最後の会話~君のために~
最期の会話
「しにたくないよ」
彼女は泣きそうな眼を僕に向けて言った。そんな彼女に対して、僕はただ、何も言えずに黙って、沈黙を守り続けるしかできない。白いシーツ、白いベッド、白い病人服、白い彼女の体。僕と彼女がいるこの部屋は、白と薬品の匂いで満ちていた。
「……しにたくないよ。ねえ、せーじ、聞いてる?」
聞いてる。そう言いたかった。聞こえてる、君の声は、ちゃんと聞こえてる。一言一句聞き逃すものか。そんな思いで僕は君の言葉を聞いてるんだ。だから、そんな不安そうな顔、しないでよ。
そう言いたかった。そう言ってあげたいんだ。
「……」
でも、僕はうなずくことしかできないんだ。弱いから。僕があまりに弱いから、何も言えない。
「ねえ、せーじ。どうして?どうして、何も言ってくれないの?最近、ずっとそう。ずっと、黙ってばっかり。私のこと、嫌いになったの?もう、好きじゃないの?ねえ、ねえ。答えて、応えてよ……」
答えてあげたい。でも、僕の言葉が君の希望を奪うんじゃないか、君を絶望のどん底に突き落としてしまうんじゃないかって、不安なんだ。怖いんだ。だから、何も言えないんだ。そんな風に僕を見ないで。そんな、悲しそうな、不安そうな目で見ないで。どうせ、僕は何も言わないんだ。君が何を言っても、何も返してあげられないんだ。そんな、弱い男なんだよ、僕は。
「……私が、こんなになっちゃったから?こんな風に、こんなところから出られなくなっちゃったから……?」
僕は、首を振る。
「……嘘よ。だって、私がこんなになっちゃってから、せーじはしゃべってくれなくなった。微笑んでくれなくなった。『お前が弱いから、僕は君とは話さない』って、そう言いたいんでしょ?」
違う!僕は、……でも。
「……出てって。お願い、私のこと嫌いなら、もう、無理してこないで。……お願い。私はまだ、せーじのことが、好きなの。だから、せーじには、つらい思いを、してほしくないの。だから、私のことなんて、放っておいて」
嫌だ。僕は、君と、一緒にいたいんだ。
「……出てって!出てけ!」
「……」
僕は彼女に怒鳴られ、仕方なく病室を出た。
……僕は弱い。それはわかってる。彼女が苦しんでるのに、救ってやることもできない。僕は彼女の恋人でいる資格なんてこれっぽっちもない。
でも、僕はまだ彼女のことが好きだし、彼女も、僕のことが好きだと、言ってくれた。彼女はそれをあらゆる方法で表現してくれる。でも、僕は、何も返してあげることができない。
「……毎日ありがとう、静司君」
「……どうも」
病室の外にいた、彼女のお母さんに頭を下げる。……なんで、この人には話せるのに、彼女には何も言えないんだ。
「毎日毎日、本当にありがとうね、静司君。耶麻も、喜んでいると思うわ」
「そうだと、いいんですけど。僕なんかで、本当に……」
「もう、謙虚なんだから」
謙虚?そんな、高尚なものか。僕は、ただ卑怯なだけだ。
「……耶麻ちゃんの病状は、どうなんですか」
「……」
僕がそういうと、とたんに彼女のお母さんは口をつぐんだ。まるで、僕みたいに。
「……。きっと、よくなるわよ」
「そうですか」
それは、僕を安心させようとついた嘘なのか、それとも、この人自身が、そう思い込もうとしているのか。もしかしたら、その両方なのかもしれない。
「……少し、失礼します」
僕はそう言って耶麻の病室から遠ざかろうとする。
「どこへ行くの?」
「少し、お手洗いに」
「そう。すぐ帰ってくるかしら?」
「はい」
僕は病室前の廊下を進み、突き当たりを曲がる。ナースステーションがあって、そのすぐそばにトイレがある。
トイレに入って、用を足し、手を洗う。
僕はこれらの作業を簡単にできる。
でも、もはや彼女……深野 耶麻には、それができない。もう、自身でも満足に動けないのだ。
本当は辛いはずなのに、僕の前では必死になってそれを隠そうとする。どうして、と思った。どうして、無茶をするの。どうして、そんなとり繕うようなことをするの。君は、もう十分に頑張ったんだから。もう、最後ぐらいみっともなく泣きわめいても、誰も何も文句は言わないのに。
