2.この瞬間のために生まれてきた
「虫みたいな野郎じゃのう」
「…………」
青年が目を開けると、いたいけな少女が、埃を被った木箱の上で、膝を抱えて座っているのが視界に入った。
歳は十五か十六。艶のある長い黒髪や、それなりの愛嬌のある顔立ちと華奢な体は、ごく一般的な家庭の出身を想起させる。
ひとつあえて述べるとしたら、思わずのけ反ってしまうような引力がある瞳が、どだい十五、六のそれでないことは、誰が見ても一目瞭然であった。
青年はしばらく目を見開いて茫然とした後、瞳だけ動かして周囲を見回した。蜘蛛の巣だらけのボロ小屋、埃が舞って光っている。
ようやく、自分が椅子に座っていることに気がついた。固定されているのか、動こうと思えないのか、なんにせよ立ち上がることは出来なかった。
「……あ」
青年が呟く。
少女が立ち上がり、青年を見下ろした。
「喜べ! ワシがお主を助けてやったのじゃ!」
「…………」
沈黙する青年の反応をしばらく見て、少女はニヤニヤ笑って再び座った。足をぶらぶらさせて、木箱をリズミカルに蹴る。
「ギャヒ! 驚天動地の事態じゃろ! 十五歳にして初めて世界を見たのじゃからな。お主はさながら生まれたての赤子、体だけ無駄にでかいガキじゃな!! ギャハハハハ!!」
「…………」
「…………」
少女は沈黙する青年にため息をついて、真剣な顔を向けた。
「はぁ。ワシの力じゃが、本当は人間の身体を乗っ取るだけで、当人の意識は眠っておるだけなのじゃ。それを言えばワシを攻撃できなくなるから存外便利じゃろ? ――しかし今回は逃げられそうもなかった、人間は人間を殺しちゃダメなのでな、土壇場でギリギリ人間であるお主の精神を叩き起こし人質にした訳じゃ……あんの猟奇ババァ……」
少女は、左の口角を上げて、くしゃっと恨めしそうな表情を浮かべた。
しかしそれは、どこか本気にしていない、冗談めいた怨恨さを感じさせる浮遊感があった。
自分を散々痛め付けて、人生の終点となる事態を陥れた敵に対し、まだ一心の嫌悪も復讐心も湧ききらないらしい。
気を取り直して話を継ぐ。
「今やワシとお主は一心同体、ワシが死ねばお主も死ぬし、お主が死ねばワシも死んでしまう。自分の人生が他人に握られていると考えると、絶叫モノじゃな」
少女は頭の後ろに手を組んで、「あーあー」と体を左右に揺らした。
「ま、これも人生じゃろて」
パッと憂いを払った少女は、足の間に手を置いて身を乗り出し、じっと青年と目を合わせる。
「ワシたちは混ざり合った、だからお主の気持ちも手に取るように分かってしまう――――良かったではないか、生きられて。もってあと数ヶ月の命、ワシが来て救われたな」
「…………」
少女は青年を慰める慈愛の表情を向けて、首を傾げた。
しかし青年は、そんな少女を呆然と見つめるだけで動かない。
「不安なのはもとより、過去の平穏が惜しいのは誰も同じじゃ、何があるか分からない未来じゃと尚更な。けど生きてみればきっと、幸せになれるじゃろて、ハハハ」
「…………」
「――さっきから黙りこくって、貴様は本当に虫なのか!?」
少女は青年にドロップキックを炸裂した。
顔面を両足でいかれ、青年は椅子を壊して、背後の壁まで二メートルほど蹴り飛ばされた。
「ハッ、ついむしゃくしゃして――」
崩れた棚から錆びたアルミ缶や釘、トンカチ、ノコギリなどゴミが降ってくる。
瓦礫の中、寝そべって、全身に痛みを受けて、生まれて初めて、言葉を発した。
それは、少女の融合したことによって得られた新たな情報と、これまでの経験から生み出された質問だった。
「生きる、ってなんだ……」
古屋は狭い、それでも耳を澄まさないと聞こえない、掠れて弱々しい蚊の鳴くような声で問われた。青年にとって、人生とはさっぱり意味の分からない不明なもので、自分がその真っ只中にいることすら全く実感がなかった。
きっと風が吹くだけで、この人間は死んでしまうだろう。
「『生きるがなんだ』ってーー!? チッ、めんッどくせー野郎じゃな! こっちから歩み寄ってやってるというのに! 死ぬな、そんな簡単に!」
