第57話 人は誰かを好きになる 1/5
温水プール施設〈オーシエル〉は怪物騒ぎが起きたことで臨時閉館となった。変身解除した直は、混乱に紛れて亮次たちのもとに戻った。
「直! 探したんだよ。どこ行ってたの?」
明神あけみに言われ、「ごめん、ごめん」と直は拝むように手を立てて謝る。
「みんなは大丈夫だった?」
直は、あけみの他に、佐伯香奈、大友楓、水野真樹、深井弘樹、そして、寺川巧、全員の顔を見回した。
「それはこっちの台詞だよ!」
と楓は頬を膨らませて、
「直、私がトイレから戻ったら、いなくなってて、おまけにプールサイドはボロボロで、ガラスは割れてるし、近くにいた人から、怪物が出たみたいだって聞いて、もう、私……」
「そ、そうなの。私、怖くなってすぐに逃げちゃって。ごめんね」
直は、自分の肩に額を付けてきた楓の頭を撫でた。少しの間、直に撫でられるがままだった楓は顔を上げると、
「で、でさ、直、もしかして、寺川くんと一緒だった?」
「え? ち、違うよ。寺川くんは、ディールガナーと怪物の戦いに巻き込まれて、外に放り出されちゃったんでしょ。私はずっと中にいたよ」
「そ、そうなんだ」
楓は笑みを見せた。
「おーい、みんな。私たちも、そろそろ帰ろう」
亮次が声を掛けた。臨時閉館により、周囲にいた客は続々と更衣室に戻りつつあった。
「今日は残念だったね。また近いうちにみんなで来ようよ」
直はバスに乗り込んだ楓たちに手を振って見送り、自分は亮次の車に戻った。助手席のシートが起こされ、すでに乗り込んでいた翔虎が顔を出す。直も後部座席に乗り込むと、
「直くん、話は翔虎くんから聞いたよ。テラくんの中に、まだストレイヤーが……」
「そうなんです。亮次さん、どうしましょう」
「とりあえず駐車場を出て、どこか温かいところで話そうか」
亮次はエンジンを掛けてアクセルを踏む。降りしきる雨を破って、亮次の車は駐車場を出た。
帰り道にファミリーレストランを見つけて、三人は店内に入った。ちょうどお昼時だったこともあり、翔虎と直は食事を注文したが、亮次はいつものようにドリンクバーだけだった。
「聞いた話から推測するに、テラくんは頭を打ったことで、一時的に意識を取り戻しただけみたいだな」
車中で直から聞いた話を亮次が総括すると、翔虎はカレーライスにスプーンを入れて、
「ということは、第二生徒会みたいに、自分でストレイヤー化を操れるようになったわけではない、と?」
「恐らくはね」
「それじゃあ……」
と直は、まだ熱いビーフシチューに手を付けないまま、
「プログラムを回収するには、また、寺川くんが自然とストレイヤー化するのを待つしかないということですか?」
亮次は頷いた。「うーん」と唸った直は、掬い上げたシチューに息を吹きかけ、冷ましてからスプーンを口に運ぶ。
「ところで、テラくんがストレイヤー化したきっかけって、何だかわかるかい?」
亮次のその言葉を聞くと、翔虎は一瞬、カレーをすくうスプーンの動きを止めた。亮次の顔は、その現場に居合わせた直に向いている。直は寺川がストレイヤー化するより前からの行動も含めて、詳しく亮次に話した。楓と寺川を二人きりにするため、香奈と弘樹を置いて三人で、人のあまりいない場所に移動、それから直がさりげなくその場を去るつもりでいたのだが、先に楓がトイレに行ってしまい、直が寺川と二人きりになってしまう。
「で、寺川くんに私が呼び止められて……それからすぐだったんです。寺川くんがストレイヤー化したのは」
黙って話を聞いていた亮次は、「なるほどね」と呟いた。
「えっ? 亮次さん、寺川くんが変身した理由がわかったんですか?」
「あ、いやね……」
と亮次は一度翔虎の顔を見て、
「さっぱりだよ」
「なあんだ……」
直はビーフシチューにスプーンを入れた。ほどよい温度になったのだろう、直は黙々とシチューを口に運び始める。
食事を終え、三人は帰路に就いた。先に直を自宅前に降ろし、二人きりになった車内で亮次が、
「翔虎くん、テラくんがストレイヤー化したきっかけについてなんだけど」
