第10話 嵐を呼ぶ中間考査 1/5
週明けの月曜日。
明日からの中間考査を控え、東都学園高校内は、わずかに空気が張り詰めている。特に高校入学して初めての試験となる一年生の教室周辺に、それは顕著だった。
「翔虎、昨日教えた勉強、わかった?」
朝の一年四組教室。直は、自分の席で上の空という表情で頬杖を突く翔虎に向かって言った。
「あ? う、うん」
「大丈夫? 寝不足は試験の大敵だからね。今日は勉強は程々にして、早く寝るのよ」
「わかってるよ……」
翔虎が答えると予鈴が鳴り、教室内の生徒らが次々に廊下へ出始めた。
東都学園高校では、毎週月曜日に全校朝礼を行っている。全生徒が体育館に集まり、校長の話を聞き校歌を歌うという、創設以来続く恒例の行事だった。
翔虎は、少し前を歩く直の後ろ姿を見ながら廊下を歩いていた。
昨日、日曜日の家での出来事。
あの後、二人は翔虎の母親が出してくれたおやつを食べ、何事もなかったかのように勉強に戻った。夜になり、直は翔虎の家族と一緒に夕食を食べ終わると、見送りに出た翔虎の家族に手を振って帰って行った。母親が翔虎に家まで送っていくよう言ったが、直は、近くだから、とそれを固辞し、そんな暇があったら勉強しなさい、と言い残して帰宅したのだった。
翔虎はそれから勉強にはほとんど手を付けないまま、白いクッションを抱いてベッドに横になっていた。抱いているクッションは、いつも直が使っているものだ。
勉強をするでなく、本を読むでなく、ただ、ほとんどの時間をベッドの上でまんじりともせずに過ごしたのだった。
「ショウ」
後ろから声を掛けられ、翔虎は我に返ったように振り返った。弘樹だった。
「よう、ヒロ」
翔虎はいつものように返事をした。
「どうした? ショウ、 元気ないぞ」
「そんなことないって、あ、いや、元気あるほうがおかしいだろ。明日からテストだぞ」
「お前、思い出させるなよ」
「今の今までよく忘れていられたな」
「そんなことよりな……」
「テストを、そんなこと、って……」
「今日の朝礼。理事長が挨拶するらしいぞ」
「理事長? パンフレットに載ってた、あのチョビ髭の?」
「それがさ、新しい理事長だって」
「新しい理事長?」
「そうなんだってよ」
弘樹は上目遣いになって、
「どんな人が来るかな? 三十代くらいの背の高い、タイトなスーツを着た髪の長い美人だといいな」
「お前はロリコンなのか年上好きなのか、はっきりしろ」
「何で俺がロリコンなんだよ」
「ディールナイトに欲情してただろうが、あんな小さな……お、女の子に」
「ああ、くるみちゃんのことか」
「だから、その名前やめろ!」
「どうしてだよ。あ、聞いたぞ、ショウ、お前の名付けた〈ディールナイト〉って、本人公認になったらしいな」
「あ、ああ、そうみたいだね……」
翔虎が前を向くと、直は歩みを遅くして、翔虎、弘樹のすぐ前に来ていた。わずかに振り返った直の目が告げている、『発言には気を付けろ』と。その視線を受けた翔虎は、
「いやー、光栄だよ。本人に採用されるなんて、はは……まったく、どこでその名前を知ったんだろうな……」
「やっぱりさ、自分がどう見られてるか、気になってるんだよ。町の噂話とか、ネットとかもチェックしてるに違いない」
「ああ、そうかもね」
「うらやましいぞ、この」
弘樹は肘で翔虎の脇腹を小突く。
翔虎は直を窺う。直は、もう一度振り返ってから前を向き歩いていった。『合格』と、その目は言っていたようだった。
「えー、今日は、新しく就任した、本校理事長からの挨拶があります。では、理事長、よろしくお願いします」
いつもの弁舌は控えめにして、校長は最後にそう言って壇上を下りた。
代わりに壇上に上がったのは、精悍な顔つきの壮年の男だった。
えんじ色のスーツ、ブラウンの革靴。全体的に細身だが、鍛えられた体であることが分かる。白いシャツの上からは、程よく鍛えられた胸板が見て取れる。首には、紺色のネクタイが巻かれている。
白いものが混じり始めたばかりといった頭髪は、後ろに撫でつけられ、精悍な顔をより引き締めている。
壇上に上がり、マイクの前に立った新理事長は、しばらくそのままの姿勢で、マス目状に整列した全校生徒を見回して、
「おはよう。私が新しく東都学園高等学校理事長に就任した、神崎雷道だ。〈神様〉に長崎の〈崎〉、〈雷〉に〈道〉と書く」
低音だがスマートな声をスピーカー越しに体育館へ響かせた。続いて、
「諸君」
全校生徒をもう一度見回し、
「東都学園高校の生活はいかがかね。充実した毎日を送れているだろうか。高校生活の三年間というものは、人生の中においてもっとも大切な時間だ。この三年間には全てがある。歓喜、苦悩、快楽、挫折、そして……」
神崎は言葉を止め、もう一度全校生徒を見回してから、
「後悔。……およそ青春時代を思い返して、後悔などひとつもない、と言える大人はいないだろう。諸君らも例外ではない。いずれ大人になり、この学園生活を思い返した時、必ず、後悔という青春の忘れ物がひとつや二つあることに気が付くだろう。
だから……自分にブレーキを掛けないでほしい。やりたいこと、自分が欲するものに対して決して躊躇しないでほしい。たとえそれが、自分や他人を傷つける結果となっても。過ちを犯せることも、若さの特権のひとつだ。
大人になってからの過ちには、修正が効かない。大人は決して間違えることを許されない。間違えた行動を取れば、必ず報いとして返ってくる。だが、君たちは若い。若いうちに、どうか多くの過ち、失敗を経験してもらいたい。大人になってからの過ちは、高く付く。
諸君らの高校生活が、充実したものであることを祈っている。それでは」
一気に話し切ると、神崎は大股に壇上を下りた。
校長の合図による校歌斉唱の頃には、すでに神崎の姿は体育館にはなかった。
「僕さあ」
体育館から教室へ戻る廊下で、翔虎は弘樹に声を掛け、
「あの理事長の挨拶がさ、くわっ、と目を見開いて、『わしが東都学園理事長、神崎雷道である……以上』って終わるかと思って、盛大にコケる準備してたんだよ」
「何だよそれ」
わけがわからん、という顔で弘樹が答えた。
「なにそれ?」
二人の隣を歩く直も、きょとんとした顔をした。
「何だよ、あの理事長」
三人の後ろから声を掛けたのは、チームヒロの一員、寺川だった。
「熱血教師、じゃなかった、熱血理事長かよ。俺、引いたぜ、あの挨拶」
「ああ、ちょっと場違いっていうか、無駄に熱いよな」
そう答えたのは弘樹だった。
「そう?」
直は、その意見に対して、
「私は、いい理事長だと思うけどな。本音で語ってくれるって感じ? ちょっと、ぐっと来ちゃった」
「成岡、ああいうおっさんが趣味なのかよ」
と、弘樹が突っ込む。
「違う! 話の内容に! でも、確かに理事長いい体かも。鍛えてそう」
「はい出た。成岡のマッチョ好き」
「マッチョ好きじゃない! 男子と話するとこれだから嫌だわ」
直はそう言い残して翔虎たちから離れ、女子生徒のグループに合流した。
「……後悔しないように、か」
翔虎は女子と笑いながら喋る直を見て呟いた。




