11.世界で一番強い
ノクト核を破壊された明日香は、煤のように溶けていった――。
***
右腕だけでバールを振りかぶった柳川は向かってくる天筒の眉間を狙った。
天筒は目を細める。
――隙だらけ。
関節技を決めるべく、ガラ空きの胴体に抱き着こうとした。
三秒も掛からな――。
――血の匂いに釣られて蚊が飛んでいた。
次の瞬間、蚊は弾け飛んだ――運悪くバールの軌道上を飛んでいたせいで、粉々に粉砕されたのだ。
「――――」
バールの速度は想像を優に超え、あろうことか路地に突風が吹き荒れた。草木が揺れ、洗濯物が靡く――天筒の巻き上がる髪の隙間から覗かれる表情、それは驚愕の表情であった。
「なんて速度ッ」
人間が振った棒でこんな風なんて――けどッ!!
柳川は驚いていた。
――避けられた……明日香《さっきの人》相手と同じくらい、手加減した気はねぇけど。
天筒は低い態勢で、今度こそ確実に技を決めにいく。
これはいける――
柳川の全身の筋肉が躍動する。
「――ッッ!」
天筒はもはや本能的に体を引いて、二メートルほど距離を取った。――柳川はバールを逆に振り返し、再び空気を裂いて見せた――突風が路地を吹き荒らした。
「「………………」」
風が止み、音が止む、遥か遠くの話し声すら聞こえる静寂。暫時両者、距離をとって目を見開き合う。
――まさか二回目も避けるなんて、猫みたいに動くなこの人。距離取られたし……。
――バールを振る速度もそうだけど、振り切った後からの、逆方向に移るまでの切り替えの速さも尋常じゃない……そこらのノクトよりよっぽど強……。
「…………」
先の一瞬の衝突を傍から見ていた下野は、腕を組んで手を顎に添える。その頬に汗が伝う。
良かった〜! ありがとう天筒さん! ……もしかしたら避けられないんじゃとか思ってたけど、よし! そのまま柳川分からせちゃって下さい!
天筒は下野の熱い視線に気がつかない。
狙われたこめかみにそっと手で触れる、バールは触れていないのに、ジリジリ麻痺している。
視線を巡らして、柳川の動きを俯瞰して思い出す。
……こいつ、左手を動かさなかった……!
「――ハッ」
「――……? なんか可笑しかったか?」
「いんや〜……可笑しくなっ、ふふ……ごめんっ、なんか……嬉しくてねぇ」
口に手を当ててクスクス笑う天筒。柳川は目を細めてバールを下げた、頭の上に『?』が浮かぶ顔だ。
「まだ負けてないぞ俺」
「そりゃそうだよ……――もう戦わない、柳川、合格だよ」
天筒は穏やかに微笑むと、煙草を吸い始めつつ言った。
「えぇーー! ちょっと待って下さいよ天筒さん! この舐めてる奴に教えるんじゃ無かったんですか! 業界の鉄則ってやつを!」
横から下野が割り込んできて、天筒に言い寄った。天筒はうざったそうに顔を顰めて離れた。
「私がムカついたのは弱いくせにイキがることにだ〜……ふぅー、だから、私が強いと認めた以上戦う意味はなくなったんだよ〜」
「そ、そんな……女性蔑視の件はどうするんですか!?」
「許した、強いから」
「……………………」
下野は顔を顰めて絶句した。
「あいつはもうヘッドの実力がある、研修期間なんて要らね〜よ。変なこと教えてあの力が失われる方がおっきな損失だ……それに、お前にゃ扱えねぇ代物だよ。――誰にもな」
「――んな自主性ないけど」
柳川は後頭部に手を当てて、顔を背けた。照れ隠しだった――が、彼は表情が乏しく、二人ともそれに気づかなかった。
「ったく! まぁ今回は天筒さんがそう言うなら仕方ない……が! 強いからって無礼はないように! 少しは社会人としての自覚を持ってだな――――」
「…………」
天筒は紫煙を吐き出して、コンクリートに阻まれた狭い茜色の空を仰いだ。暫しぼうっと考えた後――説教垂れる下野に話しかけた。
「下野、この仕事辞めろ。向いてねーよ」
再び静寂、しんと無音、空気が凍った。
天筒は沈黙する下野の背中を見つめる。柳川は予想だにしない暴言に目を丸くして、下野の反応を待った。
「…………」
しばらく経った後、下野はゆっくり振り返る。風が吹き、青葉がふわりと六枚、落ちた。
「仕事を辞めるのはあなたですよ、天筒さん」