心の中では、いくらでも言葉が出る。でも、でも。
こんなもの。こんな、励ましの言葉なんて。
口に出なければ、何の価値も意味もない。
「……おかえりなさい」
「ただいまです」
社交辞令のような挨拶。きっと、もう彼女のお母さんだって、疲れているんだろう。
「……どうして、話してくれないの?」
「何がです?」
「どうして、あの子に、何も言ってあげないの?」
彼女から、聞いたのだろうか。
「言えるはずないですよ」
「どうして?あなたが励ませば、きっとあの子は頑張るわ。そしたら」
「そしたら、なんだっていうんです!」
僕は彼女の病室前だということも忘れて、叫んだ。
いくらある程度は防音されているとはいえ、叫ぶなんて。怒鳴るなんて、どうかしてる。
「耶麻は、もう頑張ったんです!もう、十分に頑張ったんです!でも、駄目だったんですよ!」
どうかしてる、と思うのに、口は止まらない。まるで堰を切ったみたいに、あとからあとから、ため込んでいた思いが、口から出ていく。
「励ましてあげたいんですよ、慰めてあげたいんです!でも、あの子は僕が励ませば頑張るし、慰めても頑張ってしまう!もう、休ませてあげたいんです!あの子が疲れて、やつれる姿をもう僕は、見たくないんだ!最期の時ぐらい、安心して、死なせてあげたいんです!」
「……っ!」
頬に、鋭い痛みが走った。
「……」
頬を叩かれたのだと気づくのには、しばらく時間がかかった。
「……帰って」
「……失礼します」
僕は、反論することなく、弁明することなく、すごすごと、病室前を後にした。
情けないにもほどがある。愚かにもほどがある。
なんてことを。
僕は彼女の彼氏でしかなく、他人でしかない。それなのに僕は、なんてことを。『死なせてあげたい』だなんて。思い上がりにも、ほどがある。
僕は彼女が死ぬ前提で考えていた。彼女はまだ死んではいない。万が一、億が一にでも生きる望みがあるのなら……その希望にすがるべきだろう。
それなのに、僕は。
「……最低だ」
病院を出て、すぐ近くにある駅の改札を抜ける。しばらくホームで待っていると、時刻表通りに、いつもどおりに普段通りに電車が来た。
「……僕は……」
帰りの電車の中、僕はつぶやく。もう終電も近いため、人はほとんどいない。
あと、五駅か。ときどき揺れる電車の中で、家までの駅を数えてみる。
ここ最近、終電近くに家に帰ることが多くなっていた。
朝、起きて学校へ。学校が終わったら服を着替えて真っ先に、十駅も離れた耶麻の病院へ。そして、夜遅くまで、耶麻の病院にいる。そんな生活を、もうかれこれ、一週間。
最初こそ、まだ僕は耶麻に言葉をかけれていた。頑張って、とか、大丈夫、きっと治るよ、とか我ながらバカで無責任なことを言っていたように思う。その考えを改めたのは、彼女にはもう、ほとんど希望が残されていない、ということを聞かせれてからだった。
心臓病の末期。
いろいろ細かい説明を彼女の両親はしてくれたが、僕はそれ以外覚えていない。……覚えていたところで、僕は医者じゃないし、つらくなるだけだ。
説明をしてくれた彼女の両親は、涙ながらだった。きっと、本当なら言いたくなかったんだろう。
『耶麻がね、どうしても君に自分の病気のことを教えてあげて、って……』
その言葉がなければ、僕はご両親が僕を認めてくれた、って勘違いしていたことだろう。
「……耶麻」
彼女のお母さんになら、病室の前でなら、電車の中でなら、彼女の名前だってつぶやけるのに。どうして、どうして僕は一番伝えたい人に伝えたいことを伝えられないんだ。
「……耶麻……」
名前の後に、僕は何を付け加えるつもりだったんだろう。
ごめんね、だろうか。頑張ってね、だろうか。きっと良くなるよ、だろうか。それとも……。
好きだよ、だろうか。
「……馬鹿げてる」
彼女の危機に慰めのひとつもかけてやれない人間が、一体どうして好きなどと、ほざけるのだろう。そんなこと、できるはずがない。していいはずがない。僕は常に、彼女を傷つけ続けている。僕が弱いせいで、僕が臆病なせいで、卑怯なせいで、彼女の大切な時間が、どんどんどんどん僕なんかのために消費されていく。そんなことはしちゃいけない。そんなこと、わかっているのに。
