている。
「いや、これあたしの大事な仕事着だし」
「一本だけ、いや欠片だけでいいから! な!」
猟師の肩を逃げないようにがっしりと掴み迫る白衣の女性に猟師は折れた。
「分かったよ。欠片だけだからね」
猟師は腰の鞘からナイフを抜いて狼の爪をガリガリと削る。それを白衣の女性は満面の笑みでガラスの小瓶に回収する。
「猟師、この森ってこんなに静かだったか? 森に入ってから獣を見てないんだけど」
喜びで舞い上がっている白衣の女性を無視して少年は気になっていたことを聞く。すると猟師の表情が険しくなる。
「狼のせいだよ。あいつらが山から降りてきて森の獲物を襲ったんだ」
来て、と猟師が森の奥へと進む。それを追うと、少年はそれを見た。
鼻を塞ぎたくなるような濃厚な鉄の臭いの元は赤黒く染められた毛の塊だった。
「これはーー熊、なのか!?」
「そうだよ。この熊は森で守り神をしていたんだ。森の獣は襲わず、魚や木の実だけを食べて外敵から森を守っていたから、あたしや木こりはこの熊を畏敬して獣を狩ったり、樹を恵んで貰ってたんだ」
でも、と猟師は続ける。
「森を守っていた熊が殺されて均衡は崩れた。今は狼たちが森を支配している。暗くなる前に逃げた方がいい。あいつらは陽が沈むまでは山から降りてこないから」
猟師の助言を受けて少年は白衣の女性を連れて森を出た。
「今日はこの辺でいいだろう」
村へ戻ると白衣の女性はそう言って金貨を一枚、少年に渡した。
「俺はなにもしていないんですけど」
「気にせず受け取っておけ。一番採取困難だった狼の爪が手に入ったんだ。それに助手が居なかったら猟師は爪をくれなかったかもしれない。だから感謝は言わないが、している」
じゃあ帰るか、と白衣の女性は背を向ける。
「そういえば貴女、誰なんですか?」
「ん?」
白衣の女性は首だけ振り向く。
「言ってなかったか? わたしは研究者だよ」
陽が暮れて夕食も済ませると少年は剣を携えて自宅を出る。
(今日も絞られたな)
白衣の女性である研究者と別れた後、自宅に戻ると涙目で震える妹に怒られた。さすがに二時間以上も説教されると相手が妹であってもかなり堪えた。
準備運動をすると、南門に向かう。
「今日は南門の警備か」
少年がいない間も村人のなかで戦える者が南北の門と山の麓の礼拝堂を守っていた。だけど少年が増えたことで一人は夜の番を休めるようになった。
今夜は南門を少年が北門を猟師が礼拝堂を傭兵がそれぞれ守ることになっている。
少年は一つ欠伸を漏らすと南門の柱に寄りかかり、村の篝火の明かりすら届かない暗闇、そしてその先の森を睨んだ。
アオーン
狼たちの哀しげな遠吠えが始まった。
(猟師大丈夫かな)
礼拝堂にいる傭兵なら狼を追い払えるし、何かあれば石造りの礼拝堂に籠れば一晩ぐらいなんとかなる。だが少年より小さく少女である猟師はボウガンや猟銃の扱いは上手いが近接で集団に襲われたら彼女だけでは対処できないだろう。
猟師の許に行きたい衝動に駆られたが南門を放置してしまったら他の村人や最愛の妹を危険な目に遭わせてしまう。
少年はグッと堪えた。その間も狼の遠吠えが月夜に木霊した。
警備を初めてから何時間が経ったのだろうか。村から気配を感じた。振り返ると妹が重たそうに鍋を運んでいた。
「お兄ちゃん、お夜食だよ」
「ありがとう。いただくよ」
今回の夜食は大きめに野菜を刻んだシチューだ。吐息で冷ましながら口に運んでいく。
「こっちは大丈夫?」
「ああ、森には来ていない」
「お夜食を届けにいったとき猟師さんが山から狼が降りてきてるから近づくなだって」
「もう降りてるのか」
そういえば遠吠えが近づいたように感じる。
「夜食ありがとな。お前は早く家に戻って休みな」
うん、と頷いて鍋を片付ける妹。
お腹が膨らみ、少年は込み上げる欠伸を噛み殺す。
「きゃあああああァァアア!?」
微睡みかけた少年に悲鳴が届いた。
「今のは!? 村の中から?」
「お兄ちゃん!」
「お前は急いで家に。ボウガンを手元に」
森の方に異変がないことを確認して少年は駆けた。
(村に狼が入ってきたってことは北門の猟師がーー助けに行かないと!)
見たところ暗いが村の中で騒ぎはない。それなら今のは猟師の悲鳴かもしれない。北門に狼が来てしまったのだ。
ダーン
銃声が響く。これは猟師の猟銃の音だ。
ダーン
二発目の銃声。彼女の猟銃が一度に撃てるのは二発だ。急がなければ!
少年は息を切らして北門へと辿り着く。
「猟師、大丈夫か!」
「生きてるよ」
猟師は篝火の下で呼吸を乱しながら闇を睨み据えていた。
ウグルルル
唸りを上げる相手もこちらを睨み付けてくる。その数は六個、つまり三匹の狼がこちらを囲むように徐々に近づいてくる。
「弾を込めたいから、そいつら惹き付けて」
「分かった」
少年は剣を構える。
(まずはーー)
篝火の灯りだけという厳しい条件下で少年は三匹の狼を観察して左の狼の右前足が欠損して血を垂らしているのに気づいた。おそらく猟師に撃たれたものだろう。
(それなら左の狼から)
少年は踏み込み、足を怪我している狼を狙った。
狙われた狼は反応するが怪我の影響は大きく少年の剣に腹を切り裂かれる。
グオン
背を向けた少年に別の狼が飛びかかる。
少年は振り向きざまに剣を振るが空振りに終わり、勢いを得た狼に地面に倒される。
「くそっ!?」
牙が少年に迫る。両手で大口を抑えるが飢えから垂れる涎が少年の顔に落ち、爪が服を切り裂く。
ダーン
銃声が響き、少年を襲っていた狼が吹っ飛ぶ。
「遅れた」
「遅せーよ」
少年はすぐに剣をとって立ち上がる。
グルル
残り一匹となった狼が唸り、そしてそれを止めて殺気を消し去ると山の方角へと走り去っていった。
「逃げたのか?」
「たぶん。でも様子がおかしい。狼たちが何も考えずに突っ込んでくるなんて」
猟師は狼の亡骸を見下ろす。
彼女の言うとおり狼は賢い動物だと聞いていた。だが今の狼たちはただ獣の力だけで押しきろうとしていたように見える。確かに人間は獣相手には非力だ。それでも生きてこれたのは剣や銃など、獣に対抗できる術を手に入れてきたからだ。それを獣自身が分かっている。だから彼らは自らの命が危険にならない限り、人間を襲わないし、襲うにしても無謀な突撃はしない。賢い狼なら尚更だ。それを忘れてしまうほどまでに狼たちは飢えていたのだろうか?
「少年、傷は大丈夫?」
「ああ。少し胸を引っ掻かれただけだ。お前こそ大丈夫か?」
「大丈夫も何も君しか怪我してないよ。狼三匹ぐらいどうってことないのに」
「何を強がってんだよ。悲鳴をあげてたくせに」
少年が猟師を小馬鹿にして笑うと、猟師は怒らずに訝しげな顔をした。
「あたしが? あたしはてっきり少年が幽霊でも見たんだと思ったんだけど」
「何だよ幽霊見たからって。て言うか女の悲鳴だったぞ。俺なわけがーー」
そこで少年の表情が凍りついた。
少年は猟師が危ないと思って彼女の許に駆けつけた。猟師自身は問題なかったといっているが確かに彼女は危険な状況にいて少年に助けられた。だがそれは悲鳴が聞こえたお陰で狼が来たことに気づけたのだ。でも悲鳴の正体は猟師じゃない。表情を見れば彼女が嘘をついていないことが分かる。
じゃあ誰が悲鳴を上げたんだ?
