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三丁目のフランス料理屋で

作者: 雨ノ森 樹

「わぁいいお店じゃない!かっちゃん意外とロマンチストね」


そう呟く愛の声はいつもブラブラと街で遊んだり、映画を見たり、することがなくなってただ抱き合ったり。そんな普通のカップルらしいことだけしか出来なかった僕には初めてかもしれない愛の降伏宣言に聞こえた。


今年で付き合って3年目、だけれど僕らは29歳。どこかで、なにかで、誰かで結婚というものを意識し始める年齢になってしまっていた。


「だろ?俺もさ。近所になるってのは知ってたけど、一人じゃさすがに入れるもんじゃなからさ。そういやフランス料理の大衆向けのチェーン店ってないよな?」


「そうね。でもランチでフルコース出されたら昼休み終わっちゃうじゃん。」


オシャレではない、むしろ週末に浅草に出たらやいやとJRAの前の店で外でホッピーを飲むような僕。彼女はそんな僕とは対象的な存在で、ブランド物の財布もカバンもさりげなく着こなしてしまうような女性だった。付き合う前に彼女はもっと素敵な店に来たことがあるのろうか?などど不安でたまらなかったが、今回もなんとか彼女の心を少しだけでもつかめたようだ。


「でもさこういう店の頼み方ってどうやれば格好いいのかな?」


席に案内されるなり嬉々とした様子で愛に聞いてみた。


「ん~あんまり注文で格好いいやり方なんてないと思うよ?映画で見たら格好いいけど実際やられるとひくわ~」


「そういうもんだよな~まぁ夏だしね。少し季節感のあるものでって頼んでみようか?」




ネットで色々調べたけどスマートな注文の仕方は強ばってできそうもないのは何年立ってもを通じても成長できていなかった。

社会人は接待がたくさんあってする側もされる側も銀座なんかで物怖じしない態度が取れるようになったのはバブル期を体験した世代だけのようだった。


「そうだね。肉料理は私の中では決まってるけど他はどうかな~」


そして愛はフランス語が少し読める。女性はフランス語だとかドイツ語という響きに弱い。愛もその一人で大学で色々と齧る程度は勉強していたらしい。


「あっ前菜これにしよ!フキノトウだって。本場じゃあんまり使わなそうだし、日本風でいい気がする。ねぇどう?」


愛はとても楽しそうにページをめくっていた。俺には生兵法程度だがワインの有名どこぐらいは調べてきたので、食前酒だけはイニシアティブを決めようとメニューを見る。食前酒のロゼで作ったさくらんぼ酒のカクテルが多分可愛いくて春らしい色をしてると臆測を立てた。あとはソムリエに自然流れで紹介してもらってアドリブで済ませてしまえばいい。


ウェイターが礼儀正しくオーダーを取りにきてくれた。ボタンを押すと忙しなくやってくる学生バイトとは大違いだ。とりあえず先程まで二人が決めたメニューを入れてコース料理に入れこんでくれるように頼み、今日のお薦めを聞いてみる。居酒屋専門の僕でも素敵なレストランの気品のあるウェイターに取っても慣れた所作である。


結局季節感のあるものになったかは分からないがそれらしい料理を決めて頂けたようだ。

出てきた食前酒を飲みながら愛は、僕から目線を外しながら、「ねぇ」と声をかけてきた。


「なに?」


「あのカーテン素敵だよね。」


愛の見つめる先のカーテンを見る。確かに店の雰囲気と一致した少し控えめに掛かっている白のレースのカーテンだった。


「私の部屋もあぁしようかな?かっちゃん買ってくれる?」


「あ?」


なにげない一言に言葉が詰まってしまった。愛は実家暮らしだったから自分の部屋のカーテンを買った経験なんかないだろう。確かに部屋を飾ることは自分を飾ることの中に入っているんだろうけれど、その優先順位は低いはずだ。僕は一人暮らしだから引っ越す度にメジャーで図ってイメージカラーを自負している青色を選んで、いつもそれっきりカーテンには見向きもしなかった。

だから殊更彼女の一言を彼女の思惑のような受取方をしてしまった。


「結婚したらな。あぁいうのをダイニングに飾ろうか。」


「あらかっちゃん結婚してくれるの?よかったよかった。しっかり稼いでよ」


冗談なんだろうけど、半分冗談じゃ終わらせられない会話を交わしているとウェイターが食前酒を運んできてくれたおかげで少し会話が途切れる。最近のサラリーマン生活は男にとって残酷だ。どんなに好いた女性がいても、ろくに結婚も出来ない収入で働いている気がする。特に地方から何かしらの夢や希望を抱いて都会へ出てきたら僕らは尚更だ。最近結婚した男達もほとんどが都会のベッドタウンで生まれて、都会のベッドタウンでうまれた女性と結婚している。


それにまだ残像のように昔の夢がちらついている僕は、会社というものにあまり馴染めていなくて、業績だって芳しくない。心が二つあるので、二つの夢が散らばって収まりがつかないような中途半端な距離で、僕は存在している。

