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「いらっしゃい」

「お邪魔します……」


 放課後、家にやってきた高地はいつもより少し緊張した面持ちできょろきょろと玄関で視線を彷徨わしている。


「親御さんは……?」

「言ってなかったっけ? 私一人暮らしなの」


 お客用の真新しいスリッパを出してやりながらそう告げる。

 そういえばこの部屋に私と鈴以外のだれかが来るなんて何気に初めてのことだ。


「やっぱり、変なことする気なんじゃないでしょうね?」

「冗談でもそういうのはやめて」


 つい声が冷たくなってしまう。


「私はね、女の子に対してそういう風な欲を見せるような自分、嫌いなの。汚いっていうか、気持ち悪いとすら思うわ」


 私自身には別にいいけれども、そういう男の面、というのは私にとって、正直なところ、邪魔で消し去ってしまいたい部分だ。だって女の子は普通女の子に対してそんな気分になったりはしない。それは男としての気持ちだから。理想の私には不要なものだ。


「なら、いいけど」


 スリッパに履き替えた高地をリビングへと案内し、ソファに腰掛けさせる。


「思ったより普通の部屋なのね」

「どんなのを想像してたの?」

「もっとなんか可愛らしい、ピンク色な部屋かと思ってたわ」

「そういう部屋でもいいんだけど、万が一のお客があるかもしれないから、一応ね。お茶いれてくるから、さっそくとりかかっててくれる?」


 ん、と彼女が小さくうなずくのを確認して私はお茶とお菓子の準備にキッチンの方へと向かう。

 高地が来る前からある程度準備はしていたので、すぐに私はリビングの方へと戻る。暖かい紅茶と、お茶請けには先ほど焼いたばかりのクッキーを。本当はきちんと冷ましてからの方がおいしいのだが、時間がなかったので仕方ない。


「口に合うかわからないけど、ご飯できるまではこれでも食べながらがんばってて。もし書き上がったら、調理中でも目を通すから持ってきて」

「了解。それにしても、これ、あんたが作ったの?」

「それがどうかしたの?」

「へぇ……ほんとに器用ねあんた」


 呟くように言いながら高地はクッキーを一枚口の中に放り込む。


「しかも、当たり前のように美味しいし。こっちの立場ってものがないんだけど」

「もとからあなたに女子側としての立場なんてないでしょ。無駄口叩いてないで、早く書きなさいよ」


 渋々と紅茶をすすりながら彼女が紙面に向きなおる。もともと委員長気質の生真面目な彼女である、一度やる気を出せば監視なんてしなくてもまじめに自分のやるべきことに取り組むはずだ。私はその舵を切ってあげればいいだけのこと。

 早速シャーペンを走らせはじめた彼女を置いて私は私で夕飯の準備に取り掛かる。珍しい客人でもあるし、高地を応援する意味でも多少気合の入った夕飯にするつもりだった。

 正直、女二人で食べるメニューではないとは思ったのだけれど、験を担ぐために豚カツを作るつもりだ。

 それにご飯と、味噌汁とキャベツ、デザートは既製品のケーキで。

 単純に料理や美味しいものを食べるというのはやはり女子力の高さを磨く上で大切だと思う。特にスイーツに関しては尚更である。お気に入りのお店や得意なお菓子のレシピの一つや二つくらいなくて何が理想の女性像か。

 まな板と包丁を取り出してさっそく料理の準備、と気分が乗ってきたところで、


「瑠璃姉さん、お客様ですか?」

「うん、ちょっと、高地が来てるの」


 ふと、隣を見ると、鈴がいた。


「委員長が……? いったい何をしにきているんです?」


 あまりにも自然過ぎる事に一瞬気付くのに遅れて、それからようやく私の頭が事態を飲み込む。

 直感的に、まずいと、脳内で警報が鳴り響く。

 これは非常にまずい事態だ。鈴は私の趣味については理解があるから、変な誤解をすることはないだろうけれど……だからこそ余計にまずいのだ。私と、高地の間に接点なんてないに等しい。何かしら指摘されれば、ぼろが出て高地の和人への想いがばれてしまうかもしれない。