「少年。村が騒がしい」
猟師に言われて気づく。
先程までは篝火が燃える音しかなかったのに今では村人と思われる声が聞こえる。
少年と猟師は村の中へと急いだ。
騒ぎは村長の家で起こっていた。
「お兄ちゃん!」
村長の家の前で目端に涙を溜めた妹がいた。妹は兄に気づくと駆け寄り抱きつく。
「良かった。無事、だった」
嗚咽を漏らしながら強く抱き締めてくる妹に少年は照れくさくなってしまった。やはり家族は良いものだと。
「俺は大丈夫だ。それより何があった?」
少年が妹を落ち着かせるために優しく声をかけると、妹を呼吸を落ち着かせて目元を拭った。
「村長夫人がーー」
そのとき村長の家の扉が音をたてて開いた。
「まったく。参ったものだ」
中から現れたのはボサボサの長髪を掻きながら嘆息する白衣の女性ーー研究者だった。
「ん? 助手と猟師じゃないか」
少年たちに気づいた研究者は彼らを手招きする。
「どうやら君たちは無事だったようだな。早速で悪いが見てもらいたいモノがある」
中に案内されて村長の家に入る。
「君は帰りなさい。これ以上は辛いものがあるだろう」
でも、と渋る妹を研究者は鼻を鳴らして閉め出した。普通だったら仲間外れのような扱いは悪いが、少年は今回だけ研究者の行動に感謝した。なぜなら最愛の妹に見せられるものではない。
「見て分かると思うが……死んでるぞ」
僅かな蝋燭の明かりの中、研究者が蹴ったのは不謹慎にも死体だった。
驚きと恐怖で目を見開き、肩口から鉄臭い赤い血を流し床を染めているのは村長婦人のーー死体だった。
「酷い」
衝撃で死体を見続けている少年と違い猟師は目を逸らす。
「猟師、しかっりと見てくれ。狼に詳しい君に確認してほしいんだ」
研究者の言葉に猟師は躊躇ったが、血の水溜まりに足を踏み入れると村長婦人の死体の傷口を調べる。
「間違いない。歯形が狼のものだよ」
そうか、と研究者は何かを納得する。
「二人とも来てたんだね」
リビングの奥にある村長夫妻の寝室から薬師が姿を現す。
「村長の様子は?」
「今は薬で落ち着いて寝ているよ」
研究者の問いかけに疲れた様子で答える。
「そうか、遺体は私たちで処理するとしよう」
淡々と言う研究者を猟師が睨み付ける。
「処理って何? 人をモノみたいに言って!?」
猟師の怒りを理解できないかのように研究者は眉をひそめる。
「何かおかしなことを言ったか? 亡くなった人間を埋葬するのだろう? 処理ではないか。それとも君は彼女を放置するのか?」
「弔いって言うのよ!?」
今にも噛みつかんばかりの猟師を少年は抑え、落ち着かせる。
「落ち着けって! 研究者さんの言い方は悪いが間違ったことを言ってない。早く埋葬してやろう」
研究者の指示のもと夫人の遺体をシーツで包み、薬師と協力して礼拝堂に運ぶ。説教師に理由を話して冥福を祈ってもらい、礼拝堂を守っていた傭兵を加えて村人が代々使用している墓地にへと埋葬した。一通りのことが済んだ頃には昼前になっていた。
村長の家に戻ると、そこは何もなかったかのように綺麗になっていた。
「済んだのか?」
「あ、はい」
村長の家を掃除していた研究者が足を組んで椅子に座っていた。白衣の所々に掃除中についたであろう血痕が人が死んだという現実を否応にも忘れさせない。
「猟師はどこにいますか?」
「狼の亡骸を"弔って"いるらしい。死臭が他の獣を引き寄せるからと言っていた」
不機嫌そうに研究者は鼻を鳴らした。何度も猟師に"処理"を直せ! と指摘されて苛立っているのだ。
「助手、疲れているかもしれないが少し付き合ってくれ」
そう言うと村長の家から出ていく。少年は彼女に従う。
「何をするんですか?」
「調査だ。被害者が出たんだ。原因を見つけなければ繰り返されるぞ」
研究者は何故か不敵に笑うと、北門へと向かった。
北門を出てすぐ、猟師と共に狼を撃退した場所には狼の亡骸はすでに無かった。猟師が運んだ後だからだろう。
「ん? 草に血が付いているな」
研究者はしゃがむとそれを手にした。
「それは狼のだと思います。ここで倒しましたから」
「人間のではないのか?」
研究者は少年の胸を指差す。それで彼は自分が胸に怪我を負っていることを思い出した。
「これは引っ掻かれただけです。今はもう固まってますし、地面の血の量を流したら死んじゃいますよ」
少年の言うとおり地面には狼二匹分の血が溜まっており草花に飛び散っているのは一部だけだ。
「なら猟師は? 彼女も北門に居たらしいが」
「見たところ怪我はしてません。何処かをかばっている動きもありませんでした」
「ならば昨日見た通りというわけか」
そこで研究者が急に落ち込み出す。それを少年が問うと、
「一匹でも亡骸を貰っておくべきだった。そうすれば爪の欠片だけではなく骨も内蔵も手に入れられたというのに」
「……………………」
研究者は悔しげにうめいた。やはりこの人は変人だと少年は思った。
「ふむ、草が押し潰されているな等間隔で線が二つ。車輪か?」
「じゃあ倉庫にあるリアカーです。一つだけあるんですよ。猟師はそれを使って狼を運んだんでしょう」
「ふむ。この村には倉庫があるのか……というか夫人の遺体もリアカーで運べば良かったのではないか?」
あっ、と今更ながら悔やむ。いや遺体の運び方を悔やむのは失礼かもしれないが二十分もかけて礼拝堂まで運ぶのは男二人でも正直きつかった。何でもっと早く気づかなかったんだろう。それほど自分は気が動転していたのだろうか?
「ここはいいか。次に行こう」
研究者はリアカーが進んだ跡に沿いながら進む。方角でいうと北から村を守る丸太の外壁を右手に南へと向かう。
その途中で手斧を肩に担いだ青年が丸太の壁を睨んでいた。
「木こりさん、何やってるんですか?」
少年に呼ばれた木こりは曖昧に返事をしただけだ。
「壁に異常でもあったのか?」
「いや、特には」
研究者の問いにも同じように答えるだけだった
その後も木こりは少しずつ移動しながら丸太の壁を睨み続けていた。
少年と研究者は先を急ぐ。
南門に二人は辿り着く。
「君は昨日、ここを守っていたんだな」
少年が肯定すると、そのときの状況を訊かれたので続けて答えた。
「なるほど。君が守っているときは南から狼は来なかったんだな?」
これも肯定する。
研究者は少年の話を聞き終えると一人でブツブツと言い始める。これには関わらない方がいいと思い、少年は静かにその場を去った。
夜になり村人総出で夫人の弔いが松明だけの薄暗い礼拝堂で行われた。
未だに狼の脅威があるため今日は礼拝堂で一晩泊まることになっている。
全員でささやかな食事を済ませた後、皆は夫人との思い出を語り合った。だが喪失の哀しみを埋めず、より心に穴を開けた。
夜も深くなり村長が村人たちへの感謝と妻である夫人を助けられなかった無念さを吐露すると、弔いはお開きとなった。
各々が礼拝堂の好きな場所で持ち込んだ寝具で身体を休めようとしたとき、研究者が独り言のように言った。
「彼女は本当に狼に殺されたのか?」
「どういうことですか?」
少年は思わず訊いてしまった。それを待ってましたかと言うように研究者はニヤリと笑った。松明の下で彼女の笑みは悪魔のようだった。
「不思議に思わないか? 南北の門には村番がいた。ならば狼はどこから侵入したんだ?」
そう言われて村人たちはハッとなる。単純なことを今更ながら気づく。
「確かに謎だね。だけど狼に襲撃されたのも事実だよ」
昨日、夫人の遺体を調べた猟師が言った。
「ああ、私も君の検死が間違ってないと思う。だがそれなら夫人を襲った狼は村のどこにいたのかが浮上してくる。つまり村には狼が私たちの知らない間に闊歩しているんだよ」
「狼が闊歩って。それでは私たちは狼と暮らしているみたいではないですか」
研究者の言葉に呆れたように言ったのは薬師だ。
「だが事実が示しているぞ」
研究者は未だに笑みを崩さない。さも現状を面白がるように。
「では狼は侵入したんじゃないか?」
そう言ったのは初登場の若夫。彼は村長と夫人の息子であり、彼のとなりにいるのは妻である若嫁。
「どこからだ?」
研究者は挑戦者が現れたことに嬉しそうに聞く。
「北門か南門でしょう。それ以外に考えられない」
南北の門から? それはあり得るのだろうか? 少年は考える。
いや、考える必要がないことに気づく。
「それはないですよ。だって南北の門には村番が居たんですよ」
少年は反論する。
「証拠はあるのか?」
「証拠は……俺が居ました。俺が村番してました!」
若夫の問いに少年は一瞬証拠になるのか迷ったが自信をもって答えた。
「夜のことだ。見逃していたりしていないのか?」
「それはないです。夜だと言っても村の篝火で門の周辺は明るかったです」
「私もそのとき一緒にいたので間違いないです!」
少年の言葉に妹も同意したので若夫は苦笑しながら折れた。
「じゃあ本当にどこから入ったんだろう?」
「待って」
若夫が再び疑問を口にすると手伝いが遮った。
「少年の方は分かったけど猟師は?」
いつも眠そうな瞳が厳しく細められて猟師に向けられる。
「猟師だって北門を守ってーー」
「ーー分からない」
