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一夜が明けて、なにか状況が改善したかといえば、するわけもなく。
昨夜は精神的な疲れから帰ってから冷蔵庫のあまりモノを食べてそのまま眠りについてしまったからひどい有様だ。服装も制服のまま、完全にシワになってしまっている。今日の放課後にまだクリーニングに出しておかないと。
そんなことよりももっと考えなければならない問題が山積みなのだが、せめて朝の間くらいは現実逃避をしていたい。
とりあえず今は湯船につかってゆっくりと疲れを癒そう。
ボサボサの頭をかきながら部屋を出てお風呂場に向かおうとしたところで、インターホンの音が鳴る。
こんな朝早くいったい誰だろう。
時計に目をやってもまだ午前六時前。いつも唐突に現れる鈴でもこんな時間にやってきたことはないし、そもそもあの子はインターホンなんて押さない。合鍵で勝手にあがりこんでくつろいでいく。
ではいったい誰なのか。
あまり関わり合いにならないほうがよさそうな相手か、あるいは、よほど緊急な用事で私に用がある相手か。
どちらにしろ、今すぐにこの格好で出るということはできそうにない。
女性としても男性としても、非常にまずい格好だからだ。何より私のセンスが許さない。
居留守を決めてお風呂場に入りお湯を出し始めても、インターホンの音は鳴り止まない。どころか、間隔はどんどんと短くなり、もはや小刻みにメロディの頭だけが繰り返し流れる惨状である。なかなかに強情な相手だ。
私ももはや取り合うものかと居留守を続けていると、ついには扉が強く殴打される音が響き始めた。インターホンだけならまだしも、こんな朝早くからそんなことをされたら、両隣の住人からどんな文句を言われるかわかった物ではない。
舌打ちを一つ、苛立ちとともに覗き込んだ小窓には誰の姿も見当たらない。
しかし、音は一向に鳴り止まず、耐えず不快な演奏を続けている。
しまいには叩くだけでは飽きたのか、扉を蹴りつける様な音まで聞こえ始める。勘弁してほしい。もう、こうなったら霊だろうとなんだろうとどうにでもなれと、やけくそに、私は扉のドアを開けた。
その先に立っていたのは、今まさに扉をぶち破ろうと近くの非常階段から持ち出してきたらしい消火器を勇ましく振り上げている高地の姿があった。
「なぁにちんたらやってるのよ長月! このわたしをいったい何分待たせる気なの!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、とありずその凶器を落ろして、あと声を張り上げないで!」
「はぁあ? あんたがいつまで経っても出てこないから聞こえるように声を張り上げてんのよ、あんたのために!」
「わかったから、もう聞こえてるから、早朝から周りの皆さんの迷惑になるからやめて!」
何とかこちらの願いを聞き入れてくれた高地は消火器を元の位置に戻すといかにも不満そうな、機嫌が悪いんですと主張するような顔で足音を響かせて戻ってくる。
「あげなさいよ」
「はいはい」
盛大にため息をつきながら彼女を家に上げる。勝手にスリッパを取り出してのしのしとリビングへ向かう様は客とは思えないふてぶてしさだ。
というか、いったい朝からなんなのだろう。昨日の一件がらみなのは間違いないだろうけど、それにしても、昨日のあの弱々しい様子はどこへやら、般若に勝るとも劣らない彼女の形相はとても直視していられるものではない。
「で、こんな朝早くからなんなの」
冷蔵庫から取り出したペットボトルのお茶を注ぎながら疑問を投げかける。こんなやつ相手でもお客様への礼儀を忘れない私。やはり理想。
けれど、高地の方は私のそんな優しさに微塵の感謝も見せず、こめかみに青筋を浮かべて、今にもテーブルを真っ二つにせんばかりの勢いで拳を振り下ろす。
「なんなの、じゃないわよ。昨日のあれ、まさか忘れたなんて言わないでしょうねぇ……?」
「覚えてるけど……」
どう対処したものか、目星はついていない。自分の分のお茶に口をつけながら、テーブルの向かいに座る。
「どうするのよ」
「どうするって言われても、昨日の今日でまだ何も思い浮かんでないわよ」
「なに、じゃあ、告白受けるの?」
「受けるわけないでしょ!?」
唐突に何を言い始めるのかこいつは。思わず私もテーブルを思い切り叩いてしまった。というかどういう思考回路をもってしたらそんな結論に至るんだろう?
