桜吹雪【弐】 原作:琉璃
その藍色の髪に私は息をのんだ…。ヒラヒラと舞う桜の花びらが日の光を浴びて、その人が一つの藍染めをした桜に見えた…。
ー主な登場人物ー
斎藤 薫:未来から来た少女。途方に暮れていた所を倒幕派の者達に救われ、以来行動を共にしている。
武市 半平太:倒幕派の人間。医術に嗜みがある。
坂本 龍馬:倒幕派の主力。その能力と器の広さを知らない者はいない。
中岡 慎太郎:倒幕派の人間。坂本の後輩にあたる。優しい気質の持ち主。
岡田 以蔵:倒幕派の人間。武市の弟子で口が悪い。
高杉 晋作:長州藩邸の当主。長州を取り纏め、倒幕派と協力関係にある。
桂 小五郎:長州藩邸の副当主。高杉の右腕となって動く。
沖田 総司:新撰組一番組組長。倒幕派の人間を追っている。
斎藤 一:新撰組三番組組長。倒幕派の人間を追っている。
斎藤 昨夜:京の都で薫が助けた薫にそっくりな女の子。
土方歳三:新撰組副長。新撰組を統括する。
藤堂平助:新撰組八番組組長。義兄弟の末っ子。
原田佐之助:新撰組十番組組長。義兄弟の真ん中。
永倉新八:新撰組二番組組長。義兄弟の一番年上。
近藤勇:新撰組局長。土方と共に新撰組を纏めている。
山南啓助:新撰組総長。新撰組の監察藩の統括をしている。
ー前回までのあらすじー
バスの転落事故をきっかけに、江戸時代へタイムスリップしてしまった【斎藤 薫】。
彼女を助けたのは【坂本竜馬】率いる倒幕派の人達だった。密偵の疑いをかけられ軟禁生活を強いられた薫。
そんな中、幕府派の新撰組【沖田総司】や自分と同じ姓の【昨夜】と名乗る女の子と出会う。龍馬達が倒幕派であるために、様々な危険なことに巻き込まれる薫。そんな彼女の身を按じて、武市達は薫を手放し長州藩邸の【高杉晋作】の元へ、送ることを決意する。しかし、武市達の態度が一変しそれに苦しむ薫を見た武市達は、薫を手元に置くことになる。いつしか薫と武市の間に、淡い想いが芽生え始めていた。
ー第一章ー
寒い冬が終わり、辺り一面を覆い尽くしていた雪が解け、季節は春となり、桜の花がちらちらと咲き始めていた。
斎藤薫がここ長野屋に身を寄せてから大分たつ。以前として元の世界へ戻る手がかりは掴めずにいるが、ここでの暮らしにも大分慣れてきていた。
薫は竹箒を持って庭掃除をしている。
「ふぅ~…これでよしっと!」
掃除を終え額の汗を拭う薫。空は青く晴れている。
薫は集めた塵を庭の隅に捨てる。
「薫さ~ん!」
振り返ると廊下の方から龍馬が薫を呼んでいた。
「なんですかー?」
薫はほうきを片付けて龍馬の元へといく。
「これから、わしら長州藩邸で会合があるき、留守番してもらってもいいかのう?」
「はい。この間の話しの続きですか?」
龍馬達はここ最近、頻繁に会合を行うようになっていた。なんでもこの国を動かすすべが見つかったとかなんとか…、とにかく、大変みたいだ。毎夜、遅くまで部屋に明かりが灯っていて、休む時間もなく業務に追われている。
「そうじゃ。高杉さんと話しをしてこんといけんきのう。」
ニコリと笑う龍馬。少しぐらいは休んで欲しいと思う薫だが、そんなことを言っても聞かないことはわかっていた。今は龍馬達にとって大事な時期なのだから、その負担を少しでも減らすことが、薫にできる雄一のことなのだ。
「頑張ってきて下さいね。」
「おう!」
「龍馬。」
「武市か、どうじゃ?高杉さんとの連絡はとれたか?」
会合前には事前に相手へ知らせるようになっている。
「いや、それが高杉さんは用事があって、出席ができないそうだ。」
「なんと…!」
「かわりに、桂さんがこれからこちらへ来るそうだ。」
「そうか…。」
高杉は長州藩の主力の人物である。それにいまだ意味がわからないが、高杉は薫のことを気に入っている。薫を長州藩邸に連れて行く度に、薫に絡んでちっとも会合にならないので、少々危険ではあるが薫はここへ残されていく。
倒幕派の龍馬達を狙う敵は、京の都中にいる。だから、長野屋もいつ敵に見つかってもおかしくはないのだが、薫を連れて歩くよりかは幾分安全ではある。
「なら、私は会合中は部屋で大人しくしておきますね。」
「ああ、そうしていてくれ。」
そう言って龍馬達は会合の準備へと向かった。
国の行く末を決める大事な会合。龍馬達が決定したことで未来が変わってしまう。薫はこの先どんな未来があるのかを知っている。
だけど、それは言わないほうがいいだろう。未来は分からないほうがいいのだ。もしここで龍馬達が違う選択をしたら、薫の世界も変わってしまうだろうが、それでも、知らないほうがいい、その方がこれからが楽しみだ。
(でも…高杉さんの用事ってなんだろう?)
高杉は会合には何がなんでも出席して、業務を行う人だ。そんな人が会合をおいて別のことをするというのだ。
(何か、他に大事なことでもあったのかな…?)
薫はそんなことを考えながら会合の準備をしに行った。
程なくして、高杉の代わりに桂が訪ねてきた。
「桂さん、いらっしゃいませ。」
玄関へ出迎える薫。
「やあ、もうすっかり元気そうだね。」
「はい。おかげさまで良くなりました。」
薫が床に伏せっていた時に、高杉と一緒に訪ねてきてくれたのだが、お礼も言えぬままで時を過ごしていた。お礼を言えたのはそれからしばらくしてからのこと、その時は薫も武市達と長州藩邸へ行っていたのだが、高杉が薫を“嫁にするー!”と言い出し、変えって会合の邪魔となる自体になってしまったのだ。その日以来、薫はここで留守番をしている。
「桂さん。」
「やあ、武市君。」
武市が奥の間から出て来て、桂を出迎える。
「使いを送ったのですが、合流はできなかったようですね。」
「ああ…。」
「?」
なんか意味ありげに頷く桂。
「さぁどうぞ。薫さん、お茶をお願いできますか?」
「はい、すぐに持っていきます。」
武市と桂は奥の間へ向かった。
桂が奥の間へ行くと会合の出席者が全員集まっていた。
だが、その場の空気は何やらとても重いものとなっていた。その原因は皆分かっていた。
「桂さん、ここまでわざわざ来てもらってすまなかったのう。」
桂にねぎらいの言葉をかける龍馬。
「いや、この方がかえって都合がいい。今は晋作を休ませないといけないからね。」
「それで、彼の具合はどうなのです?使いから聞いた話では、症状が重くなったように聞きましたが…?」
武市が送った使いと言うのは以蔵のことである。
「ああ…、一度は君のおかげで持ち直したんだが、また振り返したみたいだ。今日も会合に出ると言い出して聴かなかった…。」
「ほんま、無茶をするのうあの方は…。」
「お前に言われたくないぞ、龍馬。」
高杉を心配する龍馬に水を差す以蔵。
高杉同様、龍馬も昼夜問わずにあちこちに走り回り、寝るひまもおしんで業務を行っている。
「全くだ。少しは休め。」
以蔵に続いて武市が煽る。
「何を言うとるぜよ!わしが休んどったら計画もなんも進まんぜよ!」
「確かに、龍馬さんの言うことに一理ありますけど、まずは休んでください。今龍馬さんに倒れられたら計画どこではありませんから…。」
中岡の言う通りだ。倒幕派の主力である龍馬が倒れてしまったら今後の動きに関わる。
「それに…。」
「?」
「姉さんも、龍馬さんのことが気になって仕方がないみたいですし。」
「な、薫さんがか…!?」
薫まで心配をかけていたことに驚く龍馬。
「はい。このところ龍馬さんを心配していましたよ。言葉にださずとも、姉さんは顔にでますからね。」
その時のことを思い出して笑う中岡。中岡に自分の考えられていることを言い当てられて、両手で頬を押さえてうろたえる薫の姿が目に浮かぶ。
「確かに…彼女は考えていることが、顔にでますからね。」
「こりゃ~まいったのう…。薫さんに心配をかけてしまってはたまらんのう。」
「会合が終わったら休めばいいことだ。」
そっけなく答える武市。
「そうじゃのう。なら、終わったら休むとするかのう。」
「それで、医者の見立てではどうなのですか?」
一気に本題へと戻す武市。その場の注目が桂へと注がれる。
だが、桂は首を横に振る。その様子から高杉の容体はおもわしくないらしい。
「…これ以上のことはできないそうだ。薬はいつものように置いていってもらってはいるが…期待はできそうにない。」
医者もさじを投げたということだ。そこまで、高杉の容体は悪化していた。そして、この頃の忙しさといい…心労が祟ったのだろう。それでも、高杉は桂が出て行こうとする間際まで、会合へ行くとただをこねていたらしい。
「そうですか…。」
「晋作のためにも、ここで僕らが根を上げる訳にはいかない。なんとしてでもあれを成し遂げなければ…!」
「そうじゃのう。ほいじゃあ始めるとするかのう。」
こうして会合が始まった。
会合が行われている間、お茶を皆のところへ持って行き、一息をついた薫は会合の邪魔にならないように自分の部屋にいた。
「はぁ~…ひまだな~。何しようかな…。」
一人ぽつんと部屋にいて、何もやることがない。
薫は文机の上で肘をついて、空を見上げる。空は青く晴れていた。
「そういえば…もうそろそろ大会なんだよな…。」
元の世界でのことを思い出す薫。去年の春に剣道の大会の帰りにバスに乗って…それ以来こっちでの生活となっている。
今年は高校最後の年の大会で、薫にとって大事な大会でもあった…。しかし、それも今では到底叶うことではない。
「はぁ~……。」
重いため息をつく薫。
早く元の世界に帰りたい。だが、帰りたくないとも思う。
「…どうせ、心配してくれる人もいないしね……。」
薫の両親は薫が中学の時に亡くなっており、兄姉もいなければ頼れる親族もいない…。今まで両親が残してくれた遺産と自分のバイト料で生計を立てていたのだ。
そんな薫の雄一の支えであったのは他でもない剣道である。剣道があったからこそ今まで生きてこれたのだ。もし、剣道がなかったら今頃どうなっていたかなんて分かりはしない。そして、今年行われる春の大会で世界へ行けるかもしれなかったのだ。
「はぁ~…。」
もう一度ため息をつく薫。
ヒラヒラと桜の花びらが薫の頬を撫でる。いつの間にか薫は眠りに落ちていた…。
会合は割と早く話が進みひとしおを終え、桂は長州藩邸へと帰ろうと玄関にいた。見送りに来た龍馬と武市も一緒にいる。
「じゃあ、あの件は晋作に伝えておくよ坂本君。」
「ああ…でも、無理はせんようにと伝えとってくれ。」
「もちろんだとも…今無理をされては困るからな。それに君もだよ坂本君。」
「…わかっておるよ桂さん。それにしても…薫さんはどこに行ったんじゃ?」
いつもなら会合が終わると出てくる薫の姿が今日はない。
「君が心配をかけるから疲れて眠っているのかもね。」
「疲れ…!?それはいかんぜよ…!わし少し心配じゃけい様子を見てくるぜよ。桂さん、また後日じゃ!」
「ああ。」
慌ただしく奥へと走って行く龍馬。
「廊下ぐらい静かに歩け!」
走って行く龍馬に武市が言ったが恐らく龍馬には聞こえておらず、そのまま走って行ってしまった。呆れてため息をつく武市。
「…ったく…。」
「武市君はいいのかい?」
「…?」
「彼女を捜さなくて。君も彼女の事、気になるんだろ?」
「どういう意味ですか?」
「彼女をかいがいしく世話をやいているのは君だろう?気にならないはずがない。」
「…!」
冬に薫が倒れてずっと一人で診て看病を続けていたところを桂に目撃されている。それをきっかけとしてか、武市がずっと薫の面倒をみていることを桂達に知られるはめとなっていた。
「それに…。」
「?」
「彼女を見る君の目は僕らに向けられるものとは違う。」
藩邸へ何度か武市達と来た薫を桂達は見ていた。薫が真っ先に話かけるのは武市であり、武市も会合が終わって行くところは薫のところだ。その視線は明らかに桂や龍馬達に向けられているものとは、違うことに桂は気づいていた。
「…それは誤解です。彼女は身寄りがないためここにいるだけで、龍馬達に彼女を押し付けられているだけです。」
あえて桂の言葉を否定する武市。だが、桂はすでにそれが嘘だと見抜いていた。
「…相変わらず固いね君は…。」
ため息をつく桂。
「どういう意味ですか桂さん!」
「その意味は君が一番よく知ってるだろう?あんまり自分を騙さないほうがいいよ。じゃあまた。」
「桂さん…!」
「あ、それと…。」
玄関から出て行こうとした桂が、足を止め振り返る。
「?」
「近々、長州藩邸に来てもらえないかい?晋作を診てやって欲しい、君の腕は晋作も認めているからね。」
「はい、俺にできることがあるなら、やらせて頂きます。」
「それと…。」
「まだ何か?」
「晋作が薫さんに会いたがっている。」
「…!」
「来る時は必ず彼女を同行してくること、いいかな武市君?」
「…分かりました。」
武市の返事を聞くと、桂は長野屋をあとにした。
武市が自分の部屋へ戻ろうとすると薫の部屋の戸が開いていた。
(龍馬か…。)
先程薫を心配して走って行った龍馬のことを思い出す。
「おう、武市か。」
部屋を覗くとそれに気づいた龍馬が振り返る。
「薫さんの部屋で何をしているんだ?」
「いや、部屋に来て見たら返事がなくてのう。失礼とは思ったんじゃが、中に入らせてもらったんじゃ。」
ニコリと笑う龍馬。
「それは無断侵入だ。」
「まぁそうなるかのう。しかし、彼女の寝顔はまっこと可愛いものぜよ。」
視線を落とすと龍馬の傍らで文机に伏して眠っている薫の姿があった。
「……。」
薫は龍馬や武市の気配に気づくことなく無防備な程のによく眠っている。
「こん子にはわしらのせいで不便な生活をさしておるからのう…。」
傍らで眠る薫の頭を優しく撫でる龍馬。
「まっこと可愛いものぜよ。土佐におる妹のことを思い出すのう。」
薫を撫でながら故郷の妹と重ね合わせる龍馬。
「ならば、それくらいにしてゆっくり休ませなけれ…。」
「そうじゃのう…。」
龍馬は自分の羽織りを脱ぐと、それを薫の肩にかけた。
薫を愛おしいそうに見つめる龍馬。
「…!」
それを見てか何やら得体もしれない感情が、武市の内から込み上げてくる。
「早く出ていけ…!」
「な、なんじゃ…?そげん怖い顔をせんでもいいじゃろう?」
「嫁入り前の娘の部屋に長居するものではないだろう。」
「ま…それはそうじゃが…。」
「分かったら早く出ろ。」
「そげんきつかこと言わんでも…。」
ぶつぶつと文句を言いながら薫の部屋を後にする龍馬。
部屋にいる薫をみて、はぁ~…と重いため息をついて部屋へと入って行く武市。
「いくら冬を越したと言っても、これ一枚では寒いだろう…。」
武市は自分の羽織りを脱いで、薫の肩にかける。ふと視線が薫の顔をとらえる。確かに龍馬が言うように可愛い顔をして眠っている。
「……。」
サラッ…薫の柔らかい髪を軽くすく。薫は眠っている。部屋には自分と二人…夕暮れ時で春風が部屋の窓から入って、二人を優しく包みこんだ。
「…。」
「……。」
「…………。」
これは…夢…?
