第64話 燃えよ東都学園 1/5
直は校舎最上階、四階の廊下を走っていた。
屋上で無数のイーヴィルに包囲され、迎撃し続けることが困難となった直は、ディールドローンβを囮に使い敵を引き付けた。その隙に直は屋上の床を数回錬換して穴を開け階下の四階に逃れていた。開けた穴は、錬換されたバギーカー等の武装が引っかかるように塞いでいるが、イーヴィルの群れがそれを破壊して追ってくるのは時間の問題だろう。
直は立ち止まると廊下を見回して一度変身を解き、再びディールガナーに変身しなおした。傷だらけだった鎧は塵になって消え、新しい鎧を直は装備した。
「ふう」
そのまま壁に背中をつけてひと息ついた直は、タッチパネルを操作して、
「……駄目。やっぱり通じない」
翔虎へ通信したが、繋がることはなかった。
「翔虎……無事なの?」
直は窓を見る。怪物が群れをなして校庭を、空中を埋め尽くしていた。
廊下に音が響き、直は顔を向けた。何かが落下する音、続いて足音と羽音のようなものも聞こえ始める。
「追ってきたわね」
直はアサルトライフルと大型オートマチック銃を錬換、さらにドラムを回していたところで、廊下の角から敵が姿を現した。直はライフルで迎撃しつつ廊下を走る。
「卒業式……みんなは……?」
直は体育館方向に向かった。が、下りようとしていた階段の下からも足音が聞こえてくる。
「下からも校舎に侵入したの?」
直はその階段を諦め、廊下を走り続けた。
神崎雷道の腹部に巻かれた応急の包帯は、見る見る血で染まっていく。傷口を押さえる新田の両手も真っ赤に濡れていた。
「理事長、大丈夫なんですか?」
新田の補佐をしている女子生徒が涙目で訊いた。
「今のところはね。でも、早くきちんとした処置をしないと、危険よ」
新田の答えを聞くと、女子生徒はすすり泣きを始めた。神崎は荒い息を吐き続けたまま、ずっとまぶたを閉じている。
「続きを始めましょうか」
黒と金色の鎧姿。リヴィジョナーが右腕を上げた。前腕部鎧が変形した剣もまた、赤く染まっている。
「次の犠牲者は、誰です?」
リヴィジョナーは生徒たちを見回した。
「俺だ!」「私も!」
男性教師の数名が名乗りを上げて前へ出た。一年四組担任木下の姿もある。
「駄目です。今度こそは、子供に死んでもらわないと」
「ふざけるな! 生徒が教師より、子供が大人より先に死ぬなんて許されるはずがない! 殺すなら俺を殺せ。その代わり、生徒たちは全員解放しろ」
リヴィジョナーに対して木下は声を荒げた。
「……ポーズではない、本気のようですね。あなたのような大人ばかりであったら、この星はこのような状況になってはいなかったでしょう」
言いながらリヴィジョナーは木下に近づく。木下は一歩も引かない。目の前に立ったリヴィジョナーは、左手で木下を殴り飛ばした。
「先生!」
数メートル吹き飛び床に体を打ち付けた木下に、生徒たちが駆け寄る。
「……あなたにしましょう」
リヴィジョナーは近くに座っていた女子生徒の首を掴み、無理矢理に引き起こした。生徒たちから悲鳴が上がる。
「待て! 俺にしろ!」
烏丸紘一が叫びながら立ち上がった。
「烏丸会長! わ、私も……」
円山友里も続いて立ち上がったが、烏丸に厳しい目で見つめられると動きを止めた。
「円山くん、俺がいなくなったら、みんなのことを頼むぞ」
「烏丸……会長」
友里の頬を涙が伝った。
「さあ、殺すのなら俺をやれ!」
烏丸は堂々とした足取りで、女子生徒の首を掴んだままの敵に近づく。
「……いいでしょう」
リヴィジョナーは手を離した。女子生徒は床に崩れ落ちる。