「わかってますよ、亮次さん……」
翔虎は助手席シートに深く身を沈めた。
「ちょっと、その辺に車を停めて話すか」
亮次は直の家の前から車を出し、近くのコンビニ駐車場に入った。
コンビニで亮次に買ってもらったホットコーヒーを飲みながら、翔虎は、
「テラが、直に……こ、告白しようとしたんでしょ」
「それが、引き金となって、か」
「はい。間違いないでしょう。回りに誰もいない場所で、二人きりになる。絶好の機会ですよ」
翔虎は窓の外を見た。
「でもな、翔虎くん。この前の会議で、ストレイヤー化する引き金の条件について、結論が出ていたじゃないか」
「できる状況にあるけれど、できない。物理的、心理的な障害があって、ってやつですか」
「そうそう。それに照らし合わせて考えてみると」
「テラは、直に告白したかったけれど、何か障害があって、できなかった。そういうことですか」
亮次は頷いた。翔虎は助手席の窓に顔を向けていたが、一瞬だけ亮次を見て、
「本当に、そうなんですかね。僕の考えが間違っていたのかも」
「どうして、そう思うんだい」
「だって、聞く限り、その状況でテラが告白を渋る理由がないじゃないですか」
「案外、大変な奥手で、いざとなっても結局告白できない。そういう理由だって十分ありえるじゃないか」
「テラは、そんなタマじゃないですよ」
「翔虎くん、人に対して〈玉〉っていう場合、それは対象の人をあざけって言う言い回しなんだよ」
「そうなんですか。勉強になりました」
「翔虎くん、直くんに言うべきなんじゃないかな」
「何をですか」
「テラくんが、直くんのことを好きだっていうことをだよ」
「それは……」
「直くんは、テラくんと、彼のことを好きな女子、彼女、何て名前だっけ」
「大友さんですか」
「そうそう、大友……楓、楓くんだ。楓くんをくっつけようとしてるんだろ。直くんにとっても有益な情報だろ」
「どうしてですか」
「テラくんが自分のことを好きなんだってわかれば、御しやすくなるだろ」
「どういう意味ですか。直がテラを豪快に振るっていうことですか?」
「そこまでいかなくても、うまくかわすことはできるよ」
「そうなりますかね……」
翔虎はコーヒーをひと口飲んで、ため息をついた。
「心配いらないと私は思うよ」
「……」
「前にも言ったことがあると思うけど、二人の間には誰も入っていけないと、私は思うよ……ああ、そうか」
「何ですか?」
「翔虎くんは、テラくんのことも心配してるんだな」
「そ、それは……」
翔虎は、言いながらシートから背中を離して亮次を向いた。
「テラくんが直くんに振られて、ショックを受けてしまうことを心配してるんだろ」
「そ、それこそ、テラはそんなタマじゃないし……」
「恋と友情の狭間で揺れる、か。青春だね」
「何ですかそれ! も、もう帰りましょうよ!」
「ははは。そうだな」
亮次はエンジンを掛けて駐車場から車を出した。
帰宅した翔虎は夕食をとり、自室でパソコンを開いて原稿のチェックをしていた。矢川の勧めで公募に出す予定の完成原稿だった。締切が近いため、完成させたとはいえチェックに余念がない。
「何だこれ、読み直すたびに誤字脱字が出てくるぞ……この前は登場人物の名前を豪快に間違ってたしな……」
翔虎は冷や汗を流しながら、キーを叩いて原稿を修正していく。
携帯電話が鳴った。ストレイヤー出現を知らせるアラームではなく、通常の着信だった。
「ヒロか」
深井弘樹からの電話を翔虎は受けた。
「どうした、ヒロ」
「ショウ、聞いたか? 実は今日な――」
「ああ、聞いたよ。プールに怪物が出たんだろ」
「ああ、大変だったんだぞ。誰から聞いたんだ?」
「それは……直だよ」
「まあ、そうだろうな」
「で、何の用事だよ」
「お前、成岡とテラに何かあったとか、聞いてない?」
「え? どういうことだよ?」
「実はな、さっき成岡から電話があって、テラの携帯番号訊かれたぞ」
「え? 何で?」
「さあ。また今日みたいな集まりがあるときのために、聞いておきたかったんじゃないか?」