夢の中ではあるがそこがどこなのか、はっきりとわかる。
バスの中だ…。
剣道の大会の帰りに乗っていたあのバスだ。
バスの中には他に客人がおらず、自分だけが乗っている。バスの中にいる自分は竹刀を手に眠っている。
バスは細い山道を進んでいく。
山道を抜けると、断崖の上の細い道を通っていく。すると、突然進路を無視した普通車が薫の乗っているバスへと猛スピードで突っ込んで来る。バスは車をよけきれずに崖の下へー…!!
「!!」
ぽっかりと目を開けると、暗い部屋が見えた。だが、そこが長野屋の自分の部屋だとすぐに分かった。
「はぁ~……変な夢…。」
ため息をつく薫。だが、あれは本当に夢なのだろうか?本当に現実にあったことではないだろうか…?もし、正夢だとすると…それをきっかけとしてこっちへタイムスリップしたことになる。
そんなことを考え巡らせていると、襖の戸が開き、一筋の光が差し込む。
「目が覚めましたか?」
声の方を振り返ると、部屋を隔てていた襖ごしに武市が立っていた。
「武市さん…!」
「失礼とは思いましたが、こちらから来させてもらいました。」
そう言いながら、暗い部屋へと入ってくる武市。
薫ははたっと気がつく。今自分は変な夢をみたせいで着物が汗で濡れている。自分の着物を寄せ、近づいてくる武市から離れるようにする。
「…どうかしましたか?」
「い、いえ…別に…。」
視線を武市から逸らした、明らかに武市を避けていることが武市本人にもわかった。
武市はそれを気にすることなく、その場に座る。
「明日のことですが…薫さんも明日俺達と長州藩邸に来てもらいます。」
「はい…。」
視線を逸らしたまま答える薫。おそらく武市の言葉は薫に届いていない。
「薫さん!」
「は、はい…!」
武市の声で我にかえって驚いて武市をみる薫。
「今の話、聞いていましたか?」
「い、いえ…すみません…。」
そう言ってまた視線を逸らす薫。すると、武市の手が薫の顎に触れ、顔を持ち上げ自分の方に向ける。
「!?」
薫の驚いた顔が武市を向いた。
「相手が話しをしているときは相手の顔をみなさい。」
「はい…!」
目を見開いて返事をする薫。武市の息がかりそうな距離に自分の顔がある。着物を持っている手に自然と力が入った。早く、武市から離れたい…、と思う薫。
さっきから薫の不審な言動…いったい何を隠しているのやら…。薫の不審な言動にモヤモヤとする武市。
「…薫さん。さっきから何を隠しているのですか?」
「えっ!」
薫の声がひっくり返る。
「着物の袂を持っている手です。それに…さっきから俺と目を合わせようとしてないよいに見えるのですが…?」
薫の言動をバッチリと見られている…。さらに、薫の恥ずかしさがます!
だが、汗臭いから近寄らないで離れて下さい!などと今更どうして言えようか。しかも、目の前で武市が薫を見つめている。
薫の顔が赤くなる。
「薫さん…?」
武市は薫の顔を覗き込んでくる。
だが、理由を言わないと武市は離れてはくれないだろう。
「……離れて…もらえますか…?」
「……?」
武市の視線を感じ、さらに上気してしまう。衿首のところを押さえる。
「…汗をかいているので……お願いします…。」
精一杯の気持ちで武市言う薫。これではまるで、薫が武市に恋をしているみたいである。
武市はじっとして動かない。
「……っ!」
薫は祈る気持ちでギュッと自分の袂を掴む手に力を入れる。
願いが通じたのか、武市はゆっくりと立ち上がり、部屋の戸を開ける。
「…武市さん?」
「宴会が始まっています。俺達だけの宴会なので君も汗を流したら来なさい。」
武市がそう言うとどこからか、賑やかな声が聞こえてくる。
そのまま武市は部屋を出て行った。
「はぁ~……。」
安堵のため息をつく。
「よかった……ん?」
さっきまで気づかなかったが、袂を持つ手に自分の着ている着物とは違う羽織りが罹っているのに気づく。
羽織りを取ってみると、それは武市の羽織りだった。
おそらく、薫が眠っている間に気遣って自分の羽織りをかけてくれたのだろう。
それに…宴会が始まっていると武市は言っていた。宴会が始まっているのに部屋にいたということは、薫が起きるのをずっと待っていてくれたことになる。
武市の優しさに微笑む薫。その頬は紅色に染まっていた。
薫を置いて宴会がやっている広間へと向かう武市。ふと、空を見上げると月が昇っていた。その月を見ていると先程の薫の姿が思い浮かぶ…。
自分から顔を逸らして紅色に染まっていた顔…。恥ずかしそうに衿元を掴んでいた指先…胸元…。
「はぁ…。いったい俺は何を考えている……。」
これではまるで、薫のことが好きだと言っているようなものである。
(俺にはやらないといけないことがある。こんなことにかまけている暇はない…!)
武市は自分の心からそんな想いなどなかったように、その場を後にした。
薫は汗を流すために風呂に入り着物を着替える。
後は宴会行って寝るだけたから浴衣で行くことにした。
「あ~すっかり遅くなっちゃった…!」
パタパタと走って宴会が行われている広間へと向かう。
広間では龍馬達が酒を飲んで盛り上がっていた。
「武市、薫さんはまだかのう?」
「今、風呂に入っている。」
「それにしても武市さん、酒あまり飲みませんよね?」
「必要以上に飲まないだけだ。」
中岡と龍馬はよく一緒に飲むが、武市はめったに飲むことはない。従って弟子の以蔵も酒をあまり口にはしない。
「一度聞いてみたかったんすけど、なんで飲まないんすか?」
「……!」
問いかける中岡を睨みつける武市。
こういう風にするときの武市はなんらかの事情がある時だ。
武市に睨まれたというのに、ニヤニヤとする中岡。
「隠さないで下さいよ武市さん。」
「やめろ中岡、師匠がお困りだ。」
中岡の隣に座っていた以蔵が止めに入る。
「以蔵君の場合は武市さんが飲まないから、っていうのは分かるけど、武市さんの場合は理由わからないっすもんね。」
「だから、やめろ慎太!」
「やめんか二人とも!酒の席でみっともないぜよ…。」
やや後ろめたさがありながらも、止めに入る龍馬。
「お前にだけは言われたくないぞ龍馬?」
「!」
武市にずはりと言われ、武市を睨みつける龍馬。
「ハハハッ…!確かに龍馬さんに言われても説得力がありませんね!」
「そういうお前もだぞ中岡。」
「い、以蔵君!」
「飲んだ次の日に寝込むのは誰だ?」
「そ、それは…。」
以蔵に言われ反論を返せなくなってしまった中岡。
中岡と龍馬の酒グセの悪さは翌日に現れることが多いのだ。その度に医者やら薬やら買い求めに武市達が走らされるという訳である。
「節度を持って飲むことに越したことはない。」
平然と話しをまとめる武市。
「だけんど…武市に言われても説得力ないのう?」
「なに…?」
「お前の酒の悪さは、土佐からの嘉じゃけんのう。わしが知らんはずなかろう?」
ニコリと笑う龍馬。
「龍馬…お前…!」
弱点を知られて龍馬に弄ばれる武市。
そこへ、
「失礼します、薫です。」
襖腰に薫の声が聞こえてくる。どうやらタイミングよく来たようだ。
「おう!薫さんか、はいれ!」
龍馬に言われて襖の戸が開く。
『!?』
「……!!」
そこにいたのは浴衣姿の薫だった。皆目を見開いて薫をみる。実は女の子の浴衣姿は始めてみる龍馬達なのだった。
「あの…どうかしましたか?」
皆の視線を浴び戸惑う薫。
「いや…これはまいったのう…。」
その姿は風呂上がりということもあり、いつもの薫より奥ゆかしく、女らしさがあふれている。しかも無防備とも言える浴衣姿…。
これには、逆に戸惑ってしまう男達。
「そこまでわしらを信用されると…返って困るぜよ。」
「……?」
「襲いたくなってもこれじゃあ襲えん!」
「!!」
襲う…!なんかとんでもないことを言い出す龍馬に驚く薫。多分お酒が入っているためなのだろうが…。
「くだらんことを言うな龍馬。薫さんが困っているだろう。」
薫をかばう武市。
「そう言うて、後で抜け駆けをするつもりじゃろう?」
「そんなことはしない。そもそもそんなことをする理由もない。」
淡々と振る舞う武市。だが、酒のピッチが上がってきている。
「まあ、そういうことにしとくかのう。…薫さん!」
「は、はい!」
「薫さんは酒は飲めるのかのう?」
薫に話題を降ってくる龍馬。
「い、いえ…私は飲めないです。」
「そうか、なら飯をたくさん食うんじゃぞ?仰山あるきのう!」
「ほら、姉さんこっちこっち!」
薫の手を引こうとする中岡。だが、薫の手を中岡より先に誰かが掴む。
「?」
「武市さん!」
いつの間にか中岡の後ろに回りこんでいた武市が薫の手を掴んでいた。
「お前の隣へ置くと何が起きるか、わからん。」
「そ、そんな~!」
武市に薫を奪われ文句を漏らす中岡。
「あの、武市さん私でしたら大丈夫ですから…。」
「いや、この男は酒が入ると信用にならない。こっちへ来なさい。」
薫の手を引く武市。
「し、師匠…!?」
これには弟子の以蔵もびっくり。そのまま武市は薫を自分の隣に座らせた。
「…にしても、1番信用ならんのは武市じゃぞ薫さん?」
薫の右に座っている龍馬が薫の耳元で言う。
「龍馬!変なことを吹き込むな!」
バッチリと武市の耳に届いていた。
「なんじゃ?薫さんと話したらいけんのか?」
「そんなことは言っていないだろう!」
「薫さん、酌をひとつしてくれんかのう?」
龍馬は武市を無視して、自分の前にあった徳利とおちょこを差し出す。
「はい…。」
龍馬の手から徳利を受け取り、酒をつぐ薫。
それをクイッと飲み干す龍馬。
「ああっ~~!うまいのう!やっぱりこうして、誰かについでもらうのはええな~!」
満足気に笑う龍馬。
「……。」
「なんじゃ中岡?そげな目でみて?」
「いや…何て言うか…そうして酌をしている姉さんと龍馬さんって、なんか錦絵みたいに綺麗っすね…。」
「に、錦絵…?」
「錦絵は京の都でも、なかなかお目にかかれない代物の絵だ。」
以蔵が薫に錦絵のことを説明をしてやる。
「なんだ、以蔵君。剣だけしか知らないと思っていたけど、ちゃんと知ってるじよないか!」
以蔵を褒める中岡。確かに以蔵は剣に関してだけは知っているが、他のことについての学識はない。
「師匠に教えて頂いたんだ…。」
ボソリと恥ずかしそうに答える以蔵。
「錦絵…のう…。」
チラリと武市を見る龍馬。こんな時に絵について弟子と話していたとは到底考えられない。
まず、武市の性格からしてそんな業務とは関係のないことに関心を向けることはないはずだ。だが、それに関心を向けていた…ということは…紛れもなく何かある。
しかも、さっきのことといい…。これは、……。
酒を平然として飲む武市だが、その真意が龍馬にはわかってしまった。
隣にいる薫はというと…、
「武市さん、お酌しますよ。」
「ああ。」
武市に進んで酌をして微笑んでいた。
それを見て、微笑む龍馬。
「さあ、飲むぜよー!!」
これをきにその晩遅くまで盛り上がった。
宴会がお開きとなったのは、もう真夜中だった。龍馬と中岡は案の定、その場で酔って眠り込んでいる。
以蔵は見回りがあるとかで、外へ行っている。
そして、武市は薫の肩に担がれ、部屋へ戻っていた。
「~~っ……!」
頭を抱えこんで座っている武市。どうやら予想以上に飲んでしまったようだ。
「武市さん、今お布団敷きますから、少しだけそこで待ってて下さい。」
薫は押し入れを開き布団を取り出そうとする。
「…大丈夫ですか…?無理はしなくていい…。」
重い布団を取り出すのは大変だ。特に武市のは男物であるため普通のより重い。
「大丈夫ですよ…!あっ…。」
「…?」
押し入れから布団を取り出そうとすると、バランスが崩れる。
「!」
「…!」
「きゃあっ!」
《ドサドサッ!》
バランスを崩した布団が雪崩のようになって、薫の上に崩れた。
「薫さん…!」
武市は慌てて立ち上がって、薫が埋まった場所の布団を退かす。
「ぷあっ…!」
薫が布団から顔を出す。
「ああ~びっくりした…。」
「大丈夫ですか、どこも怪我してないですか?」
「はい…。」
武市が薫に手を差し出すと、薫はそれを握って起き上がろうとする。
「……っ!」
「?」
薫を見る武市の顔色が一変し、薫から顔を逸らす。
「武市さん…?」
武市の顔を覗き込むようにして尋ねる薫。見えるのは横顔だが、顔が赤くなっているような気がする。
「武市さん、どうかしましたか?具合でも悪いんですか?」
「…かおっ……っ!!」
武市が薫の方を振り向くと、薫の顔が自分の目先にあり、目線が合う。
「武市さん…?」
心配そうに武市を見つめる薫。そして…、一気に武市の顔がさらに上気する。
こんな状況で、話しなどできるはずがない!
「か、…!」
「か…?」
「厠へ行ってくる!!」
「は…はい。でも大丈夫ですか…?」
「君のおかげで少し、目が覚めた!行ってくる!」
「いってらっしゃい…。」
呆然と部屋を出て行く武市を見送る薫。いったいぜんたいどうしたのか…さっぱりである…。
(やっぱり具合が悪いのかな…?お薬用意しておこう…。)
薫は立ち上がって薬を取りに部屋を出た。
一方、武市はというと、厠ではなく中庭の井戸の水をかぶって酔いを覚ましていた。
「ハァ~………。」
髪から落ちる冷たい雫がポタポタと辺りを濡らす。
何杯も水をかぶっているから酔いはとっくに覚めているというのに、なぜか先程の薫の姿が頭から離れない。
(いったい何をやっている俺は…!あんなことで…動揺させられるとは…!)