「受けないとか吉池君に失礼だと思わないの? ていうか、わたしを退けて告白受けたんだからもう付き合いなさいよ、惨めでしょわたしが」
「その理屈はおかしいでしょ!? 私にだって選ぶ権利があるっていうか、男は守備範囲外、それ以前に、私以外論外よ!」
「信じられるわけないでしょ! 吉池君はね、男女隔たりなく人気があるの、わかる!? だってそれだけ素敵ですばらしい人なんだから! たとえあんたがノンケでも吉池君に告白されたら付き合っちゃうわよ! わたしならそうするわ!」
「だから、それはあなたの物差しでしょ! 私は和人はただの友達としてか見られないし、付き合うなんてゾッとするわ!」
何が悲しくて私が男と付き合わなければならないのか。ちやほやされるのは楽しそう、とは思うけど、その先のことを考えてしまったら、だめだ、吐き気がする。常識的に考えて付き合えるわけなどないのだ。所詮、私は女の子じゃない。
「だいたい、なんでよりによってあんたなのよ!? 馬鹿じゃないの!? なんであんたが告白されてるの!? わかってんの、目的、わかっててやったの!?」
急激に怒りの矛先を変えて高地が突っかかってくる。その気持ちは確かにもっともだ、怒りたい気持ちはよくわかる、わかるけど、私だって困っているのだ。そもそも、私には非がないはずだ。私が望んでとった行動などではない、不可抗力なのに、なんで朝も早くから貴重な時間を浪費されて心労を積み上げて、ひたすら責め続けられねばならないのだろう?
ああ、どんどん、腹立たしくなってきた。
「知らないわよ、文句は和人に言いいなさい私のせいじゃないでしょう!? というか、元をたどれば私を連れて行ったり、告白の途中で黙ったあなたのせいでしょう!?」
「そ、それは、たしかに……そうだけど」
脅えるように怯んだ高地のその反応に、我に返る。責任の擦り付け合いなんてしてたって、なんの意味もない。
気まずい空気にかける言葉も見つからず、居心地が悪くて椅子に腰掛けなおす。
なんというか、つい先日のこの場で交わしたあのしみじみとした会話はいったいなんだったのだろうか。慣れあって、分かり合えたんじゃないかなんて、少しでも思ったのが馬鹿みたいだ。
時計に目をやると、そろそろ、時間が不味い。しかしこのまま風呂場に駆け込むというのも、気まずいどころの話ではないし。
ため息が漏れる。
「こんなに朝早くから騒いで、外まで声が聞こえてきていますよ瑠璃姉さん、それに、高地さん」
いつの間に、そこにいたのか。
気づくとすぐ近くに立っていた鈴が私のグラスを勝手に取ってその中身を飲み干している。
「あんた、こんな時間になんでいるのよ?」
突然の乱入者に驚き、戸惑いながら高地が声をかける。
「それはこちらの台詞ですよ。と言いたいところですが……二人の怒号でなんとなく察しはついていますよ」
涼しい顔でそう言いながら鈴はいつものようにソファに深く腰掛ける。
「もうすぐ終わると、言ったわりに、どうやら失敗したあげく、事態は混迷を極め万策尽きたといったところでしょうかね?」
鈴の言葉に、高地が再び顔を真っ赤にして立ち上がる。
「だから何よ! あんたには関係ないでしょ!」
完全に素が出てしまっている。改めて昨日の事態がどれだけ彼女にショックを与えてしまったのか、深く反省する。私、悪くないんだけどさ。
高地に比べて鈴は冷静だ、怒鳴り散らす彼女の様子に眉ひとつ動かさず、その顔をじっと見つめる。
「いいんですか、そんな口を聞いて?」
「何が……?」
余裕たっぷりの鈴の態度に高地は語尾を濁す。鈴の表情は相変わらず読めない。長い付き合いの私にも彼女が何を考えているのかはあまり読み取れない。ただ、鈴は私が不利益をこむるようなことはしないはずだ。いつだって、なんだかんだいいながらなぜか私を助けてくれる、可愛いよくできた妹だ。
