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 待ち合わせ時間の十分ほど前には、私と鈴は駅前まで戻ってきて、二人の待ち合わせ場所が見えるオープンテラスのカフェでお茶を飲んでいた。

 お昼を食べて、鈴の希望から本屋を数件梯子して、それから露店を冷やかしながら駅前に戻ってきたのはつい十分ほど前のことだ。午後を回って街には午前中とは比べ物にならないくらいの人があふれ始めていた。どこからこれほどの人があふれ出して来たのか、いつも疑問に思う光景だ。

 街を行く人々は一人だったり、集団だったり、あるいはペアであったりとそれぞれ様々で、誰もがいつもと同じ日常を、あるいは、特別な一日を送っている。

 運ばれてきたばかりのコーヒーに口をつけて顔をしかめる。店で出すには少々お粗末な味だ。家の店の店長の方がよっぽど美味しいコーヒーを淹れる。だというのにこの店はそれなりに繁盛しているようで、私の勤務時の店よりよっぽど客が入っているではないか。

 これが立地と外観の差なのかと頭がくらくらする。しかもこれで家の店より一杯の値段が倍近いというのだから、大変な暴利である。もう二度とこの店に来る事はすまいと心に固く誓う。

 私のそんな思いを知ってか知らずか、鈴の方はすっかりリラックスして食後の紅茶とケーキを大変嬉しそうに食しておられる。もう時間まで十分もないのにいくらなんでもリラックスしすぎではないだろうか。

 ため息とともに視線を駅前の広場に移すと、ちょうど高地が周りを気にしながらやってきた所だった。予想通りというか几帳面に予定時間よりずいぶん早いご到着だった。変に緊張してなければいいんだけど。


「鈴、高地が来たから早めに食べちゃって、店出る準備しよう」

「わかりました」


 声をかけると、少しだけ残念そうな顔をした鈴は、残っていたイチゴを一口で食べてスポンジと生クリームもすぐさま片付けて紅茶で流し込んでしまう。そこまで急がなくてもいいんだけど……なんだか悪い事をしてしまった気分だ。

 それから程なくして和人が駅からやってくるのが見えた。こちらも予想通りと言うか、五分前にはきちんとついているあたりやはりきっちりとしたやつである。私と鈴は二人が互いに声を掛け合ったのを見届けると会計を済ませて急いで店を出た。

 こちらに和人が気づく様子はなく、私たちはそのまま駅構内へと隠れるように移動しながら二人の様子を眺める。


「大丈夫かしら高地」

「どうですかね……」


 遠目に見る高地の様子は普段通り、というわけにはいかないようで、彼女の動きはどこかぎこちなく、俯きがちで目を合わせられないでいるようだった。仕方ない事とはいえ、やはり心配になってくる。しっかり前を向けと声をかけたくなるのを堪えながら二人の監視を続ける。

 高地が緊張のせいでうまく喋れないのか、二人はそれなりに長い間その場にとどまっていたが、やがて、高地を先導するように和人が歩き出す。その後に続くように高地もゆっくりと歩き出した。

 なんとかデート開始前にすべてが終わるという、考えたくもない最悪の状況は回避できたようでほっと胸を撫で下ろす。けれど、安心している暇などない。


「姉さん」


 鈴の言葉に頷いて私たちは二人の尾行を開始する。当然そんな事をした事がないので、歩行時はできるだけ距離を離して感づかれないように気をつける。一応ネットやら本やらで一通り勉強はしてきたものの付け焼刃の技術にそれほど頼るつもりはない。どうせ行き先はわかっているのだから、安全に、チキンに徹する事に最初から決めていた。

 後ろから見ている限り今の所大きな問題はなさそうに見える。歩いているうちに高地の方も緊張がほぐれてきたのか、何かを軽く会話をしているようだった。

 よくもまぁここまでこぎつけたものだと、それだけで彼女を称賛したくなるのだが。それは全て終わってからでいいだろう。今はただ、彼女が望むとおりに私たちは全ての顛末を見届けるだけだ。