かばおうとした少年の言葉を猟師は苦しげに否定した。
「私は狼に襲われた。少年が協力してくれたから倒したけど、襲われた時点で気づかないうちに侵入されていたかもしれない」
すまなそうに謝罪する猟師を見て、村人たちは責めずに命懸けで狼と戦った彼女を誉めた。だが少年だけはどこか腑に落ちなかった。
「なあ猟師、悲鳴が聞こえたのは何時だ?」
「君と同じだと思う。私が狼に教われる前」
少年の言葉に猟師は小首をかしげる。
「それなら猟師だって狼を村に入れてない! 北門だって俺と状況は同じだったんだから」
少年の反論に村人たちは瞠目した。
「言ってしまったな、助手」
研究者が一人だけクククと笑う。その理由を言った本人である少年だけは分からなかった。
「何を呆けているんだ? 助手自身が証明したんだろ。狼が外から入るのは不可能だったと」
え? 少年が未だに訳がわからずにいる。
「ならば必然的に犯人は内部の者だと分かる。今ここにいる村人の誰かだとな」
少年はここで思考が追い付き後悔することになる。
自分が村人たちに疑心暗鬼を植え付けてしまったことに。
「つまり夫人を襲ったのは我々の誰かだと?」
「それ以外に解釈が?」
戸惑う説教師に呆れた様子で研究者は返す。
「まあ待ちたまえ。他にも侵入経路が……そうだ、丸太の壁の何処かに穴がーー」
「ねえよ」
若夫の言葉を木こりが遮る。
「一周回って調べたが何も問題はなかった」
「それなら飛び越えたんじゃないのかい?」
煙草に火を点けてどこか煩わしげに訊いたのは宿主だ。
「それは無理だろ。あの壁は俺が見上げるほど高いんだ。狼には飛び越えられない」
そう言ったのは一番デカイ傭兵だ。彼より高いということは壁は二メートルはゆうに超える。
「夫人を殺したのは狼だよ。昨日、調べた。でも狼なんてここには居ない。だから村人の中に犯人なんか居る筈がない」
猟師の言うとおり、夫人は肩を狼に噛まれて大量に出血したことで死んだのだ。人間である自分達の筈は絶対ないと村人たちが安心したときだった。
「居るかもしれないぞ。狼の犯行にできる人間が」
研究者は白衣のポケットから手のひらサイズの本を広げる。
「ここには悪魔の使い、そして山の支配者として記されている生物が居る」
研究者は絵の描かれたページを皆に見せる。
そこには恐怖で顔が歪んだ男と、その男より一回り大きな二本の足で立ち上がり男を襲う狼が描かれていた。
「これが今回の犯人かもしれないぞ」
楽しげに笑う研究者。そしてページにかかれた狼の名前は"人狼"だった。
村人たちはそのページを凝視して息を呑んだ。
「ば、馬鹿言うな! そんなの居るわけないじゃないか」
若夫が顔をひきつらせる。
「居ないとは言えないだろう。何故ならこれを記したのは君たちが信奉する神の、その声を君たちに伝える教会の書物だ。なあ説教師?」
研究者の言葉に説教師は口を引き結ぶ。否定しないと言うことは本当のことなのだろう。
「詳しくは俗世に疎いから知らないが神の、教会の言葉を否定することは"異端"なのだろう? ならば居る居ないに関わらず、"人狼"は居ると信じないとな」
笑みを深める研究者以外、皆は押し黙った。
どのくらい経ったのだろうか? 誰かが溜め息を吐くと、その誰かは礼拝堂の外に出た。
「アイツ、勝手なことして」
苛立たしげに宿主は外に出た誰かを追った。
「私も行くか」
そう言って研究者も外へと向かう。
「どこへ行くんですか?」
少年の問いかけに研究者は答える。
「私は慣れた寝床ではないと眠れないのでな。それにーー」
研究者は村人たちが自分に注目しているのを感じて彼らに見渡して言った。
「犯人が居るかもしれない場所で一緒など臆病な私には不可能だからな」
そうして研究者も礼拝堂を出ていった。
「お兄ちゃん?」
不安げに見つめてくる妹の頭を撫でて安心させようとしたが、少年は迷いで頭がいっぱいだった。
研究者たちのように礼拝堂に居るかもしれない犯人から逃げるために村に戻るか? もしくは外に居る可能性が高い狼から身を守るために礼拝堂で一晩過ごすか?
「少年、迷っているなら村に戻ろう」
少年に提案してきたのは猟師だった。
「こんな閉鎖空間で襲われたら武器があっても勝てないし、逃げれない。それなら村の方が安全」
「分かった」
少年は妹を連れて猟師と共に礼拝堂を出た。彼らを村人たちは引き止めなかった。
松明一つだけの中、村までの時間はとても長く感じた。狼たちが遠吠えを至るところで発しているように感じられたからだ。
だが運が良かったのか襲われることがなかった。
村に着くと、先に村に来ていた手伝い、宿主、研究者が門の傍で会話していた。
「君たちも来たか」
「はい。皆さんもご無事で」
「私たちも驚きだよ。気配はするのに狼たちは襲ってこなかった」
こちらに気づいた三人の会話に少年たちも加わった。
「村には狼は居ない。来て正解だった」
「だからって一人だけで行くんじゃないよ」
宿主は身勝手な手伝いの行動を小突いてたしなめる。
「だが不思議だな。手薄になっているのに村を襲わないとは。まるで目的は私たちを殺すことで、今日は村には誰も居なくなることを知っていたかのようだ」
面白そうに笑う研究者。
「そんなことより今晩はどうするの?」
「皆で、うちの宿に来ればいいさ。その方が安全じゃないのかい?」
猟師の言葉に宿主が提案した。
「そうだな。ではベットで休むとしよう」
「慣れた寝床以外では寝れないんじゃないの?」
「ああ、あれは嘘だ。私は野宿でもできる」
こうして少年たち六人は村で夜を過ごした。
翌日、礼拝堂では惨劇の様相で村人たちは固まっていた。
「村長がーー死んでる!?」
礼拝堂の木の長椅子で腹を刺された村長は目を見開きながら息絶えていた。
「起きてしまったか」
研究者は村長の遺体を調べて言った。
礼拝堂で村長が死んでいることを知らされた少年たちは急いで礼拝堂に向かい、それを目の当たりにしたのだ。
「親父ぃ!」
「落ち着いて、あなた」
目の前で亡くなった父親を悔しげに見つめる若夫と彼を支えようとする若嫁。
「また犠牲者が。神よ、これは試練なのですか?」
十字架を握り締め、祈りを捧げる説教師。
「クソっ、どうして!?」
怒りに震える傭兵。
「……チッ」
苛立たしげに舌打ちする木こり。
「夫人に続いて村長が」
青ざめる薬師。
「ふむ」
研究者は村長の遺体を調べ終えると、礼拝堂にいる村人たちの顔を見渡す。
「今回のは調べるまでもなかった。致命傷は腹部の刺し傷によるショック死だ。凶器は昨日の食事で使ったナイフ。抵抗の形跡が少なく、朝起きるまで皆が気づかなかったとなると熟睡中にブスッとだろう。まあ分かると思うが狼の仕業ではない。明らかに殺意ある人間の手によるものだ」
さあ誰だ? とでも言いたげに一人一人の顔を覗き込む研究者。
「誰だ? 誰が親父を殺した!?」
耐えきれなくなった若夫が吼える。
「この中に居るはずだ!」
若夫の言葉に村人たちは近くに居るものを疑いの眼差しで睨み付け始める。
犯人は名乗り出ろ、と視線だけで言っている。
そこで呆れたように研究者が溜め息をつく。
「互いを疑いあっても何も始まらない。ここは話し合いをしよう。まずはーー」
「何でお前が仕切ってんだ?」
木こりが遮ると研究者は小首を傾げる。
「不満か? なら若夫に決めてもらおう。村長夫妻が死んでしまったんだ。彼が現在村を治める存在なのだから」
それで言いか、と研究者は若夫に目配せすると、彼は強く頷く。
「犯人を見つけ出して殺す。親父をもしかしたらお袋も殺したかもしれない犯人が居るかもしれないんだ。これは俺個人の感情じゃない。これ以上村に犠牲者を出さないためだ」
若夫はそう言ったが瞳には復讐の炎が燃えていた。
「何を言っているんだ若夫! 殺すって、酷すぎないか!?」
年の近い薬師が止めようとするが彼は頑として譲らなかった。彼らのやり取りを見て怯えて兄を頼る妹を少年は抱き締めることしか出来なかった。
「どうやって犯人を見つけるんだよ?」
木こりの問いに誰も言葉を返さない。
いくら犯人を見つけ出すと言っても方法が分からない。彼ら村人は騎士でも憲兵でもない。殺人の調査などしたことがなかった。
「だから話し合いをするべきだと言っているんだ。状況を確認しあって不明な点を考える。そうすれば結果が出る。適当に処刑していくより良いと私は思うが?」
研究者の提案に全員が賛同する。
「まあ、まずは腹を満たそう。腹が減ってはなんとやらだ」
「いや、まずは村長の遺体を埋葬しないと」
昨日の残りを口にしようとした研究者を少年がたしなめる。
「弔いというやつか? 遺体はまだ残しておけ。大事な証拠だ」
研究者は不機嫌そうに答えると食事を始めた。
朝食を摂ったのは彼女だけだ。他の村人は食欲を失っていて、村長の遺体をシーツにくるんで安置したり、何も言わず立ち竦んでいたりと様々に朝を過ごした。
そして昼ーー
「これより村会議を始める」
礼拝堂内で昨夜のように村人たちは散らばり、若夫の声に耳を傾ける。
「議題は連続で起きた殺人だ」
「連続って言うことは夫人のも村人による殺人になったのですか?」
少年が問うと若夫は頷く。