「――――」
天筒は目を見開いて唖然とした。
「悪いことは言いません、あなたは隠居して下さい。タバコも殺しも辞めて……全部忘れて生きて下さい」
「――ハッ、なんでだよー……ってか、オメーにそんなこと言われる筋合いはね〜だろが」
天筒は取り合わないのを示すため、顔を背けて煙草を吸った。しかし下野は気を引かず、悠然と言った。
「あります。これはこの世で俺だけしか言えないことです、俺だけが――――」
下野はそこで言葉が途切れた。迷っていた。言うか、言うまいか。
「……?」
『――本日からよろしくお願いします――』
懐かしい言葉が、じんわり心に残っている。やはり、伝えるべきだ、そう信じて言葉を継いだ。
「――あなたの弟子の、唯一の生き残りだからです」
ポトっと、火のついたタバコが落下し、灰が散った。天筒は真っ黒な瞳で、地面を見ていた――下野の顔を見れなかった、顔を見せられなかった。
「…………下野」
「はい」
天筒はぽそりとその名を呼び、ゆっくり歩み寄る。下野は精神の痩せ細った恩師を見て、心を痛めた、過去の生き生きしさは消え去り、余熱だけで生きながらえているような儚さが、心苦しかった。
――下野が飛んだ。
「――っうぐッッ!!」
唾液を吹き出し白目を剥いて、二メートルほど宙を吹っ飛んだ。
「……私が育てた五人、お前以外みんな死んだ。なんの動物だったかな、弱いクセにノクトに突っ込んでいくような……ああ、馬と鹿か!」
――ノクトなんて、柳川みたいに強いやつが殺せばいいのに――。
天筒は下野の鳩尾に突き刺した二本の指を見せつけて、怒気を孕んだ針のような声音で言う。
「私は怒ってんだぞ下野ぇ〜、天国でクソ説教してやる気だ――なにの、なんで私が猟闇会を辞めないといけないんだよぉォ〜! 辞めるべきは弱いオメーの方じゃねーのかぁ〜ッ!!」
青筋を浮かべる天筒は、咳き込み苦しむ下野に怒鳴る。傍から見ている柳川ですら"触らぬ神になんたら精神"で目を背けていた。――それでも、下野は真正面から睨み返した。
「――ゲホッ……嘘つかないで下さい」
「嘘だと」
下野は揺らぐ視界の中、天筒の般若の顔だけはしっかり見えていた。全く、恐れはなかった。
あなたは……俺が憧れたあなたは、死んだ仲間を馬鹿にする人じゃない。
「俺にはッ、確かに、ノクトを殲滅させようなんていう、志は持っていません、すみません……」
下野の汗が滴る――光を反射して輝いた。澄んだ空のように広大で明朗な笑みを浮かべ、天筒の瞳を見つめた。
「――その代わり、俺は、"大切な人を大切にする気持ち"を世界で二番目に強く持ってます。だから、何があっても、俺はあなたを大切にします」
「――――」
「その気持ちが世界で一番強いのが、あなたですから」
微風が二人を包んだ。太陽のような笑顔に天筒はグッと唇を噛み、痛みで心を紛らわせた――でなければ涙が溢れてしまう。彼の優しさが胸をズキズキ刺す。
「……東京に来るまでは忘れてたのに……」
天筒はボソリとつぶやいて振り返った。振り返った先で気まずそうにする柳川と目があって、さらにバッと顔を横に向けた。
「もう行く……悪かった、お腹いけるか?」
「イヤッ、まぁ、こんなの、全然、痛くな、いですよ!」
「句読点多いな……わ、悪かったって」
天筒が居た堪れなさから、逃げ出そうとした――が、閑静な路地のそんな空気を壊すように電子音楽が鳴り響いた。初期設定そのままの着信音、天筒はすぐにポケットからスマホを取り出した。
「はいもしもし」
『おーおー天筒、今どこにおる?』
電話越しに聞こえた猟闇会の会長である相生の声はやけに落ち着いていた。その舌足らずな声を聞いて、天筒も不思議と安らかになった。
「今〜、そんな遠くない路地ですよ、どうかなされましたか」
『あのノクト、見つかったぞ』
「本当ですかッ? どこですか?」
天筒は少し慌てて訊く。身を乗り出して、答えを聞く前に歩き出していた。
『警察署じゃ』
「捕まんの早」
天筒は顔に影を落として本音をこぼした。
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