第15話 ディールナイト暗殺計画(後編) 4/6
翌日、翔虎と直は、いつも通りに登校した。
半袖の夏服は腕が露出しているため、翔虎の右腕の包帯は自然と目立つ。当然、弘樹、寺川をはじめ、クラスメートや教師らに事情を訊かれたが、ちょっと怪我で、と翔虎は言葉を濁して応対していた。
半袖の裾から覗く二の腕にも散弾を受けた痣が見え隠れしていたが、うまく隠していたためか、それを指摘するものはいなかった。
昼休み、弘樹たちとの昼食を断って翔虎は直の机に行き、
「直、保健室行かない?」
この日は直も誘ってくれた友達に断りを入れ、ひとり机の上に弁当箱を広げていた。直は半分以上残した弁当を片付けていた手の動きを止め、
「保健室?」
「うん、水野くんが来てるんだって。さっき廊下ですれ違った会長が教えてくれた」
二人は並んで保健室に向かい廊下を歩いていた。翔虎の右側を歩く直は、視線を時折翔虎の右腕に向ける。
「ああ、大丈夫だって」
その視線に気付いた翔虎が右腕を上げて拳を握る。だが、その拳の握りは見た目にも弱々しかった。
「手、握れないの?」
それを見た直が質した。
「あ、う、うん。力を入れるとちょっと痛むかな?」
翔虎は誤魔化すようにゆっくりと右腕を振った。直は何か言いたげに口を開き掛けたが、
「着いたよ」
翔虎は早足になって保健室のドアの前まで行き、ドアの取っ手に手を掛けた。
「あら、いらっしゃい」
書き物をしていた保険医の新田は、ドアの音に椅子を回転させて振り向いて言うと「ちょっと待ってね」と椅子を立ち、仕切りの向こうの応接スペースに向かった。
「いいわよ。どうぞ」
新田の声に翔虎と直は応接スペースに入った。
「やあ」
と、翔虎は椅子に座った水野に手を振り笑顔になった。
水野は顔を上げ、小さな声で、こんにちはと挨拶した。
「こんにちは、水野くん」
直が笑顔を作って水野の斜め左の椅子に腰を下ろした。翔虎は水野の対面に座る。
「水野くん、また学校で会えて嬉しいよ」
翔虎は笑顔のまま水野に向かって言った。
「うん」
水野は俯き掛けたが、顔を上げて、
「約束……したから」
「約束?」
直が訊いた。水野は、もう一度「うん」と頷いて、
「ディールナイトと。学校に行くって……約束。だから、なるべく行こうかな……って」
「よかった!」
翔虎は腰を浮かせて喜びを露わにして直を見た。直も翔虎を見たが、その眉間には皺が寄っていた。
「あ……ああ」
翔虎は静かに腰を下ろすと水野に顔を向けて、
「約束って?」
と訊いた。水野は、
「あの日ね、尾野辺くんと成岡さんが来てくれた日の夜。ディールナイトが僕の家の前に来てくれて、そこで、約束したんだ。学校に行くって」
「そうなんだ」
直は水野を見つめて言った。水野は続けて、
「尾野辺くんと、成岡さんも、待ってるって、言ってた」
「言ってた、って、ディールナイトが?」
直の言葉に水野は、うん、と頷いた。直は再び翔虎を睨む。翔虎は頬に汗を流して膝の上に手を乗せている。
「あの……」
水野は二人に交互に顔を向けて、
「尾野辺くんと成岡さんは、ディールナイトと知り合いなの?」
「えっ? ち、違う、よ」
しどろもどろになって翔虎が答えた。直は冷静に、
「そうだよ。私たちも水野くんと同じ、ただのファンだよ」
「ファン……」
水野は呟いて、
「そうだよね。かっこいいよね、ディールナイト」
そう続けて笑顔になった。
「そう? かっこいい? やっぱり?」
翔虎が、ふふん、と鼻を鳴らし胸を張ったが、直に睨まれると、すぐに背中を丸めた。が、またすぐに身を乗り出して、
「水野くん、これから外に散歩に行かない?」
それを聞いた水野は笑顔を引っ込めた。
直が、それ以上は、とばかりに翔虎の膝に手をやる。
「あ、ぼ、僕……もう、帰るから……」