(……いや、違うな…俺は…。)
濡れた髪をかき上げる。春の夜風が武市の濡れた髪を揺らす。櫓の柱に寄り掛かり月を見上げた。
(武市さん、遅いな~…。)
薬を取りに行っていた薫は部屋に戻って、布団を敷いて武市が戻ってくるのを待っていた。
(何かあったのかな…?ちょっと、見てこよう…。)
薫が部屋を出ようとすると、ちょうどそこへ武市が戻ってくる。
「武市さん!」
「薫さん…!」
まさかまだ、薫が部屋にいるとは思っていなかった。
「まだ、ここにいたのですか?」
「武市さんが戻ってくるのを待ってたんです。さあ、横になって下さい。小佐湯も持って来たんですよ。」
部屋の中を見ると、きっちりと布団が敷かれてあり傍らには薬が乗ったお盆が置かれていた。
薫は布団の傍らに座り、湯のみにお湯を注ぐ。
「どうぞ、飲んで下さい。」
湯のみを差し出す薫。
武市は布団の上に座り、薫から湯のみを受け取り包みに入った薬を呑む。
「…大丈夫ですか?」
心配そうに武市の顔を覗き込む薫。
「そんなに心配してくれるのなら、薫さんが添い寝でもして下さい。」
「!!」
武市の言葉に反応してしまう薫の顔は一気に赤くなる。
「冗談ですよ…。」
「あ…冗談…。」
冗談と言われ安心する、お酒がはいっているせいだろうが、まさか武市がそんなことを言い出すとは思ってもみなかった。ホッとする薫。
「さあ、君ももう休みなさい。これ以上ここにいたら危険ですよ。」
「危険?何かあるんですか?」
「!!」
この薫の反応にびっくりする武市。薫の方はキョトンとしていて、まるでわかっていない。
「薫さん…俺は男ですよ…?それに、そんな格好でいては、何をされても文句が言えませんよ?」
さっきのことが思い出される。崩れ落ちた布団の中から薫を助けようとした時、薫の浴衣が開けて白い肩が出て、もう少しで胸元までが見えそうだった…。とっさに出て行ったが、こんな軽装でいられるといくら武市でも、何か変な気を起こしかねない。
「そうですか?」
「そうですよ…。」
「……わかりました。じゃあ、休みますね。小佐湯ついでここに置いておきますから、呑んで下さいね。それから、ちゃんと布団を着て寝て下さいね。」
「わかりました。」
武市の返事を聞くと薫は小佐湯をついで、部屋を出て行った。
隣の部屋でパタン…と、襖が閉まる音がする。
部屋を隔てている襖の隙間から毀れる灯が消える。
どうやら、薫は武市の言うことを聞いて寝たようだ。
それにしても、さっきは危なかった…。
武市は布団の上に仰向けになって横になる。
(冗談…か…。らしくもないことをした。)
ため息をつく。
だが、自分を心配する薫があまりにも可愛いくてつい、からかいたくなってしまった。
驚いた彼女の反応…本当に可愛いと思った。
今まで、龍馬達と国を変えるために時代の波に逆らい、故郷を追われ、脱藩を余儀なくされ、時には命まで落としかけたことさえある。今も敵の本拠地に乗り込んで隠れて生活をしている。いつ、敵である新撰組や幕府の連中が、攻め込んできてもおかしくない。
彼女と出会い、話をしているうちに…薫に引かれている自分がいるとは…。
(情けない…。やるべきことが俺にはあると言うのに…。一人の女子に心が向いてしまうとは…。)
でも、悪くはない。武市は薫がついだ湯のみの白湯を飲んで、薫が言ったように布団を潜り込んで眠りについた。
翌朝、薫が朝食の準備を整えると以蔵が広間へとやって来る。
「おはよう、以蔵!」
「おう、師匠はまだおられないのか?」
「うん、まだお休み中みたい。」
以蔵は自分の席に着いて、朝食の膳を見る。
黙っているが、以蔵がお腹すかせてていることは薫にもわかった。
「それじゃあ、私皆を起こしてくるね。」
「ああ。」
薫は皆を起こすために、広間を出た。
龍馬と中岡は昨日、広間でそのまま眠ってしまっていたが、そのあと自分達で起きてそれぞれの部屋に戻ったらしい。
昨日、たくさんお酒を飲んでかなり酔っていたからまだ寝かせておいたほうがいいんだろうが、このあとの予定があるらしく、起こさなければならない。
薫は広間から近い中岡の部屋の戸口まで来る。
「慎ちゃん?起きてる?」
戸口の向こうに呼びかけるが、返事がない。
「慎ちゃん、開けるよ?」
薫が返事がない障子戸を軽く開けて、中を覗く。
すると、掛け布団を抱きまくらがわりにして眠っている中岡が見えた。
その姿がおかしくてつい笑ってしまう。
「慎ちゃん、朝だよ!早く起きないと朝ごはんなくなるよ!」
障子戸をガッと開けて、中岡を叩き起こす薫。
ようやくそれで起きる中岡。
「ん~……あれ…?……あ、姉さん!?」
目の前にいる薫に驚く中岡。
「おはよう!気分はどう慎ちゃん?」
「…ん、ちょっと…悪いかな…。でも、大丈夫っす。」
どうやら中岡はあまり、二日酔いをしていないようだ。
「そっかぁ、朝ごはん出来てるから、お味噌汁呑めば少しは楽になると思うよ?」
「ありがとう姉さん。龍馬さん達は起きてるんすか?」
「今から起こしに行くところ。」
そう言って薫は次の部屋へと行く。
「武市さん、起きてますか?」
「…薫さんですか?」
「はい、開けますね。」
襖を開けると、キチンと着物を着こなして普段通りの武市が、窓際で本を読んでいた。
それに見とれてしまう薫。
「どうかしましたか?」
「あ、いえっ…!武市さんは二日酔いはしていないみたいですね。」
「二日酔い…?ああ…龍馬達がよくやっているな…。俺は酒には強いですし…、」
武市が本を置いて、薫を見据える。
「?」
「昨日、あなたが用意した薬が効いたみたいです。だから大丈夫ですよ。」
「よかった…。」
薫が持ってきた薬は役にたったみたいだ。いくら武市が酒に強いと言っても、時たまにしか飲まない人があれだけ飲めば後にひびくことになる。
本人は自覚ないようだが、薫にはわかっていた。
「薫さん。」
「はい?」
「君に昨日のついでに、もうひとつ忠告しておこう。」
「?」
「酔った相手を気遣うのはいいが、その部屋に入って二人きりになるのはよくない。」
「え…?なんでです?」
「相手は酔っているのですよ?いつ、何かのはずみで間違いがあってもおかしくはないのですよ。」
淡々と説教を始める武市だが、薫にはわかっていない。
「間違いって…なんですか?」
「!!」
キョトンとする薫。この間違いというのをどう説明してよいものか…。そもそも、あえて遠回しに言ったのに、武市の目の前にいる女は全くわかっていない。
「武市さん…?」
「とにかく、二人きりにはならないようにして下さい!もし、これが俺ではなく、龍馬や中岡だと思うと…、」
「思うと…?なんじゃ?」
「!」
「龍馬さん!」
薫が後ろを振り返ると龍馬が立っていた。見たとこ龍馬も二日酔いはしていなさそうだ。
「おう、おはよう薫さん!」
「おはようございます。龍馬さんいつからそこにいたんですか?」
「ん?さてのう…。」
「答えろ!」
「なんじゃ?その言い草は…朝から気の悪いのう武市は。」
「龍馬!」
「酔えば誰でも一緒ぜよ…。自分だけ棚に上げてわしらだけ悪者とは…しかも、気遣いを示してくれた薫さんを説教して…本当、武市の悪い所じゃ。」
「……!!」
短所を一躍にして言われ言葉を失う武市。
「薫さん、頭のお堅いことを言うとる武市は放っておいてええき、朝餉を食うぜよ!」
ほらほらと、薫を立たせる龍馬。
「龍馬…!薫さん!まだ、話しは終わってませんよ!?」
「お前はまだ説教する気でいるんか!?」
「お前には関係ないだろ!」
言い争いを始める武市と龍馬。お互いどっちも後には引かずに、どんどん雲行きが怪しくなっていく。
「好意でしてくれた薫さんに、お前はなんで悪いとは思わんのじゃ!朝から説教するなぞ言語道断ぜよ!」
「それでお前に口を挟まれることではない!朝でも夜でも正しいことを言わなければ今後に関わるだろ!」
「何を言うが…!」
「お前もだ…!」
「あ、あの…!」
いたたまれなくなって薫が口を挟む。
「やめて下さい!私が悪かったんです!私が…もっと注意していればよかったんです…。だから、もうやめて下さい!」
「薫さん…。」
「………。」
薫が止めに入ってようやく、言い争いが止まるが空気が険悪である。
「あれ?こんなところにいたんすか?」
声のする方を振り返ると、朝餉を食べ終えた中岡がこちらを伺っていた。
「中岡か。」
「なかなか起きてこないんで、見にきたんす。」
「ああ…悪かったのう。今行く。」
「武市さんも姉さんも早く来ないと、朝餉が冷めてますよ。」
「わかった。」
「ありがとう、慎ちゃん。」
中岡はそれだけを伝えると、広間へ引き返して行った。
「ほいじゃあ、朝餉でも食うかのう。食べるもんも食べんと戦もできんきのう。」
ニカっと笑う龍馬。それに吊られてか武市の怒りもとけ、さっきまでの険悪ムードがなくなる。
「そうだな。」
「はい!」
三人は広間へと向かった。
これも日常茶飯事のことだが、朝餉を取りながらその日、行うことや、今までのことなどを報告しあっている。今日も龍馬を中心に話しが進められている。
「中岡とわしは今日は薩摩藩邸へ行って、大久保さんと話しをつけてくるぜよ。」
「なら、俺はあの件のことをまとめ、長州藩邸へ赴こう。以蔵、奴らの動きはどうだ。」
「特に変わった動きはありませんが、新撰組がの動きが怪しくなっています。」
「いよいよ、奴らも動き始める頃とは思いましたが、やはり行動が早いっすね…。」
「ああ、奴らに見つかったらやっかいだ。警戒をおこなたるな。」
「わかってるぜよ。」
こんな感じで、大事な話しをあっという間にまとめてしまうから、ある意味すごい。
「して、薫さんは今日はどうするんじゃ?」
「え…?」
「続けて此処に一人置いとくわけには、いかんきのう。」
いくら何でも立て続けに長野屋に単身でおいておくわけには行かないらしい。
「そういえば、姉さんの帰る手がかりも見つけないと行けませんしね…。」
「あ……。」
中岡が言うように薫が元の世界に戻るための手がかりも探さなければならない。一同の空気が重くなる。
「でも、私は大丈夫です。皆さんの用事の方が大切ですし、それが終わってからでも私は全然かまわないですから。」
「すまんのう…薫さん。早く見つけてやりたいんじゃが…。」
申し訳なさそうにする龍馬。それはこの場にいる全員が思っていることだ。
薫が見ず知らずのところへたった一人で来て、訳もわからなぬまま龍馬達について来て、危険な目にもたくさん合わせている。
だが、薫はいつも皆に負担をかけまいとして気遣ってくれている。それが何より申し訳ないと思い、早く元の世界に帰したいとも思う。
「…なら、俺が今日は一緒に行こう。」
「え…?」
話しをきり出したのは武市だった。
「長州藩邸へなら奴らに気づかれることもそうないだろう。それに、彼女を連れて来いとも桂さんから言われているからちょうどいい。ついでに捜しに行けばいいでしょう。」
「武市さん…。」
「そうじゃのう。武市ならちょうどいいのう。それでよいかのう薫さん?」
「はい!」
こうして薫は武市と一緒に長州藩邸へ行くことになった。
書状を書き留めた武市は薫を共なって長州藩邸へと向かっていた。
「でも、私が一緒でよかったんですか?」
「昨日あなたも来るよう誘ったのは俺ですから、気にすることはありません。それに、あなたも高杉さんの相手をするだけでは大変でしょうから。」
確かに高杉の相手をするだけに長州藩邸へ行くのはしのびない。ちゃんと薫のことも考えて武市は言ったのだ。
「ありがとうございます。」
「少し、よりたい所があるのですが、いいですか?」
「はい。」
しばらく歩いて行くと様々な奇妙な物が箱に入って並べられている店がある。そこへと入っていく。よく見ると店に並べられているのは、薬剤のようだ。
(昔の薬はこんなのだったんだ…。)
薬剤を手にして観察をする薫。
薫の通っていた学校は看護大学の付属校であるため、女子は全員看護学を学ばさせられる。だから多少の医療に関する知識は持っていた。
「何かありましたか?」
用事をすませた武市が戻って来た。
「あ…いえ。薬剤ってもともとはこんなのだったんだな~って。」
「薬剤に興味があるのですか?」
「興味があるって言うか…私がいたところでは、薬に関して学ばさせられるんです。」
「……それは、桔梗と言って風邪の時に複合して使用します。」
武市は薫が手にしていた薬剤についての説明をする。
「へぇ~…武市さん詳しいんですね?」
「俺の実家は診療所を伊都なんでいたんですよ。よかったら少し教えましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。さあ、それでは行きましょうか高杉さん達が待っています。」
「そうですね……あれ?武市さん買ったんですか?」
武市の持っていた薬の袋に薫が気づく。
「はい…龍馬達のです。これは二日酔いによく効きますから。」
二日酔いをあまりしていないっと言って、動いていた龍馬達だったが、やはり具合が悪かったようだ。
「では、行きましょう。」
「はい!」
二人は長州藩邸へと足を向けた。
長州藩邸に着くと桂が出迎えてくれた。
「いらっしゃっい二人とも。」
「桂さんこんにちは。」
頭を下げる薫。
「こんにちは、まさかこんなに早く来るとは思わなかったよ。晋作も喜ぶ。悪いけど薫さんは先に晋作の部屋に行っててくれるかい?僕は武市君と話しがあるから。」
「はい。」
薫は高杉のいる部屋へと向かった。
武市と桂は人気の少ない部屋へと入った。
「これは、例の件の物です。これがあればあの話が進められます。」
「ああ、すまないな。晋作が伏せっているからなかなか進まなくてね…。」
桂は武市から差し出された書状を受け取り、懐に入れる。
「薩摩の乾殿ですか?」
「ああ…本来は長州の代表である晋作が行くべきなのだが、そうはいかなくてね…。でも、僕がなんとかこの件を通してみるよ。」
「頼りにしています。ところで桂さん、高杉さんの容体は?」
「…今は安定しているが、ひどくなっている。もう、あまり時間はないだろう。」
「そうですか…。」
「でも、本当にこんなに早く来てくれるとは思わなかったよ。感謝してる。」
「いえ。」
桂と武市が話しがあるため先に高杉の部屋を訪れた薫は、中にいる高杉に呼びかける。
「高杉さん、いますか?」
「その声は…薫か…?」
「はい、私です。」
「あっ、…ちょっと待ってろ!」
中でバタバタと何かを慌ただしく片付けている音が聞こえる。
「入っていいぞ。」
音が途切れ中から高杉の声がかかる。どうやら片付けがすんだようだ。