「昨夜の話し合いの後、俺は考えた。そしてただの狼ではお袋を殺せないと結論した」
「何を話し合うのですか?」
この会議に納得がいっていないのだろう。薬師は苛立たしげに問う。
「だから犯人についてだ」
「そうではないです! 犯人を見つけるために何を話し合うのか訊いているんです!」
若夫と薬師が喧嘩腰になり始める。
「では最初にアリバイについて話し合えばどうだろうか?」
聞きなれない言葉に村人たちは呆ける。
「アリバイってなんだい?」
宿主が代表して研究者に訊く。
「アリバイとは現場不在証明のことだ。簡単に言うと事件が起こったとき、その場以外に居たことを証明することだ」
研究者の説明に少年はあることを思い出す。
確か主人である騎士が罪人を裁くときに言っていた気がする。
「アリバイって裁判で使う言葉ですか?」
少年の問に研究者は嬉しげに答える。
「よく知っているじゃないか。では裁判ではどんな人間が居るか知っているか?」
少年は記憶を探る。
「たしか犯人の可能性が高い人と、その人を犯人だと言う人と、かばって守る人、最後に犯人かどうかを判断する人がいました」
「被告人と検察官と弁護人、そして裁判官。正解だ助手」
パチパチと手を叩く研究者。少年は照れ臭くなってしまった。
「助手が言ったようにアリバイとは裁判で使われる言葉だ。つまりこの会議は裁判であり、しかし決まった役職はない。全員が被告人であり、検察官であり、弁護人であり、裁判官。それを念頭に置いてもらいたい」
「アリバイを言えば良いのか?」
傭兵が訊く。
「そうだ。村長が殺されたとき、何処で何をしていたか」
村人たちのアリバイはこうだ。
・少年、妹、猟師、研究者、宿主、手伝いは村の宿で就寝。
・薬師、若夫、若妻、木こり、説教師は礼拝堂内で就寝。
・傭兵は礼拝堂の前で番。
「つまり村長を殺害可能なのは礼拝堂で寝た五人と外にいた傭兵」
「どうして?」
薬師が研究者に訊く。
「村の者が犯人なら傭兵に見つかるからだ。傭兵、君は持ち場から一度でも離れたか?」
「いや、ずっと扉の前にいた」
傭兵の言葉で皆が納得する。
「礼拝堂の中で何か見た人はいないんですか?」
少年が訊くが誰も何も言わない。全員、昨晩は疲れて寝てしまったのだろう。
「傭兵さんは何かありませんでしたか?」
今度は傭兵に訊くが無念そうに首を振った。
「やはり村長は悲鳴をあげる間もなく殺されたか」
研究者は一人納得する。
「でも被告人……って言うんだっけ? は六人居るんだぞ。ここからどうやって犯人を特定するんだ?」
木こりが言うのも尤もで礼拝堂の六人は互いに犯人の姿を見ておらず、証拠もない。これ以上は犯人を絞れそうになかった。
「研究者、被告人が犯人と特定できない場合はどうするんだ?」
若夫が訊く。
「普通は証拠不十分として無罪だ」
な!? と若夫は唖然とする。しかしすぐに表情には怒りが宿る。
「それじゃあ犯人を野放しにしろと言うのか!?」
「まあ待て」
研究者はまるで興奮する馬を落ち着かせるようにドウドウと若夫を止める。
「判決を決める方法は他にもある。裁くものがが複数人いる場合は多数決が行われる。それを少し変えて投票にしてみよう。誰が犯人だと思うか、な」
若夫はそれをすぐに採用した。早速方法を考えて麻袋に無記名で犯人と思う人物を書いて入れる方式になった。これは処刑した後に怨霊となった犯人が自分に投票したものを呪い殺さないための措置だった。
「では、発表するぞ」
研究者が一枚一枚読み上げる。
結果
・傭兵 五票
・木こり 三票
・若夫 二票
・薬師 一票
・説教師 一票
この結果に傭兵は瞠目した。
「何で……俺が。俺はやってねえ!?」
興奮しながらも自分の無実を訴える傭兵。だが彼を見る村人の視線は冷たかった。
「仕方ない。余所者の君が真っ先に疑われる。これが村の常だよ」
冷酷な眼差しのまま突き放すように若夫は言った。
それを聞いて傭兵はぐったりと肩を落とした。
少年は納得がいかなかった。
今もただ諦めて悔しそうに悲しそうにしている傭兵が犯人には思えなかった。これは武勇伝を聞かせてくれたり余所者なのに村を守ろうとしてくれた彼への心情から来るものかもしれない。だが少年は違和感がぬぐえなかった。それが何かはハッキリと浮かばない。
「余所者だからって犯人にするのは酷いです!」
少年の隣で反駁したのは妹だった。
「現に俺を含めて五人も投票しているじゃないか。君だって投票したんじゃないのか?」
「余所者だからと言って、私は判断しません!」
「そいつをやけにかばうじゃないか。恋仲にでもなったのか?」
「!?」
妹を嘲笑ったのは木こりだった。彼に笑われて妹は顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。
おいおい待ってくれよ。まさか本当に恋仲にでもなったのか!? たしかに傭兵さんはいい人だが、お前の倍の年齢だぞ! お兄ちゃんは認めません! と少年は頭の中が混乱してしまう。
ん?
混乱で頭がかき混ぜられたからだろうか? 少年の違和感がハッキリした。
余所者と言うなら彼は会議に出る義務はない。そして村の決定に従う必要もない。それも腕っぷしな彼が武器をとって暴れれば村人たちも勝てないかもしれない。なのにそれをしない。傭兵は疑われるのは仕方なく、結果、犯人として処刑されるのも仕方ないと自分で割り切っているのだろう。
少年はやはり傭兵が犯人には思えなかった。それにーー
「余所者が犯人だと思う人は半分もいないみたいですよ」
少年は投票された紙を示す。
「若夫さんが言うように余所者とそうでない者と分けたら傭兵さんは五票、その他は七票。つまり村人たちは傭兵さんを疑っていません」
「……」
場がしらける。
「少年、落ち着け。これは多数決と言っただろう。君の言う七票は確かに村人は必ずしも余所者を疑うわけではないと分かったが。それがどうした? 彼が最多なんだ。これは変わらない」
「でも!?」
「良いんだ坊主。ありがとな」
笑顔で感謝を述べる傭兵。少年は見続けることが出来なかった。だって彼の苦しそうな笑顔を受けいられるはずがなかった。
「処刑の方法は猟銃でいいか? 一瞬で苦しみなく死ねる」
「あたしに殺せって言ってんの?」
若夫を猟師は睨む。それもそうだろう。自分から人を殺そうと思わないはずだ。殺人犯以外なら。
「分かった。俺がやるよ。銃だけ貸してくれ」
若夫は猟銃を受けとり、弾を込めて傭兵に向けた。傭兵も全てを受け入れるように静かに目を閉じた。
「すまないが村のための犠牲になってくれ。遺体は丁重に弔う」
先程までの怒りや興奮が消え去った声で若夫が言った。
「お兄ちゃん」
妹の絞り出すような声。
少年はせめて処刑の瞬間を妹に感じさせないために包み込むように強く抱き締めた。そしてーー
「そういえば村長夫人の話をしていなかったな」
村人たちが覚悟を決めた中で、一人だけ卵を買うの忘れたかのような緊張感ないの声で言った。
「お袋の話?」
若夫は銃を構えたまま呆けている。村人たちも少年も同じようで、つい腕を緩めてしまい、周りの状況に妹は困惑している。
「そうだ。村長殺害時のアリバイから村長を殺害した可能性の高い犯人を投票で決めただけで夫人の事件の犯人を見つけたわけではない」
「お袋の事件では犯人を絞ることが困難だったんだ。なぜなら犯人は狼だと思っていたし、そうでないとしても村の中で起こった。だけど今回は違う。礼拝堂の六人の中に犯人を決めてーー」
「それが夫人の事件と関係あるのか?」
「連続で起きた殺人だ。だから二つの事件の犯人は同じ犯人だ。そして今回は彼が不幸にも犯人になっただけだ」
「つまり"連続"殺人事件だから"二つの事件の犯人"として傭兵を処刑するのだな」
「そうだ」
「そうか。なら私から言うことはないよ」
そう言って研究者は一瞬だけ笑みを向けると腕を組んで目を閉じた。さっさと始めろとでも催促しているようだ。
緩んだ気を再び引き締めて若夫は引き金に指を掛ける。
傭兵は連続殺人事件の二つの事件の犯人として処刑される。
ん?
"連続"殺人事件の"二つの事件の犯人"として?
連続殺人事件のーーこれは連続で起きた殺人だ。分かりきっている。連続で起こっているのだから。
二つの事件の犯人としてーーつまり二つの事件で犯人だったということだ。ということは二つの事件で犯行は可能だったということだ。
……待てよ。だって傭兵さんは!
「待ってください!」
少年は声をあげた。
「また君か。今度はなんだ?」
再び止められたことに若夫は苛立っている。だがそんなことはどうでもいい。
「連続殺人事件の二つの事件の犯人として傭兵さんを処刑するのはおかしいです!」
「そこまで言うなら聞こうじゃないか」
結果は変わらないと思っているようで若夫は聞く耳を持っていた。
「昨日の話で夫人は狼ではなく村人の誰かに殺されたと若夫さんが言いましたよね?」
それがどうしたとでも言うように若夫は鼻を鳴らす。
「その理由は外部から村に狼が入れないからですよね?」
「そうだ。それがどうした?」
若夫はここまで言って気づかないと言うことは知らないんだろうか?
