ー桜吹雪【壱】ー
ー序章ー
その日、『斎藤 薫』は高校最後の剣道大会を終え、帰宅するためバスに乗っていた。大会会場から自宅近くのバス停まではまだ大分ある。大会に出ていた部活生達は最寄のバス停で、友人達に手を降り自分の家へと帰っていく。バスに揺られ、また一人とバスを降りていく、薫は一人バスに残こされた。外はすでに夕闇に閉ざされ始めている。薫は大会で疲れていた身体を休ませるように、竹刀を杖がわりにして眠る。
しかし、そのバスが目的地へと着くことはなく、崖から転落し炎上した炎の中消えて行った。桜のふぶく季節の日の出来事だった…。
ー第一章ー
薫が目覚めると、見慣れない天井がそこに広がっていた。(…ここは、どこ…?)
すくなくとも、バスの中ではないことがわかった。それに自分が薄い布団に寝かされているのに気づく。
「…!」
身体を軽く動かすが、どういうわけかまったく動かない。
その時、薫は始めて自分が拘束されているのに気づく。
しかも、手を後ろで縄で縛られていて、口には猿ぐつわをはめられていて声もうまくだせない。
「…ん、んんー…!」
必死にもがくが、きつく縛られていて身体を動かすことのもまんろくにできない。
(…いったい、何がどうなってるの!?)なんとかして起き上がろうと身をよじっていると、スッと部屋の障子が開いた。
「おう、目が覚めたようじゃのう?」薫を見てニコリと微笑むように男が立っていた。開いた障子の先から、冷たい空気が流れこんでくる。男は薫の布団の前にストンと腰を下ろす。
「ちと、布団を取ってもよいじゃろうか?」
ややためらいながら男は尋ねてきた。薫がコクリと頷くと、男は薫に縛られた縄を解き始める。
「以蔵の奴、こんなにきつく縛っちゅうがかー。」
これでは、痛かったろうと付け加えて言った。
やっと身体が自由にされると薫は怖ず怖ずと、男に尋ねた。
「…あの、ここはどこですか?それに、あなたは?」
「ああ、わしは『坂本 龍馬』言うものぜよ。ここはわしらの宿、長野屋じゃ。」坂本…龍馬!?薫は思わずのけ反ってしまう。
坂本龍馬と言えば、日本人で知らない人はいないくらい歴史内の有名な人だ。
「今皆とあんたの話しをしとるところぜよ。ちょっとばかし、来てくれるかのぅ?」
薫は黙って頷く。そして坂本はすまないといい、軽く前に腕を縛る。
坂本に連れられ、廊下を歩く。まだ、わずかに身体がふらつく。外を見ると天栄が広がっていて、まだ春だというのに雪まで積もっていた。自分のおかれている状況がいまだのみこめていない薫は、部屋に入るなり男達の視線を浴びるて、たじろいだ。
男は全部で四人いた。奥に一人、傍ら左右に二人と一人に別れている。
「おはようっす、よく眠れましたか?」
特徴的な声で顔をあげると、右に座っている男が声をかけてきた。見た目は薫とそう変わらないぐらいで、長い髪を一つにまとめて、緑の袴をきちんときこなしていた。「心配しなくていい、中岡。さっき見に行ったら、俺の気配にも気づかずに爆睡していたからな。」
左側の人相の悪い男が口を挟む。薫は恥ずかしくなって、縛らてうまく動かせない両手を思わず、自分の頬におしあてた。
「以蔵、黙ってろ。からかわれているだけですから、君も間に受けることない。」
奥に座っている男がそう言うと、薫は両手を下ろし、人相の悪い男を見た。さっきの坂本の話しからすると、この以蔵と言う男が、薫を縛り上げた張本人だろう。だが、以蔵はまるで悪びれた様子もなく黙っていた。
「まぁ、とりあえず座るぜよ。」
薫の後ろを越して先に中岡の隣にすわった坂本がそこに座れと言わんばかりに、笑顔をつくってみせる。緊張した中の気づかいに少しホッとする薫。その場に正座をした。
「まずは自己紹介するぜよ、わしは坂本龍馬。よろしゅう!」
ニコニコしながら自己紹介をする坂本。だが、
「龍馬、いまから処分を決めようとする相手に名乗ってどうする?」
奥の男がみずをさすが、
「何を言うちゅうがか!こげんむさ苦しい男所帯に女を引っ張ってきて閉じ込めて、自己紹介もなしとは…お前らひど過ぎるぜよ!」
どうやら、この宿屋には坂本達しかいないようだ。
「それもそうっすね。殺す、殺さないはおいといて、まずは自己紹介をしないと何も始まらないっすよね。」
(こ、殺す…?)
今中岡と言う男の口から、とんでもない言葉が飛びだしたのを、薫はしっかり聞いていた。そんなことはお構いなしに、中岡が薫の方に向き直り、その言葉とは対象的とも言える笑顔で自分の名を名乗る。
「俺、『中岡 慎太郎』って言います。それで、こっちの目つきが悪いのが『岡田 以蔵』君、俺の隣にいるのが『武市 半平太』さんです!」
「“目つきが悪い”のは一言よけいだ!」「でも本当のことじゃないか、現に今だって僕を睨みつけてるし、それにこの子を手荒に扱って、縛っていたじゃないか。」
「うるせー!こいつがあんなところにいたのが悪いんだろうが!」
「以蔵!黙っていろと俺が言ったのが、聞こえなかったのか?!」
「……!」
「武市もその辺にしとけ、こん子が怯えとるのが、わからんのか?」
「……。」
坂本がぴしゃりと言うと、皆黙りこんだ。「口が悪い奴らですまんのう。だが、根はいい奴らじゃから、気を悪くせんでくれ。」
坂本は薫に謝る。確かに、悪い人達には見えないが、さっきのこともあり薫は信じられずにいた。「さて、昨夜のことについてだが以蔵何があったのか、もう一度説明してくれんかのう?」
「昨夜、俺が見回りに出ていた時、裏手で倒れているこの女を見かけました。だが、その近くで新撰組の奴らがいたのに気づき、この女を連れてきたのです。」
「だからって…縛り上げることはなかったんじゃないかのう?」
「何を言っている!新撰組がいたんだぞ?この女は新撰組に通じてるに違いない!」「…だか、この子はその場に倒れていたんだろ?それで、新撰組と通じていると考えるのはおかしなことだ。」
「しかし、夜中にあんなところで女が倒れているなんて不自然すぎる!しかも、変な格好もしている!その方がよっぽどおかしいですよ!!」
「…と、まぁそんなところで、悪いとは思ったんじゃが…あんたも気を失っとったしのう…、女子を縛るのは本意ではないが逃げられんようにと、縛ったんじゃ…。」
申し訳なさそうに言う坂本。だが、薫にはまだなんのことやらさっぱりで、今の話しが本当だとすると、バスの中で眠っている間にタイムスリップしてしまったことになる。でも、そんな事がありえるのだろうか。
「おい、女!」
突然以蔵に怒鳴られ、伏していた顔を上げる。目の前には薫を鋭く睨みつける以蔵いた。
「お前、ここへ何しにきた!?新撰組から俺達のことを探れと命じられてきたのか!?芝居までしやがって!!」
以蔵は薫が新撰組の密偵だと思い込んでいる。
「ち、違います!私は密偵なんかじゃありません!」
「なら、なぜあの場所に倒れていたんだ!?」
「そ、それは…!………わたしにもよくわかりません。気がついたらここにいたんです。」
「そんなうまい話しがあるか!」
「だから言ったじゃないですか、こちらによくもわるくも殺してしまえば丸くおさまるんですから。」
変な女が入り口に倒れていたというだけで、そうとうな不審者扱いをされている薫。その上薫を怪しいから殺してしまうと言うのだ。
しかし、何が起きたのか、そもそも自分がなぜここにいるのかすらわからない薫にとっては、殺されるにしても反論のしようがながない。このままこの人達に殺されてしまうのかと思うと、震えが出てしまう。薫は気づかれないよう縛られた両手をキュッと握りしめる。
「何を言うとるぜよ!なんの罪もおかしとらん女子をおんしらは、殺す言うか!」
坂本が薫をかばい声を上げる。
「罪を犯そうとしていたんだろう!」
それに負けないように、以蔵も坂本に反発する。双方の睨み合いになったところで武市が口をだした。
「よさんか!女子の前でみっともない!」「……。」
武市に言われ黙り込む二人。
「それで君は先程、気がついたらここにいたと言ったな?どういうことなのか、話してくれないか?」
「師匠!」
「黙ってろ!!」武市はぴしゃりと言い放ち、以蔵が黙り込む。
「…私、本当にわからないんです…。新撰組の関わりがどうのこうのって言われても…ここへ来たのも私の本意ではありませんし、バスに乗って眠っていたら、気がついたらここに連れてこられていたんです。」「バス…?」
「それは何がぜよ?」
一同がキョトンと薫を見る。視線が一気に集まり、薫はたじろぎながら聞く。
「バス知らないんですか?」
「そんなもん聴いたことないぜよ?」
「聞いたことない!?」
「君が言うバスとはいったいなんなのだ?」
バスを聞いたことがないと聞き、耳を疑う薫。
「……えっと、乗り物なんですけど…。」「乗り物…?」
「箱根のことかのう?」
いぜんとして全然話しが噛み合わない一同。(私…どうなっちゃうんだろう…?)漠然とした不安が薫の頭を渦がまく。
「…君はそのバスていう乗り物できたのだな?」
武市が薫に尋ねてきた。
「はい…。」
「それで、眠っていたらここへ来ていたと、言うのだな?」
「はい…。」
ふーっとめんどくさそうにため息をつく武市。にわかに信じがたい話しらしい。
「あの…私、殺されるんですか?」
薫が尋ねると、
「いや、殺しはしない。」
「師匠!?」
「この娘の言うことが本当ならば、殺す必要はない。借りに嘘だった場合は殺せばいいことだ。」
「そうじゃのう。武市の言う通りぜよ!」「ただし、君は僕らが身柄を預かるものとする。下手に動かれて逃げられても困る。」
「じゃあ、私は…!」
「生きていられるということだ。」
よかった…、薫はホッとする。これで、命の心配はなくなった。
「でも武市さん、この子の素性ぐらいは聞かないと…僕達も困るんじゃ…。」
確かに、中岡の言う通り、薫がどこの誰なのか知る必要がある。今さらながら肝心なことを忘れていたのに気づく。
「それでおんしは何処からきたんじゃ?」「東京です。」
「と、東京?」
「そんな場所、聞いたことないっすね…、どこにあるんですか?」
「え?えっと…関東にあるかな…。」
「関東…?」
何やら薫が話すたびに空気が怪しくなるのを感じる。
「やっぱり、師匠こいつ怪しいですよ!」「黙ってろ!怪しいのは今始まったことではない!」
命の危険は無くなっても、薫が不審者扱いをされることは無くならなかった。
「ん~、まるっきりわからんぜよ…。」
「気がついたらここにいたんなら、この辺の人かとおもったんすけど…。」
薫の話しを聞いて考える坂本と中岡。だが、彼らの認識では“東京”など聞いたこともなければ見たこともない。ますます、困惑する。
「…その、東京っちゅうとこの者は皆、その格好をしとるとかえ?」
「…あ、いえ…。でも、女子高生だったら誰でも着ていると思います。」
「女子高生?」
「…あ。」
ますます困惑させることを言ってしまったようだ。
「……、成る程。」
「何が成る程なんじゃ武市?」
「考えるに、あなたは未来から来たのではないか?」
「!」
「未来…!?」
「我々には知らない物や言葉を知っている。それに、その服装はこの日本で身につけている者は今まで見たことがない。だとすると…納得が行くのではないか?」
武市の言う通りだとすると、すべてのつじつまが合う。
つまり、薫は何かのはずみで昔へとタイムスリップしたのだ。
「…成る程、おんしは未来から来た娘さんか…。」
しみじみと頷いて納得する坂本。
「じゃあ、未来のことが姉さんにはわかるということですか?」
いつの間にか、中岡は薫のことを”姉さん”と呼び捨てで呼ぶようになっていた。
「そういうことだ。」
「へぇ~!」
何やら尊敬の眼差しで中岡から見られるよいになった薫。
「あ、あの…!未来って…私…なんでこんなことになっているのか、さっぱりなんですけど…!」
突然、ここへと連れてこられて、怖い思いをして、未来からきた!なんて言われて、命の危険は無くなったとは言え、薫は戸惑いきっていた。
「…そうじゃのう。今辛いのはおんしじゃったな…。わしらだけで話しを進めて悪いことをした。」
「……。」
「とりあえずは、休むとええ。後のことを考えるのはそれからじゃ!」
「坂本さん…。」
「だけど、何処に姉さんの部屋を採るんです?」
はたっと皆が、固まる。ここは男所帯で女は薫一人となる。さすがに、同じ部屋に一緒にというのはまずい。
悩む四人…。
「龍馬、そういえばお前の隣の部屋空いていただろう?そこに、彼女の部屋をとってはどうだ?」
「!…、な、何言うがぜよ!お、女子がわしの隣の部屋でなんぞ…!」
坂本の顔が一気に赤くなる。
「ですが、あそこは狭いっすよ。あんな狭苦しい部屋に姉さんを通すなんて、失礼っすよ!」
「中岡!」
「あ、あの…私はどこでも構いませんけど…!」
『そういうわけにはいかん!!』
「!」
四人がバッチリと同じタイミングでハモる。四人は気恥ずかしそうになって、もとにもどる。
「と、とにかく…あそこの部屋はダメですよ!だいたい、武市さんこそ隣の広い部屋があるじゃないですか!」
「!」
「そうじゃったのう!武市の隣の部屋が空いとるぜよ!あそこの部屋なら広くて、日当たりもいいから、こん子も不便がなかろう。」
「な…!」
「言いだしっぺは武市やからのう~?」
ウシシ笑いでおどけるように武市を見る坂本。
