第56話 雨に濡れた嘘 1/4
ジョーカーズを倒した翌日、土曜日の昼過ぎ。翔虎と直は亮次の部屋を訪れていた。
「おはようございます、亮次さん」
「翔虎、全然おはやくないって」
座卓の前に座って、翔虎と直が言った。
「いや、僕はついさっきまで寝てたから」
「あ、やっぱり、疲れた?」
「いつも以上にね。何だろう。体がだるいっていうか」
「大丈夫なの?」
「うん。多分、あのエースの力を使ったせいだ。世良さんも、キングアーマーを使ったあと、ぶっ倒れてただろ。あれと似たようなものなんじゃないかって思うんだ」
「ディールナイトエース、か。凄かったね」
「だろ」
翔虎は得意げな表情になって、
「あれは凄かった。もうね、感覚が研ぎ澄まされて、見る世界が違うっていうか」
「へえー」
「そのせいなんだろうね、六十秒しか発動されないっていうのは。かなり肉体と精神に負担を掛けてるんだと思うよ。あ、そうだ亮次さん、エース変身のシステムって、どうなってるんですか?」
「うん。まず、六十秒しか発動されないというのは、翔虎くんが言ったように変身者の体力、精神力を考慮するという理由もあるんだろう。さらに、エースはプログラムの発動自体にも大きな負荷が掛かる。他の錬換武装みたいに一度錬換して終わりじゃない。エースの能力を維持するため、恐ろしく複雑なプログラムをスペック限界まで稼働させ続けるようなものなんだ」
「プログラムを限界まで稼働?」
「そうだな。わかりやすく言うと、エンジンをフル回転で車を走らせるようなものだね」
「あ、すぐにオーバーヒートしてしまう、と?」
「そういうこと。だから、一度エースを発動させたら、六十秒の限界時間まで使う使わない関わらず、十二時間の冷却時間が必要なんだ」
「半日に一回、ですか。使いどころを考えないとですね」
翔虎は腕を組んで考え込むような顔をした。それを聞いた直は、
「まさに、必殺技。だね、翔虎、こういうの好きでしょ」
「それはそうだよ。これに燃えない男子はいないって。でも、直にも体験してほしいな、あの感覚。このパターンでいくと、ディールガナーエースもあるはずだから」
「もう、私の中に入ってるのかな? 翔虎みたいに?」
直は上目遣いになり、自分の両こめかみに人差し指を当てて、ぐりぐりと突いた。
「直くんの、やりたいことって何なんだい?」
コーヒーを持って来た亮次が訊いた。二人は礼を言って受け取り、直は、
「あ、何かきっかけがあれば、私もストレイヤー化しちゃいますかね? うーん……何だろうな?」
と首を傾げる。亮次も二人の対面に腰を下ろして、
「そりゃあ、翔虎くんが危機に陥ること。だろ?」
「そ、そうかなぁ?」
「違うのかよ!」
顎に指を当てた直に翔虎が突っ込んだ。
「あ! ストレイヤー化といえば!」
直は翔虎の右脚に触れて、
「翔虎! 脚の傷は?」
心配そうな顔で翔虎の右太ももを、そっとさする。翔虎は頬を赤らめて、
「だ、大丈夫だよ……」
「どうして、あんなことしたの!」
直は眉を釣り上げて翔虎を睨む。
「そ、それはね……あのままだと、駄目だったんだ、きっと」
「え? 駄目って?」
「ああしないと、僕、ストレイヤーに変身できなかったと思うんだ」
「どうして?」
「僕が最初にストレイヤーになったときを思い出したんだ。あのときも僕、脚にナイフを刺されて立てなかったじゃない。あのままだと、直を助けられなかった」
「でも……助けてくれたよ」
「そう、そこなんだよ」
翔虎は直と、亮次の顔も見て、
「僕、ストレイヤーに取り憑かれた人が変身するきっかけのことを、勘違いしてたんだと思う」
「勘違いって? やりたいことができそうなタイミングで変身してたんでしょ、みんな」
翔虎は首を横に振って。
「ちょっと違うんだ。やりたいことがやれるチャンスが目の前にある。でも、できない。そうなんだよ。できないことが変身する引き金だったんだよ。今まで、みんなそうだったんだ」
直は首を傾げて、「?」という顔をする。翔虎は話を続けて、
「最初に僕がストレイヤー化したときのこと、憶えてる? 僕が倒れた目の前で、直がジョーカーズに挟まれて、絶体絶命のピンチだった」
「もちろん憶えてるわよ。で、翔虎が私を助けてくれるために、ストレイヤー化したんだよね」
「直くんを助けるということが、翔虎くんの欲望、といっては変だが、願いだったわけだからね」
亮次も話に入ってきた。翔虎は頷いて、
