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久しぶりの放課後の街を歩くのはやはり気持ちがいい。
休み明けの夕暮れの街はかったるい週の初めから開放された人々であふれかえり、それなりに賑わっている。その周囲の視線を独り占めにするこの快感はやはり何物にも変えがたい。
ここのところずっと高地からの誘いで忙しく駆けずり回っていたおかげで放課後はまったく私で遊べる時間はなかったのだけれど、久しぶりに彼女からなにか声をかけられることもなかったために、私はこうして街へと繰り出していた。
しかも今日は初めて制服で街に出ているのだ。
周囲の視線の食い付きの違いが肌でわかる、ねっとりと絡みつくような視線に背筋がゾクゾクと震える。そう、この感覚こそ私が求めているもの。久しく感じていなかった感覚に自然と笑みが漏れる。頬が熱くなるのを感じる。やはりこうでなくてはならない。
仕事帰りのサラリーマンも、遊び歩いているらしき高校生も、女子中学生すらも私のことを見ている。その美しさに釘付けになり目が離せないでいる。素晴らしい、なんて素晴らしいんだろう私は。
最近は高地に変態やら変質者なんて罵られてばかりであったけれど、やはり私の美しさは本物だ。
はぁっ、と熱い吐息が口から漏れる。
このまま街を散歩するだけ、というのも少々味気ないだろうか。
夏に向けて服を買いに行くのもいいだろうか、水着……はさすがにまずいかな……? ごまかしがしにくいし、そもそもプールなんかだと更衣室が使えないし。海まで行く、のは流石に手間だけれど、しかし、砂浜で周りからの視線を集める私を想像すると……悪くない、どころか、ものすごく燃えてくる。
水着、いいかもしれない。あとは、最近いけてなかった店にいって服を見繕っておかないと、ネットでもいいんだけれど、こうして直接見て、触れ、さらに見られることこそが、醍醐味だと思う。
足取りが軽い。
やっぱり私でいるのは楽しく、気持ちがいい。
時折声をかけてくる愚か者を華麗にいなし、スルーして目当ての店を回り、ウィンドウショッピングを楽しむ。
あくまで今回は下見だけ、お金にそれほど余裕があるわけでもないし、やはり吟味して買うものは選びたい。
まぁ私なら大体何を着ても似合ってしまうのだけれど。
一通り街を回り、駅前に戻ってくるころには三時間ほど時間が経っていた。
あたりはもう暗くなっていて、周囲に制服姿はかなり少なくなっている。
コンビにで買ったミネラルウォーターを口に含み、一息つく。
やはり楽しい時間は過ぎるのが早い。あっという間に過ぎ去っていく時間をもったいなく感じてしまう。
手鏡を取り出して、軽く身だしなみを確認する。
美しい私がそこにいるだけで、特におかしなところは見られない。
いったい、あとどれほど、私はこうして美しい私でいられるのだろうか。
過ぎ去っていく時間の早さに思わず身震いする。
鏡をしまって駅の構内へと入る。考えるのはやめよう、考えたってどうしようもない、いずれその時は嫌でもやってきてしまうのだから。今のこの時間を大切にしなければならない。
帰ったら少し夏のことでも考えよう、水着、夏物、服装だけじゃなくて、バイトもどの程度入れるべきか。課題のほうはいくらでも誤魔化しが効くとして、バイトと私でいる時間の兼ね合いがやはり一番の問題だろう。稼ぎ時である夏休みの間、確かにバイトでも私の姿を見てくれる人はいるのだが、どうせならまだ私を知らない人に私を布教すべきではないかという信念にも駆られる。
楽しいことを考えていれば、自然、心は上向く。
スカートを翻し、たまたま後ろにいた男子高校生に軽くサービスをしてやる。真っ赤になるその顔を視界に入れると、ゾクゾクとしたえもいえぬ気持ちよさに体が震える。
夏の海なんかにいってしまったら私の頭はもしかしたらおかしくなってしまうかもしれない。
夏休み、早くこないだろうか。
「ただいま」
「お帰りなさい、瑠璃姉さん」
休み明けから既に数日。私が外から帰ると鈴がソファに寝転がってくつろいでいた。制服のままで皺になるのもかまわず真剣にバラエティ番組を見ている。
鈴は抱き枕を抱えながらこちらにお尻を向ける形で横になっているのだけれど、スカートがめくれあがっていて非常にだらしない状態だ。こういうところは本当に無頓着で、危なっかしい。何も言わずそっとスカートを整えてあげて、キッチンに立つ。
「鈴、晩御飯なにがいい?」
「ピザ」
なんともいえないチョイスになんともいえない表情を作る。特に難しい料理でもないし、別にいいのだけれど。もっとこうつくりがいのあるものというか、もうっちょっと普通なリクエストはないものだろうか。