「傭兵さんは夫人が殺害された夜。一昨日はこの礼拝堂で番をしていたんですよ」
「ん? それはおかしいじゃないか!?」
「二つの事件の犯人ではなくなる」
若夫の驚きに手伝いがボソッと加える。
「そうです! 彼は私と共にいました」
今まで祈ることしか出来なかった説教師が嬉しそうに発言した。
「だから訊いたではないか。連続殺人事件の二つの事件の犯人として傭兵を処刑するのかと」
愉快そうにクククと笑う研究者は少年に良くやったと言った。
「では話を再開しようではないか。少し疲れたから私が少し話を進めよう」
今では銃を下ろして無言になってしまった若夫に代わり研究者が話を進める。
「こちらもアリバイから話そう。夫人の事件では犯行時間が分かる」
「悲鳴の時ですね」
少年の返しに研究者は満足そうに頷く。
「おい、意地悪薬師。あのとき何時だった?」
「意地悪はやめてください。そうですね、たしかちょうど十二時の時報が家の振り子時計から聞こえましたよね」
「そういえば、そうだったな。ではそのときのアリバイをまとめよう」
夫人殺害時の村人たちのアリバイ。
・少年、妹は南門で番。
・猟師は北門で番。
・薬師、研究者は薬師の自宅で会話中。
・説教師、傭兵は礼拝堂で過ごす。
・宿主、手伝いは宿で就寝。
・若夫、若嫁は彼らの自宅で就寝。
・木こりは自宅で就寝。
「これでアリバイがないのは少年、猟師、宿主、手伝い、若夫婦、木こり」
「どうしてお兄ちゃんはアリバイがないんですか!?」
研究者に妹が噛みつく。
「残念だがアリバイは家族の証言を認めていない」
「じゃあ私は?」
「君は南門から来るところを私と意地悪薬師が確認している。私たちは悲鳴を聞いてからすぐに外に出た。その短い間に村長の家から南門まで行くのは不可能だ」
「すぐに出たならお兄ちゃんも見なかったんですか?」
「ああ見なかった。まあ門付近と違って村の中は暗かったからな。見逃していただけかもしれんが。まあ安心しろ。例の言葉で助手を救えるぞ」
「連続殺人事件の二つの事件の犯人ですか」
助手の頭は冴え渡っているな、と機嫌良さそうに研究者は笑う。
「つまり我々の今の方針。この連続殺人事件でどちらも犯行が可能な者が犯人」
その可能性があるのは若夫、若嫁、木こりの三人に絞られた。
「では投票といこうか」
「おい待てよ。俺たちの中に犯人がいるって言うのか?」
「今頃復活したと思ったら今頃のようなことを言うんだな」
若夫に呆れる研究者。
「そうだ若夫婦、木こりの三人の中に犯人がいる。問答無用で投票だ。助かりたければ他の者が自分の投票しないように祈るんだな」
「……クソっ!」
悔しげに若夫は声を漏らした。
投票結果
・若夫 六票
・木こり 三票
・若嫁 二票
・無記入 一票
悲鳴をあげて若夫に近付こうと、助けようとしている若嫁を村人たちは押さえつけて、猟師が歯噛みしながら若夫を猟銃で狙った。
ダーン
目の前で夫を殺された若嫁はショックで気絶した。
少年は今更ながら気づく。傭兵はかばったのに若夫は助けなかった。そして彼に投じた票の中に自分の票が有ることに。
「お兄ちゃん、これで終わったの?」
しがみついてくる妹を安心させようと頭を撫でるために手を伸ばすが、震えていて上手く出来なかった。自分の手で間接的とはいえ殺した恐怖で震えが止まらなくなっていた。
「怖いか助手?」
その手を握ったのは研究者だった。冷たく、だが女性らしく柔らかい手だった。
「俺は若夫さんを」
「まだ終わってないぞ助手。彼は犯人ではない可能性が高い。二日連続で起こっているから今晩も起こるかもしれない」
「何で……どうして研究者さんは強いんですか」
妹を抱き締めて言葉を紡ぐ。
「人が次々に死んでいるんですよ」
自問自答に近い言葉に研究者は小首を傾げる。
「私は臆病だ。だがーーそうだな。なんと言うか死について疎いんだ。何故なら死んだことがないから分からないのだ。人の死で悲しむと言うことが」
「それなら俺だって死んだことがありませんよ」
「そうだな。だから君たちは愛しい。夜の間は何があっても妹のそばを離れるな」
研究者は少年から離れると村長と若夫の遺体を自らの指示で埋葬した。
夜になり村人たちは自分たちの家へと戻った。
家から出るものはおらず、今では響き渡る狼の遠吠えも気にならなくなっていた。
「お兄ちゃん、私たち死んじゃうの?」
「大丈夫だお前だけでも俺が守る」
蝋燭の灯りもない中、少年は改めて決意を固めた。
グオオオオオン
「「!?」」
近かった。村の中に咆哮をあげる何かがいる。狼より大きく獰猛な何かが。
唯一の家の窓から外をうかがう。
「!?」
声をあげそうになった妹の口を塞ぐ。
少年たちが見たのは自宅に近づいてくる大きな影。そして姿を確認できるほどにまで近付いたときに驚きで固まった。
二メートルはゆうに超える背丈にびっしりと生えた獣の体毛、それでも分かる筋骨隆々の肉体が二本の足で直立して、細長い顎にはズラリと牙が並んでいた。
「ボウガンを取るんだ!」
妹を突き放し、少年は扉に向けて傍に置いておいた剣を構える。
嫌な静寂が流れる。重く息苦しく、今にも叫び出したいが根気で抑え込む。何故なら背中には妹が、命に代えてでも守りたい存在が居るからだ。
汗が頤に垂れたとき、ソイツは来た。
ゴオオオオン
扉を力づくで破ったソイツは少年の身が震えるほどの咆哮をあげた。
「こいつが"人狼"か!?」
人狼のギラギラの両目が少年たちを認めるとナイフのような爪を生やした丸太と言ってもいい極太の腕を振りかざしてきた。
「くっ!?」
少年は剣の腹で受け止めるが衝撃で身が沈む。
「お兄ちゃんから離れろ!」
少女がボウガンを放つ。
グル!?
人狼は矢を避ける。
「うおおお!」
少年が剣を真一文字にはらう。それはしなった人狼の腕で弾かれる。
グオオオオオン
両手を組み、人狼は頭上に拳を振り上げる。これが降り下ろされたら剣で防ぎきれるか分からない。
「お兄ちゃん避けて!」
妹は次の矢を射つために必死にハンドルを回して弦を引き絞ろうとするが間に合わず声をあげた。
ガウン
人狼の鉄槌が降り下ろされた。
「ふん!」
気合いが込められた一撃が人狼に叩きつけられた。
グアウ!
前に倒れかけた人狼は身を起こして後ろを振り返った。
少年も人狼越しに見た。
「俺の恩人に何してんだ!」
ドスを効かせた熊のような大男ーー傭兵だった。
グオン
「オラア!」
人狼の腕と傭兵の斧がぶつかる。刃物が当たっているのに傷つかない人狼の強靭さは恐怖に値する。だがそれと互角に戦える傭兵の強さは勇気を少年に与えた。
ボウガンが人狼の頬を掠める。人狼は一度狙いを妹に変えようとしたが少年と傭兵が阻んだ。
少年と傭兵の剣檄が次第に人狼を圧し始めた。
「頑張れ坊主。もう少しだ!」
「はい!」
二人の力で人狼を倒そう! そう意気込んだときだった。
アオーン
頭上から聞こえた遠吠えに目を向けると、
「嘘だろ!?」
二人を屋根から見下ろしたのは二匹目の人狼だった。
屋根にいた人狼は傭兵に飛びかかる。傭兵は避ける。だが追い詰めていたもう一匹の人狼が勢いを取り戻し、傭兵を殴り飛ばした。
「ぐふあ!?」
「傭兵さん!」
傭兵は地面に叩きつけられて一匹目が馬乗り傭兵を破裂するような音をたてながら何度も殴り付けた。
助けようとして駆けようとした少年を二匹目が阻む。
グルルルル
少年の剣を人狼は剛腕を振るうだけで防ぐ。そしてその腕には傷が一つもつかない。
「勝てないのか……なら妹だけでも!」
少年が剣を構え直す。
「ダメだよ、お兄ちゃん!」
妹の制止を聞かずに少年は突きの構えを取り走った。
人狼は拳を振り上げる。
「遅くなったな」
少年と人狼がぶつかろうとしたとき、声に反応した人狼に酒瓶が飛来し、人狼が振りかぶった拳に割られた。
グオオオオオン!?
割れた瓶からは液体が飛び散り、人狼にかかると、その身体を焼いた。
「なんだ!」
「私が考えた燃える薬だ。いや見事に燃えたな」
混乱する少年の隣に立ったのは不敵に笑う研究者だった。
傭兵を襲っていた一匹目の人狼が状況に気づき火を消そうともがく二匹目をかばった。
ダーン
銃声が響き、一匹目の左腕を穿った。
グル!?