「そうなんです。でも、あのときの僕は、自分の力では直を助けに行けなかった。脚を怪我して、立ち上がれない状態だったんだ」
「目の前に、その状況があるっていうのに、自分の力だけでは達成できない欲望、願い。そういう事態に陥ったとき、ストレイヤーは発動する。ということか」
「そうなんですよ。亮次さん」
と翔虎はここで直を向いて、
「僕、昨日は直を囮にしてストレイヤー化しようと頑張ったけど、全然だったよね」
「そうね。私、何度もピンチになったけど、翔虎に変化はなかった」
「それは、あのときはまだ、自分の力だけで直を助けられたからなんだ。いざ、本当にまずいとなれば、僕は囮とか作戦とか無視して直を助けにいってた。まだ、僕には余力があった」
「だから、わざと脚に怪我を負って、自分の力だけでは私を助けられないような状態に追い込んだっていうの?」
「そうなんだ――あ、ご、ごめん、危ない目に遭わせちゃって。で、でもさ、いざとなったら直は自分だけでも逃げられるなって思ったから、心配はしなかったよ。あくまで、僕が直を助けられない、っていう状況があればいいんだからね」
「バカ」
「だから、ごめんって――」
「違うよ」
「え?」
「私、自分ひとりで逃げたりしないよ。絶対に、翔虎もつれて一緒に逃げてたからね……」
「直……」
翔虎は、自分の太ももをゆっくりとさする直の手の動きを見ていた。
「そうか、そういうことなら、今までの」
と亮次は腕を組んで、
「ストレイヤー化した人たちについても、考えを改めないと行けないかもな」
「そうですよね。水野くんは、みんなと一緒にゲームをしたい、そのチャンスが訪れたから変身したんだって思ってましたけれど、本当は水野くん、自分から声を掛けるなんてこと、できなかったんでしょうね」
翔虎が述懐すると、直も、
「じゃあ、高町先輩は、南方先輩に告白するチャンスだから変身したんだと思ってたけれど、本当は自分から告白なんて無理だったってこと?」
「そうなんじゃないかな。あのあと、医務室で告白するんだけど、そのときは、南方先輩のほうから促してたじゃないか」
「そうか……富士崎先輩は、ディールナイトをやっつけたいと思っていた。これも、当たり前だけど、一介の女子高生の富士崎先輩にできるわけないよね。あけみも、ディールナイトの素顔を見たがって変身したけど、本当にディールナイトのヘルメットを無理矢理脱がせて顔を見る、なんてできっこないもんね」
「修学旅行のときの木暮先輩も、不良に絡まれてる女の子を助けたいっていうのが引き金だったけど、実際に不良をぶちのめしてやることなんて、できない」
「なるほどねぇ……」
直も上目遣いになって、今まで戦ってきたストレイヤーに憑依された生徒たちのことを述懐した。
「やりたくてもできない。そもそも力不足、勇気が出ない、その理由は様々だけど、深層心理でストレイヤーに助けを求めていたのかもな、彼らは」
亮次も神妙な声で言った。
「あー、ということは」
直は、ぽん、と手を叩いて、
「南方先輩は? 翔虎を襲うつもりだったけれど、実際はできなかったってこと?」
「あ!」
翔虎も叫んで赤くなった。亮次は、うんうんと頷いて、
「間違いないだろう。私はずっと、そのことが気にかかっていたんだよ。あの、きちんとした部長さんが、そんな強姦まがいなことをするのか? ってね」
「亮次さん! 言い方!」
直も頬を染めて眉を釣り上げる。翔虎も赤い顔をしたまま、
「じゃ、じゃあ、南方先輩の行動を止めたのは、どういう理由? いざとなったら、力じゃ男の僕に敵わないって思ってたってことでしょうか?」
「それはね……倫理観だろうね」
「り、倫理観……」
「そうだよ。翔虎くんのことをどうにかしてしまいたい。でも、それだけは人としてやっちゃあいけない。部長さんは、土壇場でそう考えたんだよ、きっと」
亮次はひとり納得したように、ゆっくりと何度も首を縦に振った。
「……な、何?」
翔虎は、じとり、とした視線で自分を見てくる直に気付いた。
「翔虎は、襲われてもいいって思ってたでしょ」
「そ、そんなことないって!」
翔虎は汗を流し、ぶんぶんと両手を直に向けて振る。
「ふーん……」
直は視線を外さないまま、コーヒーカップを口に運んだ。
「そ、そうだ、亮次さん! 結局、ジョーカーズのやつらは、どんな錬換武装が変化したストレイヤーだったんですか?」
「翔虎くん、強引に話題を変えてきたな」
「いいじゃないですか!」