「失礼します。」
薫は障子戸を開けると、いつものように部屋のど真ん中にドカッと座っている高杉がいた。
「おう、久しぶりだな!」
「お久しぶりです、元気そうですね。」
「おう!俺はいつだって元気だぜ!そういえばお前、ここのところ姿を見せなかったな?」
「少し用事があって来られなかったんです…。」
「用事…?お前に来られない程のどんな用事があるんだ?」
「…!」
なんか、サラっとだけど今とんでもなく失礼なことを高杉に言われたような気がする。だが、この男はいつも無意識にとんでもないことを言う人だ。今さら突っ込んでも仕方がないが…。
「私にだって用事ぐらいありますよ~だ!」
少し拗ねたように言う薫。あんな失礼なことを言われて黙ってなんていられない。
「ほぉ~じゃどんな用事だ?」
「えっ!…えっと、お庭のお掃除とか…お料理とか…、」
「なんだ、来られねぇような用事じゃねぇじゃねぇか。」
薫が言い終わらないうちに、話しのこしをおる高杉。確かに、高杉の言う通り来られない程の用事ではない。だが、薫にとっては大切なことである。
「そうですけど…私にとっては大切なことなんです!いつものんびりしている高杉さんにはわからないでしょうけど…!」
「…お前いつからそんなに俺にものを言える程偉くなったんだ?」
「そ、それは…!」
「ま、俺の女にしたらそれくらい威勢いい方がいいがな!」
「だがら、私は高杉さんの女ではありません!」
「おい…そんなにきっぱりと言わなくてもいいだろう?!少しは悩めよ…!」
「ハハハ!これは見事にフラれたな晋作。」
「小五郎…!」
声に振り返ると話しを終えた桂と武市が立っていた。
「お前…聞いていたのか…!」
「少し前からね。でも、雑用でも大切だと感じる彼女にあんな物言いをしても、彼女の心にお前の気持ちは届かないと思うが?」
「余計なことだ…!それより武市、こいつにお前らの雑用を押し付けてるってどういう訳か説明しろ!」
「彼女に雑用を押し付けているわけではない。」
「そうです!私が言い出したことなんです!」
「お前が…?」
「はい…皆さんにいつもお世話になってますし、私も皆さんの役に立てればと思って始めたことなんです。」
「しかしだな…。」
薫が雑用をやっていることになかなか納得の行かない高杉。
「でも、そのようなことをせずとも武市君達には、君一人ぐらいの快勝はあるだろう?」
「私が嫌なんです!」
キッパリと言う薫にめんたま喰らったように顔を見合わせる桂と高杉。
「ハハハ!さすが俺が惚れ込んだ女だ!恩を恩で返す…全くお前という娘には飽きないぜ!」
「全くだ。君はいいお嫁さんになりそうだね。」
「い、いえ…!そんな…!」
いい嫁になると言われ恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向く薫。
「そういう奴には褒美をやらんとな…!」
「!?」
「!」
「きゃあっ…!」
高杉は自分の前に座っていた薫を抱き抱える。
これには周りにいた武市達も驚く。
「た、高杉さん…!?」
「お前は今日からここで暮らせ!」
「!?」
「えっ…!」
「いいな!」
蔓延の笑みで薫を見る高杉。だが、何がなんだか高杉以外の人間にはわかっていない。
「晋作、そんな突然にそんなことを言われても彼女が困るだろう?」
「突然じゃないぞ?今決めた!」
「だから…それが突然だって言っているんだ。」
頭を抱える桂、こうやって一人暴走する時の高杉には何を言っても無駄なのだ。
「薫、ここへ来ればお前は指一本動かさなくていい。もう雑用はしなくて済むぞ!それに、ここにいる奴らは俺の家来だ、だから何かあればそいつらに頼め!お前はここでのんびりと過ごしていればいい!それが俺からの褒美だ!」
「そ、そんな…!」
「俺の嫁に文句つける者はいない!」
「だから、そういうことじゃなくて…!」
「なんだよ、俺の嫁になるのはそんなに嫌か…?」
「そ、それは…。」
まじまじと薫を見つめる高杉。だが、その目は真剣そのものだ。さっきみたいにチャカスことなくもない。
そんなに真剣に見つめるられたら、ますます顔が赤くなってしまう。
そんな二人の様子をみていたたまれなくなった武市が立ち上がる。
「高杉さん!薫さんをいい加減離して下さい!」
「ん…?なんだよ、こいつをどう扱おうと俺の勝手だろ?」
「それは違うと思うぞ…晋作。」
ツッコミを入れる桂だが、高杉には届いていない。
「彼女はあなたの物ではありません!」
「こいつに雑用ばかり押し付けてる奴に言われる筋合いねぇよ!見ろ!こいつの手、アカギレだらけじゃねぇか!」
「あっ…!」
高杉は薫の手を取り、武市に見せる。薫の手はアカギレで腫れている。
「これでもこいつをお前に預けておけって言うのか!」
「だからと言って、彼女の意思を無視することは良くない!」
「こいつはいずれ俺の嫁になる女だ!それを駒使いにさしているお前に言われたくない!」
「だから、あんたの嫁じゃないだろ!」
「うるさい!お前らといてこいつに得になることはないだろうが!」
「それとこれはなんの関係がある!」
「あ、あの…!」
いたたまれなくなった薫が声を出した。だが、二人の耳には届いていない。もはや話しは脱線しまくりで、話しの尾が見えなくなっている。
「二人共やめないか!!」
『!!』
「薫さんが困っているだろう…?」
桂の怒鳴り声で我に返る男達、薫の顔を見ると困り果てている顔をしていた。
「……。」
「悪かったな…。」
高杉は薫を下に下ろす。
「とにかく、薫さんは先に手の治療をした方がいい…奥に医療班の者がいるから診てもらうといい。」
「はい…。」
薫は部屋を出て行った。
だが、部屋の空気は重苦しい。
「…本当にあいつのケガに気づかなかったのか…?」
「………。」
高杉の質問に黙り込む武市。
「だとしたら、あいつの移住場所も考えとかないとな…。まだ、あいつの帰る手がかりも見つかっていないんだろう?」
「…ああ。」
ケガをしても気づいて貰えず、毎日毎日雑用をこなして、命の危険にさらされて…帰る手がかりすら掴めずに、そんなたった一人の女でさえも守ることがままならない。高杉の言葉が重くのしかかる。
「武市、俺はあいつにいつも笑っていて欲しいんだ。あいつにつらい思いや、痛い思いをさしたくねぇ…、もしまた同じようなことがあったら、あいつの意思がどうであれ、今度こそ連れていくからな。」
「ああ……。」
同じような事…以前にもそんなことがあった。以蔵が不逞浪士に追われていて、その場に居合わせてしまった龍馬は、以蔵を追っていた武市と出くわし、仕方なくその場に薫を置いていくこととなった。後から来た薫は案の定、浪士に絡まれ、命の危険にさらされた。前々から龍馬達から薫を安全な場所に移せ!と言われ、そのあとに薫を一番安全と言える長州藩邸へ送るつもりだった…。だが、どうしても送れずにいた。
そして、毎日のように当たり前の日が過ぎ、また薫に痛い思いをさせてしまっていた。高杉の言うように今度は薫を長州藩邸へ行かせることになるだろう。
「ゴホッゴホッ…!」
「晋作!」
「!」
突然、高杉が苦しそうに咳込みだした。慌てて駆け寄る桂と武市。
「大丈夫ですか…?!」
「はぁ…はぁ…、大丈夫だ。なぁ武市、俺はこの先いつまで生きられるかわかったもんじゃない。だから…、」
「わかっています。桂さんあの薬を持って来て下さい。俺は高杉さんを寝かせます。」
「わかった。」
桂は部屋を出て行った。
「高杉さん、大丈夫ですか?」
「ああ…武市…薫を笑わせてやってくれ。」
「わかってます。さあ、診ますから横になって下さい。」
武市に言われ布団に横になる高杉。武市は持ってきた医療箱を解いて道具を取り出す。
「始めます。」
襖を閉め、高杉の診察が始まった。
手の治療をしに行った薫は、医療担当の医師から手に包帯を巻かれる。
「これで、あとは安静にしてれば治るでしょう。」
「ありがとうございます。」
「全く当主も面食いだな~。」
「面食い…?」
「だってこんな可愛らしいお嬢さんを連れてくるんだからな。」
笑いながら言う医者。かわいいと言われ戸惑う薫。
「でも、いったいあの人はどうやってこんなかわいいお嬢さんを、連れてこれるんだ?俺だってまだ連れがいないと言うのに…。」
ぶつぶつと一人文句を言う医者。だが、こうして文句も言えるほど高杉のことを信頼しているという証なのだろう。
それがわかってしまってつい笑みがこぼれてしまう。
「いったいなぜ笑うんです?」
「いえ…高杉さんが本当皆さんから好かれているんだな~って。」
「はい!もちろんです!あんなお優しい方はめったにおりません!だから、あなたが早く嫁ぎに来てくれるのを待ってるんです!」
「えっ…!」
「あっ、もちろん、あなたの花嫁衣装も準備してありますよ!だから早く当主の女房になってあげて下さい。」
「花嫁衣装…!?」
そんなところまで話しが進んでいるのか…!と心の中でツッコミを入れる薫。だが、目の前の者は本気で薫が高杉の嫁になると思って待ち構えている。
これでは本当に高杉の嫁にされかねない。
「あれ?薫さんまだここにいたのですか?」
通りかかった桂が中にいる薫に声をかける。
ゆっくりとその声に振り返る薫の顔は渋い顔をしている。
「ど、どうしたのですか?」
「はい!薫様に早く当主の女房になってくれと、頼んでいたところです!」
ああ成る程、とため息をつく桂。今のでここで何を話していたのかすべてわかったようだ。
「君、それを決めるのは彼女だ。君が頼むようなことではない。それでは彼女が困るのが何故わからない?」
「す、すみません…。」
「それに彼女は奥ゆかしい女性だ。そんなに慣れなしくしたら失礼だ。」
「は、はい…。許して下さい、薫様。」
自分のした浅はかな言動で薫を困らせていたと悟った医者は薫に謝る。
「いえ…気にしてませんから…。」
「では、行きましょうか?君、今度からはきおつけるように!」
「はい!」
桂は薫の手をとって部屋を後にした。
廊下の縁側を歩く桂と薫。長州藩邸の天栄は緑がいっぱいあって、庭の真ん中には池もあって鯉が泳いでいる。
「すみませんね薫さん…。」
「いえ…まさか、あそこまで話しが進んでるとは思わなくて…。」
「この前に長州藩邸へ君が来てから、侍従達に晋作が俺の嫁だ!なんて言い回ったものだから、すっかり信じているんだ。」
「ハハハ……。」
もうすでに苦笑いしか出てこない。
「だけど、まだ君の許可が下りてないことを知ってね…君が来るだけでいいように、周りの者達がこしらえ始めて…止める暇もなかったよ…。」
「そうだったんですか…。でも、高杉さんってただの無鉄砲な人だと今まで思ってましたけど、皆さんから信頼される尊敬に値する人だったんですね。」
「少しは君の中での晋作の誤解が解けてよかったよ。」
「そうですか?」
「そうですよ。晋作もきっと喜ぶ。」
それを聞いて薫は空を見上げる。春風が吹いて薫の長い髪を揺らす。
「戻りましょうか?」
「はい。」
二人は高杉と武市がいる部屋へと戻った。
部屋では武市の診察が終わっていた。
「後はこれを飲んで安静にして下さい。」
「ああ…。」
衣類を整える高杉。武市は治療箱を片付ける。
「…薫には言うなよ。」
「いいませんよ。」
「…まさか、ここまで悪化するとは思わなかった…。ただの風邪だと思ってたのに…まさか…“労骸”だなんてな…。」
「労骸!?」
ちょうど部屋へ戻って来た薫が中で話す高杉の話しを聞いてしまう。
その意味を知っている薫は口を手で塞ぐ。
「薫さん…!」
中にいる高杉達は薫と桂の存在に気づいていない。
「もう何遍も血を吐いているので、体力も劣るでしょうけど、みんなあなたのことを待っています。」
「ああ…そうだな…。」
何回も吐血をしている…!その事実にショックを受けた薫は、その場から走り去ってしまう。
「薫さん!!」
『!?』
桂の声で桂達の存在に気づいた武市達は慌てて障子戸を開く。
「どうした小五郎!?」
「今の話しを聞いて薫さんが飛び出して行った!」
「薫さんが…?!」
「バカヤロー!なんで薫に聞かせるんだ?!」
「それより彼女を追わないと…!」
「俺が行きます!」
「武市君…!」
武市は一目散に薫の後を追った。
長州藩邸を飛び出した薫は訳もわからぬまま、どこへ行くでなしに走り続ける。
高杉が…労骸にかかっていたなんて、信じられない…!信じたくない…!
もう頭の中がグチャグチャになっている。
それでも薫は走り続けた。
ふいに走っている時に誰かの肩にぶつかる。
「ごめんなさい!」
薫は慌てて相手に頭を下げると、また走ろうとする。
「待ちなよ。」
「!」
「君、どこかであった気がするんだけど…もしかして、薫ちゃん?」
会ったのはたった一度だけだったけど、この声は覚えていた。薫はその声の方を振り返る。
「沖田さん…?」
夕日を影にして目を細めて笑う姿、そして藍色のダンラン模様の羽織り、間違いなく新撰組の沖田総司だ。
ー第二章ー
夕日が迫るなか人気の少ない路上で、目を細めて薫を伺う人がいた。沖田総司だ。
薫とは一度しか面識がないはずなのに、薫のことを覚えていた。
「沖田さん…どうしてここに…?」
「今この時間帯が僕達一番組の巡察だからね。そんなことより君がこんなところで何してるの?」
「私は……。」
沖田の問いに黙り込む薫。その落ち込み方に何かあったということを悟った沖田は、離れにいた仲間に先に行くよう指示して、薫と二人きりになった。
「で、何があったの?なんで君は泣いているの?」
「な、泣いてなんかいません…。」
「ふ~ん…じゃあこれはなーんだ?」
「え…?」
沖田の手が薫の頬に触れ、指先を見せる。指は少し濡れて光っていた。
いつの間にか、薫は泣いていたのだと気づき、慌てて涙を拭う。
「す、すみません…。」
「辛いことでもあった?」
「沖田さん…。」
薫をなだめるように笑う沖田。その言葉に安心したのか薫の目から涙がポロポロ溢れ出す。
「や、やだ…、すみません…!」
「泣きたい時は泣けばいいんじゃない?誰も見てないし…。」
沖田の言うようにこの場には二人しかいない。
「うっ…うっ…!」
泣き出す薫。沖田は薫を抱き寄せてその頭を慰めるように撫でる。
薫の後を追ってきた武市は、先程すれ違って見た新撰組に嫌な思いをはせながら、路上を走り抜ける。
すると、人の気配を感じ慌てて身を建物の陰に隠す。
「うっ…うっ…!」
聞き覚えのある声に驚いて、ゆっくりとその身を乗り出す。
(!!…あれは…新撰組の沖田総司!)