うぬぬ……ワシ存亡の危機、なんとしてもこの人間を生きながらえさせねばならん。
しかし融合したせいなのか、ワシの上っ面の言葉じゃ胸に届いてる風には見えん。
融合した少女にも青年の気持ちは伝わっていた。青年が生死の狭間で揺らいでいる危急存亡であるとこは、分かっている。
それでも。
「ワシぁ死にたくないから生きとる! ワシぁ全力で死にたくないんじゃ!! 生きることに意味なんて、考えるだけ無駄じゃ!! 意味がなかったら死ぬのか? 意味があるから生きるのか? そんな馬鹿難しいことじゃないじゃろ人生ってのは!!」
少女は青年に近寄りながら吐き散らすと、寝そべる青年に馬乗りになった。
「ワシとお主は一つ! 嘘も隠し事も効かんので言うがな!! ワシは殺しを楽しんどるんじゃ! 寝て食って殺す、それだけの人生のために死にたくないんじゃ! ――そんな畜生じゃ……それでも……それでも!!」
少女は青年の頬を包んで、懇願するように真正面から叫んだ。
「人助けだと思って生きとくれんか」
はぁはぁと、気持ちを吐露し切った少女は、青年の目と鼻の先で、顔を朱色に、気持ちを高揚させている。
――ど、どうじゃこの野郎、ワシの人生かかったプライドを一切合切振り切ったお願いじゃ。こんなのレアじゃぞ? 五十年間で初めてなんじゃぞ? これ断ったらワシ泣くぞ多分。
青年は、口をゆっくり開いた。
「…………あったかい」
初めて触れた人間の皮膚から感じる、投げかけられた言葉から感じる、身を焼かれるような『熱』が、自然と胸を熱くさせていた。
少女が青年の全てが分かるように、青年にも少女のことが伝わっていた。
生への執着、死への恐怖心、ただただ純粋な想いが、満ち満ちている。
「…………」
少女は心中で飛び跳ねて手を叩いて喜び回っていたが、それは内々で秘め、ニヤニヤ笑って言った。
「誓約を交わせ。ワシがお主を助けた、だからこれからお主がワシを助けるのじゃ」
青年は、この温みを、もっと感じたかった。
「生きろ!!!!!!」
***
グジュグジュと肉が変形していく、見るのも辛い肉の膨張と収縮、スーツの女たちは思わず顔面蒼白にして身を引いた。
女たちの声が途端に途絶えた異変に気がつき、天筒は煙草を指に挟んだまま、女たちの隙間から先のノクトを見た。
「――――」
目を見開いて、硬直した。
青年の体は跡形もなく変形し、女子の肉体となっていた。
全体的に丸み帯び、胸が膨らみ腰が細く、中性的な顔となっていた、相変わらず泥だらけで人には到底見えないが。
「ぎゃああああああああ!!!!」
「!?」
「「「「キャァァァァァァァァァ!!!!」」」」
突如女の子は、寝そべった状態で叫んだ。天筒は危機を感じて駆け出す。スーツの女たちはびっくりして同じように叫び声を上げた。
「…………」
「「「「……………………」」」」
両者が真顔で見つめ合う。
「ぎゃああああああああああ!!!!」
「何だよ!!」
まったく同じ表情で叫んだ女の子に、スーツの女たちは困惑から来る苛立ちをあらわにした。
天筒がその後ろから現れ、寝そべる女の子を氷の瞳で見下ろす。
「死んどけばよかったのに」
そう言いながら火炎放射器を構える。
「ちょちょちょちょ待て待て判断が早い! ワシ人間だって! 確かめてみ!」
動けないのか、女の子は表情だけで慌てようを示す。天筒は火炎放射器のトリガーにかけていた指を緩め、目を細めた。
――――なんだコイツ……。
その疑問は、過去、数多のノクトの死に際に対峙してきた天筒だからこそ感じる違和感だった。
「…………」
天筒はジッと女の子の瞳を睨みつける。
「…………ごくっ」
「コイツ唾を飲み込む音わざわざ口にしましたよ」
女の子は目を開いて唇を尖らし、猛抗議する顔を天筒に向ける。
「何だその顔ぉ!」
「ふざけてんのかぁ!」
「無性に殴りたい!!」
「このクズっ!」
後ろからのヤジを他所に、天筒は真顔で女の子を観察する。
……本当に、ノクトじゃないのか……?
