9.惨敗
「このデータまとめたの誰じゃ、とんだヌカシじゃな」
すっかり短くなった蝋を取り替える烏丸に、相生は額に手を当てて嘆いた。
「と、言われますと?」
「あのノクト、人間を合計五十人殺したと記してあるがな、この内二十人はノクトじゃないか、データバンクに照合したらすぐにわかったぞ」
「なっ――」
それを聞き、烏丸も思わず動揺し蝋燭の炎に触れてしまい、「熱っ」と手を引っ込めた。それからスッと、澄ました顔をして、新しく灯る蝋燭を机に置いた。
「特定して処罰させます、そんな杜撰な仕事をする人間はノクト相手にすぐ殺される」
「お、おお任せた……それでここからが本題なのじゃが…………手ぇ、大丈夫か」
「まったく問題ありません」
「そ、そうか? 思いっきり熱そうにしてたが――」
「こんなことで会長のお手を煩わせるわけにはいきません、……こんな少々の火傷、舐めれば治ります」
「マジ?」
「マジです」
相生は「はえー……」と子供らしい惚け顔で感心すると、スッと視線を書類に戻した。
「あ、"で"、じゃ。本題というのは、このかつて殺した三十人についても少し調べてみたのじゃが――身内が割れた十三名……全員、前科持ちじゃった」
「――前科ですか……そうなると、残りの被害者の犯罪歴も、気になりますね」
烏丸は火傷した人差し指をペロペロ舐めながら、話を神妙に聞く。
「きな臭いじゃろ? あいつはわざわざ犯罪者を狙って殺していた。それだけじゃなく、同類であるノクトも狙っていたのじゃ」
相生はジッと睨みを効かせ言った。
"弱肉強食"。
"弱い者いじめ"。
ノクトの大多数は人間しか襲わない、怪我や苦痛、他人の死も自分の死も過剰なほど嫌がる人間は、ノクトにとって弄ぶに丁度良い、格好の餌食だからだ。
ただしごく稀に、ノクトを攻撃するノクトが存在する。だからと言って、人間を攻撃しないわけではないので、討伐対象であることには変わり無い。
「――まるで、人間のようなノクトですね……」
「ああ、そうじゃな……」
人間の中からわざわざ犯罪者を殺すなぞ、まるで『私は"悪い"のか?』と、このデータを見た人間を挑発するような行為だ。
「ううん! さてカラちゃん。そんな必ずしも"悪"と言い切ることのできないアレを……なんなら善行を行なっている彼女を……――我々は殺すべきなんじゃろうか?」
相生は陰鬱な雰囲気を取っ払うために、殊更明るく問いかけた。
烏丸の手が痛んだ――火傷の痛みは消えた、それは彼女が、強く自分の手を握りしめた痛みだ。炎の揺蕩う音が、鼓膜を柔く揺らした――。
「論外。全ての敵は殲滅対象、良いことをしようが関係ない。ただ、一匹残らず駆逐するまでです」
「うん、同意じゃ!」
相生はパァァと喜色満面で、巨大なグッドサインを向けた、なぜか強い後光さえ差した気がした。烏丸も嬉しそうに微笑んだ。
「人間が作り出した"善悪"を逆手に取るとは……」
相生は、体と不相応なほど大きな本革の椅子の背もたれに倒れ込み、真っ暗な天井を仰いだ。
「この偽善者が」
その怨嗟の声が、部屋の闇の中で、響いたのか掠れたのか、分からない。
***
小道に風が吹き、血の匂いを運んできた。人間にバレるのも時間の問題だ。
明日香が出口に立ち塞がるノクトを観察すると、"子供"という一単語を真っ先に想起した。真っ黒なパンツと白シャツ――大人としての正装が、まるでコスプレのようにしか見えなかった。
「私の人生楽しそうって? いやいや、君には敵わないよ〜。じゃあ私急いでるから、バイバイ」
明日香は近寄りながら苦笑して、ノクトの傍を通って立ち去ろうとした。
「――あんたの人生、もっと楽しくしてやろうか?」