「あなたのような、精神的支柱となり得る人間を先に殺したほうが、絶望感は余計に高まるでしょうしね」
烏丸の喉元に剣の切っ先が突きつけられる。
「首を撥ね飛ばします。よりインパクトのある死に方のほうがいいでしょう」
悲鳴と泣き声が上がった。烏丸は敵の姿を真正面から見据えて、
「俺ひとりの命で、みんなを助けてくれと言っても、聞いてはくれないんだろうな」
「当然でしょう。取引が成立する状況だと思うのですか?」
「やめなさい!」
叫びが聞こえた。上から。天井に張り付けにされている霧島凛の声だった。
「私を殺しなさいよ! 私は他のみんなと違うわ! あなたと戦える力を持っているのよ! 早く殺しておいたほうがいいでしょ!」
「霧島会長!」
烏丸は凛に呼びかけて、
「あなたは生きて下さい。そして、その力で必ず、みんなを助けて下さい。あなたは、生きなければならない」
「烏丸くん……」
凛の両目から涙がこぼれ落ちる。
「そろそろにしましょうか」
リヴィジョナーは、ゆっくりと右腕を振りかぶった。烏丸は微動だにしていない。友里の、第二生徒会メンバーの、生徒、教師全員の視線が烏丸に刺さる。烏丸を見ていないものは、例外なく顔を伏せて泣いていた。
体育館の外、イーヴィルの群れの中から何かの音が聞こえてきた。固いものが何かに激突するような音。それが連続して何回も聞こえる。開け放たれたドアから、数体のイーヴィルを撥ね飛ばしながら一台の車が飛び込んできた。オレンジ色のSUV。
「何事です?」
リヴィジョナーは剣を振り下ろそうとした動きを止めた。車体がボコボコにひしゃげたSUVは急停止して、助手席のドアが開いた。白に青いラインが入った鎧ブーツが体育館の床を踏む。生徒らの間から歓声が上がった。
「……助けに来たぞ」
ディールナイト、尾野辺翔虎が降り立った。白い鎧は土に汚れ、無数の傷が穿たれ、ヘルメットのゴーグルには亀裂が走っている。晒された素肌にもあちこちに擦り傷、切り傷が刻まれ、赤い血が滲んでいた。
翔虎は右手の剣〈スペードシックス〉、左手の短剣〈スペードスリー〉を上げ、二刀流に構えた。
「これは驚きました」
リヴィジョナーは烏丸に向けていた剣を下ろし、ディールナイトに向いた。
友里は走り、烏丸に後ろから抱きつくと、背中に顔を埋めて泣きじゃくる。車の運転席からは亮次が降り、生徒たちのもとに走った。
「亮次さん!」
深井弘樹たちが亮次を迎える。
「みんな、怪我は――」
亮次は言葉を飲み込んだ。その視線の先には、重傷を負った神崎がいる。
「神崎理事長?」
亮次はしゃがみ込む。神崎のまぶたと唇が、うっすらと開いた。
「……亮次……くんか……」
朝礼での講話や、普段の喋りから聞かれるものとはまったく違う、力のないか細い声だった。亮次は、汗に濡れる神崎の手を両手で握りしめた。
「神崎理事長! しっかり!」
「亮次くん……生徒たちを……頼む」
「あなたも生きなければ!」
「ふふ……これは、報いだよ……亮次くん」
「報い?」
「私たちが……あのような欲を出さなければ……〈向こう〉に行き、資源や土地を我がものにしようなどと……そんなことを考えなければ……叢雲博士を巻き込んで……錬換の研究など進めなければ……こんなことには――がはっ」
神崎は真っ赤な血を吐いた。
「理事長! 喋ってはいけません!」
新田が叫ぶ。しかし、神崎はそれに構わずに、絞り出すような、ざらついた声で、