これには、武市も黙り込み観念したようにため息を漏らすと、立ち上がって薫の方を見た。
「…部屋を採ってくるから、そこでまってなさい。」
「おっと、その前におんし名はなんて言うんじゃ?」
「あ…。」
今更ながら自分が名乗り出ていないことに気がつく。慌てて正座し直す。
「私、『斎藤 薫』と言います。よろしくお願いします!」
薫は深々と頭を下げた。
「おう!よろしゅな薫さん!」
「はい!」
ニコニコ顔の坂本の後ろで中岡も薫を歓迎するように、笑っていた。隣の以蔵は相変わらずぶすくれてはいるが、薫の居候に反対はしなかった。立っている武市も深々と頭を下げる薫に、少し口もとが揺るんでいた。
薫が寺田屋の居候になって数日が過ぎていた。いぜんとして、元の世界へ戻る手がかりが掴めずにいた薫は、いつものように目をさます。
「……。」やはり、この景色は相変わらず薫の目の前に広がっていた。薫に用意された部屋は坂本が言っていたように日当たりが良く、過ごしやすい部屋だった。ふと、この部屋に通された時のことを思い出す。
「…この部屋なのだが、いいだろうか?」障子がスッと開かれ、目の前に一人で過ごすには広いぐらいの部屋と、外の天栄が広がっていた。
「うわ~綺麗…。」
一目みて気にいってしまった薫は、静々と中へと入り、部屋を見渡す。
「気にいりました?」
「はい!でも…いいんですか?」
「?」
「その…私、何も持っていないのに、こんな広いお部屋を使わせて頂いて…。」これだけいい部屋に泊まらせてもらえるのは嬉しいが、武市にしてもらうこの親切心に応えられる物を薫は持っていないことに後ろめたさを感じる。
「君が気にするようなことではない。それに、面倒を見るといったのは俺だ。」
「でも…。」
「それとも、この部屋では不満があるのか?」
「い、いえ!不満なんてありません!むしろ…ありがたいです。」
「ならそこで大人しくしてなさい。」
武市はクルリと背を向けて部屋を出て行こうとする。
「それなら…!」
「…?」
「私に何か手伝わせて下さい!私にできることならなんでもしますから、お願いします!」武市に頭を下げて頼み込む薫。武市は面倒くさそうにため息をつく。
「…なら、尋ねるが君は何が手伝えるんだ?」
「…え?」
「手伝いたいと言うのだから、何ができるのか、と聞いているんだ。」
「そ、それは…。」
武市の質問にうまく応えられずに、口ごもる薫。
「よけいな気はまわさなくていい。この部屋で大人しくしてなさい。」
「……。」
それ以上何も言えずに薫はただ、去って行く武市の背を見ていた。
それから数日、薫はここでただ漫然と時を過ごすだけという日々を送っている。
「はぁ…。」
武市に言われてここにいるが、さすがにただ何もしないでいるのも飽きてきた。
「…このまま、わたし幽閉されたままなのかな…?早く、帰る手がかりをみつけたいのに…。」
「それは君しだいだろ?」
「え!」
薫が振り返ると部屋の襖を開けて立っている武市がいた。
「た、武市さん!いつからそこにいたんです?!」
「先程からいたが?」
「…今の話し聞いてたんですか?」
「聞かれて困る内容でもないだろう?」
「……。」
「それより、早く身仕度を整えなさい。朝餉が出来てますよ。」
「はい…。」
薫にそう言うとさっさと武市は出ていってしまう。数日たった今でもこの調子だ。薫は仕度を整え、朝餉が置かれている広間へと向かう。
「おはよう薫さん!」
薫が広間に姿を現すと坂本が元気よく挨拶をしてきた。
「おはようっす姉さん。」
「おはようございます。」
「さぁ、早う座れ!朝餉が冷めてしまうぜよ。」
「はい。」
「姉さんの席はそこっすよ。」
食べていた箸を置いて中岡が薫の席を指示する。ここへ来てから薫はこの広い部屋で一人で食べることが多かったが、久しぶりに坂本達と朝を共にする。ちなみに、朝餉というのは“朝ごはん”のことである。
「ありがとうございます、中岡さん。」
「姉さん…その…、『中岡さん』って言うのやめてもらえますか?」
「え…?」「俺にそんな気を使うことないっす…それに、俺女の子に会うのは姉さんが久しぶりなんす!…小さい頃よく女子から『慎ちゃん』と呼ばれてたんすけど…今思えば懐かしいっすね~。」
昔を思いだして笑う中岡、その顔はとても嬉しそうだ。
「…なら、私『慎ちゃん』って中岡さんのことを呼ぶね。」
「いいんすか!?」
「え!ダメなんですか…?」
「いや、むしろ嬉しいっすよ姉さん!」
「ところで、以蔵の姿がないけど…どこかに行ってるの?」
「以蔵君は見回りっすよ。もうすぐ、戻ると思いますけど。」
「…仲がええの~。」
「!」
隣同士でしゃべっていた二人をうらやましそうに坂本が見ていた。
「さ、坂本さん…。」「わしも下の名前で薫さんから呼んでほしいのう…。」
まるで子供のように薫を見る坂本。
天下の坂本龍馬がこんな顔をして、見つめるなんて誰が想像できるだろうか。
「じゃあ……、『龍馬さん』って呼ばせていただきます。」
「おう!さすが、薫さんじゃ!わしの言っていることがわかるのう!」
ニカっと嬉しそうに笑う龍馬。さっきまで沈んでいた薫の気持ちも、この二人のおかげで同じ和の中に入れた気がして嬉しかった。
「何話しをしている、中岡、龍馬!」
厳しい武市の声が響く。
「!」
「食事中に話しをしてはならんといつも言っているだろ!」
「武市は固いのう…。」
「何?」「食事の時くらいゆっくり会話をして食べたいぜよ…黙っとってもつまらん…なぁ、薫さん?」
(龍馬さ~ん、そこで私にふるんですか…。)
苦笑いをする薫。
「ほら、見てみぃ…薫さんもわしと同意見じゃ。」
「それに、僕らも久しぶりに姉さんと話したいですしね。武市さんは毎日姉さんといるけど、僕らはいませんから。」
「まさか、武市おんしはわしらがおらん間、こん子に退屈な食事をとらせとるわけやなかろうな?」
龍馬の冷たい目線が武市へ向けられる。武市はチラッと薫をみる。
「…?」
「…さっさと食べなさい。かたずない。」厳しい口調で薫に言う。
「は、はい…。」
「武市!」
武市の言葉に怒る龍馬は立ち上がろうとするが、
「いいんです、龍馬さん!」
薫が龍馬の動きを止める。
「薫さん…!」
「…いいんです。」
薫は冷めた朝ごはんを食べ始める。龍馬もそれ以上何もいわずに、黙って座って食べはじめる。少しだけ仲間に入れた気がしたが、それは間違いであったと薫は思った。冷えた朝ごはんが身にしみた。
朝ごはんを食べ終えて、薫は自分の部屋へと戻ってくる。
「……はぁ。」
薫はため息をついてその場に座り込んだ。春だというのに…以前として雪が降り積もっていて太陽の光を受けて輝いていた。一人シンっと静まりかえった部屋は冷たく、はく息も白かった。
今日も変わらずに、ここで何もすることなく一日を終えるのかと思うと気が滅入ってしまいそうになる。ふいにあることを思い出した。
あの日、大人しくしていろと言われなにも言えずにいたとき、武市が出て行きざまにこんなことを言っていた。
「あと、そこの襖を開ければ、俺の部屋に繋がるから何かある時はそこから言うといい。」
言われた時はビックリした。一緒の部屋ではまずいと言っておきながら、襖を隔てているだけで、同じ畳みの部屋にいることには変わりはないのだから。
薫は立ち上がって、襖の所へと行く。
「……。」
何をするでもなく、その襖にふれる。この襖を開けれるようになる日がくるのかと、そんなことを思う。
その時、
『!?』
襖が開かれ、武市とばったりと合う。
「た、武市さん?!」
まさか、反対から襖が開くとは思いもしなかった。
「こんなところで何をしているんです?」武市は驚いた様子もなく平然として薫を見ている。
「いえ…何も…。」
薫は視線を武市から逸らす。
「…明日、外に出ますよ。」
「え…?」
「君が未来から来たのであれば、帰ることも出来るはずです。明日は俺も空いているので、手がかりを探しに行きましょう。」いつも無調法面をしていて、薫のことなど気にもしていない様子だったが、武市はちゃんと考えてくれていた。
「はい!」
薫は真っすぐと武市をみた。そこへ、龍馬がやって来る。
「薫さん、……って、武市!おんし、薫さんの部屋で何をしているんじゃ!」
龍馬が声を上げる。
「話しをしているだけだ。お前が勘繰ることではない。」
「それにしても、誰もおらんとこで女子の部屋に入るなんて、不謹慎過ぎるぜよ!」「何が不謹慎だ!やましいことなど俺がするはずないだろう!」
二人が睨み合う。
「や、やめて下さい!二人共!」
薫が二人の間に割って入って睨み合いを止める。
「龍馬さん、武市さんは私と話しをしていただけですよ!」
「…そうなのか?」
薫の言葉を聞いて、シュンとする龍馬。
「そういえば、龍馬お前はなぜここへ?」「あ、そうですよ。私に何かご用でもあったんですか?」
「…薫さんに一緒に団子を食わんかと、誘いにきたんじゃ。」
「お団子?」
「おう!とびっきり美味い団子じゃ!」
パッと表情が明るくなる龍馬。
「…薫さん今朝、朝餉を残しとったからのう。口にまだ食が馴染めとらんようじゃけい…団子なら、と思ったんぜよ。」
「…龍馬さん。」
薫が朝ごはんを残したのは、つらっかたからだ。でも、今こうして気遣ってくれる。さっきまでの不安が一気に飛んで行くようだ。
「ありがたくいただきます!」
「おう!武市も一緒に団子くわんか?」
「…いただくとしよう。」
「私、お茶もらってきます!」
「わかるか?」
「はい!まかせて下さい!」
薫は勝手場へと走って行った。
「…。」
「武市、あん子におとなしくのは難しいことぜよ?」
ポンッと軽く武市の背を叩くと、龍馬は部屋を出て行った。
翌朝、薫は自分の部屋で食事を取っていた。龍馬も慎太郎も朝から出かけている。本当に忙しい中、薫のことを気づかってくれている、薫はそんなことを考えながら、まだ溶けない雪を見ていた。
「何を考えているんですか?」
「え…?」
声がする方を見る。いつもは閉められている部屋を隔てている襖も、今日は開かれていている。自分の部屋の窓ごしに腰かけて本を読んでいた武市が薫を見ていた。
「考え事をして食事をするものではありませんよ。早く食べなさい。」
「あ、はい!」
慌てて食事を進める薫。さっきから食べているというのに、全然減っていない。
「…武市は龍馬さん達と出掛けなくてよかったんですか?」
「君が気にすることではない。」
「……。」
いつも、武市は龍馬達と一緒に行動せず、自室に篭って何かをしていることが多い。今日も龍馬達と共に行動していない。
薫が食事をしていると、武市が立ち上がってこちらへとくる。
「…!」
薫の前に座り、こちらへと腕を伸ばしてくる。
思わず目をつむる。武市の指先が薫の頬に触れる。
「…取れましたよ。」
「…?」
武市の差し出された指先を見ると、ご飯粒がついていた。
「あ…ご飯粒…。」
「しゃべりながら食べるからです。」
呆れたように武市が言う。薫は恥ずかしくなって、自分の口をタオルで拭う。
「すみません…。」
「落ち着いてゆっくり食べなさい。」
「はい…。」
箸を取る薫だが、食べようとはしない。というか、武市を前にして食べづらいと言うのが本当のところ。だが、
「何をしているんです?早く食べなさい。片づきませんよ?」
当の武市は全然気にしていない。
「あ、あの…。」
気恥ずかしそうに薫が口を開く。
「どうしました?」
「前で見られていると、すごく食べづらいです…。」
「…昨日は皆の前で食べていたではないですか?」
「そ、それと今は違います!」
皆で食べるのと、武市を前にして二人っきりで食べるのはあまりにも違い過ぎる。
どうしても食べようとしない薫に、武市は薫の手から箸を取る。
「…武市さん?」
「君が自分で食べようとしないのなら、俺が食べさせてあげますよ。」
ほら、とご飯をつまんで薫の口元へと持ってくる。あまりの恥ずかしさに薫の顔が赤くなる。
「ほら、食べなさい?」
「……!」
薫はパクリと箸にのせられたご飯を食べる。
「……。」
緊張のあまりご飯を食べている気がしない。
「…食べましたね。はい、お茶を飲んで。」
ズイっと湯呑みを差し出してくる。薫はそれを一気に飲み干す。
「では、行きましょうか?」
「は…?」
いきなり立ち上がって、薫を見下ろす武市。
「昨日言っておいたはずですが、聞いていなかったんですか?」
「…あっ!」
昨日、武市が元の世界に戻る手がかりを一緒に探してくれると言っていたのを、思い出す。
「俺は膳を片づけてきますから、君は仕度を整えてきなさい。」
「はい…ありがとうございます!」
薫がお礼を言うと、武市は膳を持って部屋を出て行った。
部屋に残された薫は、押し入れを開け一枚の着物を取り出す。
昨日まで着ていた服ではさすがに目立ち過ぎる、ということで急きょ武市が薫のために一枚の着物をあつらえてくれたのだ。着物慣れをしていない薫のために、着やすいように浴衣風になっている。
薫はそれに着替えて、宿屋の入り口へと向かった。
出たところで武市が先に薫を待っていた。「武市さん。」
「着替えたのですか?」
「はい!…似合います?」
「…君に似合うようにあつらえたんだ。似合ってるに決まってる。」
薫の可愛らしい姿に武市の顔が少し緩む。それを見て、嬉しくなる薫。
(着てよかった!)