ノクトが進行方向に立ち塞がった。明日香はうざったそうに眉を顰めて、ノクトが示してきたスマホを見た。
「――ッ!」
『――ほら、がーんばれ! がーんばれ! がーんばれ! がーんばれ!』
小さく声が聞こえる。そのスマホには、伏す関目と、狂乱のもと、手を叩いて励ます自分の姿が流れていた。
「――顔はバッチリ」
ノクトが明日香の顔をズームアップする。
『いやあああああああああああアアアあっ!!!!』
関目が生々しい音と一緒に爆散する。
「人が死んでこんな笑顔……誰だってお前が犯人って分かっちゃうだろうなぁ」
目を見開いて唇を尖らす、ノクトの煽り顔は一等品だった。
明日香はギロっとノクトに睨みを効かせ、悠々と一歩近づき、言った。
「わざわざそれを見せて、なにが目的?」
ノクトはそれに対して一歩離れ、スマホをフリフリ振って嘲笑う。
「土下座しろよ、悪いことしたら『ごめんなさい』だろ。それ次第じゃ、見逃してやらんこともないな〜」
「……」
愉快犯ってやつか……私を揶揄うことが目的……。
明日香は眉を顰めつつ、アスファルトに両手をついて土下座した。内心、やはりなかなか屈辱的な行為だと再確認した。
「申し訳ありませんでした」
静寂、ゴーと車の走行音が聞こえた。
ノクトは笑みを浮かべる。
「――消すわけないだろ、お前めっちゃ本気やん! ギャハハッ!」
やっぱり……。
明日香は目を細めた。こういうタイプは従えば従うほど付け上がる……対処法は一つしかない――――殺す。
「世間知らずか身の程知らずかどっちだよおい、人殺しが謝罪で済むわけねぇ〜〜だろが〜! お前はワシが殺――――」
「――――」
次の瞬間、明日香はマジシャンのような速技で、ノクトのスネに、タッチした。
――ノクトは避けようと退いたが間に合わなかった。
「――ッ!!」
ノクトは確かに触れられたと感知しながら、二メートルほど距離を取った。――明日香はゆっくりと立ち上がり、粛々とおでこの汚れを払った。まるでもう勝敗は決した余裕さである。
「"まるで"じゃなくて、もう勝ったんだよ〜」
「な〜にがもう勝っただよ〜、じゃ〜やってみろよ〜。ほら、どーやって死ぬんだワシは〜」
ノクトは肩をすくめて、明日香に体を見せつけた。――その時、ジワリと体の動きが鈍った。
「――」
「見てたなら分かるでしょ、私の能力」
「――あー、さっきやってた『物を重くする能力』のことー? ……ああ、それの発動条件が、ワシに触れることだったの? そういえば首掴まれた方だけ殺してたね〜、だからあんなあからさまに捕まりに行ってたんだ〜」
ノクトは右手のスマホをクイクイひねくり回し、その重量を確かに自覚した。体が鉛のように重いのも、身につけている衣類がずっしり、水に濡れたような重さを持ち、体を潰してくるからだ。
ノクトはポイとスマホを投げ捨てる、ゴトゴトッと転がった。
明日香はワンピースの埃や土を払い、にんまり笑顔を見せた。
「そ。気づいても遅いけどね〜、この暗さなら関目みたいになるまで、あと一分くらいかな〜」
路地裏は日射が通らず薄暗い。――ノクトの能力は周囲が暗闇であればあるほど、即効性や効果範囲など強化されていく。
「…………」
ノクトは左手を頭に当て黙った。――かと思えば突然くるりと踵を返した。そのヘソの方には人の行き交う商店街がある、明るいところに逃げようとしているのだろうか。
「明るいところに出ても無駄、私がここに留まる限り能力は止まらないよ」
「――物を重くする能力……ワシの知能なら三秒で攻略完了だな」
ノクトは笑いながら背後の明日香に言うと、
「――――」