それでも僕は、たった一言の励ましが、言えないのだった。
なんとか、しなきゃ。
そう思っていた矢先、携帯電話が震えた。マナー違反だと思いつつも、携帯の画面を見る。するとそこには、彼女のお母さんの名前が、あった。
「はいもしもし」
何があったのだろう。わかりきった疑問を、僕はわざと浮かべてみる。
『もしもし、耶麻の母親です』
「こんばんは。何でしょうか?」
馬鹿丁寧なあいさつは、なんの予防線だろう。
『今すぐ、戻ってきて。……お願い』
なぜ、戻ってきてほしいのか。それは、訊くまでもない。
「……はい」
僕は、次の駅で降りた。
そしてまた。五駅、戻る。
大急ぎで改札を抜け、病院へ。駆け足で耶麻の病室がある階まで上がる。
「…………」
彼女の病室の前まで来ると、僕は睨まれた。
彼女のお父さん、彼女のお母さん、その両名に。
「……あなたと、話がしたいそうよ。二人っきりで」
お母さんが、目に恨みをこめて、僕にぶつけるように言った。
「……はい」
僕は怨嗟のような視線を受けながら、彼女の部屋に入る。
「うぅ……ッ!あぁっ!」
真っ先に、胸を押さえて苦しんでいる耶麻が、目に入った。
「……!」
僕は呻いて横たわる耶麻のもとに駆け寄り、手を握ろうとして、握れないことに気がついた。
彼女の右手は胸をきつく握りしめて、懸命に苦しみから逃れようとしている。
彼女の左手はもう、動かなかった。たくさんの点滴針と管につながれ、満足に動かすこともできなくなっている。
「うう……ッ!」
あまりに苦しいのか、それとももう目が見えていないのか……。彼女は、僕がそばにいるのにもかかわらず、何も言ってはくれない。当たり前か。自分が苦しいのに、僕なんかに、かまってられないだろう。
「……」
僕は、耶麻の手を握りしめる。もがく腕の上から、包み込むように。
「……うぅ……あ、あ……き、来てくれ……たんだ……」
「……」
耶麻。僕はここにいるよ。
「うん、……ありがと」
「……」
気にしないで。
「気にするよ」
通じ合っているみたいだった。僕は何もしゃべらない。でも、耶麻には、聞こえているかのようだった。
「……ありが、と」
「……何が?」
なんてことない、疑問。僕は、そんな形でしか言えなかった。でも、また、耶麻と話せた。
「……あ、こ、声、だ、出して、くれた……」
呼吸荒く、耶麻は言う。無理に、
「無理にしゃべらないで」
「だ、だいじょう、ぶ、だよ……」
もう、考えるのはやめた。変に考えて、後悔したくない。もしかしたら、最期かも知れないんだ。僕は、耶麻と、話したいんだ。
「大丈夫って……。無理しないで。君は、もう頑張ったんだから」
「……そ、それって、お、お母さんにも、言ってくれ、たよね?」
「うん。たたかれちゃったけど」
「あは……ごほ、ごほっ!……わ、私、そのこと、聞いて、嬉し、かったんだよ……?」
「どうして?」
僕は、意外だった。
「ちょ、ちょっと、待って……すう、はあ、すう、はあ……」
胸を握りしめていた彼女の手は、もう完全に僕の手を握っていた。
「……うん、これで、大丈夫、かな?」
「何したの?」
「おまじない。こうすると、少しだけ、よくなるの。本当に、少しだけだけど。……無口なせーじと話すんなら、十分だよ」
「そうだね。……でも、今の僕は少しだけやかましいかもしれないよ?」
「それでもいい。無視されるよりは、ずっと」
「無視なんて……ううん。ごめん」
「いいのいいの。私、不安だっただけだから。もしかしたらせーじが私のこと嫌いになっちゃったんじゃないかってずっと不安だった。……でも、今日、せーじが言ってくれたおかげで、私、すっごく安心できた」
「何が?」
「せーじは、私のことを本当に考えてくれてたんだ、って」
「……そんなこと」
「ううん。そんなことなかったら、あんなこと、言ってくれないよ。私、すっごい救われた。『死なせてあげたい』……おかーさんたちはすごくショックだったと思う。……私も親不孝なことしてると、考えてると思ってる。……でも、せーじが私が『死んでもいいんだ』、って思ってくれてる、ってわかったら、安心したの」