沖田の姿を確認すると、傍らには薫の姿が…!見たところ害はなさそうだが、泣いている薫をあやすのは沖田だ。
薫とは顔見知りとは言え、会っては一番まずい敵だ。迂闊に出て行けない。
そもそも薫が泣く原因を造ったのは武市達だった、そのことが気にかかる。
ひとまずは沖田に任せておいても大丈夫だろう。
武市はその場から離れた。
「うっ……うっ……。」
薫の嗚咽が小さくなってくる。どうやら泣き止んだようだ。
「薫ちゃん…?」
沖田は自分にしがみついて泣いていた薫に目をやる。
「…!」
「…………。」
薫は沖田の懐で眠っていた。
「どうしよっかな…。」
薫をどうしたいいのか悩む沖田。
月が西に傾き辺りは真っ暗になっている。周りに人気もないが、そのうちの一室に明かりが燈っている。
「これはどういう訳か説明しろ、総司!」
長い黒髪を一つに縛って、眉間にシワを寄せて鋭い目つきで沖田を睨みつける男がいた。
「どうして巡察に出たお前が女を連れて帰って来るんだ?」
「人助けですよ。人が目の前で倒れているのに知らん顔なんて出来ないでしょう?」
あくまで薫のことは面識がないように振る舞う沖田。人助けとは言え女を屯所に連れ込んだとなると大変なことになる。ましてや、面識のある女となると厄介だ。
ここは人助けを人助けとして済ませる方がいいだろう。それに気づく者はいない。
「だからと言って、屯所に連れてきてどうすんだよ?」
「大丈夫ですよ。元気になれば出て行くでしょうし、好きでこんなところにいる娘なんていませんよ。」
「お前がそう言うなら仕方ない。いまさら追い出すわけにもいかねぇし…そのかわり、あの娘に関しては、総司お前が責任取れよ?」
「わかってますよ、土方さん。」
薫が目を覚ましたのはそれからしばらくしてからのこと。
薫の存在は他の者に知られないように、離れの部屋に寝かせられていた。
見慣れない天井に驚いて飛び起きる薫。
「こ、ここは…?」
「目、覚めた?」
障子戸が開き、沖田が中へと入ってくる。
「沖田さん…?あの…ここは?」
「ここは新撰組の屯所。君、あのあと泣き疲れて僕の胸の中で眠っちゃったから、そのまま連れてきた。」
「そうですか…。」
「驚かないの?」
「え…?」
キョトンとする薫。
「だってここはほら泣く子も黙る新撰組の屯所だよ。普通そんな所へ連れてこられたら驚くでしょ?」
「そうなんですか?」
「君、変わってるよね。ところで、君家はどこなの?まさか、家出なんてことはないよね?」
「ち、違います!私は…!……。」
何かに気づいたように黙り込む薫。忘れていたわけではないけど新撰組は武市達の敵だ。そんな人達に場所を知られる訳にはいかない。
「どうかした?」
「い、いえ…何も…!じゃあ…大通りまでお願いできますか?」
「いいよ。じゃあ今夜はここで休んでくれるかな?あんまり外をウロウロされると迷惑だし。」
「わかりました。おやすみなさい沖田さん。」
「おやすみ薫ちゃん。」
障子戸はスッと閉まり、辺りに静けさが戻った。勝手に飛び出して来てしまったけど…どうにか、沖田のおかげで泊まる所の心配はなくなかった。
労骸…頭の中でその言葉が蘇る。あの時はビックリして何がなんだかめちゃくちゃになってしまって、考えが及ばなかったが、今にしてみればわかる。
労骸は現代でいう“肺結核”一昔前までは不死の病と言われていた。現代医術でも難しいらしいが、治療法はある。
薫はその方法を知っていた。明日戻ったら高杉の所へ向かう。そして…心配させたことを謝る。そう考えながら薫は眠りについた。
薫を追っていた武市は、まだ外にいた。あの後、沖田が屯所へ薫を連れ込んだのを見ていた。
だが、薫の安全が優勢であったため仕方なくそのまま引き下がったのだ。
「武市!」
小声だが人気のない場所では通る声だ。騒ぎを聞き付けた、龍馬達が走ってくる。
「龍馬、中岡。」
「姉さんは…?」
「屯所の中だ。」
離れにある屯所を見据える。門番はおらず戸が閉じられている。
「以蔵はどうした…?」
「見回りの奴らを引き付けています。」
どうやら、表向きはなんにもないと見せ掛けて裏では出回っているらしい。おそらく、中の奴らは起きてるだろう。ここで忍び込んでも気づかれてしまう。
「どうしたらいいんすか?姉さんは無事なんでしょうか?」
「大丈夫じゃ。なあ武市、薫さんを連れ帰ったのは沖田君と言うたか?」
「ああ。」
「なら、大丈夫じゃ。沖田君ならうまいことやるじゃろうから心配することはない。」
確かに沖田ならうまくやって薫のことも守ってくれるだろう。
「だが、沖田以外の連中は信用にならんな。特に、永倉や原田に見つかったら大変なことになる。」
「奴らなら…有り得ますね。なんせ、永倉と原田の酒と女グセはかなり悪いと評判ですから。」
「その点も考慮に入れとるじゃろう。任せとき。」
「しかし、龍馬さん…!」
「大丈夫じゃ。それより、こんなとこにおったらわしらの方が危ない。一度、長野屋に引き返すぜよ!」
「わかった…!」
こうして龍馬達は新撰組屯所を後にした。
翌朝、薫が布団を片付けていると、障子戸が開く。
「あれ?もう起きてたんだ。」
「はい。おはようございます。」
「おはよう。」
部屋の中へ沖田が入ってくる。まだ皆寝静まっているようで辺りには人気がなく静かだ。
「もしかして、いつもこんなに早く起きてるの?」
「はい、皆さんの朝ごはんの支度もありますし…、…… !」
ついウッカリしゃべってしまった!思わず口元を押さえる。だが、これくらいなら平気なはずだ…。
「ふ~ん、君の家は家族が多いんだね。君みたいな娘が朝ごはん作ってるなんて少し驚いたけど、意外と家庭思いなんだね。」
「いえ…そんな…!」
沖田に褒められて嬉しくおもう薫。
「さあ、行こっか?」
「え…?」
「君を家に帰さないといけないからね。」
「でも…。」
「出るなら今しかないよ。もうすぐしたら皆が起きてくるからね。」
屯所の中に部外者、しかも女が入ったともなれば大変なことになるだろう。急いでここからでなければならない。
すぐに薫と沖田は裏手から屯所を出て、大通りへと出る。
朝霧が立ち込め、東の空から朝日がのぼり始める。まだ、皆眠っているらしく大通りの店の戸がみんな閉まっている。
「じゃあここでね、薫ちゃん。」
「ありがとうございました!」
走り屯所へ戻る沖田に頭を下げる薫。その背を見送るとクルリと向きをかえる。
「さあー私も早く戻らないと…!」
薫も長野屋へと朝日に向かって走って行った。
長野屋の前では武市が薫の帰りを待っていた。遠くの方から誰かがこちらへと走って来るのが見える。遠くからだが、その姿をみて一目で誰かわかった。
「薫さん!」
その声に薫が気づく。
「武市さん…!」
薫は武市の元へ全速力で走った。
無事、薫は武市達がいる長野屋へとたどりついたのだった。
薫が無事に戻り長野屋に平穏が戻る。
「いや~まっこと薫さんが無事でよかったぜよ!」
「本当です。もうどうなることかとヒヤヒヤしました。」
薫が無事に戻ったことを聞き付けて、皆広間に集まっていた。
「ご心配おかけしてすみません。」
「いや、薫さんが謝ることはないぜよ。それより、本当に何もなかったか?怖い思いはしちょらんかったか?」
「はい、大丈夫です。沖田さんも優しくしてくださいましたし。」
嬉しそうに話す薫。これを見られれば大丈夫だったのだと確信が持てる。
志が違うために敵同士ではあるけれど、沖田が本来はいい人間だということは皆わかっていた。特に龍馬は沖田のことを信じていた。
「ほうか、ならよかったぜよ。沖田君なら心配いらんからのう。」
ニコリと笑う龍馬。
「さて、薫さんが無事戻ったことじゃし、わしらは仕事に戻るかのう。」
「そうっすね。姉さんは今日はゆっくり休んでいて下さい。」
「はい。」
龍馬と中岡はそれぞれ仕事に戻った。今日は特に出かける用向きはなく、皆長野屋にいることになっている。
広間には武市と薫が残された。
「武市さん…!」
「どうしました?」
「昨日の…ことなんですけど…。」
「…君が気にすることはない。」
「そうじゃなくて!高杉さんの労骸…、どこまで進んでるんですか?」
武市を問い詰めるように、武市に迫る薫。高杉の病気を治すためにも、今の現状を知る必要がある。
「君に話したところで、何の役にたつ?君が気にすることではない。昨日のことは忘れなさい。」
「嫌です!」
「何…?」
武市の言葉を真っ向から拒否する薫に少し怒りじみた声をあげる武市。
「君には何の関係ないだろう?!」
「関係なくないです!私には知る必要があるんです!」
「では、その必要というのは何ですか?」
「そ、それは…!」
言葉に詰まってしまう薫。もし、ここで武市に話したとしても、高杉の病気が薫の知る方法で必ず治るという保障はない。無駄な期待をさせてしまい、労力を使うことになるかもしれない。今武市達にとって重要な時期だ。確証もないことをむやみに話す訳にはいかない。
「…それは、何です?」
「……なんでもありません。」
黙り込む薫。武市は呆れたようにため息をつく。この娘はいったい何を考えているのか、さっぱりわからない。
「なら、今日は大人しくしていて下さいね。」
「はい…。」
武市は薫を残して広間から出て行った。
自分の自室に戻った薫は、昨日の武市と高杉の会話を思い出す。
高杉は何度も血を吐いていると言っていた。だから、症状としてはかなり進んでいるはずだ。
「あの…方法で助けられる保障もないしな…。」
武市の言うように大人しくしている他ないだろう。でも、こうしている間にも高杉の病が進んでいる。
「よし…!」
薫は決意を固める。こうなったら直接、高杉の所に行くしかない。
薫は隣の部屋の武市に気づがれないようにこっそりと部屋を出て行った。
表へ飛び出すと、長州藩邸のある東へと走った。
薫がいなくなったことを知らない武市は、空になった薫の部屋に声をかける。
「薫さん、少し用があるんですが…?」
だが、薫からの返事が返ってこない。また、寝てるのかと思いもう一度声をかける。
「薫さん…?……開けますよ?」
武市は部屋を隔てている襖を開ける。
だが、そこにはいるはずの薫の姿がない。
「薫さん…!?」
部屋を見渡しても薫の姿はどこにもない。武市は建物の中を探す。だが、薫の姿はどこにも見当たらず、忽然と姿を消していた。
「どこへ行ったんだ…?まさか…!!」
慌てて玄関へと行き、薫の履物を確かめる。
「ない…!」
薫の履物は無くなっている。単身どこかへ出かけたようだ。
武市は急いで表へと出た。薫が行く所など知れている。
おそらく、今朝言っていたことが絡んでいるだろう。
薫は高杉の病気を気にしていた。と、なると薫の行き先は長州藩邸だ。武市は藩邸へ向けて走って行った。
薫は藩邸へとたどりついていた。
実際に話しを聞いてくれるかどうかはわからないが、何より高杉の病状を知らなければならない。
一人で入るのは勇気がいるが、後には引けない。意を決して藩邸の門へと向かう。
「何ようだ?」
藩邸の門番に歩みを止められてしまう。
「あ、あの…高杉さんに会いに来ました。」
「当主に…?この女ふざけてるのか…?」
「ふ、ふざけてなんていません…!高杉さんに合わせて下さい!」
「帰れ!こんなところを女がうろつかれると迷惑だ!」
「合わせて下さい!通して下さい…!」
「痛い目に合わないとわからないのか!?さっさと帰れ…!!」
「帰りません…!」
「!?」
仁王だで塞がる門番の間をくぐり抜けようとする薫。
「この女…!」
「…!!」
門番は薫を通そまいとするが、薫は門をくぐろうと暴れる。
「何を騒いでいる…?」
「…!」
声のする方を向くと、一人の男がこちらの様子を伺っている。だが、薫はその男が誰なのかを知っていた。
「執事さん…!」
「お嬢様か!?」
薫の姿に気づいた執事が慌ててこちらへとやって来る。
「お嬢様…!なんでこんな所に…?おい、お前!その汚い手を離さんか…!!」
執事に怒鳴られ訳がわからぬまま門番は薫から手を離す。
「それでお嬢様…どうしてここに?武市様達とご一緒ではないのですか…?」
「少し用があって一人で来たんです。」
「お一人で…!」
この治安の悪い中たった一人で共も連れずに歩くなど危険を窮まりない。だが、そうまでして来る訳があるのだろうと、執事は悟る。
「お願いです…!桂さんに合わせて下さい。」
「当主ではなく…?桂様ですか?」
「はい。」
薫が当主である高杉ではなく桂に会いに来たと聞いて驚く。
「…わかりました。さあ、こちらへ…。」
執事は藩邸の中へと薫を案内した。
薫を追って長州藩邸へと向かう武市は、大通りを走っていた。
そして、今朝の薫ことを思い出す。薫は何かを知っていた。それを言うには自分からの言葉が必要だったのだと悟る。
こんな治安の悪い中、年頃の娘の一人歩きは危ない。もし、道中薫に何かあればこの通りを通れば、たやすく見つかる。早く、薫を見つけなければならない。
武市は走るスピードを上げた。
薫は中へと通され、執事に呼び出された桂と会っていた。
「薫さん…!どうして君がここに…?」
「どうしても聞きたいことがあって、来ました。」
「武市君は…?」
「………。」
黙り込む薫。どうやら、一人で来たようだ。
「帰りなさい。」
「え…?」
「君がいなくなって長野屋は大騒ぎになっているはずだ。共を付けるから早く帰るんだ。」
「帰りません!桂さんに聞かないといけないことがあるんです!」
「ダメだ。早く帰りなさい。」
薫を追い返そうとする桂だが、薫もここまで来て帰ることはできない。
「桂さん…!」
「君は自分のしていることが分かっているのか!?」
「…!」
突然桂に怒鳴られ言葉を失う薫。
「これは長野屋の皆や武市君の命が関わっているんだぞ!君が一人で動けば、君を捜して奴らも動く!そうなれば、敵から見つけられやすくなるんだ!!それが、君には何故わからない…!!」
「…………。」
自分がしていたことが、長野屋の武市達の迷惑になる…。
その現実を突き付けられる。
今こうしている間に、きっと皆自分を捜しているだろう。
もし…その関に敵に見つかったら…、そう思うと胸が痛くてたまらない…。自分の浅はかな言動を後悔する薫。その目から涙が溢れ出す。
「……あっ…。」
涙を流す薫を見て我にかえる桂。
「すまない…。少し言い過ぎた…。」
桂の言葉に首を横に振る薫。
「桂さんは…悪くありません…。私が…悪かったんです…。」
「薫さん…。」
薫が自分のしたことの過ちに心から悔いていることを知り、なだめるように薫の頭を撫でる桂。