「少なくとも、今の高地さんと吉池君の間柄を一歩どころか、三歩以上詰める策を、あたしは持っています。知りたくないですか?」
自信満々に鈴がそういうと、高地はたじろぐ。
「信じられないわよ、そんな言葉。そもそも、あんたの目的は何なのよ」
「簡単なことですよ、あたしはいつもどおりの日常に戻って、ゆっくりこの家で過ごしたい。そのために貴方の手助けをして、瑠璃姉さんを解放する。利害関係は一致すると思いますけど?」
鈴がそんなにこの部屋と私の食事を気にいってくれていたとは驚きだ。普段からあまり美味しいとか楽しい、とは言わないから、少しだけ感動する。今度料理を振舞うことがあったら好き嫌いが多くて面倒なんて言わずに、丹精込めてとびきり美味しいものを作ってあげよう。
「三人寄れば文殊の知恵ともいいますし、どうですか? どうせ手詰まりな状況なら、試すだけの価値はあると思いますけど?」
高地は喧嘩を吹っかけるような真似をしでかしたせいか、素直にその提案に乗れないらしく、心は相当惹かれつつも悔しそうに唸りながら悩んでいる。大人しく素直になればいいものを、しかし、このまま放っておいても、何一つ良い方向にはすすまなそうだし、助け舟を出してやることにする。個人的にも鈴の策というのには割りと期待をしているというのもある。
「私は賛成。二人で行き詰ってるのはほんとのことだし、そりゃまぁこんなことになっちゃってるけど、私としては二人にはくっついてもらいたいってのが本音だし。高地もいいでしょ?」
声をかけると高地は鼻息荒くそっぽを向いて、機嫌悪そうに言う。
「長月が乗るっていうなら、仕方ないから、聞いてあげるわよ」
その瞳が爛々と輝いていたのを、私はしっかり見ていたので、素直じゃないやつだと半ばあきれながらため息を吐く。
「それで、策って?」
「簡単なことですよ。吉池さんの姉さんへの思いを逆に利用するんですよ」
「利用ぅ?」
「えぇ、そのためにはまず、吉池さんがどの程度姉さんに興味をもっているのか、調べる必要がありますが、その前にもうひとつやることがありますね」
「何?」
「もったいぶってないで早く言いなさいよ」
私と高地に急かされても鈴は気にした様子もなく、淡々と続ける。
「そろそろ学校に行く準備をいしないと姉さんは遅刻してしまうのではないでしょうか?」
時計を見るともう七時を回っている。ゆっくりお風呂に浸かっている時間はなさそうだった。最悪すぎる、とりあえずシャワーだけでも浴びないと。
「私はシャワー浴びてくるから! 二人は作戦まとめておいて!」
二人の返事が返るより早く私はお風呂場へと飛び込んだ。
お風呂から上がり、朝食とお弁当を作りながら鈴から聞いた話をまとめるとこうだ。
まずは和人が私にどれだけ本気なのかを調べ、未練があるようなら長月の友達である高地が、和人の恋愛相談に乗るという形で、二人の時間を作る。今までのクラスメイトの関係から大きな進歩になるのは間違いないだろう。
そのまま相談に乗りつつ、それとなく私の株を下げて、最終的に私が和人を振る。その後、傷心であろう和人を高地が慰めつつ、関係を深めてから告白という流れである。
二人の間に接点らしい接点がなかったため、今までは仲を深めてから告白、なんて考えていなかったが、私という新たな接点ができたことにより、結果的に二人の間に共通の話題ができたというわけだ。怪我の功名というやつか、不幸中の幸いとでも言うべきか。
回りくどい作戦ではあるが、現状を打破するには都合のいいシナリオであるのは間違いない。
高地の了解も既にとってあるので、あとは作戦を実行するだけなのだが。
俺は結局その日、二人に取り残されて寂しく弁当を作っている間に遅刻をしてしまった。
目立ちたくないのに、まったくもって散々である。