「じゃあ行きましょうか?」
「はい!」
薫は武市の後ろをついて行った。
「はぁ…はぁ…。」
どれくらい歩いただろうか…。それ程歩いていないはずなのに、すごく疲れる。というより、武市の歩く速さが早い。薫はそれ程遅くはないが、バスや自転車がない時代の人に比べれば遅い。すでに武市の後ろをついていくのに、精一杯である。
「はぁ…はぁ……。」
「疲れましたか?」
武市は歩みを止めて、後ろから歩いてくる薫の方を振り返る。
「大丈夫です…。」
「無理はしなくていい。少し、そこで休んでいなさい。」
「あ、武市さん…!」
薫をその場に置いて、武市はどっかに行ってしまった。
「……。」
薫はとりあえず、武市の言われたとおり近くの草むらに座る。
「あ~…疲れた。武市さんって歩くのはやいな…。って言うより私が遅いのか…。バスや電車がない時代だもんね…。」
長野屋を出てから、薫が倒れていたという裏手を回ってここまで歩いてきた。その間、自分が見てきた時代の背景は全くなく、改めて自分がタイムスリップをして未来から来たのだと実感する。
「……向こうの世界は…、」
どうなっているのか、と独り言を言っていると、
「…あれ、君は…?」
後ろから声がして振り返ると、そこには細身で長い髪を一つにまとめて、腰には武市達と同様刀をさしている青年が立っていた。
「…どなたですか?」
薫が青年に尋ねる。
「失礼、君によく似た女の子を見かけたんだけど、人違いだったかな。」
「私に…ですか?」
「そう、君に。僕のこと見覚えない?」
「…いいえ。」
青年の質問に素直に応えて首を振る薫。
「そう…ならいいけど。」
「あの…あなたは誰なんですか?」
「君は…僕達をしらないの?」
目を丸くして薫に尋ねる青年。
「…はい。」
「アッハハハ!」
「…え?」
薫の応えに笑い出す青年。
「それなら、知らないのも当然か!君、面白いね!」
「面白い…?!」
「うん!面白いよ。君みたいに素直に僕に受け答えしてる子、そうそういないよ?」「そうなんですか?」
「君になら名乗っても悪い気はしないね。」
嬉しそうにニコニコして言う青年。
「僕は【新撰組】の『沖田 総司』。君は?」
「私は斎藤 薫です。」
「…斎藤?これは驚いたな!あの“一君”と同じ苗字の人が、この京の都にいたなんて驚きだよ。」
「一…君?」
「同じ新撰組の仲間だよ。そうだ!」
沖田は何かを思い出したように懐から、一枚の紙きれを取り出す。
「…なんですか、これ?」
「一応人相書きかな?それによく似た人がこの京の都をうろついているらしんだ。」紙に書かれている人相書きを見る薫。しかし、そこに書かれているのは明らかに、子供の落書きにしか思えないほどの雑な絵だった。
(これが人相書き…!?こんな人いたらある意味怖いよ…。)
「…どう?見たことない?」
「……ありません。ところで、この人相書き誰が書いたんですか?」
「……それは言えないな。」
申し訳なさそうに顔をゆがませる沖田。
「でも、それに近い人を見掛けたら教えて?」
「はい…。」
(多分…そんな絵じゃあ一生かかっても見つからないと思うけどな…。)
苦笑いをする薫は、人相書きを書いた紙を沖田に渡す。沖田はそれを仕舞うと立ち上がる。
「そろそろ行かないと…君はまだここにいるの?僕が家まで送って行こうか?」
先程から武市を待っているのだが、いっこうに姿を現さない。少し不安になるが、薫は武市を待っていることにした。
「いえ…連れがもう少ししたら来ると思うので、ここで待ってます。」
「わかった、じゃあね薫ちゃん。」
「はい、また…。」
沖田は去って行った。
「………。武市さん…遅いな…。」
クルリと向きを返ると、
「た、武市さん!」
目を上げるとそこに武市が立っていた。
「……。」
武市が厳しい眼差しで薫を見る。
「……?」
「……フッ、」
厳しい目から優しい眼差しに変わる。
「武市さん…?」
「…君は、本当に素直なんだな。」
「え…?」
「あそこで、僕達のことを言わなかったのは懸命なことだ。」
「さっきの…?」
「ああ、君が沖田から見せられていた物はおそらく、俺達の人相書きだろう。」
先程沖田から見せられた人相書きを思い出す。あの落書きとも言える人相書きと本物…比べものにもならないぐらいひどいものだった。
「さぁ、日が暮れてきた帰ろう。」
「はい!」
先を歩く武市の後ろを薫は夕陽の中追い掛けた。
その後、薫は新撰組の密偵だと言う誤解は解かれ、晴れて京の町を歩けるようになった。だが、町中は物騒だということで一人での外出は禁止されていたが、この日は龍馬達について“長州藩亭”へと向かっていた。
「やっぱり町中は賑やかですね!」
「そうっすか?いつもと変わらないような気がしますけど?」
「中岡、薫さんは町中を歩くのは初めてぜよ?わしらには見慣れていても薫さんにとっては、久しからずの外の世界じゃ。“密偵”ちゅう誤解も解けたことやし、薫さん京の町を見せたいぜよ!」
「そうっすね!…って、姉さん!どこに行ってるんすか?!」
「…え?」
町中を見とれているうちに、薫は違う方向へと進んでいたことに気がつく。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて龍馬達の元へと戻ってくる。
「もう、姉さんは集中しすぎです。もっと周りをよくみないと…。」
「ごめんなさい…。つい、見とれちゃって…。」
「それがいけないんっすよ!いいですか、姉さん?ここは平和な田舎町ではないっすから、気をつけておかないと少ししたところで大変なことになるんっすからね!」
「ごめんなさい…。」
「もうその辺にしたらんか中岡。薫もこれでわかったじゃろう?」
「はい…。」
「そげん落ち込まんでええ!ほれ!」
「!」
龍馬が薫の手を優しく握る。
「り、龍馬さん…!」
「龍馬さん、何をやってるんすか!?」
「こうすれば、薫さんが見とれとっても、わしが手を引いてやれる。」
「何を言ってるんすか!男が町中で女子と手を繋いであるくなんて…!」
「いつまでも、そういうわけにはいかんぜよ中岡?時代は変わる、男が女子と手を繋いでも何の問題もない時代がくるんじゃ。時代を動かそうとするわしらが、そんなことを気にしとったら、示しがつかんごとなるぞ?」
「……。」
龍馬の言葉に黙り込む中岡。
「でも…龍馬さん…。」
「ん?」
「さすがに…恥ずかしいです。」
龍馬から視線を外して、顔を赤くしている薫が言う。
「いいんじゃ、いいんじゃ、薫さんが気にすることはない。」
ニコニコしながら答える龍馬。
「それでは薫さんに迷惑だ、龍馬。」
「武市…!」
後ろから来ていた武市が、水を差すようにして言う。
「じゃが…。」
「離してやれ。」
「……。」
渋々と薫の手を離す龍馬。
「…すまんかったのう。迷惑をかけるつもりはなかったんじゃ…。」
「いえ…私のためにしてくれようとしてくれたんですから…ありがとうございます、龍馬さん。」
龍馬にお礼を言う薫。龍馬もお礼を言われニコリと笑う。
「おう!じゃあ、行くぜよ。早ういかな高杉さんが待ちくたびれて、また文句をつけてはかなわんからのう。」
「…はい!」
一同は長州藩亭へと足を進めた。
長州藩亭には龍馬の知り合いの『高杉 晋作』という男がいる。彼は長州藩主の中でも一番顔の立つ者だと噂だかいらしい。そんな人に会うのかと思うと薫の表情は次第に固くなっていく。
門番から中へと通されると、周りを見渡すかぎりの広い天栄が広かっていた。龍馬達に連れられ藩亭の中へと入る。
「やぁ、坂本君よく来てくれたね」
薫達を迎え出てきたのは、爽やかさが目立つ男だった。
「久しぶりじゃのう、桂さん。」
「中へ入ってくれ晋作も、奥で君達がくるのを待っている。」
「あ…桂さん。」
「?」
「こん子のために一つ部屋を貸してもらえんかのう?」
龍馬が後ろにいた薫に視線を移す。桂も促されるよう薫に視線を向ける。
「…おや、女性ね客人を連れてくるとは珍しいね?」
「本当は残して来たほうがいいんじゃろうが、留守中何か起こった時わしらが対応ができんからのう。連れてきたんじゃ。」
「晋作はこの子のことを知っているのかい?」
「ああ、もう話しは通してある。高杉さんもこん子に会いたがっとったからのう。」「そうだったのかい。なら、遠慮することはない。君も中へ入んなさい。」
「は、はい…!」
龍馬達と一緒に藩亭の中へと入っていく。「晋作、坂本君達が来たぞ。」
「おう!早く中へ通せ!」
襖ごしに桂が呼びかけると、中から大きな声が聞こえてくる。
スッと襖が開かれると、男が一人ドスンと腰を下ろしてかまえていた。
「やっときたか!待ちくたびれたぞ?」
「すまんのう、高杉さん。」
部屋へ入って座る一同。
「ん…?その娘か?」
高杉の視線が戸惑って立ちつくしている薫に向けられる。
「ああ、薫さんそげなとこおらんでこっちに来て座れ。」
「はい…。」
龍馬に言われ、高杉の視線をかんじながら龍馬の横に座る。
「……。」
「………。」
「…っておい!話しが違うじゃないか!」「…!」
「未来からきた妙な女ってお前から聞いたから、楽しみにしていたのに…ごく普通の女じゃないか!」
「み、妙な女…?!」
「おい坂本!なんとか言ったらどうだ!この女からそんなことはミジンにかんじん!」
龍馬の話しをどう解釈していたのか、薫のことをよっぽど変な女と勘違いをしていたようだ。高杉は八つ当たりをして龍馬に問い詰める。
「未来から来た女子でも、女子ということは時代に関係なく一緒じゃ高杉さん。」
「…にしても、なんかないのか?未来のものとか…服装とか…それなりにあるだろう?」
高杉はすねたように言う。
「服装は違いましたよ。」
「…!」
「女子が着るものとは違う格好をしていたので、最初は密偵か異国の者かと思うほどでした。」
「なら、なぜそれを着てこない!」
「着てきたらあなたが、暴走するのは目にみえている!」
高杉の言葉にぴしゃりと言い放つ武市。
これには、一同その通りだて言わんばかりに頷く。
「他にはないのか?」
「晋作、そこまでにしないか。この子が困っているだろう?」
こりずに聞き出そうとする高杉を制する桂。
