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 店を出てから四十分と少しで私は戻ってきた。相変わらず街中の視線を一身に受けるのは気持ち良いのだけれど、店内で一人食事をしていると脳みその足りていないお猿さんたちが釣堀以上に入れ食い状態で酷く鬱陶しかった。一人くらいの紳士的な好青年であれば昼食を一緒にするくらいならしてあげないこともないんだけども。

 最低限鏡を見て私に釣り合うかどうかの判断が出来る位の相手でないとね、そもそも私にそっちの気はないんだけど。


「戻りました店長」


 意気揚々と店に入る。


「お帰り瑠璃ちゃん」


 いつもの店長の声と、


「お帰り長月」


 今もっとも聞きたくない、高地の声がなぜか私を出迎えた。

 そいつはさも当然、といった感じでカウンター席に腰掛けてこコーヒーカップを片手にこちらを向いている。

 その相変わらず地味なメガネ姿に叫び突っ込みを入れそうになって押しとどまる。他にお客様がいないとはいえ店内で大声を出すなんて言語道断である。こんなのでもコーヒーを頼んでいる以上はお客様だ。バイトとして店長に迷惑をかけるわけにはいかない。


「いらっしゃいませ」


 引きつった笑顔を作りながら、何とかそれだけを言って、いないものとして扱う方針で私は指針を立てる。


「店長、言われたもの買って来ました」

「うん、ありがとう」


 そのままカウンターの方へ入り奴から距離を取る。店長にそのままドーナッツを渡してロッカールームの方へ向かう。


「それじゃ着替えて厨房の方整理するので」

「いやいいよ、あの子、瑠璃ちゃんの友達なんでしょ?」

「……まぁ、えぇ……」


 まさか先手を打たれているとは。ほんとに何しにきたんだろうあいつ。バイト先までやってくるとか、ほんと、空気読めてないというか、ていうか私、友達だったのか、てっきり奴隷かなにかと思われているものだと思っていた。


「どうせお客さん少ない時間だしね、あの子の相手しておいてくれるかい? 僕が厨房の方整理しておくからさ」

「わかりました」

「ところで、あの子」

「はい?」

「君の秘密、知ってるのかい?」

「知ってますけど……」

「そうか、それはいいことだね。貴重な女の子の友達だし、大切にね」


 なにがいいものか、と店長相手に愚痴を言ってもしょうがない。この人は本心から私の事を思って言ってくれてるんだろうし。曖昧に頷いて返しておく。


「それじゃ頼んだよ、他のお客様が来るまでは楽にしてていいから」

「はい、すいません」

「いいんだよ、気にしないで」


 店長が店の奥に引っ込んでいくのを見送り、着替えを終えてカウンターに出ると、ニコニコと笑っている高地が待っている。新手の拷問だろうか。


「いい店じゃない、あんたがバイトしてるところっていうから、てっきりメイド喫茶かなにかだと思ってたわ」

「それはどうも、それでなにしに来たの」


 カウンター内の整理と道具の点検をしながら会話をする。


「あんたが働いてるところに興味があったっていうのもあるけど、ちょっと相談とかあったんだけど、バイトみたいだし」

「わかってるならそれ飲んだら帰ってくれないかしら」

「そうね、そうする」


 わざわざやってきた割に、やけに素直で拍子抜けする。さすがに悪いと思っているのだろうか。いつもこれくらい聞き分けがよければ本当に楽なんだけど。

 会話が途切れると静寂が店内を満たす。

 時計の針の音、カップがソーサーに触れてたてる済んだ音、私が道具を整理する物音、この店のこの静けさが私はとても好きだ。そのはずなのに、なぜか今は少し気まずい。

 時の流れをゆっくりに感じる。

 あいつが席を立とうとしたところで、ちょうど店長がドーナツを並べた皿を片手に戻ってきた。


「ちょっと休憩しようか瑠璃ちゃん、コーヒーいれるから。高地さん、だったかな? 君もどうだい、お代はいらないから」

「よろしいんですか?」

「僕は別にかまわないよ」


 二人の視線が私へと向けられる、いやいや、まったくもって一体全体どういうことなのか。店長はまさかこういうのがタイプなのだろうか? 過去の件からいってそれはない、と思うのだけれど。どっちにしろここで断ったら、私の方が空気読めてないみたいになること間違いなしだし、もうどうにでもしてくれ、といった面持ちで私は力なく頷く。




 そうして、私はなぜかドーナツを前に高地と並んでカウンター席に腰掛けてコーヒーを飲んでいる。今日はなんともおかしな日だ。外で槍が降り始めても私はきっと驚かないだろう。

