8
放課後はよく晴れていた。予定がなければ着替えてそのまま街に繰り出していただろう。だけども今日はどうしてもはずせない用事がある。
着替えを済ませた私は、高地と供に校舎裏の焼却場前で和人が来るのを待っていた。といっても、私がいるのはすぐ近くの校舎の影で、そこからこっそりと顔を出して様子を伺っている。
今のところ、高地は落ち着いているようだった。時折、深呼吸を繰り返す様子が見て取れるが、その瞳にははっきりとした意思が感じ取れる。
ここに来る前に、わざわざ私が髪の毛を梳きなおして、さらにメイクもやり直し、出来は完璧であると言えよう。欲を言えば服もいじりたかったのだが、制服ではそうそういじれる場所もない。
高地が和人を呼び出した時間まではまだあと五分ほどあった。
もうすぐ、運命の時間が来ると思うと、いてもたってもいられなくて、まだ何か出来ることがあるのではないかと、いまさらになっていろいろと考えてしまう。
そうして当の本人よりも私のほうが緊張し、慌てている内に、よく見知った顔が、その場所へとやって来ていた。
和人だ。
高身長の和人と身長の低い高地が向かい合って立つと、そのアンバランス差が目に付く。だけど、二人が似合わない、とはもう思わない。
「高地、どうしたんだこんなところに呼び出して」
「あのね、吉池君、実は、話があって」
私は手を組んで祈る。どうか、二人にとってよい結果が訪れるようにと。
息を呑む。
あと、少し。
ほんの少しで、全てに結果が出る。
ここでは出ないかもしれなし、もしかしたら、和人は迷うかもしれない。
それでも、ここであと一歩を踏み出せば、全てに決着がつく。
一言、あとほんの一言でいい。気持ちを伝えられなくても、その手紙を渡すだけでいい。なのに、だっていうのに。いつまでたっても、高地の声も、和人の声も聞こえない。まるで時が止まってしまったかのように、物音一つ聞こえてこない。
いつもなら聞こえてくる吹奏楽部の演奏はどこへ消えてしまったのだろう、暑苦しい運動部の掛け声は、まだ少し冷たい風の音は、まるで二人のために世界が凍り付いてしまったかのように、いつまでたっても音が戻ってこない。
不思議に思って私は顔を出す。
高地が真っ赤になって俯いているのが見える。
和人は静かにそんな高地の様子を見守り、ただじっと待っている。
どうしてそこで止まってしまうのか。もう一歩踏み出せば手の届く距離にいるのに。いくら和人がいい奴だからって、いつまでも待っていてくれるとは限らない。後一歩、後一歩でいいから、踏み出して。
祈っても、願っても、想いは届かない。彼女の想いも、私の想いも。
だから。
きっと、俺がこの学校で一番親しい相手は、和人だ。
もしかしたら、私の正体を見抜かれてしまうかもしれない。
聡い奴だ、その可能性は十二分に過ぎるほどある。
それでも、私は。
今までいったい何のために頑張ってきたんだって、頭の中の冷静な部分は引き止める。ここでばれてしまえば、高地の口止めのために奔走してきた意味がなくなってしまうと。
でも、動き出した体は止まらない。
意味がなくなるなんてそんなこと、ありはしない。
だって、私が彼女を手伝ってきたのは、彼女の告白を成功させるためなんだから。
だから私は物陰から飛び出す。
心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかと思うほど、早く強く跳ねる。
和人の視線が私の方を向く、かまうものか。
高地の横へと歩み寄る私。
「な、長月……」
驚いて私のことを見上げる彼女。やっと動けるようになったのならこっちを見て驚くよりも早く告白の準備をしてほしい所だ。
和人の方も私のことをみつめて、目を見開いている。その表情は、心底驚いた、といったような、今まで私でも見たことのない驚きに染まった表情。その表情のまま和人は固まっている。
バレた……?
でも今はそんなことはどうだっていい。
私は高地の背中を押して一歩、和人の前に近づける。
つんのめりそうになりながらも、彼女はきちんと前を向いて、和人に視線を向ける。
「高地、しっかり」
小さく高地が、頷く。
そうしてようやく驚きから引き戻されたらしい和人が呟くように高地に聞く。
「この人は……?」
ばれているのか、いないのか、微妙なラインの質問。でも今はそんなことはどうでもいい。
「あ、えっと、長月、わたしの友達」
律儀に答えてる暇があったら早く告白しなさい、という私の想いは届かないらしく、和人と会話出来たせいかやつの頬が少し緩んでいる。これから告白しようと言う人間のくせに志が相変わらず低すぎである。
「長月さん、か……」
ふむと頷いて何かを考えるように俯く和人。バレていないの……?
だったら思考時間を与える前に早くと、急かすように高地の背をもう一度押す。ハッとようやく正気を取り戻したらしい高地も現実へと引き戻される。
「あのね吉池く――」
だが、和人の言葉が、高地の決死の想いを断ち切るかのように、割って入る。
「長月さん――」
名前を呼ばれて、思わず体が硬直する。というか、なんで私の名前が呼ばれるのか。
――やっぱりバレてる?
背中をいやな汗が流れていくのを感じる。
お願いだから、気づかないで、高地の言葉を聞いて。
そんな思いも虚しく、誰もが聴きたくなかった言葉が、和人の口から放たれる。
「オレと結婚を前提に付き合ってください」
誰がこんな展開を予想出来ただろう?