次の瞬間、服を全て脱ぎ去った。ノクトの隆起する筋肉のラインがあらわになる、背中から見て、それは一般より優れた肉体美だった。
――"一切躊躇なしの脱衣"……コイツ……。
「これでワシを潰せないな〜」
ノクトは明日香に背を向けながら、揶揄うように言った。
風が明日香の頬を撫でて髪を揺らす、彼女は目を細め――目を見開いた。
「で? どーやって死ぬの私は」
肩をすくめて、先ほどのノクトを真似して煽った。
「私の能力攻略したからなに? 私はまだあなたの脅威をこれっぽっちも感じてないんだけど……あなた、何しに来たの?」
明日香はノクトが落としたスマホを拾い上げ、証拠データを消去しようとしたが、当たり前だがロックが掛かっていた。まぁあとで破壊すれば良いだろうと、ポケットにしまった。
「俯瞰って知ってる? たまにいるんだよねー、"逆張りでノクトを攻撃するノクト"」
明日香は心底嘆かわしいのか、肩を落としてノクトに言い捨てた。
「白けた、全力で。せっかく上手くいったのにあなたのせいで台無し。あなた、生きる価値ないよ」
「――――」
ゾォっと鈍く沈む暗黒のオーラを纏って、その言葉はノクトの心を攻撃した。
刹那、脳裏を過ったのは何十年前かの光景。
『生きる価値』を、当時の仲間に同様に『無い』と断言された記憶が、また死臭を背負って現れた。ついに、最期まで彼らは仲間ではなかった。
次の瞬間、ノクトの心の中で何かが破裂した。パンッと一過性のものではなく、天地を揺るがす巨大で、破裂的な衝動が身体を駆け巡り、大きな痕跡を残した。
「…………」
ノクトは顔半分振り向き、明日香を上から見下した。
「悪いけど、"全力"はこっからね」
「なっ――!?」
次の瞬間、ノクトはバッと体を翻して、肉体を明日香に見せつけた。瞬時に、明日香はその股に付いている異物に目を見開き、瞬間、脳内が真っ白になった。
ワシが生きる理由を叩き込んでやるッ!!
完全に警戒の逸れた明日香を見計らい、ノクトは即座に走り出し、拳を振り上げた。――その握り拳は"黄金の輝き"を放って、明日香の左頬に繰り出され――
――問題ない、子供のような大振りのパンチ、躱して――
ゾクっ。
その刹那、明日香の身体を悪寒が駆け巡った。
「――ッッ!」
「!?」
明日香は反射的にノクトの腹を蹴り上げた――左脚で、鳩尾あたりを的確に。
「――ッぶっフォッ……!!!!」
ドス黒い血が、虹をかけるように宙を舞った。
肋骨が粉砕される音が聞こえた、衝撃が全身の細胞を伝って、破壊の連鎖が拡がる。ノクトは血を盛大に吹き出して、五メートルほど転がり飛んでいった。
「はぁ、はぁ……」
――な、なに今の……今の攻撃喰らってたら私……――いや、気のせいよね……。
それは、明日香が十数年感じていなかった『恐怖』だった。
「びっくりしたけど、それが"全力"ね……だから価値無いってッ」
明日香はそう呟き、血溜まりの中で動けないノクトを鼻で笑った。
絶対当たる気したけど……ダメか――。
瀕死の耳で、雑多な生活音を聞いた。それら全てが腹が立つほど自分に無関心で――とても強く、疎外感と劣等感と無力感を叩きつけてきた。
――そんなもん、五十年前から味わってきた!!
ノクトは血溜まりの上に手を付いて、グラグラしながら立ち上がった。
「言っただろがぁッ……! ワシが生きる理由を、見せ――」
「もうええて――三回目、このくだり長すぎ」
ノクトの顔面が殴られ、陥没した。一切の躊躇なしの右ストレートは、ノクトの顔面を人としての原型を留めさせなかった。
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