第5話 学園の戦い 1/5
新学期が始まってから数日が過ぎた。
今日は新学期生活初の金曜日であり、明日は初の週末だ。
その間、翔虎と直はごく普通の高校生活を享受していた。
起床してバスに乗り登校。授業を受け、休み時間には弘樹との会話に花を咲かせ、放課後は文芸部へと赴く。
文芸部は他の部活動と違い、明確な目的があるわけではない。銘々が読書をしたり、執筆活動をしたり、思いのままに過ごすだけに見える。
設立当初に掲げられた活動方針からして、
『文学作品に積極的に触れることにより、豊かな感性と教養を学ぶ』
という曖昧なものだったと、翔虎は部長の美波から聞かされた。
翔虎と直も、その活動方針に従って本を読んだり、矢川がパソコンに入力している、恐らく、作家『速水疾駆狼』としての次回作であろう原稿が気になるかのように目配せしたり、時にはこころから(これは翔虎だけが)使いっ走りをさせられたりという部活動生活に身を置いていた。
翔虎と直が普通の学園生活を享受できているということは、その間、ストレイヤーの出現が確認されなかったということでもある。
美波は、翔虎が入部時に宣言した、「度々不参加や途中退場も行う」という行為が成されていないことで、逆に「今日も部活動に出て大丈夫なの?」と、翔虎と直を気遣う言葉まで掛けていた。
「矢川先輩、それって、もしかして次回作ですか?」
金曜日の放課後の文芸部室。翔虎は、矢川がノートパソコンに向かってキーを叩く手を休める隙を狙っていたかのように話しかけた。
「ああ、そうだよ。でも全然進まなくってね」
矢川は両腕を上げて軽い伸びをしながら答える。
「そうなんですか? でも結構な勢いでキーを叩いてたじゃないですか。今日だけじゃなくって」
「書いては消しての繰り返しだよ。早くも才能が尽きたのかも」
「そんなことないですって!『セパレートゼロ』すごく面白かったですもの」
翔虎は速水疾駆狼デビュー作を讃えた。
「ありがとう。そんなに良かった? ネットの評判だと、古くさいって意見も結構あるけど」
「それは違いますよ矢川先輩」
翔虎は読んでいた本に栞を挟んで机に置き、
「『セパレートゼロ』は古くさいんじゃないんです、あれは〈王道〉なんです。奇をてらった叙述トリックでも、本格ミステリを出汁にした、いわゆる〈脱格〉や〈壊格〉でもない。魅力的な謎が、名探偵の鮮やかな推理によって解かれるという。これぞ本格ミステリ、と言っていい名作です。『セパレートゼロ』は、そこに現代ならではのネット技術なんかが絡んできて。選考委員の誰かが言ってましたよね、『今、現代に書かれるべきミステリだ』って。的を射た表現だと思います」
「ありがとう尾野辺くん、ベタ褒めで怖いくらい嬉しいよ。でも、ルシファー賞ってさ、さっき尾野辺くんが言った、脱格や壊格系の作品が受賞しやすい、みたいな風潮じゃない。だから、俺の作品が選ばれたって聞いて驚いたんだよ」
「それはですね先輩。本当はみんな『セパレートゼロ』みたいな〈超本格〉が書きたいんです。読む方だってそうです。本格を読みたい。でも、本格って容易に書けない。絶対数が少ない。だからみんな脱格や壊格に逃げてるんです。本格が書けないっていうコンプレックスが生み出した、好きの裏返しなんです、脱格や壊格は。それと、過去のミステリ作家が生み出した名探偵を出汁にして遊んでるようなものもありますよね。ああいうものだって、そうです」
(※翔虎の個人的な見解です)
「はは、厳しいね尾野辺くん」
矢川は笑う。それを聞いていた美波も、本を読む手を止めて、ふふ、と笑みをこぼした。
「あ、あれ? 何か変なこと言いましたか、僕……」
「こころちゃんが今書いてるのが、そんな感じの小説なのよ」
美波はそう言ってこころを見た。
「え? こころ先輩も小説書くんですか?」
「うるさいわね尾野辺! 驚くポイントが微妙にズレてるです!」