「お前、困っているのか?」
「え…!」
いきなり尋ねられ戸惑う薫。すると横に座っていた中岡が耳元で言う。
「…頷いてください。高杉にはいい薬になります。これ以上かまっていたら大変なことになるっすよ?」
確かに中岡の言う通りだ。ここで薫が頷けば高杉もおとなしくなるだろう。
薫は素直に頷いた。
「……そうか、俺はもっとお前のことが知りたかっただけなんだが…悪いことをしたな…許せ。」
薫に頭を下げる高杉。
「い、いえ…そんな…。」
何だか悪いことをしたような気にさせられる。薫はそっと中岡を見上げる。
中岡は気にしなくていいと薫にあいづちをうつ。
「さて、そろそろ会合を始めるとしよう。えっと……。」
「…?」
「姉さん!名前…!」
「あ、すみません!私『斎藤 薫』といいます!」
「薫か!いい名前だな!よし、決めたぞ!」
「…?」
「お前は今日から俺の女だ!」
「は…?」
『!!?』
高杉の突拍子もない言葉に一同、固まってしまう。
「ほらこい、薫!」
「わぁっ!」
薫は高杉に腕を捕まれ尻餅をつく。
『!!』
「いたた…。」
「痛かったか…?」
「!?」
自分が尻餅をついている場所に目をやる薫。そこは、高杉の膝の上であった。
「た、高杉さん…!」
慌ててその場を動こうとした薫の身体を高杉は抱えこむ。
「!」
高杉にがっちりと抱きすくめられていて、薫は身動きがとれない。
「晋作!薫さんを離さないか!!」
声を上げる桂。
「嫌だ!離さないからな!」
薫を抱く高杉の腕に力がはいる。
「これから会合なんだぞ!わかっているのか!?」
「わかってる!だからこいつも一緒にここで聞けばいい!」
あまりにも無茶苦茶なことを言い出す高杉。この高杉のわがままが始まれば、誰がなんと言おうと、高杉は譲らないことを一同は知っていた。
しかし、ここに無関係のしかも女を会合に交えることは絶対にできない。
「晋作!わがままもたいがいにしないか!今は我々にとって大事な時であることは、晋作が一番しっているだろう!?」
「高杉さん、姉さんと一緒にいたいのはわかりますが…姉さんに話せる内容の話しではないですよ?」
「…!!」
皆が高杉を説得している間、どんどん薫にこめられる高杉の腕の力が強くなっている。
「…っ!」
あまりの来るしさに薫は、悲鳴にならない声を上げる。
『!?』
「薫さん…!?」
「姉さん!!」「…!」
高杉の腕の中で、ぐったりとしている薫に呼びかける。だが、薫の意識はとうに薄れかけている。
「…どけ。…高杉さん!何をしているんですか?薫さんを離して下さい。」
「あ…ああ。」
放心している高杉さんはすぐに薫を解放し、畳に寝かせる。武市は薫の意識がなくなっていることを確かめる。
「ど、どうなんじゃ…?」
「………。」
「なんとか言え!こいつは大丈夫なのか?!」
「……静かにしてください。大丈夫です。桂さんすぐに薫さんを、静かに休ませられる部屋へ連れていって下さい。」
「わかった。」
「俺もいく!」
「あんたは会合に集中していただきます!」
「……。」
武市にはっきりと言われ、高杉はそれ以上何も言わなかった。
薫が目が覚める頃には夕刻になっていた。見慣れない天井を見上げ、まだはっきりしない意識の中自分に何が起こったのか考える。
「……私…確か…高杉さんに抱っこされて…それで……。」
その先を思い出すことができない。どうやらここから先の記憶はないようだ。
「……ここどこ?」
起き上がると額に置いてあった手ぬぐいが落ちる。布団の横をみると桶に水が入っていた。誰かがここまで運んでくれて寝かせてくれたらしい。
「…お礼…言ったほうがいいよね?」
薫は起きて廊下を歩いて行く。
先程、入っていった奥の部屋の戸はまだ閉じられている。会合がまだ続いているようだ。
「……邪魔したらダメだよね。部屋で待ってよう…。…!?」
部屋に戻ろうとした時背後にいた人物に気がつく。
「以蔵!」
「なんでお前がここにいる!?」
鋭い目つきで睨まれる薫。以蔵はまだ薫を信じていないようだ。
「武市さん達に連れてきてもらったの。」「師匠が…?」
「うん…以蔵こそ今までどこにいたの?心配したよ?」
「………。」
「以蔵?」
「何だよ。」
「…危ないよ?」
「!」
薫に目も合わせなかった以蔵がバランスを崩して、天栄の池に落ちる。
「以蔵!」
「冷てぇ!」
「はい!つかまって…!」
薫は以蔵に手を差し伸べる。以蔵は薫の手を掴みようやく池からはいでる。
全身びしょびしょなっていて、早く乾かさないと風邪をひいてしまう。
「まずは服を乾かさないと…!」
「いいよ別にこのぐらい放っておいても、すぐに乾く!」
「ダメ!それからすぐにお風呂に入って!」
「はぁ~!?」
「あの、すみませ~ん!」
薫は近くを通って来た賄いさんに声をかける。
[はい…?]
「わっ!この馬鹿!!」
慌てて以蔵が薫を止めようとしたが、すでに遅かった。
「あの、お風呂を貸して頂けませんか?あと、衣類を乾かせるものを…。」
賄いさんはずぶ濡れの以蔵を見てビックリする。
[これは…いけませんな!風呂沸いとるから、早く入りんさい!さぁ、こっちこっち!]
「ほら、行くよ以蔵!」
「お、押すなよ!」
薫がぐいぐいと以蔵の背を押して、賄いさんのあとをついて行く。
以蔵もさすがに観念したようで、それ以上反発はしなかった。
[さぁさぁ、入りんさい。これに服をかけて風呂場に干しとくといいわ。すぐに乾くけいな。]
「ありがとうございます!」
薫が頭を下げると賄いさんは嬉しそうにして、出て行った。
「いい人でよかったね。」
「ああ…。」
「……。」
「………。」
「……?」
「………!!」
どんどん以蔵の顔つきが厳しくなってくる。
「おい、お前!いつまでそこにそうしている気だ!!」
「え…?……あっ!きゃっーー!!」
「!?」
薫は思わず自分でしてしまったことに驚く。穴があったら入りたい気分だ。
以蔵も突然の薫の叫び声にただ目を丸くして驚いている。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、そんなに叫ぶことはないだろう?!まだ何もやっていない。」
「ほぅー…では今からやろうとしていたのか?」
「し、師匠!」
「武市さん!」
いつの間に会合が終わったのか気づけば武市さんが立っていた。
「ち、違います!」
「何が違うんだ?こんな場所で二人っきりでいといて。」
「…!」
「違います!誤解です!!俺はこの女をここから追い出そうとしていただけです!」武市の誤解を必死になって解こうとする以蔵。前からおもっていたが、以蔵は武市がからむと子供みたいになる。
「師匠!信じて下さい!」
「信じる信じないを決めるのは俺だ。お前が決めることではない。」
冷静に対応する武市。見ているとなんだか以蔵が可哀相にもおもえてくる。
「お前もなんとか言え!お前のせいなんだからな!」
「自分でことの収集にあたれないからと言って人のせいにすることは良くないことだとおもうが?」
「師匠!」
その後、しばらくの間私達は誤解され続けるのであった。
なんとか誤解がとけた後日、武市達は再び会合のため長野屋を明けていた。今回はさほど長い会合ではないため、薫は留守番することとなっていた。
「…今日は何をしようかな?って、やることないし……。ん~…。」
薫はこの暇な時間をどう過ごすのかを考えていた。
すると…、
[薫ちゃ~ん、おるかえ~?]
廊下のほうから薫を呼ぶ声が聞こえてくる。
「は~い!」
その声のもとへと行くと、宿屋の女将さんが待っていた。
女の子が来た、と聞き付けるやいなや女将さんは薫を実の娘のようにかわいがり、世話をしてくれていた。また薫もそんな女将さんのもとで炊事洗濯の手伝いをしていた。もちろん武市の了承のうえである。
[すまんけど、買い物頼んでもええかい?]
「いいですよ。」
[それなら鶏肉ばこうてきて。店はいつもいくあの店やから、わかるな?]
「はい!任せて下さい。」
[じゃ、頼みましたつぇ~。]
そう言って女将さんは薫に買い物カゴを渡して、去っていった。
「……そうだ!」
薫は急いで自分の部屋に戻り、自分の荷物の中から竹刀を取り出す。
「町中は物騒だって武市が言ってたからきっと役に立つよね?竹刀握るの久しぶりだし…でも、無いよりはまし!」
薫は竹刀を腰帯につけて、外へと出た。
「わぁー、相変わらずすごい賑やか!」
薫は町中を歩いていく。今まで自分が見てきた町並みと全然違う、実際こうやって一人で歩くのは、この世界にきて初めてのことである。
「この前、龍馬さん達と一緒に出た時は、こんな風に町を見て歩けなかったもんな。今日はちゃんとみて行こうかな。」
そう言って薫は町中を見物しながら、歩いていく。何もかもが珍しいものばかりで、薫はついそれに目うつりしていた。
〔女のくせに俺達の頼みを断ろうってんのか、あっ!?〕
〔やめてください!〕
振り向くと三、四人の男が一人の女の子を取り囲んでいた。どうみても、楽しく会話している空気ではない。
〔なんだと!?普通は自分からしたいって言うのが本当なんじゃねぇのか!〕
(…いったいなんの話し…?)
私は物陰ごしからその様子をみていた。
〔酌のひとつ、俺達にはできないってんのか!〕
〔この女、俺達を見くびりやがって…!〕〔痛い目に合わせてやる!!〕
〔きゃーー!!〕
男の一人が腰に構えていた刀を抜き、女の子に襲い掛かる。
「!」
薫はとっさにその女の子の前と出た。刀が薫の首元でとまる。
〔!?〕
「女の子一人を相手に寄ってたかって卑怯ですよ!」
〔ああ?なんだてめぇ?ガキのくせに意見生意気言ってんじゃねぇよ!〕
〔ガキだからって容赦しねえからな!〕
〔死ぬ覚悟は出来てんだろうな!?〕
にじりと薫達を追い詰めていく男達。周りの人は怯えているのか、助けようとはしない。薫は奮える手で腰の竹刀に手をかける。むろん、こんな竹刀で本物の刀に勝てるとはおもってはないが、薫がいなくなれば後ろにいる女の子が切られてしまう。
(大丈夫…切れなくても、隙ぐらいなら…つくれるかも……。)
薫は竹刀を抜いて構える。
〔竹刀か…そんなもので俺達とやり合うつもりか?)
