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 放課後の夕暮れ時、私は人気のない裏庭でオレンジ色に染まる校舎を見上げながら一人佇んでいた。

 平日の放課後、こうして学校に私、の制服姿でいるのは少しだけ久しぶりで、いつもならきっと楽しく胸が弾んだのだろうけれど、今はとてもそんな気分ではなかった。

 多分人生でこんなに緊張したのは、初めて私が私と出会った時以来だろう。

 和人に私の秘密を打ち明ける。

 つまり私が東遊里であるとカミングアウトするということ。

 怖いし、不安もあった、それでもやろうと決めた。

 あの日、高地の泣き顔を見て、思ってしまったのだ。あの子の恋は報われなければならないと。こんな理不尽な出来事で終わらせてはならないと。

 二人に私が秘密を打ち明けると話した後、高地にも鈴にも正気を疑われ、止められもしたけど、私の意志に揺るぎはなく、二人の反対を押し切って全てを打ち明ける覚悟を私はしていた。

 これ以外の方法がなかったというのもある、でもそれ以上に、自分だけを大切に守って、自分のすぐ側で泣いている高地を放っておくなんて、それは違うと思ったから。

 高地のため、和人のため、でもそれ以上に自分自身のために、ここで全てを打ち明けなければ絶対に後悔するから。

 秘密を打ち明けて、いったいどうなってしまうのか。

 そんな不安を拭い去るように頭を軽く振って視線を下げる。

 ちょうどやってきた人影と目が合う。

 つい三十分ほど前に別れ、そうして、おそらくこれから赤の他人になってしまうであろう、唯一の学友、吉池和人。

 いつもと変わらぬその普段どおりの佇まい、すらりと高いその長身は横に並べば多少の威圧感を放つ。


「早いわね吉池君」


 待ち合わせた時間まではまだ少し時間があったはずだと思ったのだが、まぁこいつの性格からして早めに来ることは予想できていたこと。


「長月さんも」


 つい先週こっぴどく私に振られた後だというのに和人は嬉しそうにニコニコとしている。よっぽど私の容姿はやつの好みだったらしい。複雑な思いで胸がいっぱいになる。胸が詰まって小さくすぅと息を吸う。


「まさか貴方のほうから呼び出してくるとは本当に予想していませんでした。どうすればまた出会えるかと頭を抱えていたんですが、その手間が省けました」


 素直に再開を喜ぶ親友に私はこれから残酷すぎる現実を突きつけねばならない。今声を出したらみっともなく震えてしまうかもしれない。落ち着け、落ち着け、と心の中で唱えてから、きっぱりと冷淡な声で私は喋る。


「勘違いしないで吉池君。話があるとはいったけれど、あなたの気持ちに応える気はないから」


 我ながら端から酷いいいようだと思う。それでも期待を少しでも持たせるよりはましだろう。少しでも最低に近い状態から、落差はできるだけ小さいほうがいいに決まっている。たとえそれが誤差程度だとしてもだ。


「えぇ、それはわかっていますよ。あなたがそんなに簡単にあの時の言葉を翻すなんて思ってないですから。単純に俺は、あなたに再会できたことがそれだけで嬉しいんです」

「そう、それならいいけれど」


 もっと重くなると思っていた空気は和人のせいでどこか半端に軽くて、なかなか私は話を切り出せない。だが、いつまでもそうしてもいられない。高地が告白をしようとしてできなかった気持ちが今ならわかる気がする。言葉がこんなに重いものなんだって私は始めて知った。


「聞くだけ無駄かもしれないけど……あなた、私の事を見なかったことにはできない? 最初から私なんかと出会わなかった、そういう風に戻る事はできない?」


 きっとそれができるのならば一番いい。けどそんなことはできやしない、わかっている。それでも縋りたい。これは私の最後の逃げだ。通用する事のないその逃走経路を、自ら塞ぐ為の。


「無理ですよそんなの、できるわけがない。俺はあなたに出会って本当に恋焦がれるという感覚を知った。あなた以外の事はもう考えられない」

「まぁ、そうなるか」


 こんな事でかたがつくなら最初から苦労なんてしていない。これで足場は固まった。後は最後まで立ち続け喋りきるだけだろう。


「ねぇ、あなた気づいてるんでしょう?」

「何をですか?」

「貴方の近くに、どうしようもないくらい貴方の事を思って、苦しい思いをしている子がいる事」


 私の言葉に和人は一瞬だけ気まずげな顔をみせるが、すぐにいつもどおりの平然とした表情に戻る。


「もしかしてそれは貴方のことでしょうか?」


 おどけたようにいうその態度が私の神経を逆撫でする。

 人の心の機敏に敏感な和人が高地のあんな様子から彼女から寄せられる好意に気づいていないはずがない。こうしておどけて見せたのがその証拠だろう。


「ふざけないで、こっちは真面目なの」

「俺も大真面目なつもりなんですがね。それで、その子が俺達の話にどう関係してくるんですか?」

「貴方の事を思っていてくれる非の打ち所がない子がいるんだから、その子を大切にしてあげる気はないの?」


 私の言葉に和人は急に真面目な顔になる。先ほどまでのどこかたるんでいた空気がぴしりと重くなるのがわかる。ぐっとお腹に力を込める。


「その理屈が通るのなら、あなたは俺の事を大切にしてくれるのですか? 俺は自分で自分の事を非の打ち所がないと言うつもりはないですが、貴方の事を強く思っている」

「それは……」


 言葉に詰まる。


「私では無理だから、もっとほかにいい人がいるから、その人にしたらなんて、そんなの不可能ですよ。それは彼女にも失礼だ。この気持ちは決して変えの効くものじゃない、貴方じゃないと、俺はだめなんです」