こころは読んでいた本を栞も挟まずに机の上に置いて叫んだ。
「どんな話なんですか? 教えて下さいよ」
「ダメダメ! 絶対に教えない」
「というか、こころ先輩がパソコンに向かってるの一度も見たことないですけど」
「私は家で書く派なの!」
「少しくらい教えてあげてもいいじゃないの、こころちゃん。何かいいアドバイスが聞けるかもしれないわよ」
「みなみな先輩の頼みでも、それだけは駄目です。こいつ、絶対難癖つけてボロクソに酷評するに決まってます」
「えー、私は面白いと思うわよ、『時空探偵トキオ』」
「わー! どうしてタイトル言っちゃうんですか! みなみな先輩なんて嫌いです!」
こころはそう言い残して部室を飛び出していった。
「時空探偵?」
本を読みながらも、一同の会話に耳を傾けていたのだろうか、直が本のページから目を上げて美波に向かって言った。
「そう、主人公の私立探偵がね、時空の波に飲み込まれて、色んな名探偵のいる世界に迷い込むの。〈エラリー・クイーンのいる世界〉とか、〈明智小五郎のいる世界〉とか。そこで巻き込まれる事件を解決していって、最後は今まで出会った名探偵たちが一同に介して、モリアーティ教授とか、怪人二十面相とかで結成された悪の組織に戦いを挑むっていう」
「何だか『仮面ライダーディケイド』みたいですね」
「滅茶苦茶だけど、面白そうじゃないですか」
翔虎と直はそれぞれ、『時空探偵トキオ』のプロットに対しての感想を述べた。
「そうよね、面白そうよねー。矢川くんも、いいんじゃない、って言ってくれたしね」
「でも」
と、美波の言葉を受けて矢川は、
「こころくんがそれを書くのは、正直、荷が重すぎますよ。高校生の素人が書ける内容じゃないですよ。古今東西のミステリを読み尽くしたベテラン作家でもないと、処理しきれないと思いますよ」
「そうよねー。それでこころちゃん、まずは古典ミステリの読破からって、執筆を休んで読書に掛かりっきりなのよね」
美波はこころが置いていった本に目をやった。それは、エラリー・クイーン著『フランス白粉の謎』だった。
「……え? クイーンの、まだ二作目じゃないですか」
それを見た翔虎は、そう言って絶句した。
「そう。一年生の二学期途中から始めて、ホームズ、ポワロものは読破して、やっとクイーンに辿り着いたの」
「それが終わったら、カー作品の、H・Mとフェル博士もの、クリスティとクイーンに帰って、ミス・マープル、レーン四部作、さらには明智、金田一の国内ものが控えてるからね、先は長いよ」
こころの良き先輩である美波と矢川は、『時空探偵トキオ』をものにするための、こころの読書遍歴とこの先の予定を教えてくれた。
「うわー、大変ですねー」
直はこころの苦労を忍ぶように言った。翔虎も続けて、
「面白そうじゃないですか。それに、作品を書くために古典を読んで勉強してるなんてすごいですよ。こころ先輩のこと、ちょっと見直しちゃったな」
「それ、こころちゃんに言ってあげてよ。喜ぶわよ」
「そうですね――」
美波の言葉を受けて返事をした翔虎は、そこで口を止めて、ブレザーの胸の辺りに手をやった。その下では、内ポケットに入れた携帯電話が振動していた。
「南方先輩、ちょっと僕……」
「あら? もしかして急用?」
「は、はい」
「いいわよ。入部時の契約だからね。いってらっしゃい」
「ありがとうございます。それじゃ」
翔虎は頭を下げて部室のドアに向かった。それを見た直も、
「私も失礼します」
と、同じように頭を下げ、翔虎と直はほど同時に部室を出た。
「仲がいいね、尾野辺くんと成岡さんは」
二人が出て行ったドアを見つめて、矢川は言った。美波もドアを見ながら、
「そう。幼なじみなんだって」
「そうなんですか。もしかして、成岡さんって、部長のライバルですか?」
「え? ライバル?」