そこへ、息をきらした武市が飛び込んで来る。
「薫さん…!!」
「武市さん…!」
振り返るとそこには武市が立っていた。見たところケガもなく、敵に追われたということもなさそうだ。
「どうしてここに…?」
「……。」
「え…?」
武市は手を伸ばし指先で薫の目から落ちる涙を拭う。
「すまなかった…。」
「武市さん…?」
「君には関係ないと言ったが、もう関係のない人間ではなかった…。ちゃんと話しをしなければな。」
「……。」
「ん!ンン…!」
『!?』
咳ばらいで我にかえる二人。目を上げると桂が落ち着かないように咳ばらいをしていた。
「…そういうことをするのなら、長野屋に帰ってからしてくれないかい?」
「す、すみません…!」
慌てて謝る薫。だが、桂は嬉しそうに笑う。
「とにかく、二人共ここではあれだから、中へ入ってくれ。」
「はい!」
桂に招かれ藩邸内へと上がり、一つの客室間へと通された。
「さて、薫さんが一人で僕を訪ねてきた理由から聞かせてもらおうか?」
三人改まったことで、話しの本筋へと戻される。
「実は…高杉さんの病状について、知りたいんです。」
「!?」
薫の言葉に驚く桂。それも無理もない話しである。高杉の病に関しては一部の人しかしらない。ましてや、部外者とも言える薫には関係の無いことだ。
昨日、偶然に居合わせたとはいえ…薫には関わりを持つ必要がない。
「…薫さん、昨日居合わせたことで貴女がこの件で関わることではないんですよ?」
「分かっています…。でも、どうしても知りたいんです。」
「それは晋作へ同情ですか?」
「違います!」
「なら何故知りたいんです?」
「それは…。」
ここで言っていいのだろうか?もし、高杉の病状がそれ以上に進行していたら、辛い思いを余計にさせてしまうだけになってしまう。だが、ここまできたのだから言うしかない。
「もしかしたら…高杉さんの病が治せるかもしれないからです。」
『!!!』
薫の言葉に耳を疑う武市と桂。不死の病である労骸を目の前にいる少女が治すと言うのだ。
「それは…本当ですか?」
「わかりませんけど…未来では労骸は治る病とされています。」
確かに、この時代の医術では無理でも未来でなら可能性がある。
しかも、薫は未来から来ていて、医学の知識をもっている。望みのない話しではない。
「それが本当なら…高杉さんを治せると言うことですね?」
「はい…ただ、高杉さんの症状がどれくらいのものかによりますけど…。」
自信なさげに言う薫だが、そんなことやってみないとわからない。
「桂さん、薫さんに教えてもいいですね?」
「ああ、もちろんだ。」
皆の間にわずかばかりの光が灯る。
高杉の病状は末期に近い状態で、今は薬発作を押さえている。
体力も食事をほとんどしていないため、かなり劣っているが、気力は十分にあるとのことだ。
あまり状況が芳しくはないが、治療は行えそうだ。
後は、高杉の命運に賭けるしかない。
さっそく、高杉の労骸療法が行われることとなった。
まずは、感染を防ぐため藩邸の者にマスクをさせ、石鹸での手洗水とうがいを徹底させた。
その後、藩邸内の大掃除に取り掛かる。外に出たがる高杉は別室にて軟禁状態にされる。大掃除が終わると、高杉は離れの個室に移され、事のひと区切りをつけた桂は高杉の部屋を訪れていた。
「いったいなんなんだよ!人をこんな所に押し込めやがって!」
軟禁状態から解かれたとはいえ、高杉は溜まっていた不満をぶつける。
「お前のためだと説明しただろう?」
治療の一環だと説明したが、まだ納得してないようだ。
「俺様のためならなんでこんな扱いをされるんだ!?」
「藩邸内の者達に移さないためだ、と言っているだろう?」
「だからって…そんなもんつけて、まるで俺がバイキンみたいじゃないか…。」
「だったら早く治すことだな。」
「小五郎…!」
ちっとも同情してくれない桂にすねる高杉。
「はーい、お持ちしましたよ~!」
御膳を持った薫が部屋に入ってくる。その後から鍋を抱えた武市が入ってきた。
鍋は皆の真ん中に置かれ、薫が蓋を開けるといい具合に中の具煮詰まっている。
「おう!美味そうだな!」
鍋をみて元気になる高杉。
「この中にはスッポンと鰻が入っているんです。」
「身体にいいそうですよ。」
「ふ~ん…どれ!」
高杉が箸を取り、食べ始める。
「ん!…美味い!!」
「それは嬉しいですね。」
「はい!」
嬉しそうに笑う薫。
「ならこれ…薫が作ったのか!?」
「そうですよ。桂さんにお願いして奮発して貰ったんです。」
確かにスッポンや鰻は近頃高くなっている。普段は高い物は目もくれない桂だが、その気持ちは高杉にちゃんと届いていた。
「薫さんの手料理だ。有り難く食べろ。」
「ああ、もちろんだ!薫、その端のやつ取ってくれ!」
「ええ~!さっきから食べ過ぎです!」
「いいんだよ!」
芳しくない状況だというのに、賑やかで楽しい時間を過ごす四人。
その夜は遅くまで続いた。
桂と高杉に別れを告げて武市と二人で、長野屋へと帰る。
いつもは人で賑わっている大通りも、シンと静まりかえっている。
「武市さん、今日はありがとうございました。」
「いえ、おかげで勉強になりましたよ。」
「そ、そんな…私のしたことなんて、あれで高杉さんが良くなるなんて保証もありませんし…。」
「それでも、高杉さんにとっては何よりの薬になったでしょうし、少しでも回復できればまた動けますから…。」
「……。」
武市に褒められ、嬉しく感じる薫。武市の言うように自分のしたことが、高杉を少しでも助けられたのなら、嬉しい。
「ですが…。」
「?」
「一人で出歩くのはもう勘弁して下さい。」
「あ…。」
そういえば、長州藩邸へ一人で勝手に出てきた事を思い出す。
桂達に会えたのはたまたま運が良かっただけだ。その間に何かが起こってもおかしくはない。それに、単独行動をとることは武市達を危険に晒すようなものだ。
薫は自分がしたことを反省し、俯く。
薫が反省していることを見てとれたのか、武市は怒らずに、薫の顔を見て優しく言う。
「わかりましたか?」
「…はい!」
薫は笑顔で返事をした。
二人は長野屋へと帰る、空には満天の星空が輝いていた。
翌日から高杉の治療療法は本格的に進められた。まさか、ここで自分が学んだ知識が役に立つとは思わなかった。薫は看護師ではないから、もちろん本当の治療も出来ないが、それでも高杉が少しでも良くなるように武市達と協力して手を尽くした。
数日後、高杉の体力は回復し、会合などに出られるようになった。
容体は変わらないが、それでも以前のように苦しむこともなくなったという。そして、藩邸内にいた風邪などの病人も薫のおかげで減っていた。
「いや~世話をかけたな!動けないことがもどかしくて、もどかしくて、堪らなかった!」
長野屋に会合でやって来た高杉が元気そうに言う。
いつもの高杉のテンションに戻って良かったと思う。
「元気になって何よりじゃ、高杉さん!これでまた、あの件も進められるということじゃ!」
「お元気になられて良かった。」
高杉がいない間、桂を含め龍馬達も動いていた。しかし、状況はなかなか進むことが出来ず、息詰まりを見せていた。だが、高杉が戻ってくれば、万事解決だ。
「おう!任せておけ!俺様が出てきたからには、薩摩も幕府も巻き込んで、話しを解決してやる!」
「巻き込むのはいいが、無茶をするなよ?」
「やかましい!もう、お前の言いなりには為らないからな!」
慌てて桂の言葉を否定する高杉。
どうやら、あのあとから桂は高杉を休めさせるために過保護的に手を尽くしていた。それが、動きたがる高杉には苦痛でならなくて仕方がなかったらしい。
「おやおや。」
「ま、桂さんの言う通りじゃ。高杉さんにまた倒れられても困るからのう。」
「そうっすよ!大事にして下さい。」
「わかった、わかった!だから、もうそれ以上言うな!」
高杉を労る龍馬達だが、それが高杉にはもどかしくて堪らない。
そこへ、薫がやって来る。
「失礼します。お茶をお持ちしました。」
「お、ちょうどいい時に来たのう。薫さん、中へ入ってくれ。」
龍馬から声をかけられ、襖の向こう側にいた薫が襖を開けて姿を現す。
「失礼します。」
「薫!」
「高杉さん!元気になられたんですね!」
「おう!お前のおかげでこの透り、ピンピンしてるぞ!」
豪快に笑い飛ばす高杉。
だかー…、
「ゲホッ!ゲホッ…!」
「高杉さん!」
激しく咳込む高杉に慌てて駆け寄る薫。
「大丈夫ですか!?」
「…だから、言わんことではない。」
呆れたように言う桂。
「う、うるせー……!」
咳込みながら反発する高杉。薫は、持ってきたお茶を高杉に渡す。
「飲んで下さい…!」
「ああ…。」
お茶を飲み干す高杉。どうやら、咳が落ち着いたようだ。
「……ありがとな薫。」
「いえ…。」
心配そうに高杉を見つめる薫。
「まったく…、ここまで良くなったのは薫さんのおかげだと言うのに、少しは自分のことを気遣え…。」
「わかってるよ…!」
桂に指摘され吐き捨てるように言う高杉。
「じゃが、薫さんはまっことすごいのう!あのような知識を持っていたとは、見上げたものじゃ!」
「そうです!姉さんはすごいっすよ!高杉さんの病気を治したんですから…!」
「いえ…、そんな…。」
「俺もあなたから学ばされましたよ。」
「………。」
ニコリと微笑む武市を見て言葉を失う薫。顔が熱くなる。
「本当だな。そういうやつには褒美をやらんとな!お前のおかげでこうしていられるんだからな!」
「え…?」
高杉は薫に褒美をやると言うが、いつも褒美とは逆の事をされている。それなのに、何故か顔が赤くなる。
「そんな…!大したことはしてませんよ!…それに、病気次第が無くなったわけではないので、帰ったら休んで下さい!」
「薫…、全くお前は本当にいい女だよ!こんな所にいるのがもったいないぐらいだ!よし、なら会合が終わったら藩邸に来い!夕飯でもご馳走してやる!」
「た、高杉さん…!」
薫の肩をガッチリと抱いて言う高杉。そこまで言われたら、反論するのも悪い気がする。
その日の夕刻、高杉の誘いを受け皆で長州藩邸へと足を運んでいた。
「でも、わしらまで高杉さんのお呼ばれするはめになるとはのう。」
嬉しそうに言う龍馬。
「実際、高杉さんが呼んだのは薫さんだがな…。」
「水をさすな!薫さんを遠い長州藩邸へ行かせるわけには行かんぜよ!何があるか、わからんからな!」
「そう言っておきながら、本当は姉さんの側に居たいだけじゃないっすか?」
龍馬をからかうように言う中岡。
「そ、それは…!」
からかわれたとは言え、事実である。
薫が藩邸に誘われた時に、自分達も行く!と龍馬が言い出したのだ。高杉は、男共はたくさん飲み食いするから面倒だ!と言って断ったのだが、強引に自分の意見を通して、高杉を説き伏せたのだった。そして、今に至る。
「龍馬さんってわかりやすいっすね~。」
「むむ……。」
本当のことをずばりと言い当てられてしまい、なすすべがなくなる龍馬。
当の薫は気づいていない。
「そういえば、以蔵はいいの?」
「何がだ?」
「その…一緒に来て貰っちゃって…、お仕事があるんでしょ?」
以蔵は毎夜、武市の命令を受けて外の見回りに出ている。以蔵のおかげで長野屋に平穏があり、武市達も外に出られているということはわかっていた。
「………。」
黙り込む以蔵。おそらく、今日も命令を受けているはずだ。
「ごめんね…。」
「は…?」
突然謝る薫に驚く以蔵。
「私のために…つき合わせて…。」
「お前が気にすることじゃない。これは…、」
「以蔵、前を向いて黙ってあるけ。」
以蔵が言い終える前に、武市が会話を断ち切る。
「はい……。」
武市の言われた通りに黙り込んでしまう以蔵。
「あの、武市さん…?」
後ろから歩いてきた武市の横へ来る薫。
「以蔵がいることで、迷惑ならどっかに退けますから、遠慮なく言って下さい。」
「えっ…!」
なんか、とんでもないことをサラッと言う武市。それはあまりにもヒドイと思う。以蔵は武市の弟子で、武市の言うことを以蔵は何でもいうことを聞く。以蔵にとっては武市の命令は絶対で、命の危険が合ってもその命令を遂行する。
今だって…、会話を勝手に切られてヒドイ事を言われているのに、黙って武市の言うことを聞いている。
薫は堪えられなくて、つい口を挟んでしまう。
「武市さん、その言い方はあんまりです!以蔵は私たちのために、いつも頑張ってくれているのに…!」
「頑張るのは当たり前です。それに、あなたがとやかく言うことではありません。」
「でも…!あんまりだと思います!」
「あなたが言ったところで、以蔵が慰められるとは思いませんが?それに、以蔵は俺の弟子だ。弟子をどう扱おうと俺の勝手だ。」
確かに武市の言う通りだ。だが、我慢にならない。
「武市さんがそうだとしても、以蔵の気持ちも考えるべきだと思います!そんな風に師匠に言われて、嬉しい弟子なんていません!」
「お前に何がわかる!知ったような口を聞くな!!」
「……!」
武市に怒鳴られ剣幕に押されて、口をつぐむ薫。
「!」
自分が今何を薫に言ったのか、わかっていた。だが、正しいことを言ったはずなのに…、薫は自分の目の前で今にも泣き出しそうな辛い顔をしている。
武市はそれ以上、何も言えずに薫を残して歩き出す。
「……。」
「薫さん…。」
今の様子を見ていた龍馬が、薫の元へと来る。
「…あ…。」
薫が龍馬の顔を見ると心配そうにしているのがわかる。だが、龍馬の顔がにじんで見える。
「薫さん…?」
「えっと…。」
薫は慌てて顔を拭い、笑ってみせる。ここで泣いてはいけない。
「…私、ちょっと忘れ物をしたみたいなので、取りに戻りますね…。龍馬さん達は先に行ってて下さい。」
薫は龍馬達に頭を下げ、一目散に来た道を走って戻る。
「薫さん…!」
「………。」
薫が泣きながら走り去るのを、武市は背で感じていた。
少し、遅くなってしまったが、武市達は長州藩邸へと来ていた。薫とはまだ合流出来ていない。
「やあ、よく来てくれたね。」
武市達を出迎える桂。
「お誘い頂いて感謝します。」
「いや、これだけいれば盛り上がるだろう。…ところで、薫さんの姿が見えないが…?」
薫がいないことを言われ、桂から視線を逸らして武市は答えようとしない。
「…あ、…それがのう桂さん…。」
黙っている武市の代わりに龍馬が答えた。
「薫さんはちと、忘れ物をしたようでのう…取りに戻ってしまったんじゃ…。」
「そうなのかい?」