水野は翔虎と一定の距離を取るように身を引いて、椅子の背もたれに背中を押しつけた。
応接セットの外で椅子に座って三人の様子を眺めていた新田が立ち上がり、歩いてきて、
「もうお昼休みも終わるわよ。教室に戻ったほうがいいんじゃない?」
「え、まだ――」
掛け時計を見た翔虎がそう言いかけたが、直と新田の視線を受けて言葉を止めて、
「あ、ああ、そうだね」
と、立ち上がった。直も一緒に立ち上がり、
「それじゃ水野くん、またね。今度はここでお昼一緒に食べよ」
水野は視線を合わせずに曖昧に頷いた。
「ねえ、翔虎。二人で水野くんの家に行った、あのあと、何かしたの?」
保健室を出て廊下を歩く二人。直は隣の翔虎に正面を見たまま問いかけた。
「あ、ああ、あれね。うん、ちょっとね……」
「ちょっと?」
そこで翔虎を向き、声のトーンを落として、
「変身して水野くんの家に行ったの?」
翔虎は、こくり、とひとつ頷く。
「バカ」と、直は返した。
「翔虎と私が待ってる、って言ったの? 怪しまれるじゃない」
「ご、ごめん……」
翔虎は、しゅん、となって肩を落とした。それを見て直は、
「でもね、私、凄いなって思っちゃった」
「凄い?」
「だって、水野くんを、この前と今日と、立て続けに学校に来させたのはディールナイトの力でしょ? 私と翔虎が行っただけじゃ絶対来てくれなかったよ」
「そ、そうかな?」
翔虎は少し微笑んで頬を掻く。
「ヒーローなんだね」
直は前を見たまま言った。
「えっ?」
「ディールナイトはみんなのヒーロー。あけみも助けてくれたし、深井もでしょ。町に出たストレイヤーも、翔虎が倒さなかったら、もっと大きな被害が出てただろうし」
「ヒーローとして当然のことをしたまでだよ」
左拳を握って答えた翔虎に、
「調子に乗るな」
直は軽いチョップを脳天に当てた。そして、そのまま頭を撫でる。
「な、何?」
翔虎は狼狽えた顔で直を見る。直が微笑んだまま翔虎の頭から手を離し、
「……行こう。授業始まるよ」
そう言って駆け出した直後、予鈴が鳴った。
「そこまでよ。学園の平和を乱す怪物! 私が相手になるわ! 行くわよ、ディールチェンジ! とうっ!」
「ちょっと、直。声に出して読まないでよ。恥ずかしい」
漫画部の明神あけみは、ノートに書き込んだ漫画のネームを放課後の文芸部室に持ち込んでいた。そのノートを開いて直が朗読していたのだ。
「えー。別にいいじゃない。誰かに読んでもらうために描いてるんでしょ」
「それはそうだけど……今日はネームの文章とかでおかしなところはないか、添削してもらいに来たんだから」
「そういうことなら」
と、美波は、
「矢川くんの出番ね」
「どれどれ、ちょっと読ませてよ」
矢川はキーボードを叩く指を止めて手を差し出す。
「矢川先輩に読んでもらうんですか。ちょっと緊張するな……」
あけみは少しおどおどしながら、直から受け取ったノートを矢川に手渡した。
矢川は無言でページを捲っていく。
「……ど、どうですか?」
メガネの弦を指で押し上げてあけみは訊いた。
「うん。面白いよ。別におかしな文章表現もないし。だいたい、ほとんどアクションシーンだしね。でも、女の子でこういうアクションもの描くのって珍しいね?」
「えへへ。私、昔から少女漫画よりも、バトルものとかの少年漫画のほうが好きで。コミックスもそんなのばっかり買ってます」
「えー」
と、それを聞いたこころが食いついてきて、
「じゃあ、今度おすすめを貸してほしいです。たまには漫画を読まなけりゃ、ミステリばかりじゃ頭が沸騰しちゃうです」
「いいですよ。今度、おすすめの一巻だけをたくさん持ってきますね。それで、気に入った漫画の続きを持ってきます」
「うわー、やったー! うち、お母さんが変なところで厳しくて、男の子向けの戦いばっかりの漫画なんて買っちゃ駄目って言われるです」