「ふつうは、ショックを受けるところだよ?」
「そうかもね。小説とか、マンガとかだったら、ここで私は怒って、『私のことどうでもいいって思ってるんだ!』って泣き叫ぶところだよね」
「そうそう」
「でもね、私は、救われたの」
「……どうして?」
「私、楽になったの。ああ、せーじだけは、私が死んでも納得してくれるんだ、って。おとーさんも、おかーさんも、『頑張れ、頑張れ』って。……うれしいけどさ。正直、疲れちゃうよ」
「君のことを思ってだよ」
「それなら、『頑張らなくてもいいんだよ』って言ってほしかった。『疲れたね、もうゆっくりお休み』って言ってほしかった」
「僕が言ってあげる」
「え?」
「僕が、言ってあげる。君はもう、頑張らなくてもいいんだ。……もう、疲れたろう?ゆっくり、休んでいいんだよ」
彼女の頬を、涙が流れた。
「あ、あれ?なんで、こんな、涙が、止まらないんだろう……?」
涙の理由は、彼女自身も、わからないようだった。
「……泣いても、いいんだよ。泣けばいい。最期ぐらい、みっともなく泣いて、わめいて、恨み事を言ってもいいんだよ。君は、頑張ったんだ」
病気にかかってからずっと、耶麻は頑張り続けた。辛い治療や手術、いろんなしたいことにも我慢して、ずっとずっと不平不満を言わずに、頑張ってきた。
「……ほ、ほんとに?う、ウザがったり、しない?」
「しないよ」
僕は自信を持って答える。ああ、言えなかったことが、すらすら言える。今まで、どんなに頑張っても、相槌ひとつ、打てなかったのに。
「……せーじ、せーじ……」
「……」
耶麻は、僕の手を離して、僕の頭を、つかもうとする。抱き寄せたいんだ、ってすぐにわかった。僕は逆に、耶麻を抱きしめる。すっかりやせ細ってしまった彼女の体が、頭に当たる。
「わ、私ね、せーじだから、言うんだよ?誰にも、言っちゃだめだからね?」
「わかってる」
僕がそう言うと、とたんに彼女は、嗚咽をこぼし始めた。
「……わ、私、死にたくないよ……。死にたくないよぉ……!こんな、こんな風になるのは、覚悟してたけど……それでも、それでも、や、やっぱり、怖いよぉっ!」
彼女は心の叫びを、僕にこぼしてくれる。もし、ついさっきまでの僕なら、固まって何も言えなかっただろう。でも、今は。
「……大丈夫。僕が、ずっといる」
今は、そんな言葉が自然に出てきた。
「無理だよぉ……!私、死んじゃうんだよ……?もうすぐ、私、心臓が止まって、息ができなくなって、苦しみながら死ぬんだよ?」
「……ずっといる」
「無理だって!」
「無理じゃない。僕は、君とずっといる。ついていく。君と、一緒について逝く」
僕は彼女に何を言っているのだろう。
「……うれしい、よ。うれしいって思っちゃったよ。思っちゃったけど、駄目だよ……。一緒に死ぬなんて、駄目だよ……」
「うれしいんだよね?」
「駄目、駄目!私が死ぬのはいいの。決まってることなの、もう動かせないの。でも、せーじは違うよ!せーじは、まだ、ずっと生きていけるの!なのに、私なんかに付き添って、一緒に死ぬことなんてないんだよ!」
「君と一緒なら、どこへでも」
「駄目!」
僕は再三主張するけど、耶麻はうなずいてくれない。
「駄目、駄目なの!せーじ、私の分も生きてよ!私が本当なら、こんな病気じゃなかったら生きてた時間を、せーじが生きてよ!私なんかに、ついてこないで!」
「……」
僕は、本当ならどういうべきだったんだろう。
「わかったよ」
「……ありがと」
やっぱり、許可してくれるまで、粘るべきだったんだろうか。
「……ふう。安心した」
「そう?」
「うん。せーじとお話しできた、せーじの前でみっともなく泣いた、せーじに慰めてもらった、せーじにお誘いしてもらった。全部全部うれしかった。だからね、だからね。もう、思い残すこと、何にもないの!」
どこか、諦めたような朗らかな声。抱きしめられているから、表情は見えないけど。でも、今の彼女が笑っているとは、到底思えなかった。だって、まだ、声は震えていたから。
