12
平日の忙しいバイト漬けの日々が終わり、その日の夜、慌しく高地の服を見繕いなんとかコーデを終えても私の忙しい一週間は終わらない。休日もいつものようにバイトの予定が入っている。
午後一時を少し過ぎたころ、お昼の時間帯のお客様も引き始め、店の中はやっと一息、といった感じ。今日は朝から夏の訪れを感じさせるいい天気で、そのおかげかもしくは、私のおかげか、店はいつもより盛況で、午前中からずいぶんと慌しかった。
それでもまだ顔を見ていない常連さんも多く、午後からもそれなりに忙しくなりそうな気がする。
各席のお皿をさげて、掃除をして、ゴミを出して戻ってきたところで店長も一段落ついたのか、カウンターの席に腰掛けて新聞を広げていた。
「お帰り、お疲れ様瑠璃ちゃん」
「店長もお疲れ様です。いつになく盛況でしたね」
「毎日こうだといいんだけどね」
苦笑しながら店長が新聞を畳む。
「お昼どうしましょうか?」
「今日は念のため外で食べるのはやめておこうか」
「わかりました、じゃあ私が何かつくりますよ」
「悪いね、それじゃ頼めるかな、材料は好きにつかっていいから」
「そういうわけにもいきませんよ、最悪買出しにも行かないといけないかもしれないのに」
店長の言葉にバイトに入りたての頃の自分を思い出す。
材料を好きに使っていいといわれて、その上まだ料理もできなかった頃の自分の酷い失敗談。理想から程遠い自分に随分と悩んだものだった。
厨房に入って冷蔵庫の中を確認する。ある程度中身は頭の中にいれているものの、こう忙しいと何が減ってきているのか完全には把握できない。調味料の類は問題なく、少し日の経った卵と残り物の冷凍したご飯が残っていたので簡単にオムライスを作ることにする。付け合せは卵スープでいいだろう。
それこそ昔だったら、オムライスなんて簡単な料理だってまともに作れやしなかった。卵をうまくかえせるようになったのは働き初めて三ヶ月も経った頃だった。
今の料理や掃除、そういった家事のスキルは、全て店長に教えてもらったものだ。お店を持っているだけあってその辺りのスキルはその辺の主婦では到底かなわない。
チキンライスの具材を適当に切りながら時計に目をやる。お客様が途切れてからもう十分ちょっと経っているがだれかが来店して様子はない。次のお客様が来る前に昼食を済ませてしまいたいところだ。
時計から目を離しつつ、そういえばと、思い出す。
忙しさに忘れていたけれど、今頃高地は待ち合わせ場所で和人と落ち合ったところだろうか。天気もいいし二人でせいぜいデートを楽しんでくれるといいのだが。どういったコースを回るつもりなのかは和人の発案故わからないけれど、高地にはきっと楽しいい日になるだろう。
そうして私が高地のことを思い出していると、店長が厨房に顔を出す。
「そういえば今日だっけ高地さんのデート」
「ですね」
店長には無理をいって高地のバイトをねじ込んでもらう手前、その理由はきちんと説明してある。というか、これまでの高地との話を一部始終話してしまっている。
その話をしている間の店長は珍しく笑いを堪えている様子で、恥ずかしいやら、珍しいものを見た驚きやらでなんともいえない複雑な気分だった。
「心配そうだね?」
「そう見えますか?」
「かなり」
店長の顔はその時の話を聞いていたときのように、にやついて見える。何がそんなに楽しいのか。
「まぁ……そうですね。高地は外面こそいいですけど、中身はものすごく弱くて、そのくせ負けず嫌いで無理してる感じがあって、見てて危なっかしいですから」
「友人思いだね瑠璃ちゃんは」
見当違いな言葉に包丁を取り落としそうになる。
「友人なんて冗談やめてくださいよ。話聞いたでしょう? 私は手伝わされてるだけなんですから」
あっちはせいぜい、私のことを馬車馬か奴隷か程度にしか思っていないだろう。馬車馬ならまだましなほうか、変態とか偏執者と思われているよりは大分いいだろう。
「そういうことにしておこうか」