「あ、私もそれ気になります」
振った話題に直も興味を向けてきたためか、翔虎は直の視界の外で、安堵の表情になり汗を拭った。
「ああ、〈ディールドローン〉のことかい」
「ディールドローン?」
翔虎と直は同時に声を上げた。亮次がパソコンに向かい、マウスとキーボードを操作すると、画面にコンピューターグラフィックスの画像が浮かんだ。
「ディールナイト? ……ちょっと違いますね」
その画像を見た直が言った。画面には、ディールナイトに似た鎧の戦士が線画で描かれていたが、素肌が露出した箇所も鎧を思わせるデザインになっており、
「直、これ、生身の人間じゃない。ロボットだよ」
翔虎が言った通り、その鎧の戦士は、関節部が機械を思わせるヒンジ構造となっている。「その通り」と亮次も画面を見て、
「こいつは、ディールナイト、ディールガナーが遠隔操作できるロボット、今風に言うとドローンなんだ」
「ゾディアークが使ってるやつみたいな?」
翔虎が訊くと、亮次は頷いて、
「ああ、恐らくね。プログラムを解析してみたところ、こいつを錬換すると、前腕に取り付ける手甲もセットで出てくる。そこに付いているタッチパネル様式のコンソールを操作して命令を下すっていうわけだ。ディールナイト、ディールガナーのもともとのタッチパネルを操作して、こいつに錬換武装を出させることもできる。もちろん、こいつがカメラを通して見た映像はヘルメットのバイザーに表示される」
「凄いじゃないですか」
「でも、これ、どんなときに使うの?」
「それはね、直。人間が行けないところに行く必要があるとき、代わりに行ってもらうんだよ」
「ああ、なるほど。実際に使われてるドローンやロボットと同じだね」
「そういうこと。これがストレイヤー化したから、あんな僕たちの偽者みたいな姿になったっていうことなんですね」
翔虎と直は、興味深そうに画面を見つめて言った。
「恐らくね。でも、どうしてあそこまで二人の体型を忠実にコピーしたのか。それに、東都学園にしか出現しなかったのかという理由はわからない」
「ああ、そういえば、その謎もありますね」
翔虎は神妙な表情をして、
「そもそも、亮次さんが追っていたストレイヤーは、どうしてこの町にだけ出てくるのか。それも、出現場所で言っても、やっぱり学校が圧倒的にトップですよ」
「ストレイヤーに取り憑かれた人も、東都学園の生徒ばっかりだもんね」
「僕たちの学校に、何があるっていうんだろう?」
三人は沈黙した。翔虎と直は顔を見合わせた。二人の頭には、直が北海道で見聞きしてきた亮次の秘密が思い浮かんでいたのかもしれなかった。
亮次は、黙ってそんな二人の横顔を見つめていた。
「じゃ、そろそろ僕は帰るね」
沈黙を破ったのは翔虎だった。おもむろに腰を上げる。
「翔虎、何か用事?」
「うん。ヒロとテラと遊びに行くから」
「もう。昨日あんなことがあったっていうのに。体、平気なの?」
「もちろん。このために遅くまで寝てたんだから。それじゃ――」
「あ、翔虎!」
玄関に向いかけた翔虎を直が呼び止めた。
「何?」
「いい加減、寺川くんに訊いてきてよね」
「……訊いてって」
「もう。寺川くんが好きな人!」
「あ、ああ……」
「翔虎がぐずぐずしてるから、年が明けちゃったじゃない」
「そ、そうだね」
「あー、それと、翔虎、大事なこと忘れてた。明日のメンバー」
「明日って。ああ、プールのメンバーか」
「そう、えっとね……私、翔虎、あけみ、水野くん」
「水野くんも来るの?」
「あけみが頑張ったんだよ。翔虎、しっかり面倒みてあげるのよ」
「それは、もちろん。で、他は?」
「それと、深井に、寺川くん、香奈に楓。以上、八名」
「ヒロと……テラも来るんだ」
「そう。上級生は忙しいみたいだから、聞いての通り一年生で固めたわ。で、亮次さん」
直は亮次を向いた。
「ああ、わかってるよ。二人の送り迎えをすればいいんだろ」
「いつもすみません」
「いいって。私がいないと、二人の携帯を預かる役がいなくなるからね。若い子たちが元気に遊んでいる姿を見るのも、私も楽しみだよ」
「じゃ、僕は行くから」
翔虎は、そそくさと玄関に向かい靴を履き始める。「お願いね」という直の声を背中に、翔虎は玄関を出た。
「テラくんの好きな子、か」
「そうなんです。聞いて下さいよ、亮次さん……」
直は亮次に、寺川と、彼を好きだが言い出せない友人、大友楓のことを話し始めた。