 二人のデートは傍から見る分にはそれなりに順調なように見えた。

 もともと二人ともまじめな性格だし、気の合うところもあるのだろう、特に話題に困るようなこともなく、移動中も気まずい雰囲気になっている、ということはなさそうだった。

 午後も四時を回って今二人は喫茶店に入って休憩しているところだ。私と鈴も同じ店の少しはなれた席に腰掛けて二人の様子を伺っている。


「どうなることかと思いましたけど、このまま無事終わりそうですね」

「そうね、まだ一番大事なのが残ってるけどね」


 そう、一番大事な告白は最後の最後。そもそも高地が本当に告白するのかどうかも、まだはっきりとはしていない。もしかしたらこのまま二人で遊んで解散、なんてことも十分ありえるわけで。例えそうなったとしても、高地は今日で終わらせると言っていた。もし告白できなかったとしても、自分の気持ちは今日でもうなかったことにするのだと。

 高地は相変わらず、楽しそうに笑って、時折恥ずかしそうに頬を赤らめ、私の知る彼女とは違う、女の子らしい顔を見せて、表情をころころと変えている。その様子から本当に彼女は和人の事が好きなんだというのが、痛いくらいに伝わってくる。


「片思いって、辛いわね本当に」

「姉さんからそんな言葉出るとは」


 心底驚いた風に鈴が言う。


「和人と高地が付き合っちゃえば全部丸く収まるのに、なんでそうならないんだろう。どう考えてもそれが一番自然なのに」

「姉さんのせいでしょう……確かに全部知っているあたしたちからしたらそれがきっと一番最良の結果でしょう。でも人の心というのはそんなに合理的には出来ていないんですよ。好きになってしまったら例え相手がどんな状況で、こちらに興味がなくとも、嫌いになんてなれないんです」

「まるで呪いよね。どうしようもないのに、どうにかしたくて、そうやってあがいたってどうしようも出来なくて。しかもそれが全部自分のせいだっていうんだから」


 本当にいっそ嫌いになってしまえれば楽だと言うのに。

 それでも今こうして私が見つめている高地の顔は本当にうれしそうで、幸せそうで、もしかしたら今この瞬間の高地には私でも勝てないのではないのかと、そんな気持ちにすらさせられてしまう。

 そんな高地の隣にいるというのに我が親友の顔はどこか冴えない。

 時折会話に笑い声を上げ、さりげない気遣いを見せたり、いつもどおりの和人のように見えるが、時折、ほんの一瞬だけふっと、別の何かに心奪われているかのように、虚空を見つめてぼぅと視線をさまよわしている。

 目の前に自分を誘ってくれた相手がいるというのに、いったい何に気をとられているのか。

 それは考えるまでもないことだろう。

 和人だって高地と同じように呪いにかかってしまっているのだ。

 その事を思うとどうにも胸が痛くて。

 誰も悪くないはずなのに、どうしてこんな事になってしまったのかと、悔やまずにはいられない。


「姉さん、二人ともお店を出るみたいですよ」


 鈴の言葉に私は思考に没頭していた意識を戻す。

 会計を済ませて二人の後を追いかける。私の足取りは重く、苛立つように荒れている。

 私はいったい何に対して怒っているのだろうか。

 夕暮れに差し掛かりつつある街はどこか寂しげで道行く人たちの歩みは心なしか重い。それは私の気持ちがそう見せているだけなのか。

 前をいく和人と高地は並んで歩いているが、身長差のせいか和人を見上げる高地は大変そうだ。

 そんな二人の姿を見ていると、、ふつふつと胸が泡立つような、行き場のない怒りのような苛立ちが後から後からわいてきて、抑えることができない。理由のわからない怒りはどこに矛先を向けていいのかもわからずただただ積もっていくばかりでもどかしさと息苦しさを感じる。

 この気持ちはいったい何なのだろう。


「顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」

「平気、なんでもないから」


 心配してくれている鈴に対してぶっきらぼうな口調で返す。全然平気などではない、あからさまにおかしい。おかしいのはわかるのに、何がおかしいのかはわからない。もどかしくて、頭をかきむしりたくなる。