自力で火を消した二匹目は不利を悟ったのか闇の中に逃げる。一匹目はそれに続いた。
「大丈夫!?」
駆けつけたのは猟師だった。その手には猟銃が握られており、助けてくれたのは彼女だろう。
こうして人狼の撃退に成功した少年たちは翌日を迎えた。
「彼の冥福を神に祈りましょう」
朝を迎えた村では弔いが行われていた。昨日、少年たちを助けるために戦った傭兵のためだった。
それを終えると、研究者が言った。裁判を始めようと。
「良く集まってくれた」
研究者が満足げに言った場所は昨晩と同じ礼拝堂だった。
「研究者さん、この裁判はやらなければならないんですか?」
昨日は裁判で若夫を処刑し、その晩には裁判から救った傭兵を失った。その為、村人たちの間に流れる空気は重く暗かった。中でも若夫を失ったショックで自殺しないように両手首を縛られて猿轡を噛まされている若嫁は憔悴しきっていた。
「それでいいのか助手?」
研究者は少年を見ずに言う。
「このままでは人狼に村を、大切なものまで奪われるぞ。それに死んでいった者たちのために戦いたいと思わないのかね? 君たちは非生産的なことを好むと思っていたが」
人間らしいことを淡々と言う研究者に背中を押されたような気がした少年は覚悟を決めた。
「それで傭兵はどうして死んだの?」
いつも通りの眠たげな手伝いが訊いた。
「人狼に殺されました。俺たちを守って」
苦しげに言う少年に薬師が顔をひきつらせた。
「本当に出たのか?」
「まだ信じていなかったのか?」
呆れたように研究者が言う。
「証言者は私を含めて四人もいる。嘘でも幻でもないぞ」
「だけどよ。人狼がいたとして勝てるのか?」
研究者の言葉に加えたのは木こりだ。彼の言う通り、人狼を見つけ出したとして、あれほど強い相手を倒せる可能性は限りなき低い。
「安心しろ。方法がある」
笑みを崩さない研究者は説教師に目を向けた。それに気づいた説教師はひとつ咳払いすると語り始める。
「人狼には弱点があるのです」
・陽が出ているときは人狼になれないこと
・人狼になったときに負った傷は人間の姿になっても残る
「この二つが人狼の弱点です」
「つまり明るいうちに殺しちまえば良いってことかい?」
宿主が確認する
「その通りだ。だから我々は今、この場で人狼を殺さなければならない。まあ一体は分かっているが」
「本当ですか!?」
驚く少年に研究者は溜め息を吐く。
「助手、人狼の弱点の二つ目はなんだ?」
「え? 人狼になったときに負った傷は人間の姿になっても残る。ですか?」
「そして昨日、何があった?」
「戦いました。でも傷なんて……」
昨日のことを苦しげに思い出す少年。研究者は猟師を向く。
「猟師」
「何?」
「昨日の弾は人狼に傷をつけたか?」
「つけたと思う。跳弾はなかったし」
「!? じゃあ左腕に」
少年は気づく。
「そうだ。猟師の弾が当たっていて、そして傷つけているとしたら左腕にまだ傷があるはず。あれだけ太い腕だ。銃弾は抜けずに残っているかもしれないな」
クツクツと笑い出す研究者。それだけ余裕があるのは彼女だけで他の者は周りの村人たちの左腕を注視している。
この時期は全員が長袖を着ており、一目では分からない。だがーー
「全員、袖を捲って左腕を見せたまえ」
村人たちは反論することもなく左腕をーー
「動くな!」
一名だけ従わなかった。
「木こりさん!?」
木こりは近くにいた手伝いの腕を背にひねりあげ彼女の首にナイフをちらつかせた。手伝いを人質に捕ったのだ。
「諦めが悪いな、木こり。他人を巻き込まずに自らの首を断ったほうが潔いというのに」
溜め息を吐く研究者はどこか余裕を感じられた。
「おい猟師」
「……何?」
恨めしげに睨む猟師に木こりは命令する。
「猟銃で研究者を殺せ」
「!?」
目を見開く猟師。木こりは勝ち誇ったように笑う。
「その手があったか。だが愚策だな」
未だに笑みを崩さない研究者。
「何がおかしい?」
怪訝そうに目を細める木こり。
「だってそうだろう。お前の命令を聞いても聞かなくても一人は必ず死ぬ。それに聞いた場合、ずるずると命令を聞き続けて終いには私たちは全滅だ。それなら人質ごと殺してしまったほうが被害は少ないぞ?」
「何てことを言うんですか、研究者さん!?」
研究者を批判したのは少年だった。
「言っただろう助手。私は死に疎いんだ。人の死は平等であり、数で判断するしかない。だから被害を少なくする考えしか浮かばないのだよ」
悲しげに言う研究者に少年は何も言えなくなってしまった。
「ごめんね手伝い。恨んでくれて構わない」
覚悟を決めた猟師が猟銃を木こりに向ける。少しでも弾が逸れれば手伝いを殺してしまう。だが猟銃には二発弾が入っている。二発目も外す失敗はしない。
猟師が引き金に指をかける。
「別に緊張しなくても期は熟すぞ」
研究者が言った意味は分からない。その意味が分かったのは
「え?」
木こりが間の抜けた声をあげたためだった。
痛みに背を見た木こりは若嫁と目があった。
「お前!?」
「ふーふー!」
猿轡で息を荒げる若嫁の縛られた両手には包丁が握られていて、その刃は木こりの背中に深く沈んでいた。
「テメエ!?」
痛みを忘れた木こりは手伝いを突き飛ばし、若嫁にナイフを振り上げた。
ダーン
銃声が鳴ると同時に木こりの背を穿った。
「ゴホッ」
肺を破られた木こりは血を吐き出して、音をたてて床に倒れた。
「一件落着だな」
木こりは絶命している。手伝いと若嫁は無事だ。
「大丈夫かい!?」
「うん、怪我はない」
急いで駆け寄った宿主は手伝いを強く抱く。
「仇は取れたか?」
「……」
放心状態の若嫁の隣に研究者が立つ。
「夫の後を追いたいなら私は止めない。生きるかどうか自分で考えたまえ」
研究者は若嫁の猿轡と両手首を縛っていた縄を外してやると最後に何かを囁き彼女から離れた。
「研究者さん、どこに行くんですか?」
「少し疲れてしまった。先に村に戻る。弔いは任せた」
そう言って研究者は礼拝堂から出ていった。
「お兄ちゃん」
「ああ勝ったな」
「そうだけど。まだ一人いる」
「ああ」
妹の言う通り人狼はもう一人いる。そいつを倒してこそ村を、妹を救える。
木こりの遺体を調べると確かに左腕に銃創があった。だが今も信じられなかった。同じ村に暮らしていた仲間に人狼という異形が居たことに。
夜は自宅の扉が壊されてしまったので宿主に頼んで宿に泊まることになった。だが一人部屋しかないので少年と妹は別の部屋になった。
「何かあったら呼べよ。一階には宿主と手伝いも居るから」
「うん、お兄ちゃんも気を付けてね」
妹は部屋に入り、少年も部屋にーー戻らない。部屋のまえで腰を下ろす。
部屋のベットでぐっすり寝て気づかなかったなんて最悪なことをしたくなかった少年は一晩徹夜して妹を守ることを決めたのだ。
「残っているのは俺、妹、研究者さん、猟師、薬師さん、説教師さん、若嫁さん、宿主さん、手伝い。人狼じゃないと思うのは俺、妹、研究者さん、猟師。これは昨日、人狼と戦ったときに居た四人だから間違いない」
犯人は誰かと思考を巡らす。だが確信が持てない。こんなときに研究者が居ればと少年は思った。
そんなときに背後の部屋で大きな物音が聞こえた。
「おい大丈夫か?」
ノックをして声をかけるが中から返事はなかった。
「……入るぞ」
ゆっくりと扉を開くと、
「!?」
中には妹の姿はなく、ただ開いた窓から満月が部屋を照らすだけだった。
少年は一晩中、村や周辺を探したが妹は見つからなかった。
「どこに……行ったんだよ」
妹の居ない壊れた扉の自宅で少年は膝を抱えていた。村人の力を借りて昼過ぎまで探したが、それでも妹の足取りすら掴めなかったのだ。
「助手、居るのか?」
自宅に来たのは研究者だった。
「ここに居たのか。寝ていないで妹を探しにいくぞ」
「無理です」
「何?」
少年は顔を上げず淡々と言う。
「もう妹は居ないんです。人狼に殺されたんです」
「なぜ分かる?」
そう聞く声音はどこか怒りを感じた。
「だって、どこにも居ないんです。なら他にありますか?」
「君の家族への愛はその程度だったとはガッカリだよ」
先程までの怒りは消えて悲しげに言った研究者は少年に背を向ける。
「一応伝えておこう」
研究者は顔も向けずに言う。
「説教師が死んだ。頭が潰されていることから人狼の犯行だと思われる。」
少年の肩が跳ね上がる。
「安心したまえ。君が犯人じゃないことは私が知っている。必ず助けるさ」
研究者は立ち去った。
結局、少年は陽が沈むまで動けなかった。
夜になり空腹を感じた少年は苦笑しながらも何か食べようと探したが、目ぼしいものはなく。少年は宿主に何か作ってもらおうと家を出た。
「?」
暗い村の中、人影を見た気がした。
妹かもしれない。そう思った少年は人影を追った。
それを追って辿り着いたのは村の倉庫だった。
「ここなのか?」
緊張の面持ちで扉に触れる。
「!?」
扉が勝手に開き、後ろに飛び退いて身構えた少年は剣を持ってきていないことに気づく。取りに行くこともできず、倉庫の扉は完全に開く。
ゴクリと少年は自分が唾を飲み込む音を聞いた。
暗い倉庫の中から人影が浮かび上がる。そして月に照らされたのはーー
