第9話 ストレイヤーの謎 4/4
特訓場所となった山裾からの帰り道は、直の家のほうが手前に位置していたため、先に直を下ろした。
そこから翔虎の家まで行く間、車内は翔虎と亮次の二人だけになる。
「なあ、翔虎くん、直くんのことはどうなんだ」
「どう、って……」
「好きなんだろ」
「ち、違いますよ……」
シートベルトの下で体を揺すって否定する翔虎に亮次は、
「翔虎くん、もう私たちの間に隠し事はなしにしよう。男と男じゃないか」
「……どうして、そう思うんです」
「見てたらわかるよ」
「わかりやすかったですか?」
亮次は、ああ、と答えた。それを聞いた翔虎は、
「そうですか……でも、直のほうは全然でしょ」
「直くんは、逞しい男性が好みだと言っていたな」
「そうなんです。直、好きになる人は、いつも運動部のエースとかばっかりで。あとは、ハリウッド映画のアクション俳優とか」
「翔虎くんも鍛えればいいじゃないか」
「僕は、こんな見た目だし……」
翔虎は横を向いて助手席の窓に映った自分の顔を見た。
辺りは薄暗くなり、窓ガラスには翔虎の顔がよく映っていた。浮かない表情だった。
「この顔の下にムキムキの体が付いてたら、気持ち悪くないですか?」
ははは、と亮次は笑ったが、
「……いや、これまた失敬」
口を尖らせて睨む翔虎の視線を受けて笑うのをやめ、
「そう極端に考えなくてもいいじゃないか。筋肉ムキムキか、ガリガリかの二択しかないのか? 翔虎くんの中には。痩せてても引き締まった逞しさっていうのもあるぞ」
「そうですけどね……」
「翔虎くん、逞しくなったよ」
「え?」
「本当さ、初めて会った頃よりはずっと」
「ディールナイトになって戦っているおかげですかね」
「直くんがいいこと言っていたじゃないか、〈だろう〉よりも、〈かもしれない〉で行けって」
「それが?」
「恋愛でもそうだよ」
「相手が自分のことを〈好きだろう〉よりも、〈好きかもしれない〉って考えろってことですか? どっちもあんまり変わらないような」
「ちょっと違うな。〈だろう〉のほうを変えるんだよ、相手が自分のことを、〈嫌いだろう〉って考えるんじゃなくて……」
「〈好きかもしれない〉?」
「そういうこと。ちょっと何か飲んでいくか」
車はすでに翔虎の家のそばまで来ていたため、亮次は近くのコンビニの駐車場に車を入れた。
翔虎は亮次にコーヒーを買って貰い、亮次はペットボトルの水を買って、二人は車内に戻った。
亮次は話を再開させる。
「自分は相手に嫌われてるだろう、って考えると、もう何もできなくなるだろ。例えば、デートに誘うことを考えてみてくれ。自分なんかがデートに誘ったら、相手は嫌がるに違いない。なぜなら、自分は相手に嫌われてるから」
「わかります」
翔虎はコーヒーをひと口飲んで答えた。
「翻って、相手が自分のことを好きかも知れない、っていう考えのもとにデートに誘うとしたら、どうだ?」
「どう、って……」
「相手は自分のことを好きかもしれないんだぜ。デートに誘ってくれるのを待っている、って思えてくるだろ」
「それは、ポジティブシンキングすぎると思うなあ……」
「デートに誘う、っていう行動を、ネガティブに捕らえるか、ポジティブに捕らえるか、の差だよ。嫌われている、と思っている相手をデートに誘うってことは、相手に嫌なことをさせようとしている、ってことだ」
「まあ、そうですね」
「じゃあ、好きかもしれない、って相手に対しては、どうだ? デートに誘われたがってる相手をデートに誘うんだから、相手の望むことをやるってことになるだろ。自分はいいことをしているんだ、っていう気持ちになる。自分の行動に理由付けをしてやるんだよ」