 店長と高地はなぜか話が会うのか、高地の普段の学校生活の話で盛り上がっている、時折私がそれに訂正と言う名の突込みをいれて、高地に睨まれるという事の繰り返しである。

 委員長なだけあって、彼女の学校生活は私より相当慌ただしいようで話の種は尽きない。半分くらいは彼女の誇張の入った武勇伝なので私の突っ込みも留まるところをしらない。店長はそれを楽しそうに見ているばかりだ。


「そういえば、高地さんは今日は瑠璃ちゃんになにか用があって来たの?」


 高地がカップに手を伸ばしたところで、店長がそんな質問を投げかける。


「たいした用でもないんですけど、あと、長月さんが働いてるところってどんなのか、ちょっと気になったので」

「なるほど、それじゃ瑠璃ちゃん、今日はもうあがっていいよ」

「冗談はよしてください、まだ十五時ですよ」


 時計を指しながら店長を睨みつける。お店を開いたのが十時だからまだ四時間程度しか仕事をしていない。八時間フルで仕事をいれないとバイト代だって物足りないし、そもそも店長にだって迷惑がかかる。


「そうはいうけど、この客入りだしね、なんだかんだ瑠璃ちゃんが戻ってからもう一時間お客さんが来てないわけだし、一番忙しいお昼の時間ももう終わっちゃったしね。バイト代はちゃんといつも通りだすから、高地さんの用事とやらに付き合ってあげるといい」

「いや、そんな悪いですから」


 などとずいぶん控えめにあわてたようなそぶりで高地が両手を振る。

 こいつほんと猫かぶるのうまいな。


「僕もちょうどやりたい事があったしね、店ごと閉めちゃってもいいかなと思ってさ」

「嘘じゃないですよね店長?」

「嘘じゃないよ、今までだって早めに店閉めた事だって何度もあるでしょ?」


 確かにそれはそうだ、それに、これでなかなか頑固な人だ、一度言い出し事はなかなか曲げない。ここはおとなしく店長の好意に甘える事にしよう。


「わかりました。この分夏の休みは目いっぱいバイトいれますから」

「そうしてもらえると助かるかな」

「高地それじゃ少し待ってて」

「あ、うん……」


 未だ事態を飲み込めずに戸惑っている高地をよそに私は奥へと引っ込んでさっさと着替えを済ませてしまう。


「それじゃ店長、お先に失礼します」

「はい、お疲れ様、気をつけてね」


 店長に挨拶を済まして、先に外に出ていた高地の元へと向かう。

 改めて見ると今日の高地もなかなかちぐはぐな服装をしている。髪の毛は先日教えたとおりのきれいな状態なのに、めがねは野暮ったいまま、服装の方は、可もなく不可もなく、ダサい、というほどではないが、お洒落なわけでもない。多分これはこいつのセンスじゃなくて、親に買ってもらった服なんだろうなってなんとなくわかる。


「いい加減その眼鏡やめたら……?」


 何を喋って言いかわからず、開口一番漏れたのはそれだった。だってやっぱりそれが一番浮いてるし、これと一緒に歩く私の身にもなってほしい。そりゃ程度の低い相手は私にとっては引き立て役にしかならないけれど、あんまりあれだと、私のランクまで落ちて見える。


「うっさいわね、まぁ、なんかいきなりきて悪かったわ」


 悪態をつくか謝るのか、どっちかにしてほしいものだ。フイと顔を逸らして歩き出した高地に私はついていく。せっかく店長が気を使ってくれたのだ、嫌でもこいつに付き合ってやるのが筋というものだろう。


「どこ向かってるの?」

「あんたがあんまりにもいうから、眼鏡やめようと思って、でも、家とかだと眼鏡のが楽でしょ? だから普段使いの別の奴買おうと思って。デザインとかあんただったらいいの選んでくれるかなって」

「ふぅん……」


 なるほどね、私に頼りっきりになるのが嫌だから言い出しにくかったんだろうか。まぁ無駄にプライドとか高そうだし、友達とかいなさそうだし。頼られる事事態は悪い気はしない。もっと素直になってくれれば私としても楽でいろいろ教えて上げられるのに、めんどくさい女である。