「耳に挟みましたよ、〈尾野辺翔虎ファンクラブ〉のこと」
「あら、矢川くんにも知られちゃったのね。まあいいけど。うーん、どうだろ。直は翔虎ちゃんのこと、異性として見てないんじゃないかって感じるけど」
「それは中学時代の話でしょ? わかりませんよ。尾野辺くん、聞いていたのとちょっと違って、意外に逞しいじゃないですか。男の魅力を感じるようになるかも」
「そうなのよねー。翔虎ちゃん、前より随分と男らしくなった感じがするの」
「男子三日会わざれば、ってやつですか」
「相変わらず線は細いけど、中学の頃よりもずっと筋肉付いてるんじゃないかしら。今度脱がせて確認してみないと……ふふ」
美波は顔を赤くして恍惚の表情を浮かべた。
「部長、その言い方だと、中学時代に尾野辺くんを脱がせたことがあるみたいに聞こえますけど……もしかして……」
冷や汗を流しながら矢川がそう言った直後、廊下を疾走してくる足音が聞こえ、部室のドアの前で急停止したと思われる廊下と靴底が擦れ合うブレーキ音が。そして、ドアが勢いよく引き開けられると同時に部室に飛び込んできたこころは、そのまま美波の胸にダイブした。
「うう、私がみなみな先輩のことを嫌いになんてなれるわけないじゃないですか! みなみな先輩! 私、絶対に『時空探偵トキオ』を完成させます! 翻訳のミステリは文体が硬くて読みにくいし、登場人物の名前もカタカナばっかりで憶えづらいですけど、私、頑張って読みます!」
「うん、頑張ろうね」
微笑みながら、美波はこころの頭を撫でた。
「あれ? みなみな先輩。顔が赤いですよ?」
美波の胸から顔を上げたこころは、美波と視線を合わせて言った。そして部室を見回し、
「それに、新入生はどこに消えたんですか?」
「……はい、いつものように校門で」
部室を飛び出てから、男子トイレに入り電話をしていた翔虎は、そう言って電話を切ると廊下に出た。
「あ、直」
「亮次さんからね」
トイレの前では、直が待ち構えていた。
翔虎は周囲を見回し、直以外の生徒の姿がないことを確認してから、
「うん、ストレイヤーが出た」
「行こう」
「ちょ、ちょっと……」
階段に向かって走り出そうとする直を止めて翔虎は、
「直はいいんだよ。僕ひとりで行くよ」
「何? 私がついてきたら邪魔だって言いたいの?」
「別にそう言うわけじゃ……」
「じゃあいいでしょ。行くわよ」
仕方がない、という表情を浮かべて、翔虎も直の後を追って階段を駆け下りた。
「こら、廊下は走らない」
一階まで下りて、下駄箱に向かって廊下を疾走していた翔虎と直は、背後からその声を受けて立ち止まった。
「あ、生徒会長の……」
振り返って声の主の姿を見た翔虎は、そう言って固まった。
「はい、生徒会長の霧島凜よ」
凜はその豊かな胸の下で軽く腕を組む。
「すみません会長。ちょっと急いでいたものですから……」
直も振り返って凜の姿を確認すると、そう詫びた。
凜は翔虎のネクタイと直のリボンの色を見て、
「新入生ね。この時間まで学校にいるということは、どこか部活に入ってるのね?」
「は、はい、文芸部です」
翔虎が答えると、凜は、
「文芸部。みなみな――南方美波さんのところね」
「はい。部長のこと、御存じなんですか」
「ええ、南方さんとは友達なの」
「あ、あの、私たち急いでるんで……」
直がそっと申し出ると、
「あら、ごめんなさい。でも、廊下は走っちゃ駄目よ」
「は、はい。すみませんでした。行こう、翔虎」
「うん、会長、それじゃ失礼します」
二人は、廊下を走ることなく、しかし早足で生徒用玄関に向かった。
「会長、部長と知り合いなのね」
「そうなんだね……しかも、部長のこと、こころ先輩みたいに、『みなみな』って呼んでるんだ……」
直と翔虎はそんな会話を交わしながら玄関を出た。
二人が校門を出るのと、校門前にオレンジ色のSUVが横付けするのはほぼ同時だった。