「お兄ちゃん」
会いたかった人に会えて涙を流す妹だった。
「良かった。生きてたんだな!」
「お兄ちゃん、怖かったよ」
少年と妹は互いを強く抱き合う。感動の再開だ。
だが喜びはすぐに去ることになった。
少年は涙以外で自分の服を濡らすものを見てしまった。
「お前、これ」
「え?」
身を離した少年の服は赤黒いシミが出来ていた。そして妹を見ると彼女の頬は服はそして両手は血で赤く染まっていた。
「嘘……血、なの?」
自分の姿を見て恐怖に震える妹。
「どうして、何をーー」
「違う! 私はなにもしてない!」
拒絶されることを恐れた妹は無実を訴える。少年は混乱する頭を整理しようとするが無駄に時間を浪費するだけで妹の恐怖は増えていく。
「信じてよーー!?」
苦しげに紡いだ妹の声に少年はあらゆる思考を放棄した。考える必要なんてなかったのだ。最愛の妹が自分を信じてほしいと助けを求めているのだから答えは一つだ。
「必ず助けるさ」
それは研究者が少年に言った言葉と同じだった。それで少年は研究者が自分を助けようとしてくれたことを深く感じた。
「動かないで」
突き刺すような声に少年と妹は顔を向ける。
視線の先に居たのは猟銃を自分たちに向ける猟師。
少年は言葉より先に妹を後ろにかばった。
「待ってくれ猟師。妹はなにもしていない」
「血だらけで何もしていないとは思わないけど」
それもそうだ血に染まっているのに動きに支障がない人を見たら、まず疑う、いや確信することがあるだろう。その血は返り血だ、と。
「誰を殺したの?」
いろんな感情が混ざって震える猟師の声。
妹は俯き、必死に首を振る。
「私は殺ってません!」
「じゃあその姿は何よ!」
猟師の叫びに妹は言葉を詰まらせる。
「見てたよ。あなたが倉庫から出てくるの。少年、倉庫を見てみて。何もなければ銃を下ろすから」
少年は渋々従うしかなかった。そうしなければ妹が猟師に殺されてしまうと本気で思ったからだ。猟師は村のために処刑で二人を殺している。今さら彼女は躊躇しないだろう。
少年は開け放たれた倉庫に入る。だが中は月明かりが届かず何も見えない。
そこで少年は倉庫に備え付けられた火打灯があることを思いだし、壁を探る。そして手に触れた装置を操作すると数秒後、火花を散らせていた装置に火が点き倉庫内は明るく照らされた。
「何で……」
少年が見たのは腹をナイフで刺され壁にぐったりと寄りかかる白衣を着込んだ女性の姿。
ーー研究者の遺体だった。
翌日の朝、日課になったかのように村人は礼拝堂に集まった。
「減ったねえ」
そう言ったのは宿主だった。
礼拝堂にいるのは少年、妹、猟師、宿主、手伝い、若嫁の六人とシーツに包まれた研究者の遺体だけだった。妹は湯あみと着替えを済ませている。それは猟師に銃を向けられながらであり、現在も妹の背に銃口が向けられている。ここに居ない薬師は昨日、説教師を殺した罪で処刑されたらしい。それを行ったのも猟師だった。
「裁判をする必要あるの?」
こんなときも眠たげな目をしている手伝いが言った。研究者の死と妹のことを知ると隠しもせずに彼女は嫌悪感を妹に向けている。それに耐えきれない妹はうつむいたまま何も言わない。
「でも裁判をしないと……」
「今までやってきた裁判は犯人が分からないからやってただけさね」
宿主は目すら妹に向けなかった。それほど辛いのだろう。
「ならさっさと殺しちゃいなよ」
「手伝い! お前は妹と仲が良かったじゃないか!」
「殺人犯と友達になった覚えはないけど?」
冷酷に言い放った手伝いは妹をすでに拒絶していた。
「少年、処刑に異議があるの?」
猟師は殺気立った雰囲気で少年に問いかける。
「それはあるよ。だって妹は人狼じゃないから」
少年は気圧されずに対抗する。
「それなら……証拠を見せてよ」
猟師の絞り出された声は悲痛だった。これ以上、人殺しをさせないでくれと叫んでいるようだった。
証拠、と少年は思考を巡らす。だが少年には決定的なものは何もでなかった。唯一の心当たりは
「……傭兵さんが殺されたとき、人狼は二匹。一匹は木こりさんだった。もう一匹はここの誰か」
「それが妹なんじゃないのかい?」
宿主が言う。だが少年は首を振り、否定する。
「それは違います。あのとき妹も人狼と戦いました。だよね猟師?」
猟師は黙って肯定する。その反応に言ったことが案外正解だったと少年は思った。
「人狼は二匹いて、そのとき妹は俺たちと一緒に人狼と戦った。つまり妹は人狼じゃありません!」
言い切った少年は妹が救えると確信した。
「確かに人狼は二匹だから……違うかも」
考え直した猟師は銃を下ろす。少年はその姿に胸を撫で下ろした。
「人狼って二匹なの?」
手伝いの言葉に全員が止まった。
「言っただろう。人狼は二匹ってーー」
「それは見た人狼でしょ。まだ姿を隠した人狼もいるかもよ」
「何が言いたいんだ?」
苛立たしげな少年を気にせずに手伝いは言った。
「私たちの中に人狼が居るのは分かったよ。でもそれは二匹目であって、妹は三匹目かも」
確かにその仮説は成り立ってしまう。やはり証拠がないと妹は助けられない。
「妹は人狼と戦ったんだぞ! 味方を殺そうとするか普通?」
「演技かもよ。戦っているふりをしただけ」
「たしかに妹の矢は一度も人狼に当たってない」
下ろしていた銃を再び妹に向けて構える猟師。彼女の瞳には諦めが見てとれる。
「もういいよ、お兄ちゃん。これ以上私をかばったら、お兄ちゃんまで疑われちゃう」
優しげに言う妹の笑みに少年は胸が苦しくなった。これは傭兵を助けようとして力不足だったときを遥かに越える辛さだった。でもあのときは助けられた。研究者のお陰で。
助けを求めたい人は被害者となってしまい、犯人は最愛の妹。何の皮肉だろう。
「投票は……いいよね。どうせ殺すのは、あたしだし」
猟銃を構え直して妹の心臓を一発で吹き飛ばせるように標準を合わせた。
「バイバイ」
猟師は表情を消した。
少年は涙を必死にこらえて死ぬ瞬間まで気丈であろうとする妹を助けられなかった。
証拠さえ、それさえあればと胸中で呪文のように繰り返し、だが身体は動かず妹を見続けていた。
「証拠がないなら見つけませんか」
引き金が引かれるかと思われたとき、誰かが言った。この間の悪さーー今回の良さはまるで研究者のようだ。
「若嫁さん?」
だが声の主は研究者のわけがなく。今まで黙っていた若嫁だった。
「私たちは研究者さんのようによく調べもせずに判決しても良いのでしょうか? 私は嫌です。夫のように犯人を決めるのは」
「でも若夫が犯人になるように仕向けたのは研究者じゃなかったかい? 彼女が何かと話して少年が傭兵の無実を証明した。そのせいで多数決の結果、あんたの旦那が死んだんだ。恨んだとしても不思議じゃない。それなのに研究者の様にって心境の変化でもあったのかい?」
宿主が理解できないとでも言いたげに言う。
「動機だけなら若嫁が一番の犯人だね」
手伝いが薄く笑う。
「たしかに私は研究者さんを恨んでいました。だけど彼女は夫を、あの人を犯人にしてなかった。別の人に投票していました」
「どうして分かったんですか? 名前は匿名だったのに」
投票は処置として無記名で行われたのだ。誰が誰に投票したのかなど分かるはずがない。
「分かるもんなんですよ。彼女は字が汚いですから」
苦笑する若嫁は語り出した。若夫が死んだあとのことを
若夫が処刑された後、ショックで倒れた若嫁は固いベットで目覚めた。
「この部屋は?」
自分の部屋ではないことはすぐに分かった。あまりにも部屋が汚かったからだ。
調度品は今寝ているベットと机と椅子の一式、本棚が一つだけだが、床には書類や本棚に入らなかった本が散乱して机一杯に見たこともないガラス製品が並んでいた。
「起きたか?」
部屋に入ってきたのは研究者だった。彼女を見たことで夫が死んだことを若嫁は嫌でも思い出した。
「貴女のせいであの人はーー」
若嫁は毛布を握りしめて敵を見るような瞳で研究者を睨んだ。
「私はあの結果に言い訳するつもりは微塵もない。あれは多数決だった、だから若夫に票が集まるのも確率としてはあった」
「票が集まるようにしたのは、貴女でしょう!?」
「ふむ。少し語弊があるな。私は真実に近づくために傭兵の無実を導いただけ。結果、ああなっただけだ。候補は他にも居たのだ。選んだのは個人の意志だ。尊重するのが人間だろう?」
研究者はそう言うと水のように透明な液体が入った掌サイズのガラス容器から紐が伸びたものを取り出す。
「マッチは……どこに置いたかな?」
白衣のポケットを探ったり、周りを見回しているが、こんなにも汚い部屋では探し物は見つからないだろう。
「これでいいですか?」
恨みを忘れず、しかし研究者のダメさに呆れてエプロンのポケットに入っていたマッチ箱を渡す。
「タバコも吸わないのに持っているのか?」
感謝も言わずに質問する研究者に若嫁は溜め息をつく。
「料理でも火を使いますよ」
「そうか、料理をしないから失念していた。覚えておこう。コーヒーで良いか?」
研究者はマッチを擦ると紐に火をつける。それを金網を乗っけた三脚の下に入れる。金網の上には水の入った円筒のガラス容器。あれで湯を沸かすのだろうか?