「思えば……亮次くん……君だけは違ったな……〈向こう〉に行くことを、誰よりも楽しみにしていた……あんな酷い目に遭ったというのに……未知の世界への冒険……君の目は輝いていたよ……私は……君が好きだった……〈遺跡〉が動かなくなっていなければ……君はやはり行っただろうな……〈向こう〉に……その胸に欲望ではなく……純粋な好奇心……冒険心だけを抱いて……」
「神崎さん!」
亮次はさらに強く神崎の手を握って、
「私は、すべてを思い出しました。いえ、知りました。私が何者なのか。〈あの日〉のあと、私の身に何が起きたのか。どうして、伯父の業蔵が〈遺跡〉の稼働を止めたのか。神崎さん、あなたにも随分とお世話になった。神崎さん!」
神崎は再びまぶたを閉じていた。亮次の声に応えることもなく、僅かに胸を上下させているだけだった。
「ディールナイトを殺しなさい」
亮次が車を降りた直後から、リヴィジョナーはイーヴィルたちを翔虎にけしかけていた。次々に跳びかかってくる敵を、翔虎は二本の剣で斬り倒していく。
が、翔虎もノーダメージでは済まない。爪、角、牙、打撃。イーヴィルに鎧を掻かれ、身を打たれながらも、しかし翔虎は剣を振るうことは一時も止めなかった。翔虎の周囲は、たちまち怪物の残骸である塵で溢れた。
イーヴィルをけしかけたあと、黙って戦いの様子を見ていたリヴィジョナーだったが、しびれを切らしたように自らもディールナイトに跳びかかった。カマキリのようなイーヴィルを斬り捨てた剣の流れで、翔虎はリヴィジョナーの一刀を受け止めた。
「ディールナイト……思ったよりもしぶといですね」
「だろ」
翔虎は空いた剣で敵の武器を跳ね上げた。即座に剣を振るが、それは盾で防がれる。二刀流の翔虎はさらに剣を叩き込み、敵を防戦に追い込む。
「ディールナイト……生徒たちを人質に降伏を迫ってもよいのですよ」
「やってもいいけど、そうしたらお前の負けだろ」
「……」
「僕を殺して、みんなを絶望の底に突き落とす予定だったんだろ。完全にプランが狂ったってことじゃないか」
「……」
「何だかんだ言ったって、結局人質を取らないと僕には勝てないんだな。お前がでかい面できるのは、何の抵抗手段も持たない子供相手だけか?」
「……ディールナイト!」
リヴィジョナーは叫び、カウンターに強烈な一刀を繰り出した。翔虎はすさまじい剣圧に弾き飛ばされる。イーヴィルたちも一斉に動きを止めた。一瞬にして体育館内は静寂に支配される。
「いいでしょう……人質などという迂遠は手段は取りません。その必要もありませんしね」
リヴィジョナーの声だけが体育館に響き、
「皆殺しです……やれ」
イーヴィルの群れが一斉に生徒たちに向き、跳びかかった。
「貴様!」
翔虎は立ち上がって駆け込んだ。正面のリヴィジョナーだけに目が向いていたためか、真横から襲いかかるイーヴィルにはまったくの無反応だった。トカゲのような外見の怪物が鋭い爪を振り上げる。それは翔虎の喉元を斬り裂く軌跡を描いていた。
「!」
翔虎は自分を襲う敵に気が付いた。が、すでに遅かった。どう防御、回避をしても、鋭い爪に喉を掻き斬られる結果は抗えないかに見えた。
白刃が閃き、翔虎の喉に届こうという爪は怪物本体とともに塵と化した。
「危ないところだったな、ディールナイト」
立ち止まった翔虎に声が掛けられた。怪物を斬り捨てた白刃は、ひとりの男が手にしている日本刀だった。鎧武者のような姿をしているその男は翔虎を向いた。
ひび割れたゴーグルの向こう、呆気にとられた顔で翔虎は男を見つめて、
「……烏丸先輩? その姿は、変身したときの?」
鎧武者の男、烏丸紘一は面頬の奥で微笑んだ。