雑談をしながらも手は止めない。こういった並行作業ができる様になると随分と仕事も私生活も捗るものだ。私として出かける前の準備なんかには特に時間の短縮になる。男性は並列した作業が苦手と聞くけれど、家事やら身だしなみの作業量からするとその差異にも頷ける。
「今回のバイトの件ほんとに助かりました」
「別に気にしなくていいよ。実際高地さんのおかげで助かったところもあるしね。今日のお客さんの中にも彼女目当てで来た人が何人かいたしね」
「それは物好きですね……」
一緒に働いていた私じゃなくて高地を目当てに来るなんて、私が高地に今現在劣っているとは考えたくない。確かに私のプロデュースで見た目は随分改善されたと思うけど、当初あんなだった高地に負けているとしたら普通に悔しい。
「少し年配のお客様からすると、まだ仕事に慣れてないああいう初々しさがいいらしいよ」
「まるで私が若くないみたいな言い方ですね」
「瑠璃ちゃんはもうしっかり店の仕事が板についてるからね、熟練の職人も顔負けって感じだよ。そういうわけだからさ、また今度高地さんもバイトに誘ってみて。夏休みなら委員長でも手が空くだろう?」
「だめもとで誘ってみますよ」
「鈴ちゃんもお願いするよ」
「鈴は多分こないと思いますけどね……」
そんな風に話しているうちにお昼ご飯は完成。
幸い、いや、店が賑わってないと考えると幸いでもないけれど、途中でお客様がくることもなく、無事昼食にありつける。
店長と一緒に昼食を手早く済ませて、食後のコーヒーを楽しむ時間ももどかしく一気に飲み干して店に出る。
午後の折り返し、後半戦もがんばっていかなければならない。
午後からの仕事は予想通り忙しいものになった。二時を過ぎたころからちらほらと常連のお客様達が見え始め、三時を過ぎるとティータイムにと思って入ったきたのか、見慣れないお客様も入ってきて店は大変繁盛していた。私と店長で忙しく店内を駆け回り、次から次へと仕事をこなしていく。
普段の店の静な雰囲気も好きだけれど、こういう活気があるのも悪くはない。それだけ店は儲かってるってことだし、何より新しい人達に私の姿を見てもらえるし、そのついでにこの店のよさも知ってもらえればいいと思う。
常連様が長居をしては悪いと数人店を引き上げて行くのを深くお辞儀をして見送って、やっと息がつける程度の状態になる。店長も店の様子を見回して、ふっと一息吐いている。
「ちょっと冷蔵庫から冷たいコーヒーもらえるかな。瑠璃ちゃんもそれ飲んでちょっと休憩しよう」
「はい」
二人で一度カウンターに入って、私はそのまま厨房へ、アイスコーヒーのボトルを取り出して、ついでに携帯に手を伸ばす。確認するとメールが来ているようだった。
時間はほんの十分前だ。
高地は今頃和人と一緒にデートをしていて私のことなんて忘れているだろうし、鈴だろうか?
そんな風に考えながら開いたメールの差出人は以外にもその高地。
いったいどうしたんだろうと本文を開くと、短く「助けて」とだけ書いてあった。
背筋に悪寒が走る。
また、何か起きてしまったのか。
高地がこんなにわかりやすく助けを求めてくるなんて、よっぽどの事だ。私は急いで電話をかける。
しかし、高地は中々電話に出ない。いったい何をしているんだろう。苛立ちばかりが募る。
一分近く待って、ようやくコール音が止まる。
「高地どうしたの」
『長月……』
電話越しに聞こえるのは間違いなく聞きなれた高地の声。ただ、その声は今にも泣き出してしまいそうに震えている。顔が見えなくても彼女の顔色が悪いのが手に取るようにわかる。
「どうしたの高地、いったい何があったの? 今どこにいる?」
矢継ぎ早に口から質問が吐いて出る。自分で自分が焦っているのがわかる。今の高地にそんなに詰め込んだ質問をしてはいけない、私が落ち着かないと。大きく深呼吸を一度、もっと端的に質問を絞らなければならない。
「ごめん、とりあえず、今の状態を教えて、和人はいるの?」
私がそう言いなおすと、高地は小さく息を呑んで小声でぼそぼそと喋る。
『今吉池君はいない……今、駅前のバーガーチェーンの化粧室から電話してる』
