皺くちゃのお婆ちゃん
皺くちゃ(しわくちゃ)と読みます。
私は祖母が大好きだった。父も母も家にはあまりいることがなかったので、よく遊んでもらった。祖母は優しく旅行が好きで、よく祖父と一緒に旅行に行っていた。
お婆ちゃんは旅行の帰りに玩具を買ってきては、僕にくれた。僕はその玩具をもらうのを楽しみにしていた。僕はお婆ちゃんが旅行に行くと、帰りが待ち遠しくなる。ママにお婆ちゃんの帰りはいつと何度も聞いた。そしてお婆ちゃんが帰ってくる日、僕は玄関でお婆ちゃんの帰りを待っている。そしてお婆ちゃんが旅行から帰ってくると、すぐにお婆ちゃんのところに走った。そしてお婆ちゃんが手に持っている玩具をもらって
「お婆ちゃんありがとう」
元気いっぱいに言うとお婆ちゃんは
「そうかい、そうかい。そんなに喜んでもらってお婆ちゃんも嬉しいよ」
お婆ちゃんは僕の頭を皺くちゃの手で撫でながら笑顔で言ってくれた。
今振り返ると、その時の私は祖母の帰りではなく玩具の帰りを待っていたように思え、幼い私を恨めしく思ってしまう。その事を母に話すと
「いいのよ、それでも。孫の喜ぶ顔が見たくて、いつも玩具を買ってきてくれてたんだから」
確かに母の言う通りかもしれないが、その時の祖母の笑顔を思い出すと、どこか遣り切れない気持ちになる。
祖母はいつも顔を皺くちゃしながら笑う人だった。その祖母の笑顔は、まるで梅干しみたいで面白く、祖母が笑うと、みんなも笑った。祖父は、その笑顔が好きなのだと内緒で教えてくれた。祖父は照れ臭いらしく祖母には言っていないらしい。だからなのだろうか、あの時の祖母の笑顔が忘れられないのは
僕が中学生になった4月にお爺ちゃんは倒れ、それからお爺ちゃんは入院した。
お婆ちゃんは毎日病院に行き、お爺ちゃんの身の回りの世話をした。最初は僕もよく病院に行っていたが、次第に病院に行く回数は減り、病院には行くことは少なくなっていった。しかしお婆ちゃんは毎日通っていた。そしてお爺ちゃんが入院してから一年が過ぎ、我が家にお爺ちゃんが居ないことが普通となってしまった。
ある朝、目を覚ますとお母さんからお爺ちゃんが亡くなったことを聞いた。昨晩、容態が急変したらしい。僕はあまり実感がなく、泣くことはなかった。僕の中では、すでにお爺ちゃんがいないことは普通になってしまっていたからだ。そしてお爺ちゃんが眠っているという寝室に向かった。
寝室では安らかに眠っているお爺ちゃんと、その横で笑顔で座っているお婆ちゃんがいた。お婆ちゃんは何をするわけでもなく、笑顔でお爺ちゃんを見ていた。しかし、その笑顔はお婆ちゃんの笑顔であってお婆ちゃんの笑顔ではなかった。その笑顔は、いつもの顔を皺くちゃにする梅干しのような笑顔ではなかった。そんな表情のお婆ちゃんを見て、僕は初めてお爺ちゃんの死を実感した。その瞬間、目から涙が溢れ一度溢れた涙は止まらなかった。
それから葬儀の間もお婆ちゃんは泣く事もなく、笑顔を浮かべたのままだった。葬儀に訪れた人は、そんなお婆ちゃんを見て、冷たい人だと口々に言っていた。しかし、僕には分かっていた。お婆ちゃんはお爺ちゃんが好きだった笑顔を見せるために必死に笑顔を見せていたのだ。だが、無情にもその笑顔は、お爺ちゃんが好きだった見ている人も笑顔になる梅干しのような笑顔ではなく、見ている人を悲しい気持ちにする人形ような無表情の笑顔だった。
祖母は、その事を分かっていたのかもしれない。いや祖母が一番分かっていた事だろう、それでも祖母は笑顔でいたのだ。祖父は本当に幸せ者だ。こんなにも愛されていたのだから、幸せでないはずがない。
それからのお婆ちゃんは、僕が社会人になっても、ずっと無表情の笑顔のままだった。そんなお婆ちゃんを見ているが辛かった僕は、初任給で時計を買って、お婆ちゃんにプレゼントをすることにした。千円ぐらいの安い時計しか買えず、僕の初任給の低さを痛感した。しかしお婆ちゃんは、それを受け取ると
「ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。大切にするよ」と泣きながら、あの皺くちゃの梅干しのような笑顔を見せてくれた。お婆ちゃんのその笑顔は、相変わらず面白くて、懐かしくて、嬉しくて、僕も泣きながら笑った。
それから数年が経ち、祖母は亡くなった。祖母は亡くなる直前まで笑っていた。顔を皺くちゃにした梅干しのような笑顔で
そして祖母が火葬される時、買ってきてくれた玩具と最後まで外そうしなかった安物の時計を一緒に火葬した。
火葬された玩具と時計とお婆ちゃんは灰となり、お爺ちゃんと一緒のお墓に埋められた。
僕はお婆ちゃんが大好きだ
どうでしたか〜今回の作品は?今回は私的にはハッピーエンドに近いんですけど…やっぱりハッピーエンドちゃいますかね?でも雰囲気はダークっぽくないっすよ〜私的にはですが。ではでは〜次回作で!