「そ、そうなのか。そのことを僕に教えてくれたの? 何で?」
「成岡だったらさ、まずお前に訊くんじゃないなと思ったから、変だなって」
「あ、ああ……な、なあ、プールで……直とテラ、どんなだった?」
「訊きたいのか」
「だから訊いてるんだろうが」
「訊きたいのか」
「何だよ!」
「なあ、ショウ、お前、成岡とはどうなの?」
「はあ? 訊いてるのはこっちだぞ!」
「成岡、テラと一緒だったぞ」
「あ、ああ、で、でも、大友さんも一緒だったんだろ?」
「何だよお前、知ってるんじゃんか」
「い、いや、詳しくは……」
翔虎は携帯電話を持つ逆の手で額の汗を拭った。
「なあ、ショウ、成岡のほうでは、どうなの?」
「どう、って……」
「今日、成岡のほうからテラと大友さんを誘ってたぞ」
「あ、そ、それは……」
「ショウ、俺が言うべきことは、それだけだ」
「な、何がだよ」
「成岡がテラの連絡先を訊いてきたってこと、確かに伝えたからな。あ、俺から聞いたって言うなよ」
「ヒロ以外から、僕がその情報を入手しようがないだろうが」
「だったら、喋るなってことだよ」
「あ、ああ……」
「じゃあな」
「うん、ヒロ、ありがとう」
ふふふ、と小さな笑い声を聞かせてから、弘樹のほうから通話は切れた。
「何だよ。何キャラを気取ってるんだよ……」
翔虎は電話帳画面を開き、直の名前の上に指を持っていった。が、その名前が押されることはなかった。開きっぱなしだったパソコンも閉じると、翔虎はそのままベッドに横になった。
その日の夜。明かりの消えた成岡家の玄関ドアがゆっくりと開いた。なるべく音を立てないようにしているのだろう、最低限の幅だけドアを開けて玄関を滑り出た直は、開いたときと同じようにゆっくりとドアを閉じて、足音も忍ばせて往来に出た。時間は午後十一時を回っている。直はそのまま家の裏手に向かった。そこは住宅の狭間に空いた空き地で、いつも直が変身するのに使っている場所だった。携帯電話を取りだして直はディールガナーに変身し、続いて錬換したウイングユニットを装着すると夜空に飛び上がった。
しばらく飛行を続けて直が着陸したのは、人気のない公園だった。公園の片隅に設置された公衆電話に向かい、用意していた小銭を入れて受話器を取った直は、左腕のタッチパネルを携帯電話モードにして、表示された番号を見ながらダイヤルしていく。しばらく呼び出し音が鳴ったあと、相手が通話に出た。
「もしもし……」
訝しんでいるような声だった。深夜に公衆電話から掛かってくる電話ともなれば、そういった反応になってしかるべきだろう。
「もしもし」
直も声を出した。ヘルメットを通した加工された声で。
「――あ、その声」
相手の声から訝しむような響きが消えて、
「ディールナイト?」
「ガナーのほうです。寺川くん」
「あ、失礼しました」
「ふふ。いいのよ。今日は大変な目に遭っちゃったわね」
「え、ええ。でも、おかげで助かりました」
「それがね。実は……」
直は、寺川の体にまだストレイヤー、怪物が憑依しているということを教えた。
「え? 本当ですか?」
「ええ、間違いないわ。あのときは寺川くんがすぐに戻っちゃったから、私たちも言いそびれてしまって。ごめんなさい」
「いえ、そんなのいいんです。でも、それじゃあ、お、俺、どうしたら……」
「そのことなんだけれど……寺川くん、明日の放課後、二人で会えないかしら?」
「構いませんけれど……二人って、ディールナイトは一緒じゃないんですか?」
「う、うん。とりあえず、私だけで」
「ええ、いいですよ」
「ありがとう。それじゃあ、明日の放課後、学校の屋上に来てくれる? 私は階段室の上にいるわ。そこなら誰にも見つからないだろうから」
「わかりました」
「よろしくね」
「は、はい」
「それじゃ、おやすみなさい。ごめんね、遅い時間に電話しちゃって」
「い、いえ。おやすみなさい」
「はい」
直は受話器を置いくと、「よし」と呟いて、再び空を舞い自宅に帰った。