相手が竹刀だということで、油断している男達。
しかし、
「やぁーー!!」
《バシッ!》
「!」
薫の竹刀が男の腕にあたり、男が刀を落とす。その隙を狙って女の子の手を掴んで走り出す。
〔!〕
〔まちやがれー!!〕
男達が薫を追って走ってくる。止まれば殺される。薫は必死になって走った。
ー第二章ー
「はぁはぁ……。」
なんとか男達を振り切り、薫達は林の中へたどり着いていた。
「大丈夫ですか…?」
「はい…なんとか…。」
乱れた裾を直す。
「…私、『斎藤 朔夜』と申します。」
女の子はとても綺麗な着物を着ていて、どこかの御人形さんみたいな顔立ちをしている。
「あ…私は『斎藤 薫』です。」
「斎藤…同じ苗字つながりとは、奇遇ですわね。」
「そうですね…。」
「まだ、訓練生の方だと言うのに…あんな無茶をする方なんて…今まで見たこともありませんわ。よほど正義の強い男性なのですわね。」
(男性……。)
しばし複雑な心境化になる薫。
「あら…もしかして…女性の方?」
「はい…一応。」
「それは失礼いたしました。」
「…女の子は刀は持たないの?」
「はい…。」
薫の問いに不思議そうに小首を傾げる朔夜。
「どうして?外は危ないのに…。」
「……それは、刀は男が握る物であって女は握る物ではないからですよ?」
「そうなの?」
「はい…あなたのような方は珍しいですわ。」
刀を刺している者はたいてい男だという。そういえばさっきな浪士達も薫と朔夜の口の聞き方が違ったのを思い出す。もし、薫が刀を刺していなくてあの場にいたら間違いなく、朔夜と一緒に巻き込まれていただろう。
「でも、あなたが私を助けてくれたことには、変わりはありません。これも何かの縁…女の子同士仲良くしましょう。」
「はい…!」
「そろそろ迎えが来る頃だから、行かせて頂きます。」
「え!でも……!」
「大丈夫。迎えはこの林を出た所ですの。助けていただいたお礼に…お家まで送りたいのですが…輿がなく…お礼は後日改めてでよろしいですか?」
「そんな…!お礼なんて全然かまいませんよ!」
「では、後日…さようなら、薫さん。」
「さようなら!」
朔夜はその場を去って行った。同じ女なのに…あの可憐さ…。
薫はため息をつく。
しかし、その時大事な用を思い出す。まだ、お使いに出たっきり何も買っていない。しかも、時はすでに夕刻になって辺りが暗くなり始めていた。
「…急いで戻らないと…!……ここ、どこ?町はどっち…?」
辺りを見回しても林が続いているだけで、人気もない。
薫はこの時に自分が迷子になったことに気づく。
「…どうしよう……。とにかく、この林を抜ければ、町につくかも……。」
薫は林の中を歩き始めた。
一方、長野屋では武市達が薫が町に出たきり帰ってこないことを知らされていた。
「…何?薫さんがまだ帰らないだと…?」〔はい…昼間、出たっきり戻ってないんです…。〕
「なぜ、薫さんを一人だしたんじゃ!あの子はまだ、ここをようと知らん!もし新撰組や何か事件に巻き込まれたら…取り返しがつかんぞ!」
〔…申し訳ありません。〕
〔落ち着け龍馬。薫さんに女将の手伝いを許可したのは俺だ。女将は何も悪くない。」
「そんなことはわかっとるぜよ!でも、現に薫さんはまだ戻らんのじゃ!」
「……。」
「師匠。」
「どうだった?」
「女将が言っていた店にも、ここら近辺にもいませんでした。」
武市の命令で薫を探しに出ていた以蔵が報告する。ここら辺にいないとなると、薫は一体どこへ行ったのだろうか…。皆の不安が高まる。
「俺がもう一度、見て来るっす…。」
「いや、俺が行こう。」
「武市!」
「師匠!」
「すぐに戻る。中岡は万一に備えいざという時には龍馬を逃がせ。以蔵はここを守れ。」
「!」
表へ出て行こうとする武市の前に立ち塞がる以蔵。
「どういうつもりだ?どけ。」
「行かせません。」
「なに?」
「あの女が勝手にいなくなったのです。もしかしたら、これは罠かもしれません。」「…罠だと?」
「あの女は末だ身元知らずではないですか。それに、勝手にいなくなっている。本当ならもう戻ってもおかしくはありません。それに、師匠を狙っている輩はそこら中にいます。そんなところへ一人で行かせられません!」
「…何を言うかと思えばそんなことか。」「そんなこと…?」
「あの娘は新撰組の沖田と会っている。その時に、我らの人相書きを記るされている紙を渡され、薫さんは我らを知らないと言ったのだ。お前の言う通りであるなら、なぜ知らせない?その後も、間者らしい動きはなかった。」
「ですが…!」
「万一の備えだ!これは命令だ以蔵!」
「師匠…!」
「わかったら下がれ!」
「できません!師匠を狙う者がいるというのに、たかが小娘一人のために出ると言うのですか!?」
「そうだ!」
武市は立ち塞がる以蔵を払い退け、表へと出て行った。
「師匠!!」
以蔵もそのあとを追って出たが、すでに武市の姿は夜の闇の中へ消えていた。
薫はなんとか林を抜け路地へと入っていた。ここから表通りを行けばいいのだが、すでに外は暗くなっており人気がなくなっていた。それに、まだここからどういけば長野屋につくのか、薫にはわからなかった。「…どうしよう。」
薫はだんだん心細くなってきた。辺りは暗く人気がない。また、昼間のようなことがあっても…対応しきれない。
「…武市さん達…もう帰ってるだろうな…。……心配してるかな…?」
不安と恐怖と寂しさが薫の内で渦を巻く。薫はその場にうずくまるようにして、座り込む。
すると、表通りから人が現れた。薫は壁腰から覗きこむと、提灯の明かりが見える。だが、昼間のこともある。
「…あの人が良さそうな人だったら聞いてみようかな…。」
薫はその人が近づいてくるのを待つことにした。
〔~♪〕
「…歌声?」
近づいてくる者をよくみると、酔っ払った浪士だ。
絡まれては困るので薫は気づかれないよう身を潜ませる。
〔~♪~♪〕
浪士は薫に気づかずに、通り越して行ってしまった。
「…ふぅ…。」
身体にいれていた力がぬける。
「…賢明な判断です。」
「!!」
後ろから声がして思わず声をあげようとした薫の口を何者かが塞ぐ。
「ーっっ!!」
その手を振りほどこうと暴れる薫。
「…静かにしなさい。俺ですよ。」
「!」
振り返ると見覚えのある姿があった。武市だ。武市はゆっくりと薫の口を塞いでいた手を離す。
「た…武市さん…。どうしてここに?」
「なかなか戻らないので心配しました。さぁ、帰りましょう。」
(…心配…してくれてたんだ…。)
武市が来てくれて薫は心底安心する。
「どうしました?」
武市はまだ座り込んでいる薫に尋ねた。薫は我に返り、慌てて立ち上がろうとする。しかし、
「…!」
うまく足に力が入らない。
「…!!」
立とうとしているのに立てない。どうやら、緊張の糸が切れたと同時に腰まで立たなくなっていたようだ。そんな様子を見ていた武市は、薫の前に座り込み立たなくなった薫の足に触れる。
「武市さん…?」
「……。」
クルリて向きをかえる武市。
「乗りなさい。」
「え…?」
「その足が治るのを待っていたら夜が明けてしまう。」
「で、でも…!」
「いいから乗りなさい!」
武市に言われ恐る恐る武市の肩に手をおく薫。なぜか顔が熱くなる。
薫はそのまま武市の背に乗った。
「……。」
「……。」
武市の背に乗せられ長野屋へと帰る二人。「…重く…ないですか?」
「いらない気をまわさなくていい。」
「…。」
ふと、歩く武市の足元を見ると裾が土で汚れていた。それに異様に汗をかいている。「……。」
いつも何事もきちっとしている武市にしては珍しいことだ。きっと、必死になって薫を探しに来てくれたのだと薫は思った。
武市が今どんな顔をしているのかはわからないが、薫はそのまま身を任せ武市の背で微笑んでいた。
薫達が長野屋へ戻ると、龍馬達が一斉に玄関へと飛び込んできた。
「薫さん無事か!?」
「り、龍馬さん!」
「姉さん!」
「慎ちゃん!」
「ど、どこも怪我はないか?!何もされていないか!?」
「はい…大丈夫です。ごめんなさい、心配かけて…。」
「いやいや、薫さんが無事に戻ってきてくれて何よりぜよ!な、中岡!」
「はい!無事に戻って安心しました。」
「…ところで…。」
「?」
龍馬の目線が別の場所に向く。
「…どうしたんですか?」
「なんで薫さんが武市の背におるんじゃ?まさか、武市お前薫さんに…!」
「そんな、武市さんが…!」
「何を馬鹿なことを言っている!そんなわけがないだろう!!」
「じゃが、わしらが止めるのを聞かずに薫さんを探しに行ったではないか…何にもないんじゃったら何故行ったんじゃ?」
正確に言えば以蔵なのだが、今の状況からしてそんなことをいっている場合ではない。
「それは…。」
「それは…なんじゃ?」
「彼女の面倒を見る者として放ってはおけんだろ?」
「男としての間違いではないのか?」
「龍馬!」
「あ、あの…!」
状況に耐えられずについ薫が口を挟んでしまう。
「…?」
「…実は、ここへ戻る時に私が腰を抜かしてしまって…武市さんは親切にしてくれているだけで…、何もありません!!」
「!」
顔を真っ赤にして武市を必死に弁護する薫。
すると、
「アッハハハッ!」
「…!」
「薫さんは本当にええ娘じゃのう。」
「え…?」
「こんな子がどこかの間者なわけがないのう。」
「か、間者…?」
「今のは冗談じゃ。じゃから薫が気にすることはないんじゃ。」
ポンポンと薫の頭を叩く龍馬。本当にただからかっていただけのようだ。そして、何より、薫のことを心底心配していたことがひしひしと伝わってくる。
「…龍馬さん。」
「さぁ、中へ入っておやすみ。疲れた顔をしとる。」
「お二人の布団は引いてあるっすよ。」
「…すまない。」
「いいってことじゃ!」
「おやすみっす、姉さん。」
「おやすみなさい。」
二人に見送られ武市に背おわれたまま奥へと入っていった。
部屋につくと龍馬達が言っていた通りに布団が敷いてあった。部屋にはボンヤリと灯籠火が灯っている。
布団の上に薫は下ろされた。ようやく、ここへ戻ってきたという実感がわく。
「…疲れましたか?」
「いえ、ありがとうございました。……ずっとおぶってもらって…重くなかったですか?」
「いらない気はまわさなくていいと言ったはずだ。」
「す、すみません…。」
「だが…。」
「?」
「驚いた。女の君が竹刀を持って歩いていたとは…なぜそんな真似を?」
「あ…、以前武市さん…この京は治安が悪くて、物騒だから危険だと、言っていたのを思いだして…。」
「…なるほど、…君は剣を使えるのか?」「はい。本物は握ったことはありませんけど…私、向こうでは剣道をやっていたんです。」
「…そうか、ならば明日から俺が剣の稽古をつけてあげましょう。」
「え!いいんですか!?」
「かまいませんよ。俺の流派でよければですけど…。」
「やったー!」
「……。」
「ど、どうかしました?」
「いや…剣を教えると言ってそこまで喜ぶ女子はみたことがない。」
「そうなんですか?」
「ああ、たいてい剣は男が握る物で女が握る物ではない。」
そういえば、あの朔夜と言う娘も同じことを言っていたのを思い出す。
向こうの世界では女も竹刀を握るなんて当たり前のことだが、ここではそうではない。それに、竹刀ではなく本物の剣を握っている。武市の腰に刺してある剣もおそらく本物の刀だ。改めて、自分がいる時代の変化を思い知らされる。
「…なら、なんでですか?」
「君にはその素質が備わっている。それなら、それを潰すわけにはいかない。」
「…武市さん。」
「君が気にすることではない。では、明日から始めるからもう休みなさい。」
「は、はい!ありがとうございます!」
武市は部屋から出て行った。
隣から戸が閉められる小さな音が聞こえた。
翌日、薫は朝霧を切り開くように竹刀を振っていた。
「やぁー!やぁー!」
「もっと重心を意識して!」
「やぁー!!」
今朝まだ夢の中にいた薫を、起きろー!稽古だ!と言って武市にたたき起こされたのだった。まだ眠りたかった薫だが、武市の言われた通りに胴着に着替えて表へ出たのだった。
武市の流派は特別なものらしくその稽古の仕方は半端ない。剣道大会前の練習よりハードだ。
改めて武市や弟子の以蔵のすごさを知らされる。
「はぁ…はぁ…。」
さすがに薫もこの訓練についていくのはやっとで、素振りを千回した時点で息が上がるしまつ。
「…もう疲れたのですか?」
「い、いえ…まだまだです…。」
息を切らしながら答える。
「…少し休んでから再開しましょうか。」「…はい。」
竹刀を杖がわりにして休む薫。
「…ふぅ…。」
「では、再開しましょうか?」
「えっ!」
たった今休憩に入ったというのに武市はもう始める構えだ。
「…どうしました?始めますよ?」
驚いている薫を不思議そうな顔で見る武市。向こうの世界では考えられないけど、これが当たり前なんだろうなと思う。そもそも休憩ということはないのであろう。
「……はい!」
薫は返事を返した。
それから朝食までの間、武市にみっちりと訓練された。
龍馬は朝食を摂るために広間へと行く。今日は薩摩藩のところへ行くことになっている。昨日は会合から帰ってきたら、薫がおらずに大騒ぎとなった。心配していた薫が戻ってきても薫がどんな気持ちでたった一人で京の都をさ迷っていたのか気づかうことができずに今日となった。
(……薫さんになんて声をかけたらいいものかのう…?)