「わしらも行こうとしたんじゃが…一人で行ってしもうてのう。後から来る言うてたから、すぐに来るとは思うんじゃが…。」
「そうか…、でも、先に来てしまって良かったのかい?」
確かに桂の言うように、後から来ると言っても暗くなった道を薫が一人で歩くのは、危険だ。
「じゃが、女の支度に男がくっついて待つのは…どうかとは思うんじゃが…。」
言い訳をするのが苦しくなってくる龍馬。
「あいつも馬鹿ではありません。それくらい自分で判断するでしょう。」
龍馬をカバーする以蔵、武市は何も言わない。
「そうかい?でも、困ったな~。高杉は薫が来るのを楽しみにしていたから。」
元はと言うと薫へのご褒美のつもりで呼んだのだ。それなのに、主役の薫が来ないのでは、いささか問題がある。
「…後で、迎えに行かせます。」
「そうかい?なら、薫さんが来るのを待つとしよう。さあ、上がってくれ。」
桂に招かれ、藩邸へと上がる龍馬達。武市はとっさに、迎えに行かせるとは言ったものの…実際には難しいのが現状である。薫が忘れ物をしたというのも、自分達に心配をかけないようにするために言ったことにすぎないのだ。
宴会が行われる部屋に通されると、すでに高杉が待ち構えていた。
「やっと来たか!まったく、待ちくたびれたぞ!?」
「すまんのう高杉さん。」
それぞれの席に座る龍馬達。
「それで、あいつはどこだ?」
「あいつ…?」
「薫だ!どこにいる!?」
早速、薫のことを問い尋ねられる龍馬達。だが、いくらなんでもあいつ呼ばわりはきにくわない。
「あ…それがのう高杉さん…、」
「‘あいつ’呼ばわりはしないで下さい。」
龍馬が説明しようとすると、横から武市が口を挟んでくる。
「…?」
「薫さんは“あいつ”ではありません。きちんと、名前で呼んで頂きたい。」
鋭い目つきで、高杉に言う武市。だが、高杉も黙って聞くわけにはいかない。
「なぜお前に指図されないといけないんだ!」
「常識だ、と言っているんです。」
「何が常識だ!俺があいつをなんて呼ぼうがお前には関係ないことだろう!」
「!」
確かに、薫は武市の恋人でも夫婦でもない。だから、高杉が薫のことをどうしようと武市にはそれにどうこう言う権利はない。
「…だからといって薫さんは、あなたのものではないでしょう!?」
「なんだと…!」
「こら、よさないか!みっともない…。」
桂が止めに入り、ようやく騒ぎが収まる。これではせっかくの宴会が台なしである。
「…小五郎、宴会は取りやめだ。」
「晋作…!」
「薫がいないのに、やっても仕方がないだろう!?」
「それは、そうだが…。」
「それに、こんな雰囲気の中、酒が飲めるか!だから、やめだ!やめだ!」
すっかり捻くれてしまった高杉。武市も何も言わない。
「まあ、高杉さん。わしらも悪かったぜよ。しかし、もうすぐ薫さんも来るじゃろう。じゃから辛抱してくれんかのう?のう、武市?」
武市の代わりに謝る龍馬が、武市に問い尋ねた。
「………。」
「武市…?」
「……………。」
「武市!」
「ん?なんだ…?」
ようやく龍馬が話していることに気づいた武市。どうやら、今の話しを聞いていなかったようだ。
「…しっかりするぜよ!!」
「あ、ああ…。」
きつく言う龍馬だが、武市には伝わっていない。それが、わかったのか高杉が武市の前と来る。
「おい、武市!」
「なんですか?」
「迎えに行って来い!」
「は…?」
「すっとぼけた返事をするんじゃねぇ!薫を迎えに行け!と言ってるんだ!大方、薫にヒドイ事でも言ったんだろう!?それを気にしてるんだろう!?」
「……!」
高杉に言い当てられてしまう武市。だが薫を気になっている…?という部分はいったいなんのことを言っているのかわからない。
「なぜ、あなたにそんなことを言われないといけないんですか?」
「お前が鈍いからだ!薫のことを気にしてるくせに、どうしてさっさと迎えに行かないんだ!?」
「!」
あんな事を言って、いまさら薫を迎えにいけるわけがない。
「俺が行ったところで、彼女が来るとは思えませんが?」
「そんなことはどうでもいいんだよ!とにかく、行って来い!!」
「おいおい…それは違うだろ晋作。」
「うるせー!…人の大事な女を泣かせやがって……!」
文句を言いながら、元の席に戻る高杉。薫を泣かせてしまったことまでばれてしまった。
「武市君。もし君が彼女を理不尽な理由で傷つけていたのだとしたら、それは許されることではないな。彼女は、僕らにとっては必要な存在なんだから。」
「………。」
「あれは、薫さんにはきつかったかもしれんのう。今頃は泣いているのかもしれん…。」
「……!」
泣きながら走って行った薫が思い出される。あの時の彼女の顔は辛そうにしていた。自分のせいだとはわかっているが、どうしようもない。
「…だからと言って俺が彼女を慰められるとでも言うのか?」
「ウダウダと言ってんじゃねぇよ!いい加減にしねぇと、薫を本気で嫁にもらうぞ!」
「ま、一層そのほうがいいかもしれんのう?高杉は行きざよいし、薫さんを大事にしてくれるからのう。それでもいいんか武市?」
「誰かに彼女を持っていかれて、辛いのは君なんじゃないかい?」
「慰められる、られない、じゃなくて、お前が薫をどうしたいかが重要なんじゃねぇのか!?とっとと行きやがれ!!」
「……すいません!」
高杉達に葛をいれられ、ようやく武市は立ち上がり、藩邸を出て行った。
「まったく…世話のやける奴らだ。」
「でも、良かったのか晋作?」
武市同様、高杉も薫のことが本気で好きだったのだ。
「…薫を見ていれば分かる。あいつがいつも見ているのは武市だ。だったら、手を引くしかねぇだろ?」
「………。」
龍馬や中岡も同じ気持ちであった。
「…仕方ない。僕らだけでもやるか。」
「それはいいのう。二人の幸せを願ってフラれた者同士飲み明かすぜよ!」
「そうっすね。」
「おい小五郎!酒だ酒だ!たくさん持ってこさせろ!飲むぞ!!」
「はいはい。」
高杉達は二人を気にしながらも、酒を飲みながら皆でおおいに盛り上がってた。
長州藩邸を後にした武市は全速力で走っていた。
ふと、あるものが目に入る。
薫が行きつけにしている茶屋の暖簾だ。おそらく、仕舞い忘れたのだろう。
武市が怒ると薫はよくここへやって来てお団子を食べている。あの時も確か、武市がヒドイ事を言って…薫がここへ来ていたのを思い出す。その時は宿屋の女将に金を渡し、それを持った薫はここへとやってきた。武市はその後ろをこっそりとついてきていた、お団子を食べている薫は本当に幸せそうに笑っていた。
その時の薫の姿が目に浮かぶ。いつの間にか、武市の中で薫の存在が大きくなっていたことを知る。
「今さら気づくとは…。」
幾度も薫を傷つけて、困らせてきたが、彼女はいつもニコニコ笑っていて、辛い顔なんて見せたことがなかった。
自分の不甲斐なさを深く痛感する。
と、そこへ聞き慣れた声が聞こえてくる。
「武市さん…?」
「!」
声の方を振り向くと、そこには薫が立っていた。
「薫…。」
泣いていたのであろう、薫の目元が少し赤くなっている。なのに、薫は自分から会いに来てくれた。今、会いたいと思っていた相手が目の前にいる。
薫の姿を武市は呆然として見つめていた。
「どうしたんですか?こんなところで…?」
「……。」
「武市さん…?」
不思議そうにして自分に近づいてくる薫を、思わず抱きしめてしまう武市。
「武市さん…!?」
「………。」
いきなり抱きしめられて驚く薫だが、武市は何も言わない。
「武市さん…?」
「…黙って、このままでいてくれ…。」
武市に何があったのかはわからないが、黙ってそれに従う薫。
ヒラヒラと桜の花が月明かりに照らされて二人の間に落ちて行った…。
ー第三章ー
翌朝、何事もなかったかのように朝を迎える。雀が庭で朝を知らせに鳴いている。
(朝か…。)
まだ、はっきりとしない頭でウッスラと目を開ける薫。
(そっかぁ…昨日は……。)
あのあと、二人は長州藩邸には行かずに長野屋へと戻ってきた。
武市は何を言うでなしに、すまなかったと告げて自室に戻ってしまった。
だが、それを言うために宴会を放って来たのかと思うと嬉しく思う。
それで、薫は勝手場からお酒を持って武市の部屋を訪れた。
「武市さん、薫です。」
「…入りなさい。」
「…!」
いつもなら用件を先に聞くのに、それも聞かずに入れと言われ、驚く薫。
「どうしましたか?早く入りなさい。」
「は、はい…!失礼します…。」
襖を開けて薫は部屋へと入る。
「どうしましたか?」
「あの…これをお持ちしました。」
薫は武市の前に盆に乗った酒瓶を差し出す。
「!」
「あ…もちろん!お酌をしたら、戻りますので…ゆっくりと飲んで下さい…。」
前に一度言われたことがあった。一瞬、険しい顔をした武市だったが、それを聞いて笑いだす。
「…ハハハ!本当に君って子は……!」
「笑いすぎです…!」
恥ずかしくなって抗議をする薫だが、武市は笑い続けていた。
「…わかった。なら、酌を頼む。」
おちょこを薫に差し出す武市。
「…どうしましたか?」
「い、いえ…!なにも…。」
キョトンとしていた薫が、慌てて徳利を取って器に注ぐ。
「ありがとう。」
「いえ……。」
武市にお礼を言われ、嬉しく思う。
そのまま武市はおちょこの酒を飲み干すと、薫がまだそこにじっとしていた。
「どうしたんですか?出て行かないんですか?」
「…出ていけって…言わないんですか?」
いつもの武市なら飲む前にさっさと出ていけ!と言うはずだ。なのに、そう言ったことは全然言わないので、薫は不思議に思っていた。
「言われたいんですか?」
「いえ…!そんなことはないですけど…、私、部屋に戻りますね。」
薫は立ち上がり、部屋を出て行こうとすると、背後から武市の手が伸び、襖の戸を開けようとする薫の手と重なる。
「た、武市さん…?!」
慌てて薫が振り返る。
「まだ、ここに入ればいい。」
「……!」
「俺が飲み終わるまで、側にいてくれないか?」
武市の優しい言葉に思わず、息を飲む薫。だが、武市の側にいることはとても嬉しい。
「はい…。」
「いい子だ…。」
武市は優しく薫の髪を撫でた。
薫は武市が酒を飲むその間、ずっと側にいた。そして、戻り際ー、
「ありがとう。」
「いえ…また飲みたくなったら言って下さい。」
そう言って薫は勝手場に戻ってきた。
心臓がドキドキと早い音を立てている。
「私…どうしたんだろう?」
薫は自分のすっかり赤くなってしまった頬を押さえる。
何時間か前までは、泣いていて悲しかったのに…今は逆に凄く嬉しい気分だ。
(武市さんって…不思議な人…。)
怒鳴ったり、ヒドイことを言ったりするけれど、ちゃんと薫のことも考えてくれている。薫は微笑んでいた。
それから、しばらくして薫は眠りについて今に至る。まだ、はっきりとしない意識の中、薫はそんなことを考えていた。
(龍馬さん達はあのあと…帰ってきたのかな…。)
薫の意識はどんどん遠退いていく。いつの間にか、薫は眠りについていた。
眠っていた薫の部屋の近くで誰かが話しをしている。
「だから、わしが起こすぜよ…!」
「いえ、俺が…!」
コソコソと話しているのだろうが、その声はバッチリと薫の耳に届いていた。
「お前は大人しゅうしとれ…!」
「龍馬さんこそ、大人しくしてて下さい…!」
(…この声は龍馬さんと慎ちゃん…?)
そして、もうひとつの声が聞こえてくる。
「まったく、朝から騒がしい…!」
呆れた口調で言い放つ声は、かなり近くで聞こえる…。薫はゆっくりと目を開ける。
紺色の着物に長い髪が見えてくる。この人は…、
「きゃーー!!」
「!?」
「武市さん!?」
薫は慌てて布団から飛び起きる。布団の横ではビックリした顔をした武市が座っていた。
「…やっと起きたようですね。」
にこやかに言う武市。だが、そんなことを言っている場合ではない。
「ど、どうしてここに…!?」
「君を起こしに来たんだろ。」
「だ、だからって…!」
もはやこれでは襖で仕切る意味がなくなっている。
「いつから、ここにいるんです?」
「一刻程前からだ。君がなかなか起きないからそのままにしておいた。」
(…それは…起こした意味がないのでは…?)
「そんなことで慌てるなんて珍しいですね?先程まで、可愛かった顔も台なしです。」
「…!!」
可愛かった…?!一刻前というと1時間前ということになる。それから、今の話しからすると武市はずっと薫の寝顔を見ていたことになる。
ずっと見られていたなんて恥ずかしくて、顔が赤くなってしまう。
「…そういう問題ではありません…!」
「?」
恥ずかしくてむしろ、悲しくなってくる。だが、武市のほうはなんてことないようで、縁側の戸を開けて何もなかったように開けている。
すっかりへしょげている薫の元に武市が来て、薫の頭にてをやる。
「…?」
「早く支度をしなさい。いつまでもそんな格好ではみっともないですよ。」
「!!」
さらに追い打ちをかけるようなことを言う武市。もう薫の顔は真っ赤になっていて返す言葉すら失っている。
「…顔が赤いですようですが、どうしたの?」
「…!」
笑いかけながら薫の顔を覗き込む武市、武市に見られてますます薫の顔が赤くなる。そこへ、騒ぎを聞き付けた龍馬達が飛び込んでくる。
「薫さん!どうしたんじゃ!?」
『!!』
「龍馬さん…!慎ちゃんまで…!」
「姉さんの悲鳴が聞こえたんで、慌てて来てみたんす!」
「あ…そうだったんだ。」
すっかり外にいた龍馬達の存在を忘れていた。
「それにしても…なにゆえに武市が薫さんの部屋におるんじゃ?」
疑いの視線を向ける龍馬。
「薫さんを起こしに来たに決まってるだろ?」
平然と答える武市だが、龍馬達は納得がいくはずがない。
「わしらかて起こそうとしとったわい!じゃが、おんしの姿はみちょらん!」
龍馬達はずっと廊下にいたのだ。だから、武市が薫を起こしに来るなら見かけているはずだ。
「ああ、それで騒がしかったのか…。」
「何を!」
「お前達のせいで薫さんが、目を覚ましてしまった。それに対して非がないと?」
「そ、それは…!」
「それは…どうした?」
思わぬ方向に話しをもっていく武市。龍馬はすっかり同調して武市の言葉にのせられていた。
「むむ…!」
「にしても、俺らの目を盗んでどうやって入ったんすか?」
中岡からよからぬ助け船が出る。
「そうじゃ、そうじゃ、どうやって入ったんじゃ?!」
いくら武市とは言え気配があれば龍馬達には気づかれてしまう。
「そこから入ったに決まってるだろ?」
平然に答える武市の視線は、薫の部屋と隔てている襖を見ている。
(武市さん…、地雷をふんでます!)