長考を終えた天筒は火炎放射器を構えたまま、ゆっくりしゃがみ込み、女の子の鳩尾あたりにソッと、手を添えた。
こりっ。
「普通にノクトなんだけど」
「――っちゃーー! ノクトだったかー!!」
女の子はプハーと破裂するように大きく笑った。
「舐めてんのコイツ」
「にゃぁーん」
「なぜ急にネコ」
女の子は自分の腕を舐めて猫のモノマネをする。
「天筒さん! もうやっちゃいましょ! どうせ人殺しですし殺しとけば文句ないっすよ!」
「激しく同意! この殺人鬼を許すなー!」
「わざとふざけた態度取って楽しんでるだけですよ! この猟奇殺人鬼死ね!」
「というかなにかの時間稼ぎかもしれません、今ここで殺しとくべきです。この悪魔を」
背後から駆除の申し立てが続く、が、天筒はニコチンを肺に行き渡らせて思案する。
ここでコイツを逃がしゃあ私の責任になる、コイツが人なんて殺してみろ、人殺しの片棒を担ったようなもんだろ〜。んなら、やっぱ殺しとくのが丸いよなぁ。仮に殺してデメリットがあっても私が知る由もない……私は仕事しただけなんだから、私に業務的不手際とその責任は伴わない……。
「ニャニャー――元気なさそうだねクールなお姉さん。悩み事ならワシでよければ相談に乗るよ」
ほんとにそうか?
人を殺したノクト殺すのが大日本猟闇会の仕事だよなぁ〜〜、報告書によりぁあの古屋まで追い込んだノクトは人間を五十人以上殺してる大量殺人鬼だ、ぜってぇ殺す……筈だった。
――今、目の前にいるのは何だ? とても人を殺したことなんてないような……餓鬼じゃないか、まるで精神がまるっきり新しくなったみたいに。
『視線を合わせた人間の肉体を乗っ取る』だけがアイツの能力じゃなかったってことかぁー? ……そうだ、そもそも乗っ取るだで肉体に変化はない、報告書にもそう記載してあった気がする。
――――女の体になってんのはなんでだぁ。
「さっきからそんな舐めるように見られたら照れるよ……!」
「さっきからうるさいなぁ……」
天筒は火炎放射器を肩にかけ、煙草をポケットから取り出した携帯用灰皿に押し込んだ。
はーやだやだ、私はただノクト殺したいのに……こういうめんどくさいのは専門外なんだよねー。
「……よし、決ーめた」
天筒は振り返ってスーツの女たちに告げた。
「コイツの処分は私にゃ判らんから、上に任せよー」
さぁと風が吹いた。その宣言は、ノクトに強い恨みを持っている彼女たちを裏切るような言葉だった。
女の子は寝そべったまま視線を動かしてスーツの女たちを見つめた。
「「「「分かりました!!」」」」
全員が跳ねる声音で従った。
「すご、軍隊みたい」
女の子が呟くと、天筒がスーツの女たちを慈愛の瞳で見つめて言った。
「家族だよ」
家族という響きに女の子は実感がなかった。ノクトにも、青年にも、『家族』というものが全く知りようもない幻想的なものだったからだ。
「へー! じゃあワシもこれから家族になるわけか!」
「…………まー、状況によるかな」
「なるんかい!」
女の子が揶揄うと、天筒も軽く冗談を言い返しつつ女の子の右足首を掴み、持ち上げた。それからその顔を見下ろして、僅かにエクボを作って言う。
「私は優しいからねー、人殺し以外にゃ」
「ヘッタクソな笑顔!」
「そうだそうだ! お前みたいなよく判らんやつにも優しくしてやってるんだ感謝しろ!」
「アリガトウゴザイマス」
「あー感謝してない! やっぱ殺しましょ!!」
「上がこいつをノクトって判断したらなー」
天筒はスーツの女たちの談笑しつつ歩き出すと、彼女たちも天筒に合わせて隣を歩く。
女の子は連れられながら、満点の星空と白と蒼の天の川と闇を穿つ大きな満月を見て、冴え渡る壮観に、ただただ息を呑んだのだった。
……ワシはきっとこの瞬間のために、生きてきたんだ――。
そのまま、ズルズルと引き摺られていった。
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