まぁ学生のデートコースなら仕方ないにしても、それはちょっとどうなの和人。もう少し捻ってほしい所だ。なんて、女子的な思考は横に置いて、高地にさらに聞く。
「そう……それで、助けてっていったいどうしたの?」
『わたし……もう無理……長月がいないとやっぱりだめだったみたい……』
沈んだ小さな声でぼそぼそと喋る高地。その落ち込みようはあの告白の日を彷彿とさせるほどに暗い。まだ泣かないでいられているのは、和人が近くにいるからだろうか。
「高地、それじゃわからない、ちゃんと喋れる?」
『大丈夫……』
全然大丈夫に聞こえないけど、高地はたどたどしく今日のことを喋り始めた。
『待ち合わせ場所で吉池君と会って、それから……十分くらい、長月を待ってたの。それで、今日はこれなくなったって教えたら……もう少しだけ待とうって、そのまままた、十分くらいまってから、吉池君、今日は二人で行こうかって、言ってくれた。
すごく残念だったはずなのに嫌な顔ひとつせずに、長月と行く予定だった場所、連れて回ってくれた。わたしだったらそんなの無理。吉池君が、絶対ないだろうけど、もし約束破ってこなかったらなんて、そんなことになったら、泣いたって喚いたって、諦めきれないくらい悔しいのに、吉池君、ちゃんとわたしを楽しませようとしてくれた……。嬉しかったけど、すごく胸が痛かった。
だって、やっぱり吉池君、寂しそうだったから……時々、わたしが声かけても、上の空で……悲しそう目してたから……。
助けて、長月……』
良かれと思って画策した作戦は、誰のためにもならずに、ただただ高地を苦しめているだけで。だって上手く行くと思っていた。高地は図太いからきっとこのチャンスを生かして和人の仲を詰めるとそう思っていた。
私は高地の弱い部分だって知っていたはずなのに。無責任に大丈夫だってそんな根拠のない自信を抱いてしまっていたのだ。
だって高地は、好きな人のために変わる努力をできる子だったから、今回だってがんばってもっと和人と近づけるはずだって。大好きな人の事だから、その心を傷つけたくないと思うのだって当然だということも気づけずに。
完全に私の失態だった。
今すぐにでも助けに行かなくては行けない。私は、私の責任を果たさないといけない。でも、今バイトを抜けるのだって責任を放棄するのと変わらない。この忙しさの仲、店を抜けたら、いくら店長と言えど……。
「瑠璃ちゃん早く着替えて」
「店長……? どうして」
なぜか厨房の入り口に店長がいた。
「なかなか瑠璃ちゃんが戻ってこないからどうしたのかと思って。ちょっとだけ話、聞いちゃったよ。ごめん、反省の意味を込めて、僕は今日一人で店を切り盛りするよ。乙女の秘密に聞き耳を立てるなんて、最低の行為だからね」
店長はニコニコと笑いながらそんな優しい言葉をかけてくれる。本当になんでこの人はこんなに優しいのか。
たくさん感謝の言葉を伝えたかったが、今は時間が惜しい。
「高地、すぐそっちに向かう」
『バイト大丈夫なの……?』
「問題ない、和人と待ってて」
私はそう言って通話をきると店長に頭を下げる。
「ありがとうございます店長。本当にに何から何まで、絶対この恩は返しますから」
「僕は僕に罰則を与えてるだけだから気にしなくていいよ。それよりも急がないとまずいんだろう?」
頷いて厨房を出る。すぐ着替えを済ませて、慌しく店を後にする。
髪が乱れるのも気にしていられない。走って駅前を目指す。
周りの視線を受けながら街中を走っていると、ふと、ずいぶん昔の父の言葉を思い出した。
『女性を泣かしては行かんぞ悠里。男の一番大事な仕事は女の子の笑顔を守ることだ』
私は男とは違うなにかだけれど、女の子を泣かせてはいけないという父の言葉には概ね同意する。涙が似合う女の子なんていうのはこの世界のどこにもいやしない。泣いていても美しい女の子は、笑えばもっと美しいのだから。
高地がどうかなんてわからないけれど、私は高地を泣かせてしまった責任を取らなければいけない。
そのために今めったに出さない本気をもって、走っているのだ。