 鈴自体はおそらくそんなことを知っても気にはしないだろうけど、高地の方が怒り狂って私の秘密に加えてあることないこと言いふらし始める可能性は余裕でありすぎる。

 ここはなんとしても誤魔化さなければならない。


「ほら、期末、近いからちょっと勉強会、しようかって話になってね」

「その格好でですか、瑠璃姉さん」


 言われて、私は今の自分の格好を思い出す。もう最近では高地の前ではこの格好でいるのが普通だったせいで、すっかり忘れていたけれど、もしただのクラスメイト同士であれば、私の秘密を高地が知っているわけがないのだ。

 鈴は薄く笑っている。

 なのに、なぜだろう、その顔を見ていると、ぞっと寒気がする。


「まぁ、いいでしょう。とりあえず、挨拶してきますね」

「あ、まって私もいくから」


 二人だけで引き合わせたら、確実によくないことが起きる。勘に頼らなくても、考えなくてもそんなことは簡単にわかることだ。あわてていったん包丁をしまって鈴の後に続く。

 リビングではすでに人の気配に気づいていたらしい高地が不機嫌そうにこちらを睨んでいた。私はもうこの町では生きていけないかもしれない。


「これはどういうことなの長月?」


 いつもなら怒鳴り散らすような大声でまくし立てる高地が、ひどく落ち着いた、ゆっくりとした声で、私を問い詰める。それがなんだか余計に不気味に思える。

 できるだけ、彼女を刺激しないように私は必死に考えながら、とりあえずお茶を濁すことにする。


「この子は反田鈴」

「クラスメイトだから知ってるわよ。なんでここにいるのかって聞いてるの」


 その後に続く言葉にされなかった、「返答の次第によってはあんたの秘密今すぐばら撒くから」と言う文面が耳にはっきりと聞こえてきた気がするのは、高地との付き合いが長くなってきたせいだろうか。


「鈴は昔からの幼馴染で、私の女装の衣装を調達してくれたりとか、いろいろお世話になってて、たまにご飯食べにきたりとか、遊びにくるの」


 ここ最近、私の帰りが遅かったのもあってあまり会ってなかったからすっかりその危険性を失念して、今このような状況にあるわけで、完全にうかつだった。でも、いまさら後悔してもしかたない。今はとにかくこの局面を切り抜けないといけない。


「そういうあなたこそ、なぜここにいるんですか高地さん? そもそも、あなたなぜ瑠璃姉さんの秘密を知っているんです?」


 なぜだか少し、苛立ったような、喧嘩腰の鈴が、そう高地に問いかける。高地の方はなぜ喧嘩腰であたられているのかわからないらしく、眉をひそめて、鈴のことを見つめ返している。


「さっき期末テストの勉強だっていったでしょ。秘密に関しては、私がへまをして、たまたまばれちゃったの」

「そうなんですか、高地さん?」


 必死でフォローをいれるものの、鈴の方はなぜだか高地の方へ質問を投げ返す。お願いだから口裏を合わせてちょうだいと、必死でアイコンタクトを送る。


「そうなの……って言ったら信じる?」

「いえ、瑠璃姉さんがそんな簡単にへまをするとも思えませんし、ばれたとして、あなたと勉強をする理由が思い当たりません。そもそも姉さんとあなたでは学力に差がありすぎるかと、当然姉さんのほうが高いですが。加えて、最近のあなたの変化は、あからさまに瑠璃姉さんの影響でしょう? 最初はどうしたのかと思いましたけど、今日で合点がいきました」