案の定、薫の思った通り龍馬達の地雷を踏んでいた。
「女子の部屋に忍び込むとは、不謹慎過ぎるぜよ!」
(あ、やっぱり…。)
「ほうー…、ならそういうお前達だって確認もせず、入って来ているではないか。」
「それは、薫の悲鳴が聞こえたから…どうしたんか、思うて入ったんじゃ!」
「なるほど、だが現にこうして女子の部屋押しはいるのはどうかと思うが?」
「襖から忍び込んだ、おんしには言われとうないわい!」
「まったくっす!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す龍馬達。それがなんだか可笑しくてつい、笑ってしまう。
「フフフ…。」
薫が笑っているのに気づいた男共は、黙ってしまう。
そこへ、以蔵が来る。
「何騒いでんだ!近所迷惑だろ!!」
「あ…。」
そういえば、ここは民間が立ち並ぶ場所にある。これだけ騒いでしまっては確かに近所迷惑もいいところである。
「さっさと飯を食え!…って、師匠!?」
部屋の中に武市がいたのに、気づいて驚く以蔵。どうやら、武市がこの騒ぎに関与していたとは思わなかったらしい。
「…まさか、お前に説教をされるはめになるとはな…。」
「その…俺、師匠がいたとは知らずに無礼なことを言いました…すいません…。」
慌てて武市に頭を下げる以蔵。
「まあいい。お前が言ったことは正しいからな。説教をしたのは大目にみてやろう。」
「師匠…。」
いつもなら、お前が俺に説教なぞ早い!!って怒鳴るはずだが武市は以蔵をあっさりと許してしまった。それに、驚いてしまう以蔵。
「なんだ?まだ、何かあるのか?」
「いえ…!なんでもありません!!」
以蔵はそのまま何も言わずに、立ち去ってしまう。
「こういうことですか?」
「え…?」
武市の質問に思わず聞き返してしまう薫。
「昨日、あなたが言っていたことです。」
「あ…!」
昨日、以蔵にヒドイことを言った武市に薫が猛反論して、喧嘩になってしまったのだ。武市がそのことを言っているのだと気づく。
「覚えててくれたんだ…。」
嬉しくてつい、独り言を言ってしまう薫。
「え…?」
「いえ!なんでもないです!…そういうことです…!」
独り言を聞き返されてしまい慌てて答える薫。
「よかった…。」
「…!」
ニコリと笑う武市。思わず俯いてしまう。
「ああ~…、暑苦しいのう…。」
「まったくっすね…。」
『!!』
ここに龍馬達がいたことをすっかり忘れていた。恥ずかしくなってますます薫の顔が赤くなる。
「そいじゃあ…わしらは先に行っとるぜよ。」
「姉さんと武市さんも、遅くならないうちに来て下さいね。」
「う、うん…!」
薫達にそう言い残して龍馬達は、広間へと行ってしまった。
部屋には武市と二人残されてしまった。
なんだか、気恥ずかしい気がする。
「…朝餉を食べに行こう。」
薫の心境を察したのか武市が、薫を朝ごはんを誘う。
「はい…。」
戸惑いながらも、着替えをすませた薫は武市と共に広間へと向かった。
広間へ行くと先程のことなどなかったように、いつものようにそれぞれの報告が始まる。
朝餉を食べながらというのが気になるところだが、龍馬達はそんなことはお構いなしに、話しを進めている。
今日は龍馬達は薩摩の方へ出向くようだ。なんでも、高杉復活の件が絡み合っているらしく、会合も忙しくなるとのこと。
ふと、いつもなら会話に入っているはずの武市が龍馬達の会話に入っていないことに気づく。
(…どうしたんだろう?)
不思議に思いながら朝餉の時間を過ごした。
朝餉が終わると、龍馬達は薩摩藩邸へ出かけて行った。広間には武市と薫が残される。薫は皆が食べた膳を片付けながら、窓辺でお茶を飲んでいる武市に尋ねてみた。
「武市さんは今日は出かけないんですか?」
「そうだね…。」
薫に尋ねられ考える武市。
「龍馬さん達は薩摩藩邸へ行かれましたけど、武市さんはよかったんですか?」
「薩摩には俺らをよく思わない者が多い。だから、俺は行かないほうがいいんだ。」
そういいながらも内心龍馬達と行きたいのだと、思っていることが分かった。
「そうですか…。」
「薫さんは今日、予定はあるんですか?」
「いえ…ありませんけど?」
(予定と行ったって…私の場合、たいしたようはないしね…。)
そう思うと何故か急に自分のことが虚しく思えてくる。
「俺も今日は特に予定がないんです。」
「え…そうなんですか…?」
「ええ、急ぎの用は先に済ませてありますし。」
武市が何も予定のない日なんて、珍しいことだ。
「そうなんですか。なら、ゆっくりできますね!」
「そうですね。」
何にも予定のない日ぐらい、武市にはゆっくりして欲しい。
薫が笑って言うと、武市も笑い返してくれた。
「なので、支度してください。」
「は…?」
唐突に言い出した武市の言葉に、薫は目を丸くする。
「出掛ける支度ですよ。」
「…何処かに行くんですか?」
「ええ、さあ早くしなさい。」
「でも…ここを片付けないと…。」
「そんなことは、以蔵にやらせておけばいい。」
「ええ~!それはダメですよ!!」
「なら、俺がやりましょうか?」
そう言って武市は、器を持っている薫の手から器を取ろうとする。
「!」
武市の手と薫の手が重なり合う。
「わ、私!支度してきますね!!」
薫は慌てて手を離して部屋を出て行った。
《パタン…。》
自分の部屋の襖を閉める。
(ああ~ビックリした…。)
手を添えた胸が高鳴っている。いったいいつから、自分はこんなふうになってしまったのだろうか…。
薫はそんなことを考えながら、出掛ける準備を始めた。
出掛ける支度が整い、玄関を出ると武市が待っていた。
「武市さん、お待たせしました!なんか、予想より準備に手間取ってしまって…。」
あれから、髪を整えたり、いろいろしていたら時間が予想外にかかってしまったのだ。
だが、武市はそれに対して怒るそぶりすらみせない。
「いえ、女性は準備に時間が掛かるものですから。」
「…怒らないんですか?」
「怒る…?」
「だって…けっこう待たせたじゃありませんか…。」
「待つことには慣れていますから、それに薫さんなら俺は、いつまでも待ちますよ。」
「武市さん…!」
「では、行きましょうか。」
武市は先を歩き始める。薫もその後ろからついていく。
向かった先は林道を抜けたところだったが、薫はその場所を知っていた。
「武市さんここは…。」
「薫さんが帰る手がかりを、探しにきた場所です。」
薫と武市が出会ったのは、長野屋の裏手であったが、裏手にはこれといった手がかりはなく、薫の荷物だけが落ちてあった。後に、他で何か情報がないかと探していた時にこの場所へと来たのだ。
「…以前は、俺がまともに捜せずに…申し訳ないことをしました。」
「武市さん…。」
確かその時は、武市が急用のために薫を残して、いなくなってしまった。あの時に薫は新撰組の沖田と顔をあわせている。それがきっかけとして、薫が間者ではないと言う誤解が解けたのだった。
「今日は、この前のようにはならないから、手がかりを探しましょう。」
「でも…。」
「気にしなくていいですよ。さあ、行きましょう。」
「はい。」
武市は先を歩き始める。薫はその後ろをついていく。
以前は、帰る手がかりを求めていたのに…いつの間にか、薫の中でそんなこと思わなくなっていた。むしろ、探しにいく足取りが重く感じられる。
そして、二人は林道を抜けた。
ついた先にあったのは、小さな神社だった。
「ここは?」
「最近、新しくできた神社です。もしかしたら、何かあるのではと思いまして、前々から目をつけていたんです。」
「ってことは…武市さん…。」
薫が間者と疑いをかけていたというのに、ちゃんとその時から、薫の事を考えてくれていたのだろう。もしくは、薫を試していたのかもしれない。そう思うとなんだか嬉しくなってしまう。
「さあ、探しましょう。」
「はい…!」
薫と武市は社を調べはじめた。
だが結局、この日も何も見つからず、社にも変わったことはなかった。
帰る頃にはすっかり日がくれていた。
「何も見つかりませんでしたね…。せっかく、武市さんが探してくれたのに…。」
「そう、落ち込むことはありませんよ。今日がダメなら、明日また探せばいいのです。」
「はい……、?」
「どうかしましたか?」
「何か音が聞こえませんか?」
遠くからだが、微かに笛の音とかが聞こえてくる。
「ああ…そういえば、今日は縁日でしたね。」
「縁日?お祭りですか?」
「はい。毎年、この時期になるとどこでもやりますから。」
「わあ~楽しそう!」
「…そんなに、喜ぶようなことですか?」
「だって、お祭りですよ!お祭りって聞いただけでもワクワクするじゃあ、ありませんか!武市さんは…違うんですか…?」
「…そうですね…そういったことは、随分長い間、やっていませんでしたからね。」
「そうなんですか?」
「ええ…、薫さんはよく祭とかに行ったりしていたんですか?」
「はい、でも…両親が亡くなってからは、行っていませんが…。」
「…すみません、余計なことを聞いてしまいましたね…。」
「いえ…!そんなことないです!でも…お祭りか…いいな…。」
「……行ってみましょうか?」
「でも…!」
「この時間帯なら、平気ですから…それとも、やめますか?」
武市は追われる身で、いつ敵に見つかるかはわからない。でも…武市がせっかく誘ってくれたのを断るのもどうかとも思う。
「…行ってみたいです!」
「では、行きましょう。」
ニコリと笑う武市について、薫は祭へと出かた。
祭に行った薫は子供のように、はしゃいでいた。
「わあ~~!!凄い!武市さーん!早く、早く!!」
「薫さん…!待って下さい…!」
先を行ってはしゃぐ薫に、人混みを掻き分けようやく追いつく武市。
「ハア…ハア…。薫さん早いですね…。」
「だって…久しぶりのお祭りなんだもん…。あっ、あれみて下さい!かわいいですよ!」
「か、薫さん…!」
薫は武市をおいて駆け出して行く。
「…ったく…。」
武市もそのあとをついて行く。
「わあ~!かわいい…!」
薫は出店の前で、商品を手に取ってみる。ピカピカとしていて、かわいらしい簪だ。
(この時代のお祭りって…こんな物が売られているんだ…。)
感心しながら、店を見ていく薫。だが、ふと武市がいないことに気づく。
「…武市さん?」
辺りを見回すけれど、武市の姿がない。
「うそ…!はぐれちゃった…。どうしよう…。」
もう一度、周囲を見渡して武市の姿を捜す。けど、武市の姿はどこにもない。
完ぺきに武市とはぐれてしまっていた。
(捜さなくちゃ…!)
「武市さーん!武市さーん!!」
人混みを掻き分けて武市を捜す。だけど、武市は見つからない。
(どうしよう…!どうしよう…!)
と、そこへ、聞き覚えのある声がかかる。
「あれ…?薫ちゃん?」
振り返ると沖田が、そこに立っていた。
「沖田さん…!」
「まさか、君がこんなところにいるとはね…。」
「この前は、ありがとうございました。」
沖田に頭を下げる薫。
「いいよ、別にたいしたことないし。それより、君、こんなところで何してるの?もしかして、また一人…?」
「え…!あ…はい…。人を探していて…。」
「人?」
「はい…一緒に来た人です。」
「ふ~ん、じゃあ君今迷子なんだ?」
「はい…。」
「でも、それならここは危ないよ。」
「え…?」
「だって今お祭りだし…女の子一人でうろつくのは、ちょっと危険かな。」
「あ…。」
沖田の言う通りだ。祭で一人になるのは少しばから危険なのかもしれない。
「もしかしたら、もう家に戻っているのかもしれないよ?この人混みで捜すのは大変だしね…。」
周りを見る沖田。確かに、この中で武市を捜し出すのは難しいだろう。
「でも…捜さないと…、私を捜しているかもしれないし…。」
「う~ん、そうかもしれないね。でも、ここで君を捜しに行かせるわけにも行かないしね…。どうしよっかな…。」
「あ…私は一人でも全然…!」
「なら僕もその人を捜してあげるよ。」
「え…ええーー!?」
「君、一人じゃあ危ないしね…。じゃあ、ちょっと待っててくれるかな?伝えてくるから。」
「え…?沖田さんも誰かと来ているんですか?」
てっきり、沖田は一人で来ていたと思っていた薫。
「当然。僕は君と違って迷子にはならないから。」
「沖田さん!」
「アハハ…!じゃあ、ちょっと待っててね。」
そう言って沖田は人混みの中に入って行った。
「…はあ~…。困ったな…。」
とんとん拍子で、沖田も一緒に武市を捜すことになってしまった。
武市と沖田は敵対関係にある。今武市と沖田が接触してはまずい。でも、沖田を待っていることになっているから、ここを離れるわけにもいかない。
薫は石垣の下に座り込む。
「どうしよう…。」
「おい、姉ちゃんそこで何してんだ?」
「え…?」
顔をあげると、いつの間にか三、四人の男達が薫を取り囲むようにして立っていた。
「お前一人か…?縁日なのに…一人とはかわいそうだな~へへへ…。」
「!」
明らかに、男達は酔っている。
「女が一人こんなところにいるとは…俺達と遊んで欲しいのか…?」
「や、やめて下さい…!」
薫に詰め寄ってくる男達に、抵抗する薫。
「なんだと…やめて下さい?そっちから誘っておいて、やめて下さいはないだろ?ほら、こっちへ来て俺達の相手をしろ。」
男達が抵抗する薫を無理矢理引っ張り連れようとする。
「やめてーー!!」
薫が大声をあげると同時に、その男が悲鳴を上げて倒れる。
「!」
そこには、武市がたっていた。
「武市さん…!」
「な、なんだ…お前は…?」
「安心しろ峰討ちだ。彼女は俺の連れだ。手を出さないで貰えるか?」
「…!!」
男達を睨みつける武市。男達はすっかり怖じけづいてしまい、倒れている男を残して消えて行った。
「……大丈夫ですか?」
「はい…。」
「怖かったでしょう?立てますか?」
「はい…大丈夫です。」
薫は立ち上がり、着物についた土を払う。
「迷惑かけてごめんなさい…。」
「本当です。これが、もっと達の悪い連中だったら、大変なことになっていましたよ。」
「………。」
「でも、無事でよかったです。さあ、行きましょうか?」
「え…?」
「あなたのおかげで、俺は何も見ていませんから、付き合ってもらいますよ?」
「あ…はい!」
「では、行きましょう。」
「あ…。」
「どうかしましたか?」
沖田がまだ来ていない。武市を捜すのを手伝うために、仲間のもとへ連絡に行ったままなのだ。自分のために行ったというのに、このままここを離れるわけにはいかない。
しかし、武市と沖田が顔を合わせるのはマズイ。
「いえ…なにも…。」
薫は二人の危険を考え、その場をあとにする。
(ごめんなさい…沖田さん…。)
武市と再会したことで元の活気が、薫の中で戻ってくる。
「わあー!武市さん、あれ見て下さい!凄いですよ!」
「薫さん…!先に行くと危ないですよ!」
「大丈夫ですよ!ほら、ほら見て下さい!」
「まったく…。」
さっきのことが嘘のように、はしゃぐ薫を見失わないように追いかける武市。
「武市さん!早く、早くー!」
「!…薫さん危ない…!!」
「え…?きゃあー!!」
薫が人混みの中から消える。慌ててその場へ行く武市。
「薫さん!」
「いたたた…。」
薫は転んで膝を打っていた。
「大丈夫ですか?」
薫の前に座る武市。
「大丈夫です…ほら、立てますから!」
薫は元気に立って見せる。足は打ってはいるが、問題はなさそうだ。
「ククク…!」
そんな薫を見て笑う武市。
「?」
「そうですね。でも、きおつけて下さい。」
「あ…。」
下へ目線を落とすと、手が武市の手としっかりと結ばれていた。
「これなら、はぐれることも、転ぶ心配もないでしょ?」
「武市さん…。」
「それに、薫さんは行きたいところへ行けばいい。俺はそれについていきますから、そのためにも…構いませんか?」
「あ、ありがとうございます…。」
その夜、遅くまで武市と薫は祭を楽しんだ。
[桜吹雪【弐】/完]
お久しぶりです。琉璃です
今回のお話はいかがだったでしょうか
前回は脱線しまくりの、文章ミスの連発をしてしまってすみませんでしたm(_ _)m
今回はしっかり書けたように思えます。
この時代、龍馬率いる倒暴勢力は薩摩、長州を巻き込んで体制奉還をなそうと考えます。それに対して幕府派の新撰組は、幕府を守ろうと龍馬達と敵対します。
いい国にしたいと思う気持ちはどちらも同じみたいですが…なんとも言えない感じがいたします。
このお話はまだ、龍馬達が体制奉還を考え出す前のお話になっています。だから、新撰組も動きが少ないのです(笑)
これから、薫や武市、龍馬や新撰組が動き始めます。
そして、気になるのは…あの二人の続きですよね
それも、しっかりとかいて行きますので、最後までお付き合い下さい。
―琉璃―