「思い残すことないから、安心して死ねるの!私は、もう、怖くない!」
「……無理しないで。もっと、泣いてもいいよ?」
ぎゅ、とさらに抱きしめられる。
「……ありがと。じゃ、ちょっとだけ。……うっく、ぐす……。死にたく、ないよ……。助けて……助けてよ……」
それから、ずっと、彼女は泣いていた。
「……せ、せーじ」
「何?」
「……おわ、かれ、みたい」
「え?」
「……ほ、本当は、最期に見るのは、せ、せいじの顔だって決めてた、けど。私の、都合で、せいじが、困るのは、駄目。……だから、おかあさん、よんで、来て」
「……え」
「……もう」
呆然としている僕にあきれ返ったのか、彼女はゆっくりとした手で、ナースコールを押した。すぐに、病室のドアが開いて、彼女のご両親と先生が入ってきた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫?きっとよくなるわ、頑張って!」
「うん、がんばるよ」
そう言った彼女の声は、震えていた。嘘をつくのが、辛いのだろう。
「……おかーさん、おとーさん、生んでくださって、ありがとうございました」
「え?」
「育ててくださって、ありがとうございました」
急に、彼女は両親にお礼を言い始めた。それはまるで、遺書に書かれる文面のようだった。胸を押さえ、言葉が途切れないように『頑張って』、彼女は続ける。
「高校に入るお金や今まで育ててくれたお礼も恩も忘れて、私は先に旅立ちます。どうか、先立つ不孝をお許しください」
「そ、そんな。大丈夫さ。きっと、良くなる」
先生たちはもう結果が分かっているのか、何も言わず、看護婦さんはあまりの憐れさに目をそむけている。
「……静司君」
「なに?」
僕は普段と変わらぬ口調を心がけて、返事をした。
「私、もう死んじゃいます」
「そうだね」
冷淡に見えるだろうか。うん。僕だって我ながらひどいと思う。けど、これでいいんだ。僕たちは、これで。
「私を彼女にして、楽しかったですか?」
「もちろん。もう、君以外の人は好きになれそうにない」
「そうですか。私なんかを伴侶にしたら、大変ですよ?」
「大丈夫。いくらでも、美化できる」
「ふふふ……。やっぱり、静司君は面白いです。だから、私は好きになったんです」
「それは光栄だね」
涙が出そうだった。こんなにも辛い会話を、僕はしたことがない。
「私のことを忘れて……なんて、言えません。私、ひどい女です。ずっと、ずっと好きでいてほしいって思ってます」
「大丈夫。君以外は、好きにならない」
「……私が許してくれるだろう、って思った人になら、……浮気、許しちゃいますよ?」
「……ありがと」
僕は微笑んだ。
「じゃ、じゃあ、そろそろ苦しくなってきました。その、最期の瞬間は、見てほしいっていうのと顔がゆがむから見てほしくないっていうのとあるんですけど、どうしましょう?」
「……僕は」
「……出て行ってください」
「え?」
やっぱり、最期は家族と一緒がいいんだ。ま、仕方ないよね。
「最期は、恋人と一緒に過ごしたいです。……お願い、おとーさん、おかーさん。静司君と、一緒に居させて?」
「………………っ!」
最期の頼み。断るわけには、いかないんだろう。二人は僕にすごい目で睨んで、出て行った。
「……本当に、親不孝者です。私みたいなのは、賽の河原で石を積むのがお似合いです」
「……詳しいね」
「調べましたから。ずっと、石を積むことを命じられるそうですよ。ひとつ積んでは母のため、ふたつ積んでは父のため……っていうふうに」
「怖い?」
「……運命だと思って、諦めます」
「……そう」
「ええ。運命です。……だから、さよならならです」
だんだん、声が小さくなっていく。僕は耳を、彼女の口に寄せる。
「……さ、さいごに、ひとこ、と……」
「何?」
「あ、愛して、います……」
「僕も、君を愛してる」
自然と、僕は彼女の口を見つめて、そして、顔を寄せる。
先生もいて、看護婦さんもいるのに、僕は一体、何をしているんだろう。そんな、他愛もないことを考えながら。
僕たちは、最期のキスを、交わした。