 我が妹の私に対する厚い信頼が逆に私をすごい勢いで私を追い詰めていく。私がへまをしてばれたのは本当のことなんだけれども……。もうこれは、私の方から言い訳をしても無駄な気がする。あとはいかにうまく、高地自身がごまかせるかどうかだ。

 高地はひとつ小さく息を吐いて、俯いたあと、顔を上げる。


「ごまかしても無駄みたいね」

「でも、高地」

「確かに長月のミスだけど、もともと、一方的にわたしがあんたを利用するフェアじゃない関係だったんだから、ここは、変な誤解をこの子にさせないためにも、わたしがリスクを背負うべき場面よ」


 冷静な高地のその様子は、普段、私の前で見せる、尊大な態度でも、時に自信をなくしたときの彼女でもない。平時、学校で見せる、委員長としての彼女の姿を髣髴とさせる。


「利用、というのは聞き捨てなりませんが」


 鈴が、不機嫌そうに、高地に言葉を投げる。


「そう慌てなくても全部説明するわ」


 高地がソファに腰掛けなおして、鈴は近くの椅子を引いて腰掛ける。私は、いたたまれずに、立ったままその場にいた。ゆっくりと高地が、私との出会いから語り始める。




「なるほど、そういうことでしたか」

「理解してもらえたかしら?」


 長いような短いような話を終えて、高地はすっかり冷えてしまった紅茶を一気に煽る。


「大体の所は……言いたい事はいくつかありますが、二人のしている事は、もう間も無く終わる、という事で間違いないんですね?」


 険しい顔で鈴が確認を取る。


「その筈よ、わたしはこの手紙が完成次第、告白をするつもりだから」

「そうですか、なら、いいです」


 鈴はそう言うとあっさりと席を立って玄関の方へと向かっていく。


「帰るの鈴? 夕飯食べていかなくて大丈夫?」

「ええ、邪魔をしても悪いですし、ここはあたしが引いておく方が得策と判断します」


 頭を下げた鈴の元に高地は駆け寄りその手に、いつの間にかレターセットの便箋に包んでいた私の出したクッキーを持たせている。


「ごめん。でも、あなたが心配してるような事は絶対にないから、安心して」

「別に何も心配などしていませんが……そうですか」


 高地の言葉にどこか恥ずかしげに頬を染める鈴。いったいどういう意味の会話なのか。私には見当がつかないけれど、心なしか鈴は先ほどまでより表情を明るくして家を出て行った。


「いったい何の話だったの?」


 不思議に思って、聞いてみる。


「あんたなんかに恋愛相談してるわたしが馬鹿みたいって話。いいから早く夕飯作りにもどりなさいよ」


 一体全体先ほどの会話にどこにそんな要素が含まれていたのか。いぶしかみながらも私は黙って夕飯の調理に戻る。高地の方も手紙を書くためにソファに腰掛けてペンを握っている。

 悔しいけれど、私にはまだまだ乙女心というものは理解しきれないものらしい。女子力なら二人にも負けない自信があるのに。




 調理の間に、高地は二回下書きを持ってきて見せた。文章量が減っただけ大きな進歩なのは間違いなかったけれど、どちらも内容としては回りくどく、恥じらいのせいか本筋にまったく関係ない文章が多すぎたので両方没にした。

 三回目の添削の前に夕飯が出来たので、一度手紙の執筆は切り上げて夕飯を食べる事になった。

 高地と向かい合ってテーブルに座るというのに、なんとも奇妙な違和感があるのだけれど、別に嫌というわけでもない。ただ、むず痒いような、妙な照れ臭さがある。


「ごはんもおかずもおかわりあるから、好きに食べて」


 すでに食事の配膳は済んでいて、テーブルの上に並ぶ料理はどれも満足のいく出来だ。


「なんか、お店で出てくる料理みたいね。あんた、本当にいいお嫁さんになれるわ」


 あきれた様な冗談めいたその言葉に、思わず笑いが漏れる。お嫁さん、なれたらほんとにどれだけよかったことか。


「ありがと、それじゃ食べましょうか」


 二人で食事をとりながら、高地が持ち出してきたまだ書きかけの三枚目の手紙の添削をする。前二枚とは違い、ずいぶんとまともで、指摘する箇所はかなり少なくなっている。さすがは真面目な委員長といったところか、きちんと教えれば、何事もそつなくこなしてみせる。