 それでも今ここで監視を終わるわけにはいかない、高地に最後まで見届けるとそう約束したのだから。

 私は黙ってただただ歩く。

 鈴の心配そうな表情が胸に痛い。




 二人が駅前の広場に戻ってきたのはもう日も沈みはじめた頃。待ち合わせと同じ場所で二人は他愛もない会話を続けているようだった。私と鈴はその姿を近くのコンビニからそれとなく眺めている。

 二人と同じように駅前でたむろって喋っている人たちもいれば、そそくさと駅の中へと吸い込まれていく人、逆に駅からゆっくりと出てくる人、いろいろな人達が行き来する中、二人の周りだけはまるでぽっかりと穴が開いているかのように不思議と人が寄り付かないでいる。

 それは幸か不幸か。

 高地の予定ではこの別れ際に告白をして手紙を渡して別れるという手はずになっている。あの日渡せなかった手紙とは違う、また一から書き直した、今の素直な気持ちを込めた高地の手紙。

 当然告白してその後同じ電車に乗って帰るなんて気まずいから、高地は電車の時間ぎりぎりに告白をして一人駅前に残る事を画策していた。

 告白できる時間は限られている。それは自分自身の背を押すためだと彼女は語っていた。なにかきっかけがなければ踏ん切りがつかないかもしれないからと。

 その電車の時間が刻一刻と迫っている。

 二人は未だに今日一日ずっとそうで合ったように楽しげな顔で会話を続けている。

 もう時間がないのに、大丈夫だろうか。

 不安に鼓動が早くなる。

 隣をちらりと見れば鈴も食い入るように二人の事をみつめていた。

 私も視線を戻して、二人の顛末をこの目に焼き付けようとじっと見つめている。

 やがて、高地が、顔を伏せて、二人の顔から笑みが消えた。

 黙りこむ高地と、それを静かに見守っている和人。

 息を呑んで見守る。

 鈴もぎゅぅっと祈るように手を組んで成り行きを見守っている。

 がんばれ、高地。がんばれ。

 心の底から祈る。この思いよ、届けと。高地の思いよ届け、と。

 ここまでがんばってきたんだから、報われてほしい。どうか、幸せになってほしい。誰もが笑えるハッピーエンドを、そう望んで私も手を組む。

 電車の時間が迫る。

 高地はまだ俯いたままで、コンビニの店内にまで響いてくる、電車がホームへと向かってくる音。もう時間はいくばくも残されていない。

 見ているのが怖かった。この戦いに決着をつく瞬間を見届けるのが、どうしようもなく怖かった。それがどんな結末であれ、でも、目を離せない。動けない高地に届けと今言わないでいつ言うのだと、そう語りかけることしかできない。

 脳裏によぎるのはあの日、この状況を呼び込んでしまったあの瞬間。

 これでは一緒だ、あの時と一緒になってしまう。

 高地が言わないとだめなんだ。言わなければその気持ちはきっともやもやとした後悔と、中途半端なくすぶりを残したまま高地をだめにしてしまう。そんな気がする。

 駅前の時が止まってしまったかのように、誰も何も動かない。

 急がないと、もう時間がない。今しかない、今言わなければ絶対に後悔する。言え、言え、言え!

 高地が、動く。

 顔を上げた彼女のその顔には、笑顔が浮かんでいた。

 高地は何かを一言つぶやく。

 和人も答えるように何かをつぶやいた。

 そうして二人は、手を振って。

 和人はそのまま駅の中へと入っていき、高地はその背中をいつまでも見送っていた。

 長く止めていた息が口から熱をもって漏れる。

 頭を項垂れて、長く強く息を吐く。

 最後だって決めたのに、今日こそ気持ちを伝えるって言ったくせに、何のためにここまでお膳立てをしたのか。

 その心の中のどうしようもない気持ちをぶつけるためではなかったのか。

 この日のためにたくさん頑張って、我慢して、やっとその時を迎えたというのに、平気な顔で別れを告げた。そんなところで強くならなくてもいいのに、もっと自分のために強くなればよかったのに。