 和人の言葉は正しい。私の理屈が通ってしまうのならば片思いされた側はたまったものじゃないだろう。誰かを思う気持ちには変えは効かない。当たり前だ、そんなことはわかっている。

 けれど、これはそんな大きな話じゃないんだ。

 確かに世界中に五万と転がっているだろう同じような境遇にこの解は当てはまらないかもしれない。けどこの場においてだけは、それは正しいはずなのだ。

 私という存在自体がそもそもにしておかしいのだから。

 そうして何よりも、理屈がどうとかなんてどうでもいい、私はただ、高地に笑っていてほしいのだ。


「貴方の気持ちだとか、失礼かどうかなんて、どうでもいいの」


 自分を奮い立たせるように、鋭く、早い言葉を。

 頭に思い浮かべるのは、理想の私。

 はっきりとした言葉で、自分の思いを持ち、ブレることのない、カッコいい自分を。

 和人が言葉を紡ぐより早く、私は遮るように言葉を振るう。


「そもそもの根本的な間違いを正しましょう」


 胸は壊れてしまうんじゃないかというくらいドキドキと早鐘をうっていて、背筋には薄ら寒いほどの脂汗が浮いているのがわかる。強く握り締めた拳は痛いくらいで、声が震えなかった自分の事をほめてあげたいくらいだ。

 だけど、それは全部終わった後でいい。

 私はまだ、私でいなければならない。

 望む結末へ向かうために。


「間違い……?」

「そう、一番最初、貴方と私が出会ったところ、貴方が、私を好きになった事がそもそもの間違い」

「意味がわかりません。先ほども言ったはずです。俺は貴方の事を諦められない、この気持ちが間違いなんてあるわけがない」


 目を閉じて、大きく深呼吸を一度。

 全身が変にこわばっているのがわかる。体中まるで自分の物じゃないような奇妙な剥離感。それでも不思議と頭だけは冴えていて、淀みなくその一言は私の口から滑りでた。


「貴方に私の秘密を教えてあげる」


 一歩踏み出して、和人のその目を手で隠す。


「少しだけ、目を瞑っていて。私がいいって言うまで。そうしたら全部わかるから」


 戸惑った様子を見せながらも、和人は覚悟を決めたように頷く。


「わかりました」


 手を離し、和人が目を瞑っているのを確認するとグッと下唇を噛んで覚悟を決める。

 次に和人が目を開けるとき、私はたくさんのものを失うだろう。

 最悪、私すら失ってしまうかもしれない。

 それでもいいと決めたから、私はここまで来たんだ。

 取り出すのは私ではなく、俺の時に使う、やぼったいメガネと、髪をまとめるためのゴム。

 メガネをかけて、セットした髪型を崩してから適当に縛って前髪をたらす、それで終わりだ。

 メイクや細かい違いはあるけれど、和人ならこれだけで十分気付くはずだ。

 あとは、一言告げるだけ。

 息が荒くなる。

 心臓は弾けてしまいそうで。

 いったい私はこれからどうなってしまうのか。

 怖い、わからない、不安でしかたない。

 でも、迷ったって何も変わりはしない。


「まだですか……?」

「もう少しだけ、待って」


 楽しかった、私でいる時間。掛け替えのない一番大切だと思っていた時間。

 そのはずだったのに。

 いつの間にか高地と女友達として騒いでいる時間が好きになっていた。

 彼女には笑っていてほしい。

 友達としてそれはきっと当然の事で。

 和人にだって、笑っていてほしい。

 このまま騙し続けてもいずれ和人を傷つけるだけだ、だったら傷は浅いほうがいい。

 気付くと心は落ち着いてた。

 声をかける。

 私の声ではない、普段どおりの、俺の声で。


「もう大丈夫。和人」

「えっ……?」


 聞きなれた声に弾かれるかのように和人が目を開ける。

 目の前にいるのは、女子制服に身を包む親友の俺。

 その衝撃はいったいどれくらいのものだろうか? 俺には想像もできないが、ただものすごくおぞましい光景であることだけは想像に難くない。

 最悪殴られても、罵られても、秘密を学校中にばらされても文句は言えない。

 けれど、和人はそれらのどの行動もとらなかった。

 ただ、無言でその場に膝をついて崩れ落ちた。

 適当に結んだ髪の毛を解いて、メガネをはずして、髪を軽く手櫛で整える。


「これで、わかったでしょう? ごめん和人、私のせいで」


 謝って許してもらえるものでないのはわかっている。ただの気休めの、他ににかける言葉もないから、口をついて出た言葉。


「詳しい事は高地が全部知ってるから、もし気になるなら彼女から聞いて」


 事務的にそれだけの事を話す。私の言葉なんてもう聞きたくないだろうから、事の真相は高地に任せる。

 和人は崩れ落ちたまま項垂れて、何も言わない。

 しかたのないことだ。

 俺と和人の間にあった友情や、和人が私に寄せていた好意のような何かは、もうこの世界のどこにも残っていやしないだろう。それでいいと思う。出会ってしまった事が間違いだったのだから。

 これできっと二人はうまくいくはずだ。余計だった私と言う異分子が取り除かれて、純粋にみつめ合える。


「さようなら」


 最後にそれだけの言葉を残して私は歩き出す。

 震える足が頼りない一歩を踏み出す。

 理想の私には程遠い一歩。

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