「明神さん」
ノートの最初に戻ってページをめくっていた矢川が、
「この漫画に出てくるディールナイトは、ちょっとアレンジ入ってるね。本物はもっと、何て言うかな、大胆というか、粗暴なところあるよね」
それを聞いた直が吹き出した。
「あー、そうなんです」
と、あけみも笑いながら、
「漫画に描く以上は、理想、っていうか。本物にも、もっとおしとやかになってほしいかなって願望も込めて」
それを聞いたこころが、
「えー、でもでも、私は本物のディールナイトも好きですよ。私、戦う女性って憧れちゃうです。子供の頃、そういうアニメ大好きでしたし」
「そうね、私も好きよ、ディールナイト」
美波も笑顔で言って、
「私、あれくらい必死になりふり構わず戦ってくれたほうが、応援したくなっちゃうな。ちょっと度が過ぎるところもあるけどね。女の子なのに、さすがにそれはっていう」
「あはは」
直は笑い声を上げた。美波も笑いながら、
「見た目は女の子、中身は男の子、って感じ?」
それを聞いた直は、さらに笑った。
「直、笑いすぎ」
自身も笑いながらあけみが声を掛けると、ごめん、ごめん、と直は謝って、
「みんなの話、本人に聞かせたいな、って思ってね」
「そうねー。また会いたいな……」
あけみは遠い目をした。
「会いたい? ディールナイトに?」
「うん、だって、みんなのヒーローじゃんか。ディールナイトは」
「ヒーロー、か……」
直は、いつもと違い空席となっている椅子に目を向けた。
翔虎は、体がだるいから、と言って、放課後は部室に顔を見せずに帰宅していた。
読んでいた本に栞を挟んで脇に置きベッドに横になったまま、まぶたを閉じて数十分。寝息をたてかけた翔虎はアラーム音に飛び起きた。携帯電話を引っ掴むと画面を見る。
「町のほうじゃないか。しかも、これ……」
マップモードの赤いマーカーはその横に〈×3〉と記されていた。
「亮次さんが改良してくれたんだな。同じ場所に三体出たってことか。三体……」
翔虎は右腕の包帯に一瞬目をやったが、すぐにパジャマを脱ぎ捨てた。
両親の目を盗んで庭に出た翔虎は変身を完了した。
目を盗んだといっても、時刻は午後十一時を過ぎており、居間は空で、両親の寝室の電気もすでに消えていた。
出現場所は亮次のアパートとは反対方向のため、翔虎は先に現場へ駆けつけると亮次に連絡していた。
庭からバイク〈クラブジャック〉を錬換してサドルに跨ると、エンジンを吹かし、いつものようにジャンプ台にしている庭石に前輪を向けた、その時、
「直!」
ヘッドライトが作り出す光の輪の中に直が躍り込んだ。胸の前で携帯電話を握りしめている。
「翔虎……」
直の、しかめているような表情はライトの眩しさのせいか、それとも。
きつく結ばれていた口が開く。
「行っちゃ駄目……」
「直! どいて!」
すでにヘルメットをフル展開していた翔虎は、マスク部分のみ解放して言った。
直は無言で首を横に振る。翔虎はそれを見て、
「レーダー見ただろ! 町に出たんだ。学校で直も言ってくれてただろ。ディールナイトはヒーローだって。行かなきゃ。守らなきゃ、みんなを」
直は無言のまま、まっすぐに翔虎を見つめる。翔虎はさらに、
「ディールナイトが怪我を恐れて戦いから逃げるって? そんなの駄目だよ。水野くんに顔向けできないよ!」
「怪我だけじゃすまないよ!」
直が小さく叫んだ。潤んだ瞳がライトに照らされて光った。
「死なない! 絶対に帰ってくる! ……ごめん!」
翔虎はアクセルを吹かしてバイクの舵を切り、直の横をすり抜け、別の庭石をジャンプ台にして塀を跳び越えた。
「翔虎――!」
宙を舞うバイクを見上げて直は小さく叫んだ。
翔虎を乗せたバイクは塀の向こうに着地し、タイヤを鳴らして走り去っていった。




