第63話 卒業式の惨劇 1/5
東都学園高校の校庭に、生徒会長霧島凛は横たえられていた。ゾディアークの鎧を着て、マスクは破壊され素顔を晒している。まぶたは閉じられ、微かに呼吸音が聞こえることから、気を失っていることがわかる。
凛の両脇には、翔虎と直が立っていた。翔虎は剣を、直はリボルバー銃を、それぞれ手にしている。
長いまつげが微細に震え、凛のまぶたがゆっくりと開かれた。翔虎と直は武器を構え直す。
「……」
自分の左右に立つ二人の鎧の戦士を、凛は眼球の動きだけで見やると、
「尾野辺くん……成岡さん……」
桜色の唇から吐息とともに漏らした。
「会長……」
翔虎は剣を握る手に力を込めて、
「変身を、解除して下さい」
凛は大きな目を向けて、翔虎をじっと見つめる。
「か、会長……変身を――」
「負けたのね」
「え?」
「私が、ゾディアークが負けたのね。ディールナイトとディールガナーに。尾野辺くんと成岡さんに……」
翔虎と直は何も答えなかった。凛は、もう一度まぶたを閉じて笑みを浮かべると、右手で左手甲のダイヤルを掴み、ダイヤル錠を解錠するように、左右に数回回して押し込んだ。ダイヤルが赤く点滅を始めると、素早く二回押し込む。凛の体からゾディアークの鎧は消え去り、制服姿に戻った。夜風が鎧の残骸を、塵を運び去る。凛は左手に残った携帯電話を懐にしまうと、地面に手を突いて起き上がる。
「ありがとう」
凛は、直が差し出してきた手を握って礼を口にした。凛が起き上がると、翔虎と直も変身を解除する。
「ねえ、二人とも」
翔虎と直の顔を交互に見て、凛は、
「これから、うちに来ない?」
「えっ? 会長のご自宅に、ですか?」
直が聞き返すと、凛は頷いて、
「両親は旅行で今夜いないの。明日……もう今日か、今日は日曜日だから、いいでしょ」
翔虎と直は顔を見合わせる。凛は二人の手を取って、
「行こう」
「わっ」
「ちょ、ちょっと……」
翔虎と直は、凛に手を引かれながら校庭を出た。
三人は凛を挟んで横並びに道を歩く。誰もひと言も話をしなかった。
大通りに出ると、凛はタクシーを止めて三人で乗り込み、運転手に行き先を告げる。町中のマンションの名前だった。
「会長の家って、マンションなんですね」
正面玄関前でタクシーを降りた翔虎は、マンションを見て言った。隣では直も高層建築物を見上げている。
「意外だった?」
支払いを済ませた凛は二人の後ろに立つと、背中を押して、
「ささ、入って」
共同玄関に備え付けられたセンサーにカードキーをかざしてドアを開けた。
凛の自宅は二十階建てマンションの十八階だった。凛は自宅ドアもカードキーで開けて、二人に入るよう促す。「おじゃまします」と小さく声を掛けながら、二人は敷居を跨いだ。
「疲れたでしょ。楽にして」
広い居間に通されて、凛からそう声を掛けられると、翔虎はラグの上に体育座りをし、直はソファの端にちょこんと腰を下ろした。凛は暖房を入れると台所に姿を消した。
ひと通り室内を見回した二人は顔を見合わせる。直はソファの端を滑るように移動して翔虎に近づくと、
「翔虎、どうするの?」
「どうするって……思わずついてきちゃったけど……」
「家に連絡しないとだけど、こんな時間だもんね」
直は振り子の付いた掛け時計に目をやった。時刻は午前二時に近い。凛が戻ってきて、二人は居住まいを正すように背筋を伸ばした。
「はい、コーヒー。こんな時間だけど、ノンカフェインコーヒーだから大丈夫よ」