少なくとも私と、隣で顔を真っ白にしている高地は予想なんて出来ていなかった。
「一目見てオレの理想通りの人が現れたと思いました。しかし、出会って数分と経たない内にこのような告白、大変失礼だとはいうことは承知しています。ですが、このような衝撃、どんな女性と出会ったときも感じたことはありませんでした」
それはそうだろう、だってね。
いくら私が私の理想像とはいえ、まさかこれほどの破壊力があるとは今まで気づきもしなかった。いや、単に和人のど真ん中だっただけなのかもしれないけどさ。
まぁ……私、という理想が認められ評価されたことは嬉しい。それもこの超ハイスペックな親友に認められたというのは、ステータスとしてはきっと最上級のものだと思う。けど、私には当然そっちの気はないし、そもそも場所とタイミングが最悪すぎる。
「この吉池和人、至らぬ所多く、まだまだ半人前ではありますが、あなたのためにこれから先の人生、全てを捧げ、貴方のためにこの生を謳歌したい!」
「ちょ、ちょっとまって」
頭がくらくらする。
なに、なんだっていうんだ、この状況は。
和人の顔は本気だった。嘘偽りなど感じられない、そのまっすぐな瞳。そして相変わらず隣では固まったままの高地。
もう告白どころの騒ぎではない。いや告白のせいで騒ぎにはなっているんだけれども。
何でこんなことになってしまったのか。後悔したってどうしようもない、今、今するべきことを考えないと。でも、今すべきことって何?
いまさら高知の告白をやり直せるわけもないし、正体をばらすわけにもいかない。私がうつむいて悩んでいる間、そういえば、といった風に、和人がふっと視線をはずした。
「あぁそういえば高地すまなかった。あまりの出来事につい、興奮して忘れていたが、高地の用事が先だったな」
和人に声をかけられた高地は、ようやく事態を飲み込み始め……顔を真っ赤に染め上げ、両の瞳に涙を溜め、その顔を伏せる。
「え、えっと……ごめん、ちょっと渡したいものがあったんだけど、忘れちゃった」
震えた泣きそうな声。当たり前だ、私のせいで今までの苦労も、思いも全部、無駄になってしまったのだから。それも、女に負けたわけじゃなく……。その気持ちは、私にはきっと理解できない。
「それじゃ、またね、吉池君」
誰かが何かを言うよりも早く、高地は駆け出している。小さなその体にどれだけの力が眠っているのか、あの日、校舎で逃走劇を繰り広げた日のように、すさまじい勢いで走っていく。
私はすぐにその後を追いかける。追いついて何を言えばいいのか、そもそも私に何ができるかもわからないけれど、今はそれ以外はできそうもないから。
後ろで和人の呼び止める声が聞こえたきがするけど構ってはいられなかった。
私は全力で見失いそうなその少女の後をひた走る。
走って、走って、走って。
高地の後を追って、ようやくたどり着いたのは、いつもの放課後の空き教室だった。必死に走ったせいで制服は乱れるし、汗でメイクが崩れるし、髪の毛だってはねてしまって、台無しだ。それだけでも最悪でしかたないというのに、これから私はもっと最悪な展開に自ら飛び込んでいかなければならない。なんて、馬鹿らしい。
でもそうしなければもっと気分悪く、これからの毎日を送らないといけないはずだ。
周囲を確認し、誰もいないことを確認してから私は教室へと踏み入る。
まばらに机の置かれたその部屋の隅、教室の角で、高地は座り込んで泣いていた。大粒の涙をぽろぽろとこぼして、せっかくのメイクが台無しで、ブサイクでしかたなかった。
あふれ出る涙を、とまらないそれを両の手でぬぐっては、嗚咽をあげて。
私は何も言わずゆっくりと近づいて、ハンカチを差し出す。
「なによ……あんた、笑いにでも来たの? あんたに負けたわたしを……」
しゃくりあげながら、ゆっくりとそれでも、強がって見せる彼女は、ハンカチを受け取ろうとしない。
「馬鹿言ってるんじゃないの。そんなことして、なんになるっての」
無理やりハンカチを押し当ててやると、しばらくして、自分でできるからと、彼女はハンカチを受けとって、顔を覆うようにして、止まる事のない涙を受け止めている。
「失敗しちゃった。せっかくがんばったのに……」
「ごめん……」
謝ってすむ問題じゃないけれど、その頭を優しく撫でる。
「なんで、こうなるのかな……いっつもそう、空回りして、一人だけ盛り上がって、置いてかれちゃう……」
付き合いの短い私には彼女の過去に何があったのかはわからない。けど、なんとなく彼女の性格からして、察することはできる。
彼女が泣きやむまで、私はその背を、頭をゆっくりと撫で、ずっと傍にいた。
理想の通りの私だったら、こんな時だって、きっとその冴えた頭で機転を利かせて、二人の仲を取り持つことだってできるはずなのに。現実の私はかけられる言葉一つ思い浮かぶこともできず、ただ隣にいてあげることしかできない。それがとても悔しい。
高地が泣きやむころにはもう窓の外はすっかりと暗くなっていた。
「送っていこうか……?」
「いい、一人で帰れるから」
泣きはらした真っ赤な目。いつもよりもさらに一回り小さく見えるその体。
少しでも目を離したらこの場から消えてしまいそうな気がする。
「ほんとに大丈夫?」
「平気だから、今は一人にして」
そりゃ、想い人を取られた相手とは今は一緒にいたくないだろうけど。本当に心配で、仕方なかった。
「また明日ね、長月」
手を振って教室を出た彼女に、私はなにも返せず、ただただ重いため息を吐いた。