たった一人女子がこの都で…、考えるだけでも怖かったはずだと思う。薫はいったいどんな表情をしているだろうか…薫が悲しそえな顔をしていたら、なんて声をかけようか…龍馬はそんなことを考えながら広間の扉を開く。
「おはようございます、龍馬さん!」
「おはよう。」
そこにはすでに中岡と以蔵が膳の前に座ってみんながくるのを待っていた。
だが、肝心の薫の姿がない。
「おはよう、早いのう二人とも?昨日はよく眠れたか?」
龍馬は中岡の隣の席に座る。
「はい!今日はなにせ薩摩との会合ですからね!」
中岡はまんえんの笑みで答える。昨日は昨日で今日は今日で割り切っているようだ。ちなみに以蔵は昨日のことなんて関係ないといった感じだ。
「そうじゃのう…。」
「どうしたんすか龍馬さん?どこか、具合でも…!?」
「いや…そうじゃない。昨日の薫さんのことが気になってのう…。」
「姉さんっすか?」
「ああ…昨日、腰を抜かして帰ってきたから相当怖い目にあったはずじゃ…しかし、わしは何の気づかいもしてやっとらん。女子がたった一人…夜の都をさ迷ったというのに…。」
自分を責める龍馬。その目線は薫が座るだろう席を見ていた。
「龍馬さん…。」
中岡も龍馬の思いを共感していた。
「…あいつなら庭にいたぞ。」
「庭!?」
「庭っすか…?」
「なぜ、薫さんがこんな朝早くから庭にいるんじゃ?」
いつもなら薫は昼間ぐらいから庭に出ている。なのに、今日に限って朝からだと言う。明らかに不自然すぎる…。
「剣の稽古だとよ。」
「剣!?」
「ああ…。」
「なにゆえ薫さんが剣を朝から握らないかんのじゃ!?」
あまりにも突然のことで動揺する龍馬。
「そんなこと知るかよ!あいつがそう言ってたんだ!」
「……!」
いくら薫が剣を握り稽古したいと言ってもそれは無理だ。というより、女子の薫にはそんなもの握らしたくなかったというのが本当だ。しかし、薫にしてみれば気分転換にでもしてみたかったのかもしれないと思う。薫はこの世界の女子ではなく、未来から来た女子…しかも、昨日は竹刀を腰にかけていたのだから。
「…一人でやってるのか?」
「いや、師匠と一緒だ。」
『!?』
「た、武市さんとですか!?」
「ああ。」
「お前なぜそれを知って薫さんを止めなかった!?」
「あの女が言いだしたんだ!俺が止める義理はない!」
「…しかし、あの武市さんと一緒にやっているとは…少し意外ですね…。」
「まったくだ、師匠もいったい何を考えらしているのやら…。」
「わしは認めんぞ!そんなもんは女子がやるもんではないわい!」
龍馬は立ちがって勢いよく広間から出て行った。
ー第三章ー
「…日が高くなりましたので今日はこの辺りにしておきましょう。」
「は、はい……ありがとう…ごさいました…。」武市にたっぷりとしごかれてもう足元もフラフラになっていて、立っているのもやっとだ。
「では行きましょう。もう朝餉の時間のはずです。」
「はい…!」
「…。」
「どうしました?」
「今…もう動けないような顔をしていたのに、朝餉と聞くや声色まで変わるな。」
「え…?だって動いた後はお腹がすくじゃないですか?」
キョトンとして武市を見る薫。そういう感覚というものはこの時代の人間にはないのだろうか。
「フッ…。」
「?」
「ハハハ…!」
笑いだす武市。本当に薫は素直だと思う。今も訳がわかっていないのか不思議そうな顔をしている。ここまで素直に表現する娘はそうそういない。そんな薫をみているとつい笑ってしまう。
「武市さん…?」
「そうだね…。さぁ行こうか、薫さんの大好きな朝餉が冷めてしまう。」
「はい!」
武市の後ろをついて戻ろうするが、
「!」
「!?」
薫のふらつく足が石の間にとられる。しかも、転ぶ先には池がある。
「!!」
薫は目をギュッとつむる。
《バッシャーン!》
薫は池の中へと落ちてしまう。
「プアッ…!」
なんとか水面下に顔出す薫。だが、
「…!」
また水の中に身体が沈む。必死になってもがく薫。
「た、助けて…!」
助けを必死になって呼ぶ薫。このままだと池の中に溺れてしまう。
「……少しは落ち着いたらどうですか?」「!」
声のほうを慌てて振り返るとそこには武市がいた。
「武市さん、助けて…!」
「……そんなに暴れては助けるに助けられませんよ?」
助けを求めて必死になっている薫に対して武市はあくまで冷静だ。
「武市さん!」
「とにかく、君は落ち着きなさい…。足はついていますから。」
「え!?」
武市の言葉に我に返る薫。足元をみるとちゃんと足が池の底についていて、しかも池の深さは薫の膝らへんまでしかなかった。自分のはやとちりの恥ずかしさに薫の顔は赤くなる。
「…やっと落ち着いたみたいですね。」
「はい…。」
穴があったら入りたい気分だ。
「では、どいてもらえますか?」
「え…?」
よく見ると薫をかばってか武市が薫の下にいた。
「きゃっーー!」
悲鳴を上げてあわてふためいてその場を退く薫。しかし、後ろの岩にぶつかり水の中へと突っ込みそうになるのを武市が薫の肩を支え止めた。
「…だから、落ち着きなさい。」
「す、すみません…!」
武市に頭を下げる薫。武市は呆れたように濡れた髪をかきあげる。
「あっーー!!」
『!?』
その声に振り向くとそこには龍馬が立っていた。
「お前らそんなところで何しちゅうがか!」
「あ…え、えっとこれは…その…!」
「池に落ちただけだ。そう騒ぐことはない。」
そう言って水から上がる武市。
「そんなことは見ればわかる!わしが聞きたいのはその理由じゃ!」
「理由など聞いてどうする…。」
飽きれたようにこたえる武市。
「何!?」
「薫さんの前で大声だしてみっともないぞ。」
「……!」
黙り込む龍馬。
「…じゃが、なにゆえお前は薫さんに剣を教えとるんじゃ!」
「彼女は剣の心得をもっている。なら、それを活かすべきだろう。これからのためにも…そのほうがいい。」
「…!!」
二人の間に険悪な空気が流れる。龍馬が押し黙ると武市はそのまま中へと入っていった。残ったのは複雑そうにしている龍馬とずぶ濡れの薫だけとなった。
「龍馬さん…?」
薫が心配げに龍馬に近づく。
「…なんじゃ薫さん?」
それがわかったのかそれまで複雑そうにしていた龍馬はいつもながらに切り替えしてくる。
「その…ごめんなさい!」
龍馬に頭を下げる薫。
「…さっきの会話気にしとるんか?」
「…はい。」
やっぱり女である自分が剣を握ることは許されることではないらしい。刀は男が握る物で女が握る物ではない、例えそれが竹刀であっても同じことだろう。
「確かに剣は女子が握るもんではないが…未来の女子は刀を持つのが当たり前なのじゃろう?」
「あ…そういうことではなく…!」
「?」
「その…人を本当に切ったりとか…そいうのじゃなくて…スポーツなんです!」
「スポーツ?」
「その…なんて説明したらいいか…未来の剣道はとにかく人を傷つけないものではないんです!」
「……ハハハ!」
「え…?な、なんで笑うんですか!?」
武市といい龍馬といい今日はやたら笑われることが多い。
「そうかそうか…未来は平和なんじゃろうな…人を傷つけんでいい世界なんてまっこといい世界ぜよ!」
「龍馬さん…。」
いつものニコニコしている龍馬にいつのまにか戻っていた。
「ハッ、…ハックション!」
「!」
薫がくしゃみをする。ずぶ濡れの着物を着ているからだろう。
「大丈夫か?」
「はい…大丈夫です。……!!」
コツンと龍馬が薫の額に自分の額を合わせる。
「り、龍馬さん…?」
まじかに龍馬の顔があって息がかかりそうである。次第に薫の鼓動が速くなる。
「…ん?ちとばかし熱があるようじゃのう。」
「えっ!?」
「こげん寒さの中におって池に落ちたからじゃろうな。どれ、わしが部屋まで送ってやる。」
「い、いいです!大丈夫ですから…!」
「何言うとるがぜよ?無理はいかん。」
「無理なんてしてません!熱なんてありませんよ!」
「じゃが、額に当てたら熱かったぜよ…。熱がある時は大人しく休むのが一番じゃ。」
「本当に大丈夫です!失礼します!」
薫は逃げるようにしてその場をあとにする。熱なんてないのは本当のこと。ただ、いきなりあんなことをされて、驚いただけ…。薫は自室の扉を閉めた。まだ心臓が速く鼓動をしている。
(…あんなふうにされたら…誰でもねつがあがるよ…龍馬さんのバカ…。)
龍馬が広間に戻った頃には中岡も以蔵も食べ終わっていなかった。その場に居合わせたのは、着物を着替えて朝餉を食べている武市と、冷えてしまって途中になっている自分のご飯。
武市は龍馬のことを気にも止めずに黙々と食べている。
「…。」
「……。」
「………。」
「…………。」
「……………。」
「…なんか用か?」
「…そろそろ薫さんの世界に戻る手がかりを探さんとな…。」
「……。」
「前に探しに行った時は見つからんで戻ってきたきりで…あれから探しとらんからのう。」
「………。」
「のう…武市。」
「なんだ?」
「今日ばかし…わしの代理をおまんに任してよいか?」
「な、何を言っている!今日の会合はお前がいないと話しにならない!」
「…それはわかっとるぜよ。じゃが、今日ばかしは譲れん!頼む、武市!」
そのまま深々と頭を下げる龍馬。こんなこと一度たりともなかったことだ。しかも、その理由が女子と一緒にいたいからなどと…。しかし、今の龍馬にとっては会合よりも薫のことが大事だということだ。
武市にそれが伝わったのか観念したようにため息をもらす。
「…今日だけだぞ?」
「おおきに武市!」
二カッと笑う龍馬。そして関を切ったように朝餉を食べはじめた。
そんな龍馬を目にしながら、武市は思う。(龍馬をここまで夢中にさせる女子が現れるなんてな…世は変わるものだ。)
武市は温かいみそ汁を飲んだ。
薫は着物を着替え急いで広間へと行く。着替えやらなんやらしていたらすっかり遅くなってしまった。
(もう、みんないないだろうな…。)
「すみません、遅れました!」
「…おう、やっと来たがぜよ。」
「龍馬さん!」
そこにはまだ出掛けずの龍馬が余裕の表情で座っていた。
「今日は会合じゃなかったんですか?」
あれからしばらく経っているからとうに龍馬は会合へと出かけたとばかり思っていた。
「今日は休みぜよ!」
「え……?」
「自主休暇じゃ!」
(…じ、自主休暇って…そんなことしていいのかな…?)