持っているトレイから、楕円形のローテーブルに三人分のカップを移した。シュガーポットとミルクさしが載ったトレイもテーブルに置く。「いただきます」と翔虎と直は同時にカップを手に取った。凛もテーブルの前に腰を下ろし、カップを取ってブラックのままコーヒーをすする。カップから口を離した翔虎は、
「あの、会長、僕たち、あまり遅くならないうちに……」
「あら、今夜は泊まっていってもらうのよ」
「えっ?」
凛の言葉を聞いて、直もコーヒーを飲む動きを止める。
「心配しないで。明日の朝に、私から二人のご両親にお詫びしておくから」
笑みを浮かべながら凛は言った。
「と、泊まるって……」
「そ、そうですよ、私たち、着替えもないし」
「朝までに洗濯と乾燥まで終わるわよ。パジャマは来客用のがあるから。今、お風呂沸かしてるからね」
涼しい顔で凛に言われ、翔虎と直は黙ってしまった。
「来年度は、こころちゃんが部長になるの?」
「え? あ、文芸部のことですか。そうみたいですけど」
凛の質問に翔虎が答え、
「正直、ちょっと不安ですけど……あ! い、今のは聞かなかったことに……」
凛は吹きだして、直はため息をついた。
「成岡さんは? やっぱり、こころちゃんが部長だと不安?」
「い、いえ、私は……立場が人を育てることもあるっていいますし……」
「あ、やっぱり、今のままじゃ不安がってるってことじゃない」
「そ、そんなつもりでは、ですね……」
直の言葉を聞いて凛は、くすくすと笑っている。
「か、会長」
残ったコーヒーを一気に飲み干して、翔虎が喋りだした。凛が顔を向けると、
「あ、あの……今夜のこと、ゾディアークのことなんですけれど……」
そこまで言ったとき、チャイムが聞こえた。次いで、風呂にお湯を張り終えたアナウンスが流れる。
「お風呂沸いたわね」
凛もコーヒーを飲み干すと、
「じゃあ、三人で入りましょうか」
「えっ?」
「か――会長っ!」
翔虎は目を丸くし、直は真っ赤になって叫んだ。
「うふふ、冗談」
凛は両膝立ちになると、
「それとも……成岡さんと尾野辺くんの二人で入る?」
「はっ……入りません!」
直は強い口調で否定したが、翔虎は赤くなって黙ったまま直を見つめる。直も翔虎と目が合うと、
「翔虎も断れ! バカ!」
翔虎の脳天にチョップをみまった。凛は二人のやり取りを見て笑うと、
「じゃあ、私と成岡さんで、先に入りましょう」
「えっ? あ、あの……」
戸惑いを見せる直の手を引いて、浴室に向かった。
「じ、自分で脱げますから……」
脱衣所で凛は、直の服に手を掛けて脱がせにかかる。直は抗うも、結局着ているもののほとんどを凛の手で脱がされることとなった。凛は直の服を脱がせる合間に自分も脱衣し、二人はほぼ同時に裸となった。
浴槽は広く、二人が同時に湯船に浸かるに十分な容積だった。直は、自分は先に体を洗うと、ここでも抵抗したが、結局凛の誘いに乗らされ、一緒に湯に浸かることとなっていた。
「会長、その痣……」
直は、水面越しに見える凛の腹部についた青黒い痣に目を向け、
「それに、他にも傷跡が、あちこちに……」
凛の体には、その痣だけでなく、小さな痣、細かい傷が複数箇所に確認できた。
「ふふ、傷跡は戦士の勲章、でしょ」
凛は笑みを浮かべて、腹部の痣を撫でると、
「それを言うなら、成岡さんだって……」
「きゃっ!」
凛は湯の中で直の体をまさぐり、眺め始めた。
「か、会長……ちょっと……」
「んー? あれ、思ったより痣や傷がないのね」
「わ、私は……もっぱら遠距離戦ばっかりだから……」