「自己暗示みたいなものですか」
「そうだな。人を好きになるって、暗示にかかるみたいなものだよ。それに」
「それに?」
「やらなかった後悔は、やって失敗した後悔よりもつらい、ってよく言うだろ? あれは本当さ。
やるだけやっての失敗は、むしろ後になってから自信になる。結果はともかく、自分は、いざというときに行動できる人間だ、っていう自信にね。
でも、やらずに背負った失敗は、後悔としてしか残らない。あのとき、どうして勇気を振り絞ってやらなかったんだろうって、ずっと傷として心に残るものさ。苦い記憶と一緒にね……」
「……体験談ですか?」
「まあね……さあ、もう行くか、すっかり暗くなってしまった」
亮次は手を付けなかったペットボトルをダッシュボードに入れて、エンジンを掛けた。
「ごめんくださーい」
翌日の昼過ぎ、直は翔虎の家の玄関のドアを開けて声を上げた。
「あらあら……」
翔虎の母がスリッパの音もパタパタ、応対に出て、
「いらっしゃい、直ちゃん。翔虎は自分の部屋だから。ああ、上がって」
「はい、お邪魔します」
「悪いわねえ、翔虎の勉強見てくれるんだって? テストがあるのは、直ちゃんも同じなのにねえ」
「いえ、私も自分の勉強もしますから」
翔虎の母の後に続いて、直は階段を上がり翔虎の部屋の前まで来た。直が履いてるネコの模様の赤いスリッパは、翔虎の家での直専用スリッパとなっている。
「翔虎、直ちゃん来てくれたよ」
そう言いながら翔虎の母はドアを開けた。
翔虎は部屋の中央に置かれたローテーブルに向かいノートと教科書を広げていた。
「じゃあ、後でおやつ持って行くからね。夕御飯も食べていってくれるんでしょ?」
「ご馳走になりまーす」
直は手を振って翔虎の母が階段を下りていくのを見送った。
「……さて」
直は部屋の中を振り返って、
「翔虎、勉強しようか」
「いや、してたし」
「嘘。空気でわかるから。同じ高校生なんだから誤魔化せないわよ」
直は翔虎の向かい側に座り、翔虎の教科書を取り上げた。
「あ! 何するんだよ」
教科書の下には、新書がページを開いた状態で置かれていた。
「やっぱり、本読んでたね……」
翔虎が手を伸ばすよりも早く直はその本も取り上げると、
「なになに……『セパレートゼロ』あ、これって」
「そう、矢川先輩のデビュー作」
「もう読んだんでしょ」
「何回でも読みたくなるんだよ。それくらいの傑作なの」
「はいはい、テストが終わったら、穴が空くほど読んで下さいな」
直はベッド脇に置いてある、いつも使っている白いクッションを持ってくる。それをラグの上に敷いて翔虎の隣に腰を下ろし、鞄から自分の教科書やノートを取り出した。
「翔虎、現国は問題ないよね。じゃあ、数学から始めようか」
「いきなりラスボスからかよ」
「苦手分野を徹底的にやらなきゃ。さ、始めるよ」
直はそう言うと上着を脱いで翔虎のベッドの上に放り、赤と白のチェック柄の半袖シャツ姿になった。
「半袖着てきたんだ……」
「うん、今日少し暑いから。そんなことはどうでもいいの。ちょっとノート見せてみて……」
直が翔虎のノートを捲る間、翔虎は直の白い二の腕に視線を向けていた。
「翔虎」
「……うん?」
「近い」
そう言われて翔虎が視線を上げると、直の顔がすぐ横にあった。「近い」と言った時、わずかに直の吐息が翔虎の頬にかかった。
「ご、ごめん……」
翔虎は尻でラグの上を這うように座る位置をずらす。しかし、その動きの割りには、翔虎はあまり直から離れてはいなかった。
「私の話、聞いてた?」
「もちろん……」
二人は視線を合わせた。
「どうも集中力がないな、翔虎は……」
「そ、そうかな……」
翔虎は頬を掻いた。直は、
「ねえ、疲れる?」