「会合のほうは武市に代わりに言ってもらった。わしも休まんとさすがに辛いぜよ…。」
「武市さんがですか?」
「ああ、今日の会合はわしがおらんでもなんとかなるもんなんじゃ。」
「そうですか…。」
「それに今日は薫さんを連れて外に出たいしのう。」
「え…でも…。」
「いいんじゃ、いいんじゃ!たまにはこういうこともしたいぜよ。」
「……。」
どどのつまり…龍馬は会合をサボったということだ。でも、龍馬はいつも会合やらあちこちへ行っているからたまには、こういうこともしたいのだろう。
「…もう、仕方ないですね。今日だけですよ?」
「よし、決まりじゃ!」
こうして薫は龍馬と一緒に京の町へ出ることとなった。
「いや~こんなふうに京の町を歩くのは始めてじゃ。」
「そうなんですか?」
「ああ、いつもは用向きに歩いて他んとこなんぞ見てる暇もないからのう。」
「…龍馬さんはここの人じゃないんですか?」
あちこちと歩いて色んなことを知っているから薫はてっきり龍馬は京の人間だと思っていた。
「違う違う、わしは土佐の者じゃよ。」
「土佐…?」
「そうか…薫さんは土佐を知らんのか。」「はい…土佐ってどんなところなんですか?」
「知りたいがぜよ?」
「はい!ぜひ教えて下さい。」
よしよしと満足げに頷く龍馬。
「土佐はまっこと大きな藩ぜよ。なのに、他の藩とぶつかり合ってばかりじゃった。じゃけど町の人は良か人間ばかりじゃ!貧しいけどみんな仲ようて互いに協力しあって…笑いが堪えん場所やった。」
故郷の話をする龍馬はとても嬉しそうで笑顔がキラキラ輝いていた。本当にことをが好きなのだろう。だが、それなら何故その土佐を離れてこんな危険な事をしているのだろう?こうして歩いているのだって相当危険なはずだ。薫はそのことは理解していたが、その理由はわからなかった。今なら聞いても差し障りがないだろう。
「…なら、なんでその土佐を離れてこんな危険な所へ?」
「それは言えんが、わしらにはどうしても叶えたい夢があったぜよ。それを今成し遂げようとしとるんじゃ。じゃが、それを良く思わない人間がいるんじゃ。でも、絶対に諦める気にはならんぜよ!田舎から出て来た侍がこの国を変えようとしとる。こんないいことはないぜよ!」
身分のことまでは薫にはわからないが、それが本当にすごいことで誇らしげに語る龍馬が少しうらやましく思えた。
「そうですか…私もその夢に少しでも参加できたらいいな…。」
「薫さん…。」
空を見上げる薫。その横顔は少し寂しげに見えた。二人は京の町の中を歩いて行った。
町の中を歩いて裏手へ回ると、林道が広がっていた。その中を進む。
そして薫はふとあることを思い出す。それはこうした人気のない林道に新撰組がいたことだ。あの時に会ったのは沖田総司と名乗る青年だった気がする。
「…どうしたんじゃ?疲れたか?」
薫の前を歩いていた龍馬が薫のほうを振り向く。
「いえ…そうじゃなくて…実は前に武市さんとこんな林道を歩いていたとき、新撰組の人にあったんです。でもその時は武市さんがいなくて私一人だったんですけど…。」
「ほうか…そういえばその時にわしらの人相書きを見せられたのじゃったな。」
「はい…!」
あの時に沖田から見せられた絵思い出しただけでも笑ってしまう。あれから、沖田はどうしたのだろうか?龍馬達には悪いが気になってしまう。
「どうした…考え事か?」
「はい……。」
「何を考えているんじゃ?わしに答えられることなら聞いてくれて構わよ!」
「……あの、その…新撰組ってなんですか?どうして…龍馬さん達が新撰組に追われているんですか?」
「…新撰組はわしらと同じ身分の浪士の集まりじゃ。わしもそうじゃが、彼らも本来はの武士ではない。じゃが、志しが彼らとわしらは違うんじゃ。だからわしらは彼らと敵対せざるをえん。」
どこか寂しそうに答える龍馬。本来なら力を合わせたいのだろうが…彼らとは志しが違う。それゆえどうしても敵にならざるをえないのだろう。
「そうだったんですか…。」
「ようし!かけっこでもするかのう?」
「え…?」
「この先を走れば林を抜けられる。どっちがはやく向こうへたどり着くか競走じゃ!行くぜよ!」
「あ!待って下さい!」
自分が言い終わったと同時に龍馬が走りだし、薫も慌ててその後を追った。
「はぁはぁ……。」
ようやく林を抜けたところで薫の足が止まった。こんなに走ったのはいつぶりだろうか。
(さすがに…体力が落ちてきているな…。)
こっちの世界へ来てからはこうやって走ったことはない。
「あれ…?龍馬さんどこに行ったんだろう?先に来ているはずなのに…。」
辺りを見回すが龍馬の姿はない。
「龍馬さん?龍馬さん!」
呼びかけるが返事がない。
(どこに行ったんだろう…?)
薫は周辺を見回しながら龍馬の姿を捜す。《キーン!》
「…?」
どこからか金属がぶつかる音がした。さほど離れてはいなさそうなのだが…。
「!?」
目の前に突然何人者男達が薫の前に飛び出してきた。手には刀が握られている。
〔確かこっちに逃げたはずだ!〕
〔どこに行きやがったんだ、“人切り”め!〕
(ど、どうしよう…!逃げないと!)
薫は奮える足を気づかれないようにその場から逃げようとするが、恐怖で足がすくんでしまってうまく逃げられない。
「あ…!」
地面の砂に足を取られおもわず声をだしてしまう。
〔……?〕
「!」
薫の声に気づいた男達が薫のほうを振り向く。
〔なんだてめぇは…?〕
〔女がこんなところにいるとはな…。〕
にじり寄ってくる男達。薫は一歩ずつ男達から離れようとする。しかし、すでに薫は男達に取り囲まれていた。
「…!!」
〔お前は人切りをどこへ逃がした?〕
「えっ…!」
〔お前は人切りの仲間だろうが?じゃなきゃこんな所に女が一人でいるはずがない。」
「そ、そんな…!」
〔はやく言ったほうが身のためだぞ?〕
男が刀を構え脅しをかけてくる。だが、口をわらなければ今すぐにでも殺されてしまう。でも薫はこの者達が言う人切りがなんなのかがわからない。
「ひ、人切りってなんですか?」
〔この女…しらばっくれるつもりか!〕
「本当に知らないんです!」
必死に訴える薫。しかし、男達は薫を信じようとするどころか、刀を差し向けてくる。このままでは殺されてしまう!
男達はどんどん薫を追い詰めていく。
〔知らない…?そんな嘘が通じるとでも思ってるのか?〕
〔もう一度だけ聞いてやろう、人切りはどこだ?〕
「し、知りません…!」
〔いいだろう…男を庇うために自分の命を打つ…、哀れな女だ…その心意気は認めてやる。じゃ、あばよ。〕
男は薫に向かって刀を振り下ろそうとする。
「!」(武市さん…!龍馬さん…!!)
《ガキーン!!》
薫はつむていた目をゆっくりと開く。刀で切られたのに痛くない。
その視線の先にいたのは…、
「武市さん!」
目の前に薫を庇うようにして刀を受け止めている武市がいた。
〔き、貴様は…!サノヤス!?〕
「ここで死にたくなければ刀を下ろして去るがいい。お前達のいう人切りはすでにここから立ち去った。この女はこの場に居合わせただけだ。」
〔……!〕
武市は鋭い目つきで男達を見る。男達は悔しさと武市の登場で吐き捨てるようにしてその場を去って行った。
武市は男達が去っていくのを確認して刀を納める。
「……。」
庇うは安堵のため息をつく。
「大丈夫ですか?」
「はい…ありがとうございます。」
「龍馬に会ってもしやと思いましたが、まさか本当に絡まれていたとは…。」
「龍馬さんに会ったんですか?」
「ええ、今は以蔵と一緒にこの場を離れています。君は面識等がないのでそのままにしておいたのです。」
「そうですか…。」
「しかし、君には怖い思いをさせてばかりですね…。安心して過ごせる場所を用意しておくので少しだけ待ってて下さい。」
「あ…いえ、私は大丈夫です!」
「大丈夫なはずない。俺達といるといつまたこうして命を狙われるかわからない。」「なら、もっと稽古をつけて下さい!」
「……?」
「自分の身ぐらい守れるようにはなりたいんです!」
「君はおとなしくしておきなさい。いらない手をつけることはない。」
「武市さん…!」
「しばらくは稽古も休みです。」
「なんでですか!?」
「やはり君はここにいるべきではない。元の世界に戻れるまで身を隠しておいたほうがいい。」
「……!」
「戻りましょう…。」
薫はそれ以上何も言えなかった。
薫達が戻るといつもと様子が変わっていた。薫に対してみんながそっけない。まるでそこには必要のない人間だと言わんばかりに…。
そんな日が幾日も続いた…。誰も薫に話しかけてこない。自分が何かしたのだろうか…。あの時に戦えていればよかったのだろうか…。自分が足手まといになってしまうからだろうか…。薫はそんなことをぼんやりと考えていた。
「薫さんはどうしてるんじゃ…?」
「…部屋にいる。」
「最近めいっきり顔を合わせることも少なくなりましたからね…。」
広間で食事をしている四人。そして空いている席を見つめる。
「やっぱり…ちゃんと話したほうがええをやないかのう…?」
「何を言っている。あいつはここを去る人間だ。」
「じゃが…、」
「これ以上彼女を危険にさらすわけには行かない。」
「武市…。」
「姉さんが俺らと関わって良いことなんかないっすよ…。」
「………。」
「女一人守れん自分が情けないのう…!」「しかたがあるまい、明日彼女の長州のほうに渡す。元の世界に戻れるまでそこにいさせたほうがいい。」
「高杉さん達なら姉さんを守ってくれます。」
「………。」
その夜遅くに廊下を歩く武市。明日には薫を渡さなければならない。これ以上彼女の身を危険にさらすわけにはいかず、龍馬達と話し合った結果に決めたことだ。
だがそのことは薫は知らない。知らないほうがいいと思ったからだ。
しかし、ここ最近彼女の様子がおかしいのは事実。武市はため息を漏らした。
《ヤァーー!、ブン!!》
「……?」
庭のどこからか誰かの声と風を切る音が聞こえる。聞き覚えのある声だ。
武市は庭へ下り、その声のもとへといく。すると、
「ヤァーー!!」
《ブン!》
「!」
薫が竹刀を振っていた。何かの雑念を振り払おうとするかのように竹刀をひたすら振り続けていた。
前に稽古をつけていた時とは比べものにならないくらい剣術がうまくなっていることが一目でわかった。だが、竹刀を振るう薫の薫は苦痛で歪んでいた。
(私に力があれば…もっと力があれば…!)
がむしゃらになって竹刀を振るい続ける薫。
(危ない…!)