鈴の偏食は今に始まった事でもないので、まぁいいかとテレビから流れ出る音声を耳にしながら調理を始める。
なんだかこうしていると不思議と落ち着く。高地に私の秘密がばれる前、あの頃の日常に戻ったかのような錯覚を覚える。
あのデート作戦決行の日からもう四日が過ぎていた。その間、高地から私への接触はなく、まるで本当に昔の何の関係もなかった日々に戻ってしまったようで、拍子抜けとでもいえばいいのか、なんだか変な気分だった。
あれだけ切羽詰った電話をかけてくるほど辛い思いをした挙句に、和人のあんな態度を見せられてしまったら、無理もないのかもしれない。心が折れてしまったとして、それは仕方のないことだろう。
ただ高地自身は以前のように戻る、ということはなく、相変わらず見た目は私が手がけたとおりのまま、和人とも普通に話をしているところだって教室内ではよく見かける。いったい今の彼女の心境はどうなっているのか。私には皆目見当もつかない。
生地作りは手抜きしてホームベーカリーに任せ、軽量に使った道具を片付けていく。
このまま、何事もなかったかのように、日常が帰ってくるのだろうか。忙しかった日々は終わり、平穏な大切な時間がもどってくるのなら、それもまたいいだろう。
ただ、やはり高地のことが気がかりではある。
横暴で、自分勝手で、人のことを変態呼ばわりする、口の悪いやつだけれども、その実とても弱い女の子だから。どうしても心配になる。別に放っておけばいいはずなのに、関わったっていいことなんてないだろうに、乗りかかった船、とでもいうべきか、責任を感じているのか、はたまた、父からの遺伝なのかはさておき、どうしても胸に、しこりのようなものを感じずにはいられないのだ。
鈴はどうなのだろう。
私ほど深い関わりがあるわけでもない。
むしろ、二人ともあまり仲がいいとは思えなかったけれど、鈴はそれなりに真剣に高地のことを考えていたように思う。根がやさしい鈴だけれど、それだけではなかったように思う。
鈴も高地のことを気にかけているのだろうか?
もしそうならば……高地にもう一度だけ、声をかけてみてもいいかもしれない。
彼女の傷を抉るだけの結果になることも十分ありえるけれど。
このまま放っておくことだけは出来ない気がしたのだ。
「鈴」
焼きあがったピザを二人で食べながら私はどう話を切り出すべきか迷いながら、鈴の名前を呼んだ。
「はい?」
鈴は行儀悪くテレビを眺めながら食事を続けつつ、返事だけを返してよこす。なんとも横着者だ。こんな話半分の状態の鈴に話をしていいものかと多少迷いながらも、軽く切り出して見ることにする。
「鈴は最近高地となにか話した?」
高地の名前を出すと鈴はぴくりと眉を吊り上げ、テレビから一瞬だけ目を離して私の方へと視線を投げた。
「いいえ、特には」
「そっか」
鈴のほうにだけ何かを相談している、ということはないようだ。そんなことになっていたら驚くだけではすまなかったかもしれない。
「それがどうかしましたか?」
「うん、ちょっとね」
ここまで話しを振っておいて私は少しだけ迷っていた。好奇心だけで本当に高地の問題に首を突っ込んでいいものかと、不安になる。
気になるというのももちろん、心配だというのもある、ただやっぱり放ってはおけない。
「あれから高地から連絡がないの、学校とかでも何も話さないし、何があったんだろうって気になってね」
「いいじゃないですか、平穏でいつもどおりの日々。姉さんも放課後に街に出れて楽しいでしょう?」
「それはそうなんだけど」
鈴の言葉を否定はできない。実際この四日間は非常に充実した時間を過ごせたわけで。高地に再び関わるという事は自らその大切な時間を手放すということだ。少し前の私だったらまったく考えられなかったことだ。それでもやっぱり気になってしまう。
「鈴は気にならない? 高地のこと」
「あたしは……別に」
ふいと視線を外して鈴はテレビの方に向き直る。いつもの通りのなんでもないように見えるその態度、だけどほんの少しだけあいた言葉の間。幼馴染の私だからこそその意味を汲み取ることができる。鈴も私と似て素直な性格ではないから。
食事の手を止めて、鈴の口の周りについてしまったソースをふき取ってやる。くすぐったそうにしながらも彼女はされるがままだ。
「明日の夜にでも、少し電話してみる。鈴もいてくれる?」
「姉さんの頼みでしたら」
「お願い」
鈴が小さく頷く。
もう一度だけ、高地の気持ちを聞こう。もしまだ和人への未練があるのなら、まだ気持ちを途切れさせていないのなら、今度はきちんと、まっとうな方法で彼女の助けになりたい。
もう諦めたとそう言うのなら、慰めるのもいいだろう。戦ったことを称えてやろう。
好きな料理でも作ってやろう。
きっとこの妙な気持ちを抱えたままなにも話さずに終わるよりは、きっといいはずだ。