彼女は彼女で今の生活が楽しいみたいだ。地位とか名誉とか関係もなく、悩みなんて仕事の鬱憤や人間関係に終始できる女性だ。本当にそうなのかは置いておいて、この3年間愛を抱いてきた身体と心はそんな性格を知っているような気分にはさせてくれていた。


「そういやさ小学校の時、カーテンに隠れたりしたことなかった?ぐるぐる巻いてみたりさ。なんであんなに楽しかったのかな?」


「あーやってたよね男子は。ていうかあれって隠れてたの足見えてるじゃない。私は休み時間っていったらゴム跳びとかの方が記憶強いわ。今の子達もやってんのかな?」


「ドッチボールやってる横でやってたね。あれ今一ルールが分かんなかったよ。」


「そう?あんまり遊んでる女子見てないのね。私達は横目で男子を見てたけど。」


「そうなの?そういやあんまり女子と話しもしないのに、不思議とバレンタインでチョコ渡されてるヤツ決まってたなぁ。女子と話したこともなくても運動神経のいい奴ばっか。おかげで中くらいの俺には誰もくれなかったよ。」


淡々と運ばれてくる料理に一喜一憂しながら、小学生の頃の話題が尽きることはなかった。思い出は共有していないから一般論のような掛け合いだったけれど、こういう話をしていると一生横に居てくれるような安堵感を覚える。自然と死の床まで横にいてくれるように思える。


そうこう会話が弾む中、メインの料理に差し掛かる頃には、いつもの職場の愚痴に話題が変わっていた。


「・・・それでさ。聞いてよ。今年入ってきた新人の子なんだけど、あれなんだっけ?そうそうジェンダーフリーってやつ?それに学生の時からどっぷりだったみたいでさ。『先輩、なんでお茶汲みは女性の仕事になってるんですか?私間違ってると思います』とか言ってくるのよ。私めんどくさいから、新人の仕事よって言ってるんだけど、もうめちゃくちゃ。うちの課長女の子には優しいから、『自分でやるよ~』とか言っちゃうから、いつも私がその子にいない時だけ課長に入れてあげてるの。かっちゃんとこはそういうのないの?」


「うちはmyカップの管理は自分でやるのがルールだから。むしろオシャレなマグカップ勝負になってるところがある。知ってると思うけどオシャレセンスがないのがいたい。入社そうそう家で使ってなかったキキのマグカップを持っていった自分が一番辛い。何女の子趣味ですか?みたいな視線が刺さってくる。せめてキキじゃなくてトトロにしとけばよかった。」


「いいじゃん。ジブリは正義だよ。家で使ってるガンダムのマグカップ持ってくよりはいいじゃない。」


「ガンダムも正義だと思いたいんですけど。」


「まぁ私もよく知らない最初は軽くひいたし。無理じゃない?」


「辛辣なお言葉ありがとうございます。」


そんな冗談も交えつつ、いつもの会話をしながら二人は食事を進めていく。

今日もなにも変わらない。日常の包む優しさは本当に居心地がいいけれどソワソワと極偶に心に小さな波が起こる。そういう気分の時は女性の身体を求めることで大抵は解決してしまう。そういう意味では男の揺らぎなど小さいものかも知れない。ただその中の何十分の一かはどこかに残ってしまう。こいつの消し方を僕は探している。

「ねぇ?何か悩んでるんでしょ?」


真実を遠くから放物線ではなく直線で射抜くような鋭さ。僕は彼女の時折見せるこういう所に惚れたんだと思う。近づいて差し込むような光ではなくて、百歩も二百歩もいつのまにか離れていて僕の胸だけ正確に射抜く矢。決まって僕は素直になれた。


「あぁ。今の仕事続けてていいのかなってさ。そりゃ特段努力もしてないし、今の仕事にだって描くものはあるさ。だけどこれでいいのかなって。」


「そう」


思った以上にそっけない答えだった。もう少し親身になってくれるかと思って口に出したのにも関わらず、彼女はその後は無言だった。


「もしさ。今の仕事やめて、憧れてたところで働こうとすると、愛とは少し一緒に居られない気がする。それくらいガムシャラにならないとさ。変えられないのかもしれないって思う。」


何故かは分からない程、素直に別れの言葉が出てきた。なんでだろう?こんなに愛が好きなのに。


「あなた勘違いしてない?こうやって背伸びしてみるのにも付き合ってるんでしょ?だったら飛んでも転んでも変わらないじゃない。」


「じゃあ転んでみせるけど、いいのか?」


「泥塗れにでもなって叫んでてもいいよ。私自分勝手だから横にいるわ。」


愛が褒めたカーテンの裏側から小さな影が笑った。友達に見つかった時とは違って、僕の方を見て小さく笑った。


「添い遂げろよ?」


「当たり前じゃない。何年後か知らないけど綺麗な指輪くらい買うんでしょう?」


店からの帰路には心を強くした男がいて、一つ並ぶように影法師が手を握ったまま静かに歩いていった。


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