「とりあえず、メール覚えようか」

「そうね、善処するわ……」


 昨日とは違う返事に苦笑する。


「そのまえに、コンタクトと眼鏡だけどね、私に任しておけば、ま、和人なんて余裕よ」

「そんなの当たり前でしょ、なんたってわたしなんだから」


 少しだけいつもの調子に戻った彼女に思わず噴出す。

 やはり高地はこうでないと、調子が狂ってしまう。

 いつもと同じように周囲からの視線があるはずなのに、不思議と、私はいつもの高揚感を感じ事はなく、また違った楽しさを感じていた。




「昨日はどうだった? あの子の用はちゃんと終えられた?」


 翌日の休みも、私は朝からバイトだった。

 店長に昨日の話を振られたのはお昼の休憩から戻った直後だった。


「えぇまぁ」


 結局あの後メガネとコンタクトを買いに行くのに付き合って、その後妙にご機嫌な高地にファーストフード店でポテトをご馳走になり、そおのまま解散した。


「そうか、それならよかったよ」

「店長はどうでした?」

「上々だよ、目的の新しい豆を仕入れてきたんだ、少し試してもらえるかな?」


 言いながら店長がテーブルの上を片付けてコーヒーを淹れる準備を始める。


「いいですけど、私あんまりコーヒーの味わかんないですからね」

「知識ばっかりあるより、ストレートにどう思うかが大事だよ。新規顧客開拓のための豆だしね」


 そのいかにも上機嫌な様子からして昨日のあれはまったくの嘘、というわけでもなかったようだ。この人には本当に頭が上がらないと思う。足を向けて寝られやしない。


「また今度あの子も連れてきなよ」

「本人が来たがったらそうしますよ」


 席に腰掛けて店長が準備するその様を私は眺めている。

 お昼のかきいれ時を終えたあとの店内には相変わらずお客様の姿はない。時々この店の経営が心配になる。まぁそれでも私を雇う余裕があるうちは多分、大丈夫だろう。

 店内に新しいコーヒーの香りが広がる。店内に広がる優しいそのにおいに目を閉じる。こうしている間だけは、私は私の忙しない日々を忘れてゆっくりと落ち着いていられる。

 この店のそんな時間が私はたまらなく好きだった。

 外ではゆるゆると雨が振っていた。

 梅雨時のしとしととふる雨に目を向けながら私は店長がコーヒーをいれてくれるのをじっと待っていた。


 休み明けの月曜日。我がクラスには朝から不穏な空気が漂っていた。

 その中心人物は言うまでもなく、高地である。

 誰もが彼女の変化に触れたい、しかしもし触れてなにか、取り返しのつかない何かが起きてしまったら、そう思うと誰も触れられないのだろう。

 あの高地美咲が休みが明けたらものすごく可愛くなって登校してきたとあれば、俺以外の全員はそれはさぞ驚くことだろう。

 彼女のトレードマークであったあのメガネはもうない、余計な装飾を取り払い、控えめなメイクだけの彼女は今までの彼女とはまるで別人だ。何も知らない人につい先日までの高地と今日の高地の写真を見せたらきっと同意うつ人物とは思わないだろう。

 それも俺のプロデュース能力にかかれば当然な話、自分の才能が怖くなる。

 髪の毛の変化にじゃれ合っていた女子たちもさすがにこの大きな変化には戸惑っているのか、声をかけていいものか迷っているようで遠巻きに高地を眺めているだけだ。

 当の本人、高地自身も周囲のその動揺を感じ取っているのか、少しだけ頬を赤くしながらも、時折こちらに視線を向けては俺のことを呪おうとするかのような憎悪を孕んだ瞳で睨んでくる。それは恩人に対してあまりにも理不尽な態度ではなかろうか。

 そんな、なんとも言えない緊張感が張り詰める教室の扉が音を立てて開く。この気まずい空間に次に足を踏み入れたのはだれだろうと顔を上げると、入ってきたのは和人であった。

 教室の空気など物ともしない我が親友は周囲に挨拶をしながら、ふと、高地の席の前で足を止めた。教室の空気が張り詰めるのがわかる。

 教室中の誰もが息を呑んで事の顛末を見守っている。もしかしたらこの空気を和人なら破ってくれるのではないかと、期待の眼差しを向ける。

 だが、今この瞬間教室中の誰予知も高地自身が一番緊張しているはずだ。俺も息を殺してただじっと二人の方をみつめている。


「おはよう高地さん」

「お、おはよう吉池君」


 二人のなんともない挨拶に、教室がシンと静まり返り、


「眼鏡やめたんだね、そっちのほうがいいと思うよ、うん。似合ってる」

「そ、そう、ありがとう」


 和人の言葉に、真っ赤になった高地はそっけなく返しながら俯いてしまう。

 教室から妙な緊張が抜けていくのを感じる。俺も肩の荷が下りた気分だった。

 よかったじゃないか高地、誉めてもらえて。私の苦労したかいがあるというものだ。

 俺も和人と挨拶を交わして、息を吐いて椅子に深く腰掛ける。

 これでやっとひと段落、と言うわけにはいかないだろう。まだやっと、スタートラインにたったに過ぎないのだ。俺に任されたのはあくまで二人が付き合う手伝いであって、プロデュースではない。

 今現在、奴に言い渡されている件の指令だってちゃんと覚えている。

 でも、今くらいは素直に喜んだっていいだろう。素直にめでたいと思える事を祝福できないほど俺の性格は腐ってはいない。

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