「そっか、肉弾戦は、ほとんどディールナイトが、尾野辺くんが担当してるもんね」
そう言いながらも、凛は直の体を撫で回すことをやめなかった。
「会長……もう、やめて……そこ……」
「うふふ、ごめんね」
凛は、ようやく直の体から手を遠ざけた。
「あんまり成岡さんが、かわいい声出すものだから」
直は、上気させた顔でため息をつくと、
「でも、そう考えたら、会長は、いつもひとりで戦っていたんですよね。女の子なのに……」
「あら、そういう言い方って、男女差別じゃない?」
「そ、そんなつもりじゃなくてですね」
「今や、戦う女子なんて当たり前でしょ」
「そうですよね……」
直は下を向いて湯船を見つめたが、凛に「ねえ」と声を掛けられて顔を上げた。凛は、ちらと浴室の出入り口を見てから、
「尾野辺くん、覗きにくるかな?」
「えっ? こ、来ないですよ! 来たらぶっ飛ばしてやりますから!」
直も眉を吊り上げながら出入り口に目を向ける。
「私は、別にいいよ」
「えっ?」
「尾野辺くんにだったら、覗かれてもいいよ」
「かっ、会長! な、何言ってるんですかっ!」
「私、尾野辺くんのこと好きよ」
「会長……」
直は黙って凛の目を見つめる。凛も直の目を見返して微笑むと、
「成岡さんと尾野辺くん、二人のことは、わかってる。だけど……私が勝手に好きでいるくらい、それくらい、いいでしょ」
「会長……か、会長は、翔虎というより、ディールナイトとしての翔虎が好きなだけですよ」
「ふふっ」
「な、何がおかしいんですか?」
「尾野辺くんにもね、同じようなこと言われたの。私が好きなのは自分じゃなくって、ディールナイトだ、みたいな意味のことをね」
「今日の戦いで、ですか」
凛は頷くと、
「……彼、素敵よね」
「はい」
直は即答した。
「何だと、こいつー。惚気てるな」
「ま、また!」
再び凛は直の体を撫で回し、最後に首に両腕を回して抱きついて、直の首筋に顔を埋めた。
「会長……?」
「直……尾野辺くんのこと、大切にしてね」
「も、もちろんです」
「キスした?」
「えっ?」
「尾野辺くんと、キス、もうした?」
凛が顔を上げて訊いてきた。直は、少しの間黙っていたが、
「し……しました……」
呟くように答えた。
「そう……」
凛は、にこりと微笑むと、直に顔を近づけて唇を重ねた。直は丸くした目を寄せたが、すぐに凛と同じようにまぶたを閉じた。数秒の後、唇を離した凛は、
「これで、尾野辺くんと間接キス」
「や、やだ……会長……」
妖艶な笑みを見せる凛から逃げるように、直は顔を逸らした。
「ねえ、直、やっぱり、尾野辺くんも呼んで三人で入ろう」
「ダメです!」
「じゃあ、尾野辺くんが入ったら、二人で覗こうよ」
「そ――そんなのも駄目に決まってるじゃないですかっ!」
「じゃあ、私ひとりで覗くね」
「ダメー! 会長、あまり大きな声を出すと……」
「直のほうが、よっぽど大きい声出してるじゃない」
「そっ、それは……とにかく、あまり大きな声は……」
「どうして?」
「翔虎に聞こえます」
「そんなこと大丈夫よ。ここから居間まで距離あるし、廊下も挟んでるし」
「翔虎のことだから、脱衣所の前で耳を澄ましてますよ。トイレに行くのにかこつけて……」
「えー、尾野辺くんって、そんなことするの?」
「……幻滅しましたよね?」
「ううん」
と凛は首を横に振ると、
「尾野辺くーん! そこにいるなら、一緒に入ろう――」
「会長!」
直は凛の口を押さえた。
その頃、翔虎は、足音を忍ばせて脱衣所の前から居間へ、そそくさと戻るところだった。




