第11話 あなたの秘密 3/6
翌日。午前十時ジェイオン南店。
翔虎、弘樹、寺川の三人は正面出入り口に集合し、開店と同時に揃って店内に足を踏み入れた。
買い物を終え、早めの昼食を済ませた三人は、峰岸葵のイベント会場となる、店舗中央吹き抜け広場に設営された特設会場に来ていた。
ステージの前には椅子が並べられているが、恐らく観客はそこには収まり切らない。椅子に座る以外の観客は、さらに後ろから立ち見か、吹き抜けとなった二、三階から見下ろして観賞することになる。
椅子には、物を置いての場所取りが禁止されているため、すでに熱心なファンと思われる観客が数名、開演一時間以上も前から一番前の席に陣取っていた。
「テラ、お前も席取らなくていいの?」
弘樹の質問に寺川は、
「ふふ、甘いなヒロ。俺くらいのファンになるとな。イベントやステージの最前列なんて、そんな重要じゃなくなるんだわ」
「と言うと?」
「入り待ち! これがファンの行き着く最後の場所。楽園なんだよ!」
「入り待ちって、会場に入ってくるところを狙って声を掛けるっていうあれか?」
「そう。考えても見ろ。こういうイベントでいくら葵ちゃんが、『こんにちは』って声を掛けてくれたとしても、所詮それはこの場にいる不特定多数に向けてのもの。いわば、相手の存在しない挨拶。それを受ける俺たちも存在していないに等しい。しかし、入り待ちは違うぞ! 確実に、そこにいる俺に、この俺だけに、葵ちゃんが『こんにちは』と声を掛けてくれるんだ!」
「大勢入り待ちしてたらどうなるんだよ」
翔虎の突っ込みに寺川は、
「それでも、ひとり当たりに対する『こんにちは』の割合は格段に大きいだろうが! このイベントの観客が千人としよう、対して入り待ちが十人いたとする。前者の『こんにちは』は千分の一、対して後者のそれは十分の一だ! 十倍だぞ、十倍!」
「百倍だろ」
「うるさいなショウ!」
「テラ、お前の数学の点数が全く当てにならないことはよくわかった」
「とにかく行くぞ。席取りなど、凡百のファンに任せておけ……」
軽快な足取りで会場を後にする寺川に翔虎と弘樹もついていった。
「お前、入り待ちはいいけどさ、危ないファンにはなるなよ」
「何言ってるんだショウ。葵ちゃんのファンに悪い人はいないんだぞ」
「ファンがいない、の間違いじゃないのか? 僕たち以外誰もいないぞ……」
翔虎は寺川との話をやめ、周囲を見回した。そこは地下一階、職員用駐車場の一角。店内の雑踏が嘘のように静かな場所だった。
「大体、もうイベント開始まで一時間くらいだぞ。こんなギリギリに会場入りするか? もっと早く来てるものじゃないの?」
「いや、今日の葵ちゃんは午前は地方紙の取材が入ってるから、この時間にならないと会場入りできないはずなんだ。それに、葵ちゃんの入り待ちまでするファンなんて、そういないぞ。所詮いち御当地アイドルだ」
「何でそんなこと知ってるんだよお前……それに変なとこで冷めてるな――」
「あ、あれじゃないか?」
弘樹が指さした方向から、一台のタクシーが走ってきた。タクシーは翔虎らの数メートル手前で停車し、開いた後部ドアからひとりの女性が降りた。
「間違いない!」
寺川は足早に駆け出した。慌てて弘樹と翔虎もその後を追う。
タクシーは走り去り、降りた女性は寺川らの姿に気付いたように足を止めた。
「あ、葵さん! 応援してます!」
寺川が声を掛けたその女性は、やはり峰岸葵だった。
立ち止まった拍子に栗色のロングヘアがふわりと揺れる。細身のメガネ。肩から提げたブラウンのバッグ。薄い青色のカーディガンの下に白いワンピース姿。
裾から伸びる細い脚の先は、赤いハイヒールだった。
「あら、もしかして入り待ち? ふふ、ありがとう」
葵はそう言って笑った。
「しゃ、写真、いいですか!」
寺川は携帯電話を取りだした。
「時間がないから……」
と、葵は腕の内側に向けた腕時計を見て、
「少しならいいわよ」
そう言って微笑んだ。
「ありがとうございます!」
寺川は深々とお辞儀をして、弘樹と翔虎もそれに倣った。
「メガネ、取ったほうがいい?」
葵はメガネの弦に手を掛けたが、
「い、いえ、そのままで」
寺川はその動作を制した。
寺川、弘樹、翔虎の順に、それぞれの携帯電話に葵とのツーショットを収めていく。シャッターを押すのは、被写体にならないものがその都度務めた。
「君たち、高校生?」
三人とも写真を撮り終えたところで、葵がそう訊いてくると寺川は、
「は、はい! 東都学園高校です!」
「あら、ここから近いわね。君たち、イベントは?」
「もちろん、拝見させていただきます!」
「拝見だなんて、大げさね。じゃあ、もう行かなきゃ。ごめんね」
葵は右手を顔の前に立てて片目を瞑った。
「も、もちろん!」
「あ、じゃあ、熱心なファンのみんなに感謝の気持ちで」
葵は右手を差し出し、
「握手」
「ありがとうございます!」
寺川は直立不動で差し出された葵の右手を握った。
「お、応援してます……」
翔虎はそう言いながら葵と握手した。寺川、弘樹に続いて最後だった。
「ありがと」
葵はにっこりと笑って、
「一年生?」
「あ、は、はい……」
「そう、……君、かわいいね」
「えっ?」
「じゃあね。イベントもよろしく! 声出してね!」
葵はそう言い残して、駆け足で関係者出入り口に向かって行った。
ドアを開け、姿を消す直前に振り向いて、ウインクを投げた。
「はー」
「はー」
寺川と弘樹は同時に同じような惚けた声を出した。
「かわいいなー」
「かわいいなー」
またも同じ言葉が口に出る。
「どうだ、ショウ。葵ちゃん、かわいいだろ」
そう言って、葵の消えたドアを見つめていた翔虎の肩を寺川が突いた。
「あ、ああ、そうだね。やっぱり、実物は違うっていうかさ……」
「だろ! 葵ちゃんは、あんまり写真やテレビ写りがよくないから損してるんだよ。一度その目で見てみろ!」
寺川は、ばしばしと翔虎の肩を叩く。
「普段はメガネ掛けてるんだな」
と、弘樹が言った。
「そうなんだよ。仕事の時は裸眼かコンタクトだけどな。メガネもいいよな!」
寺川の力強い答えに弘樹は、
「そうだな!」
と、同じように力強く答えてから翔虎を向いて、
「そういえばさ、ショウ、お前、葵ちゃんと何か話してた?」
「え? あう、うん。一年生? って。それだけ」
「そっか。おい、もう会場行こうぜ。立ち見もヤバくなるぞ」
「おお!」
弘樹と寺川は駆け出し、その後を翔虎も追った。
翔虎と葵の会話は、握手の直後で惚けたままだった二人には聞こえていなかったようだった。