 この分ならこれが書き終わったら清書に入ってもよさそうだ。そうしてそれが終わればこの協力関係も終わり。


「いいんじゃない? 後は、ここの一文、削ったほうがいいと思う」

「そう? そういうならまぁ、削るけど」


 そうして食事が終わるころ頃には、下書きは終わっていた。

 彼女が清書にうつる。私は食器を下げて洗い物を始める。水音、食器の音、ペンが便箋を走る音。

 会話はなく、それらの音だけが響いている。

 やがて洗い物を終えて、もう一度私は紅茶を入れてケーキと一緒に高地の元へと運ぶ。

 ちょうど彼女はペンを置いて、便箋を封筒にしまった所だった。


「お疲れ様」


 言葉を投げかけながら、ケーキと紅茶を目の前に並べる。


「ありがと、長月」

「どういたしまして。たいした事はしてないとおもうけどね」

「ううん、あんたがいなかったらここまで出来なかったと思う」


 珍しくしおらしい彼女を茶化す気にはなれない。私もなんとなく、少しだけさびしい気持ちがあった。


「明日さ……」

「うん……」

「一人じゃ心細いから、あんたも来てよ。できればその格好でさ」

「別にいいけど、万が一があるから和人の前にはでないわよ?」

「うん、それでいい。成功しても、だめでも、保留でも。あんたには一番に結果知ってもらいたいし」

「わかった」


 それからケーキを食べ終えて、彼女を家に送っていくまで、私たちは特に会話をする事はなかった。思う所もあったし、きっと緊張もあったのだろう。

 いずれにしろ、明日。

 泣いても笑っても、明日で区切りが付く。

 出来ることならば彼女にいい結果が訪れるように。

 私は柄にもなく神に、星に祈ってみたりして、その夜を過ごした。




 朝からずっと視線は高地へと自然に向いていた。

 意外なことにあいつはいつもどおり特に緊張した様子もなく普通に過ごしている。もっとガチガチになって日常生活もまともに送れないんじゃないかと思っていたのだが杞憂だったらしい。

 昼休憩、飲み物を買いに行こうとして、教室の入り口で何かにぶつかった。

 誰かと思えば、件の高地である。

 かなり急いでいたのか、奴はぶつかった勢いで廊下に倒れこんでいた。


「大丈夫か?」


 かがんで手を差し出してやる。


「ありがと」


 これが長月と高地の会話なら、きっとこいつは死ぬほど怒って怒鳴り散らしてくるんだろうなと思うと、苦笑がもれる。こいつもこいつなりに優等生を演じるのに苦労をしていたのだと気づくと、女の子として頑張っている余裕なんて今までなかったのかもしれないと、ふっと気づく。

 しっかり手を握ってその体を起こしてやる。

 その手は、少しだけ、震えていた。

 顔はいつもどおりの平静に見えて、少しだけ、頬が紅潮している。


「大丈夫か?」


 もう一度同じ言葉を投げかける。

 高地は服の汚れを払っていた手を止めて、俺の顔を一瞥する。


「大丈夫よ。それより、目立ちたくないんでしょ。いきなさいよ」


 周囲が少しだけ俺たちに注目しているのに気づく。気を使ってくれた高地に頭を下げて俺はそのまま廊下に出た。

 本当はやっぱり緊張しているんだろう。

 この格好では励ましの一つも送ってやれない自分が少しだけ情けない。

 それにもう、俺にできることも私にできることもやりつくしてしまっている。後は、高地と和人、二人の問題だ。

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