「私を恨んでいるか?」
「……ええ」
急な問いかけに言葉に詰まるが答えた。
「ならば殺してみるといい。そうだな凶器が必要か」
研究者はガラスの容器を叩き割ると、細長く尖った破片を若嫁に手渡す。
「殺すって、貴女を? ふざけてるの!?」
困惑する若嫁に研究者は小首を傾げる。
「私はいたって真剣だぞ。私は死に疎くてな。一度体験してみたかった。君との利害も一致するから名案だろ?」
得意気に説明する研究者。だがすでに若嫁は聞いておらず、震える手で握りしめていた破片を
ーー自分の首に押し当てた。
「何をしているのだ?」
力づくで若嫁の腕を掴み、首から離した研究者は驚くこともなく不思議そうに顔を近づけた。
「なぜ自分を殺そうとする? 人間は動物なのだから自殺は望まないはずだが。それなら私を殺した方が理にかなっていると思うが?」
「いくら貴女を恨んでいても犯人じゃない人を殺したくありません。殺してしまったら夫に投票してしまった人たちと同じになっちゃう。それならいっそう自分が死んだ方が報われます」
若嫁は苦しみを吐露しながら泣いた。それを見た研究者は腕を組んで何かを考える。
「つまり復讐はしたいが犯人以外は殺せない、と」
研究者は組んでいた腕をほどき、静かに若嫁の手を取った。
「ならば協力してくれ、犯人を見つけるためにな」
「それで彼女は紙に作戦を書いてくれたのだけど。字が汚くて全然読めなかったわ。そのとき彼女は投票用紙を保存していてね。彼女の投票用紙も同じように汚いから匿名でも分かりました」
「誰に投票していたんですか?」
少年の問いかけに若嫁は一度呼吸を整える。
「彼女は"木こり"に投票していました。偶然ではなく考えた結果と言っていました」
村人たちに衝撃がはしった。研究者は犯人を当てていたのだ。
「だけど確証は無いからと猟師さんを連れて犯人を探したんです」
それで少年は納得がいった。研究者が人狼に挑んだ理由に。
「猟師さんが負わせた傷で犯人が分かり、私は復讐のために木こりを刺しました」
彼女の言うことが本当なら自殺しないように縛っていたのは犯人を油断させるためだったのだと少年は気づく。
「復讐が終わり、私は夜にでも首を吊ろうと思っていました。ですが彼女は言ったんです『犯人はまだいる。手を貸してくれないか』と、そんな彼女がタダで死ぬとは思いません」
そう言うと若嫁はシーツを剥がして研究者の遺体をさらした。
「少年、研究者さんのために、そして妹さんのために犯人を見つけましょう」
「はい!」
少年は迷いなく答えていた。何度も助けてくれた研究者。そして何よりも大事な妹を救い出すために。
研究者の遺体を確認する。顔は白く、脈も感じられない。白衣はだらしなく腕を通しているだけで下に着ている服は刺された傷とそこからの出血で染まっている。
「……?」
いつも白衣で分からなかったのだろうか? 横たわっている研究者のお腹が膨らんでいた。
お腹に触れると人とは違う少し固い感触がした。服の下に何か入っている。
「若嫁さん、服の下に何かあるみたいなので取ってもらえませんか」
遺体とはいえ女性の服を脱がせるのは気が引けた少年は若嫁に頼む。
「こんなのが出てきました」
若嫁が取り出したのは牛革の袋だった。それは刺されたような傷があり、傷口の周りには血が付着している。
「そして不思議なことに身体に刺し傷がありませんでした」
…………え?
「研究者さんは刺されて死んだんですよね?」
「でも傷はどこにも」
それならどうして、死因は別なのだろうか?
少年がパンクするほど思考する。
「ん?……なんとか起きれたな」
困惑する村人たちの前で顎が外れ両目が飛び出るかもしれないほど驚愕のことが起きた。
「助手、今は何時だ?」
村人たちの目の前で死んでいたはずの研究者がムクリと起き上がったのだ。
「ふむ、経過は数時間程度か」
研究者は周りを確認すると一人で納得する。
「ではフィナーレと行こう。まあ味気ないメインディッシュだが一口目はスパイス多めに感じるかもしれないな」
「……何を言っているんですか?」
震える声の少年に研究者は苦笑する。
「…………数時間仮死状態だと思考回路が崩壊するな。覚えておこう」
見当違いと聞き捨てならないことを言ったが研究者は立ち上がり笑う。
「どうしてそんなに顔を青ざめている人狼? いや私の薬が成功していれば人狼の力は使えなくなっているかもな"手伝い"」
研究者が笑いかけたのは唇を噛み悔しげに彼女を睨む手伝いだった。
「言い訳はしないのか?」
「悪者っぽく何かを言った方が良いの? 殺した相手が目の前にいるのに」
手伝いは薄く冷たい笑みに変えていた。
「それでも何か言い残すべきではないか、敗者として」
「そう。なら言ってあげる」
手伝いは一度目を伏せて村人たちを嘲笑と共に見た。
「自然を淘汰する人間なんて滅んでしまえばいい」
「あなたがね」
猟銃を構える猟師。それを研究者は手で制した。
「撃つ必要はないぞ。じきに死ぬ」
研究者が何を言っているか分からなかった。だがすぐに、強制的に理解させられる。
「どうしたんだい手伝い!?」
膝を折って苦しげに呼吸する手伝いを必死になって介抱しようとする宿主。
「お前、その顔!?」
顔をあげた手伝いを見た少年は恐怖に震えた。
脂汗を浮かべる手伝いの顔は首から徐々に紫色に変色していたのだ。まるで悪魔が彼女の身体を蝕み支配しようとしているように。
「毒の回りは予想より遅かったな」
植物の成長を観察しているように言ったのは研究者。
「毒って何ですか?」
「毒を知らないのか? 毒とは生物をーー」
「そうじゃありません。毒なんていつ盛ったんですか?」
「人狼が助手を襲ったときだ。あのとき投げた瓶には獣の毛を燃やす以外に皮膚から身体を侵す毒も入っていたんだよ。もう少し早く効くと予想していたが、人狼の力を抑えるために時間を費やしたらしい。覚えておこう」
さて、と研究者は一息つく。そして白衣のポケットから液体の入った小瓶を取り出す。
「手伝い、条件を呑むなら解毒薬をあげるぞ」
手伝いの前で小瓶を振る。
「条件?」
訝しげな手伝い。
「そうだ。山の狼たちを連れて、この村を離れろ。君には可能だろう?」
「勝手なことをしないで」
怒りを露にする猟師。
「そいつは人狼。この場で殺す」
「君こそ勝手なことをするな。私が彼女と話しているんだ」
猟師に反駁する研究者の手から小瓶を奪ったのは宿主。彼女は液体を無理矢理に手伝いに飲ませる。
「何で……?」
めまいを覚えた手伝いは宿主に倒れかかる。
「約束通り、私たちは村から出ていくよ」
宿主は苦もなく手伝いの身体をお姫様だっこする。
「やはり人狼に協力者がいたか」
「気づいていたのかい?」
「確信はなかったが手伝いが犯人だとすると、宿を何度も抜け出しているのに一緒に宿に暮らしている宿主が怪しむことも咎めることもしないことに疑問を持っていたのだ。だが、わざと見逃していたのだとしたら合点がいく」
「なるほどね」
宿主は納得すると、背を向ける。
「それじゃあ、おさらばしようかい」
「待ちなさい!」
猟銃を向けて制止させようとする猟師。それを見越してか宿主は口に指を当てて口笛を吹いた。
グオオオオン
扉やステンドグラスの窓を割り、十数匹の狼が礼拝堂に侵入してきた。
「狼たちにとって人狼は大切な存在だ。ここで手伝いを殺そうとしたら、そいつらは何をするかわからないよ」
高らかに笑い声をあげて宿主は去っていった。狼たちも彼女を守るように付き従った。
翌日、犠牲者はなく村から人狼は消えて平和になったことを村人たちは実感した。
研究者の家の扉がノックされる。
「勝手に入れ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは妹だった。
「私に何かようか?」
研究者は執筆をやめて椅子ごと身体を妹に向けた。
「昨日言いそびれてしまったので、改めて。助けていただき、ありがとうございました」
妹は頭を下げる。
「礼など要らん」
「これクッキーです」
「ありがたくいただこう」
即答した研究者はクッキーをかじる。
「用が済んだのなら帰りたまえ。私は忙しい」
「この本をお持ちですよね」
妹が取り出したのは教会が配布している本だ。前に研究者が人狼の存在を示唆したのもこの本だ。
「それがどうした?」
「妖狐」
その一言に研究者は目を見開いたが、次第に笑みを深める。
「人にも狼にも忌み嫌われて追放された存在。それが妖狐。そうですよね?」
「そうだ。本には書かれていることだし、事実だ。人間が土地守りだった妖狐を新しい宗教の名の下で排除して異能を恐れる狼たちは妖狐を迎え入れなかった」
「異能というのは殺されても死なないことですか?」
「ああ。妖狐は実体を持たない。だから人間の身体を乗っ取り生活している。だから殺されても肉体が腐るだけで妖狐自身は滅びない。まあ昨日は腐らせるわけにはいかないから一計を案じたが。だが弱点もある」
「真名を知られること」
妹の答えにクツクツと笑い声を漏らす。
「今回は占い師が居なくて成功したと思ったのだがな」
笑みを崩さずに残念そうに言う研究者。
「それで君は私の真名を占ったのか?」
真剣な表情だった妹はフッと相好を崩した。
「私は、あなたの仲間ですよ。妖狐さん」
「仲間? ……なるほどな」
訝しげな研究者は納得してお腹を押さえて笑った。
「そうか、そうか! 君が私を喚んだのか!!」
「はい。なので約束を果たしてください」
「約束?」
「敵対していた狼は土地を去りました。今は無力な村人がいるだけ。支配するのは容易いでしょう」
小悪魔のような笑みをたたえる妹に研究者は大仰に言う。
「土地を渡すかわりに願いをひとつ叶えるのだったな。いいだろう。叶えてやろう。さあ、言ってみたまえ」
「私の願いはーー」
その日から村は素性が定かではない研究者と名乗る女が支配した。
今回は人狼ゲームを題材にして書きました。ですが人狼ゲームをしません。ある村で起こった事件を人狼ゲームにしました。(もちろんフィクションです)どうぞご覧ください。