「え? そうでもないけど」
「今じゃなくてさ」
直は部屋のドアに目をやってから、少し小声になり、
「ディールナイトになって戦った日とか」
「ああ……」
翔虎も声を抑え、
「そうだねー。戦いがあった日は、帰ってくるとご飯食べてお風呂入って、もう寝ちゃうな。寝ようと意識しなくても、自然と寝ちゃうんだよね。十時間くらい寝た日もあったよ」
「大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫だよ。結構慣れた」
ふーん、と直は、翔虎の体に視線を這わせ、
「ねえ、ちょっと筋肉付いてきたんじゃない?」
「そ、そうかな?」
と、翔虎も自分の体に目をやる。
「そうだよ」
「……た、逞しくなった、かな?」
「うん」
「そ、そう……」
翔虎は少し微笑んだ。
「ねえ、ちょっと見せて」
直は翔虎のシャツの裾に手を掛けて捲り上げる。
「な! 何するんだよ!」
「しー! 声が大きい。ディールナイトのこと話してるんだから。翔虎のお母さんたちに聞こえるよ」
「今のこれ、ディールナイトに関係ある?」
翔虎の声に構わず、直はシャツをまくり翔虎の腹を見て、
「腹筋、出て来たね」
「そう……かな」
「そうだよ。ねえ、ちょっと力入れてみて」
「ふんっ」
翔虎は腹に力を入れた。
「うわ、結構いってるね。凹凸ある……」
直が翔虎の腹筋を撫でると、
「あ……」
「何、変な声出してるのバカ!」
直は翔虎のシャツを掴んで勢いよく戻した。
「だって、直が……」
「だって、じゃない! ……ねえ、何とかしたほうがいいんじゃないの?」
「何が?」
「あんまり凄い体になるとさ、いくらあんな鎧着てたって、男だってバレるよ。おなかは露出してるんだから」
「そ、そうとは限らないだろ。女性のボディビルダーで、凄い筋肉してる人いるし……」
「ふーん……」
「な、何だよ……」
「翔虎、そういうの詳しいんだ」
「詳しいとか、そういうんじゃなくて――」
「ムキムキの女の人が好みなの? 女子アスリートみたいな?」
「ち、違くて……」
「ちょっとパソコンの保存画像見せてみて」
「やめろって!」
立ち上がり机の上のノートパソコンに手を伸ばす直を追って、翔虎も立ち上がった。
「わっ!」
と、直は声を上げた。
立ち上がった翔虎は勢いを付けすぎたせいか、中腰の姿勢だった直の体にぶつかり、ベッドの上に倒れ込んでしまった。
仰向けで上半身をベッドに寝かせる直。その上に向かい合う形で翔虎。
翔虎の手は直の顔の横に突き、腕の長さの距離で二人は視線を合わせた。
「……直」
「……」
直は黙って翔虎を見る。
翔虎の喉が、ごくり、と鳴った。
「やだ」
「え?」
「翔虎、生唾飲み込んだ……」
「え、あ、これは……」
「ねえ……」
「何……?」
「どかないの?」
「え、あ、あ、うん……」
翔虎はそう答えたが、両手は未だ直の顔の横に置かれたままだった。
「ねえ……」
「な、何……」
「……翔虎、私のこと……好きなの?」
「え? ち、ちが――」
翔虎が、びくりと体を震わせると、その隙に直は、するすると翔虎の手と体の間を抜けて元のクッションの上に腰を落ち着かせた。
「何だ、違うんだ……」
「直……」
「直ちゃーん、おやつと飲み物もあるから、運ぶの手伝ってちょうだーい」
階下から翔虎の母親の声が聞こえた。直は、
「はーい」
と返事をして立ち上がり、部屋を出た。階段を駆け下りる音がだんだんと小さくなっていく。
翔虎はひとり、ベッドに両手を付けたままの姿勢でドアのほうを見て、
「『何だ』って……何?」
そう呟いて、視線を直のお尻の形が僅かに残った白いクッションに向けた。
――2016年5月8日