 結局何一つ変化のないまま終わってしまう。

 それでいいのだろうか。

 私は鈴と一緒に高地の元へと駆けていく。




 人が行きかう雑踏の中、高地は一人ベンチに腰掛けて俯いていた。

 私と鈴は人の波を掻き分けて彼女の前で呆然と立ち尽くして、なんと声をかけるべきかわからずにただ言葉を探していた。


「お疲れさま」


 出てきたのはそんな当たり障りのない言葉。本当はもっと伝えたい事があるはずなのに、うまく口から出てきてはくれない。

 胸の奥につかえた何かが痛んでそれを阻んでいる。


「ごめん、二人とも、やっぱりわたし、言えなかった」


 項垂れたまま、高地はぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「最初から全部わかってたつもりだった、わかっててそれでも告白するつもりだったのに。今日一日ね、一緒にいれてそれだけで本当に嬉しくて、幸せで、今のままでいいんじゃないかって、思っちゃった。告白して、困らせる事、わかってたから、わたしだって、ふられてそれでもう、話せないなんて嫌で、結局、言えなかった」


 高地が謝る事なんて何一つないのに。

 彼女はきっと彼女が持つ答えの中で、一番穏便で、自分も回りも、誰もが困らない選択肢を選んだ。自分の気持ちを曲げてまで、そうした。それを非難するつもりなんて私には毛頭なかった。

 ただ、それでも胸の中でふつふつと、沸き立つものがあって、それはまだ収まりそうになくて。どころか、それはどんどんと、心の中を大きく占めていく。


「それでいいんですか?」


 隣に立っていた鈴が聞く。


「本当に諦められるんですか? 近くにいるだけで満足出来るんですか? 他の誰かを好きな、その人を見て、嫉妬に狂わずにいられますか?」


 鬼気迫るほどに、感情のこもった鈴の声。こんな声を聞いたのはいつぶりだろうか。高地の肩をつかんで鈴は高地の顔を覗き込みながら、容赦なく問いかける。


「あなたの気持ちはそんな程度のものだったんですか? もっと切実で、自分を変えてもいいと、そう思えるほどに叶えたい恋ではなかったのですか?」

「そんなこと言っても、どうしろって言うのよ! わたしだって、本当は、出来ることなら言いたいよ! でも勝ち目のない勝負を挑んで、それで誰も幸せにならないんじゃ、そんなの意味ないよ……告白したって、絶対引きずるだけだってもう、自覚しちゃったんだから、これ以上、どうしろっていうのよ……」


 顔を上げた高地の瞳には、涙が溜まっていた。いつか見た泣き顔と同じだ。

 高地の言葉に、私も鈴も答えを返せない。

 だってそんな答えありやしないのだから。

 この世界にはどうしようもない事がたくさん転がっている。私がどれほど望んだって絶対今の私ではいられないように。避けては通れないこと、我慢して諦めるしか出来ないこと、数え切れないくらいそれはたくさん転がっている。少し歩けば躓いてしまうくらいに。

 それでも、それでも。

 涙を流す彼女の姿をみて、何とかなしなくてはいけないと思った。

 ふつふつと沸き立つ何かが、自分の中で形を持っていくのがわかる。

 父の言葉を思い出す。


『女性を泣かしては行かんぞ悠里。男の一番大事な仕事は女の子の笑顔を守ることだ』


 古臭い考えだと思う、けど、やっぱり泣いている彼女を笑顔にしたいと私はそう思うのだ。

 この湧き出る気持ちは、苛立ちだ。

 高地へのでも、和人への、でもない、無力な自分に対する怒りなどでもない。

 これは、馬鹿な私への怒りだ。

 私は本当は知っていたんだ最初から。

 全部、うまく丸く収まる方法を。

 その方法から目を逸らして、高地を苦しめ続けた私に、私は苛立っていたのだ。

 そう、最初から、ずぅっと一番簡単な解決方法はそこにあったのだ。

 私はその答えあわせをするように、二人に告げる。


「和人に、私の秘密を打ち明けよう」

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