「!」
《ドサッ!》
薫は地面に叩きつけられるようにその場に倒れた。
「いった…!」
地面を付いた手に鋭い痛みが走る。手に見ると、血がにじみでていた。
「…っ!」
手を握り閉め地面をうつ。いつもなら近くに武市か龍馬がいるはずなのに、今は二人はいない。たった一人ぼっち…。薫は何度も地面をついて声を殺して泣いた。
翌朝、誰かが薫の部屋の戸を開けた。だが何も言わずにその戸は閉められ、どこかへと行ってしまった。
武市達は広間へと集まっていた。今日は昨日話していた通り薫をつれて長州へ向かう予定だった。しかし、薫が急に床に伏せてしまい急遽取りやめとなったのだ。
中岡が広間へと入ってくる。
「…薫さんはどうじゃったか?」
心配そうに龍馬が尋ねるが、中岡は首を横へ振りその場に座る。薫の容体はあまりかんばしくないのだ。
昨夜、薫を見つけた武市は薫の辛そうにしている姿を見ていることが出来ずに、その場を去ろうとした。だが、後ろから薫の気配が急に消えたのを感じ、急いで戻ってみると薫は地に伏したまま動かなかった。すぐに、部屋へ連れて行き、診たが薫の意識はすでにない状態で高熱を発していた。手には傷が幾つもあった…。
そのことを知らされ皆こうして集まっていた。
以前として薫の容体は良くなる兆しがない。
「…女将に聞いたら姉さんは…食事もほとんど採っていなかったとか…。」
「そうか…。」
薫がこうなったのは自分達のせいでもある。薫を安全な場所へ移して元の世界に戻れるまで安心して暮らして欲しかった…。
だが、それはかえって薫を苦しめるはめになってしまったのだ。
「……やっぱり話してやってたほうがよかったかのう…?」
「話したところで状況が変わるとはおもえない…。」
龍馬の言うことに以蔵が口を挟んだ。確かに薫に言ったところで、何も変わらないだろう。
「じゃが…わしはあの子に酷いことをしてもうたんじゃ…。それを隠すようにして…、」
「やめろ…。もう過ぎたことだ。」
「じゃが武市、わしはあの子を置き去りにして逃げたんじゃ…!あの子なら敵に面識がないからという理由で…、じゃが…怖い思いをさせただけじゃった…。命の危険にわしはあの子をさらしたんじゃ!」
「…それは俺も同罪だ…。早く駆け付けておくべきだったんだ…、女子にあんな怖い思いをさせて…。」
「……。」
「………。」
「…しばらくは…姉さんを動かさないほうがいいですね…。」
「ああ…。」
「そうじゃのう…。」己の弱さ情けなさが身に染みてくる。この国を動かそうとしているのに…女子一人救うことすらできない…。
あまりにも悔しかった…。
薫の熱はなかなか下がらない。皆がそれぞれの思いをもって薫の回復を願う。武市は皆が寝静まった後も薫の看病を続ける。側にはボロボロになっている竹刀が立てかけてある。薫が最後に振るい続ける姿を思い出す。
(薫さん…早く良くなってくれ…。)
武市は薫の傷ついた手を握る。聞こえてくるのは薫の苦しそうな息づかいだけだった…。
そんな日が何日続いただろうか…。ようやく薫の容体が安定する。とりあえずは峠は越えたようだ。だが、薫はまだ目覚めていない。武市は水の入った桶を手にして静かに部屋をでた。
「…薫さんの具合はどうじゃ?」
通りかかった龍馬が尋ねてきた。
「峠は越えたみたいだが、まだ安静が必要だ。」
「そうか…薫さんに会ってもいいかのう?」
「まだ寝ている。くれぐれも起こさないように。」
「ああ。」
武市はその場を後にした。龍馬は武市の姿を見送ると薫の部屋の戸を開いた。
この前見たよりかは顔色はいいみたいだが薫が目覚めることはない。龍馬は側に腰を下ろす。
「薫さん……早く目覚めておくれ…。わしに謝らせてくれ。わしは薫に酷いことをしたんじゃ…。」
願うように言う龍馬だが返事はかえってこない。
龍馬はしばらくの間薫の側にいた。
手桶の水を庭に流して綺麗な雪を集め桶へ入れる武市。こんな作業を一人でこなしてきて武市の手は皸で幾つもの傷があった。それでも黙々と雪をかき集め桶へと入れる。
すると、
「…?」
蕗の薹が雪の中から顔を覗かせていた。
「…そうか…、もう春なのか…。」
辺りを改めて見回すとうっとおしいほどに降り積もっていた雪が溶け始めていて寒さも少し和らいだように感じる。武市は止めていた手を動かし始める。
「おう!なんだ、なんだ辛気臭せぇ面をしやがって!」
「!」
その声に振り返ると高杉が腰に手を回して偉そうにたっていた。
「…高杉さん!」
「久しぶりだな武市!」
「どうしてここへ?危ないじゃないですか…!」
武市達もそうだか仲間の高杉達も幕府に睨まれている。高杉は一応ちゃんとした藩州の頭だから武市達ほどの危険がないとはいえ、親交があると見つかってしまったら高杉達も苦境へと立たされる。
「なんだよ、自分の嫁に会いに来たらいけないってんのか!?」
「誰があんたの嫁だ!」
「いずれあいつはそうなる運命だ。」
「運命はともかく……結婚するにしても薫さんの許可がでないことには話しが進まないな。」
「桂さん…!」
後から高杉のうしろからやって来た桂が顔を出す。
「彼女の見舞いにきた。彼女の具合はどうかな?」
「まだ安静にしていないといけない状態です。ですが峠は越しましたから後は体力と気力が戻れば大丈夫です。」「そうか。」
「おい!薫はどこだ!」
高杉は薫に会いたくてたまらないらしい。「部屋ですよ。ご案内します。」
「いや、僕らはこのまま帰るよ。」
「何?!」
「なぜですか?」
「彼女は今安静にしとかないとならない。だったらこのまま帰るまでだ。また改めて彼女が元気になった時にでも来るとするよ。」
「俺は帰らんぞ!薫に会って来るんだ!きっとあいつは俺を求めているに違いない!」
いったいどこからそんな発想が出てくるのやら…。すっかり薫は高杉に気に入られたようだ。
「新作!わがままを言うな!」
「……!」
桂の言葉で黙り込む高杉。桂は高杉が持っていた花束を武市に差し出す。
「これは…?」
「男に花なんて縁がないが、女性には喜んでもらえるだろう?飾ってやってくれ。」「わかりました。」
武市は花束を受け取る。
「じゃあ失礼。行くぞ、新作!」
「わっ!押すな!」
桂は暴れる高杉の背を押して去って行った。
「……。」
手にした花が綺麗に咲いている。春が近くまで来ている証拠だ。
武市は雪の入った桶と花束を持ってその場を後にした。
どこかで音がする。誰だろうか…。次第音は小さくなっていく。
気がつくと見慣れた天井がぼんやりと見えてくる。
「………ここは?」
部屋を見渡すといつもと変わらない、長野屋の自室だった。
どれくらい眠っていたのだろうか。身体が痛んでうまく動かせない。
「……!」なんとか身体を動かそうとすると、手に包帯が丁寧に巻かれていた。
「………どうして?」
自分で手当てをしてはいないはずだ。いったい誰がしてくれたのだろうか。
「…目覚めたのですか?」
その聞き覚えがある声に驚いて目線を向けると、武市が立っていた。
「武市さん…!いったい、どうして…?!」
「失礼とは思いましたが、君が突然倒れたので看病させて頂きました。」
武市が薫の傍らに腰を下ろす。側には新しく汲まれた冷たい雪水が入った桶があった。
「…そうですか…すみません…。」
「いえ、君の体調の変化に気づけなかったのは俺の責任です。」
「そんな、私が勝手に倒れただけで…!武市さんは悪くないです!」
頭を下げる武市に弁解をする薫。
「……君は俺を責めないのですか?」
「え…?」
「君を危険な目に合わせて、ほったらかしにして、傷つけて…。」
「武市さん…。」
黙り込む二人。確かに武市の言う通り恨んだりもした。だが、武市はこうして自分を介抱していた。それで、どうして武市を責めることが出来るだろうか…。
「……。」
「………。」
「…頭を上げて下さい。武市さんは悪くないです。」
「…薫さん?」
「確かに皆さんのことを恨みました。恨んだけれど…それは私を守るためだったんですよね?」
「……。」
「だからもう気にしないで下さい。」
「薫さん…。」
あんなに酷いことをしたというのに、何一つ自分達のことを恨んでいない薫に対して自分の情けなさが込み上げてくる。安全に守ってやることがこの子のためではないということをしらされる。
「……本当に君っていう娘は…。」
観念したかのように独り言をいう武市。
「…武市さん?」
心配そうに顔を覗きこもうとする薫。武市はその重い顔をゆっくりと上げ、持っていた竹刀を薫に差し出す。
「!……これ…!」
すでにボロボロになってしまったはずの薫の竹刀だ。
だが、新しくなっている。
「…体調が回復次第、またやりますよ?」「!」
その言葉に耳をうたがう薫。
「手加減はしないから覚悟しときなさい。」
「武市さん…、ありがとうございます!」薫は武市にお礼をいうと新しくなった竹刀を抱きしめた。
こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。喜ぶ薫の姿を見つめる武市。
(…まったく、ここまですごい女子は見たことがない。他のことより剣が好きとは…まったく見上げた娘さんだ…。)
薫の容体はどんどん回復して行った。数日後には武市と朝の鍛練が出来るほどまでに回復していた。
久々の鍛練は気持ちがいい。きついはずの鍛練が楽しくて仕方がなかった。あっという間に朝餉の時間となる。
「見ない間に随分と上達しましたね。」
「そうですか?」
「ええ、もちろんです。」
「今の私なら武市にも勝っちゃいますよ?」
「それは面白い。ひとつ手合わせしますか。」
スルリと竹刀を抜く武市。やる気満々だ。しかし薫は慌てて否定する。
「じ、冗談ですよ!本気にしないで下さい!」
武市と手合わせなんてもってのほかだ。
「それは残念だな…。」
にこりと微笑む武市。
「!」
それにあわてて顔を逸らす薫。
「どうかしましたか?」
「い、いえ…!なんでもありません!それよりご飯食べに行きましょう!」
「そうですね…。」
「……!?」
縁側へ行こうとした薫の手を掴む武市。
「武市さん…?」
「病み上がりでまた倒れられたら大変だ。縁側まで連れて行こう。」
「……!」
ドキリと心臓が高鳴る。武市は気づかずに薫の手を引いて歩いていく。
「…明日は薩摩藩亭へ行くので今日はおとなしくしてて下さい。」
「……。」
「薫さん?」
「えっ!?」
「……ちゃんと俺の話し聞いてましたか?」
「……い、いえ…聞いてませんでした…。」
ふぅっと呆れたようにため息を漏らす武市。
「す、すみません…!」
初めて武市の手を握ってそれに気を取られていた…。そんなことは言えるまい。
顔を恥ずかしそうに武市から逸らす薫。しかし…、
「!?」
「…人と話す時は顔を上げなさい。」
「ーーっ!!」
武市の吐息がかかるほどの距離に自分がいる、焦る薫。だけど武市は無意識なのかそんなことはお構いなしだ。
「…もういいですよ。」
武市は薫を離すとそのままスタスタと行ってしまう。
「ま、待って下さい…!」
あわてて武市の後を追う薫。
今日は一日平和でいられそうだ。まだほたっている顔を薫は押さえた。
(…武市さん。)
季節はもうすぐ春だ。梅の枝のつぼみが覗き始めていた。
明後日、鍛練が終わるとみんなで広間に集まって朝餉を食べていた。
「……最近、薫さんは朝から何処へいっちょるんじゃ?」
「え…?」
「そういえばそうっすね…。朝、部屋を訪ねたらいつもいませんし。」
皆の注目が薫に集まる。
「え…えっと…。」
鍛練している、なんて言っていいものだろうか。仮にも女が竹刀を握るなんてタブーなのだから。
「…俺と一緒にいる。」
『!!?』
その武市の言葉に一同が固まってしまう。「い、一緒にって……!」
「いったいいつから二人はそんな仲になってるんじゃ!?」
あわてて龍馬は武市に問い詰める。だが、武市はちっとも動揺しない。
「…何を勘違いをしている?そういう仲ではない。」
「!」
きっぱりという武市に心臓ズキリと痛みが走る薫。
「じ、じゃあ…どいう仲なんです?」
「だから、仲ではないと言っているだろう!朝に剣の鍛練を一緒にしているだけだ。」
吐き捨てるように武市が言う。薫は立ち上がる。
「…?」
「薫さん…?」
「…私…先に戻っていますね。」
「もう行くのか?もう少しおったらどうじゃ?」
「いえ…失礼します。」
薫は部屋を静かに出て行った。
「…姉さん?」
「……。」
いつもならまだいるはずなのに…、まだどこか具合が悪いのだろうか。
「…武市…薫さんまだ…具合が悪いのか…。」
「………。」
武市は黙って龍馬の質問には答なかった。ただ、薫が閉めて行った戸を見つめていた。
薫は廊下を歩いていた。
胸がなぜか押し潰されそうになる…。
その理由がなんなのかがわからない…。ただ、心の痛みとどうしようもなく涙が次々と落ちてくる。
「…~~っっ!」
薫はその場にうずくまって声を殺して泣いた。
数時間後、武市達は予定通りに薩摩藩亭へ出発した。それ程長い会合ではないらしいが、行く間際皆が薫のことを心配していたことを思い出す。
(…武市さん…見送れなかったな…。)
いつもなら、玄関まで見送るのだが今日は見送ることが出来なかった。
薫がそんなことを考えていると、
〔薫ちゃ~ん!〕
「…は~い。」
女将さんの呼ぶ声が聞こえ、玄関の方へといくと、
〔薫ちゃんあんた団子ば食べてこんね?〕「え…?」
〔なんやここんとこ、外に出てないやろ?団子ば食べておいで。〕
「で…でも、私は…。」
〔大丈夫、あの方に頼まれとるから、気がねなく行っておいで。〕
「あの方…?」
〔朝、いつも一緒におるやろ?あのお方や。〕
女将は懐から小銭を取り出し、薫の手に握らせる。
「女将さん…。」
〔金なら心配せんでいい!さぁ、行っといで!〕
女将は薫の背を押して出かけるよう促す。武市はちゃんと考えていてくれたんだと、薫は思う。そのことが何より嬉しい。小銭を握りしめる。
「ありがとうございます!行ってきます!」
薫は女将さんにお礼を言うと、長野屋を出て行った。
桜が咲く前の風の中を薫が走る。
季節はもうじき春。桜が舞う中、薫は走って行った…。
ー(続)ー
【桜吹雪】第一巻を手にして頂きありがとうございます。
最初はなんかはかない感じがして まるで桜がひらひらと散って行ったかんじがしますね。
とにかく、これから龍馬、武市、中岡、高杉達が大きく動いて行きます。もちろん彼らに挟まれて彼女の運命も回り始めます。
さて、どのようにこれから展開していくのかが楽しみですね!
このあとも幕末を生きた色んな者達が登場してくるので、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
では また、
原作:ユリ