第21章 - 最終決戦(前編)
夜の京都。静まり返った住宅街の一角に停めた車の中で、藤本カイトは無言のまま前方を見据えていた。視線の先には、中村アイコの家。玄関の灯りが柔らかく光り、彼の心臓をさらに強く打たせる。――失敗は許されない。作戦の全ては、彼女の冷静さにかかっていた。
数分後、一台の黒い高級車が家の前に停まった。降りてきたのは、田辺リョウイチ。完璧に仕立てられたスーツ、洗練された笑み。彼は余裕の歩みで玄関に近づき、インターホンを押す。
カイトの指先がハンドルを握り締める。――飛び出したい衝動を抑え込み、呼吸を整える。
扉が開き、アイコが現れた。驚いたように見せながらも、その瞳の奥は計算された冷静さで光っていた。
「リョウイチさん、時間ぴったりね。少し驚いたわ。」
「貴女のような方には、遅れるなんて失礼ですから。」軽く頭を下げるその仕草さえ、優雅に見える。
車内で聞くカイトの耳には、彼の甘ったるい声が届いていた。歯ぎしりしながらも黙って聞くしかない。
「さあ、夕食に行きましょうか?」
「……ええ、戸締りだけしてくるわ。」
玄関を閉める直前、アイコはふと暗がりに目を向けた。そこに潜むカイトの存在を確かめるように。――その刹那の合図が、彼女に勇気を与えた。
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車中の会話は他愛もないものだった。
「今日行くレストランは、京都でも一番の肉料理で有名なんですよ。」
「楽しみね。最近は外食なんて滅多にしないから。」アイコは笑顔を作る。
「それは光栄だ。僕を選んでくれたんですから。」
甘い言葉の応酬を、カイトは無言で聞き続けた。心を刺す棘のように、一つ一つが彼を苛んでいく。だが、それも任務の一部。――耐えるしかない。
やがて二人はレストランに到着した。煌々とした灯りの下、田辺は完璧に振る舞い、アイコは見事に「獲物」を演じていた。
――笑い声。視線。柔らかな相槌。
その全てが芝居だと分かっていても、カイトの拳は何度も震えた。
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食事を終えると、田辺は当然のように提案した。
「せっかくだし、僕の家で少しゆっくりしませんか?」
「……それはちょっと……。」アイコはわざと不安げに視線を落とす。
「心配はいらない。ただの一杯のワインですよ。」
――数秒の沈黙の後、アイコは頷いた。それは作戦進行の合図。
カイトはエンジンをかけ、彼らの車を尾行する。心臓が軋むように痛む。――この計画は、やはり狂気の沙汰だ。
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マンションに着くと、二人は三階へ。外から窓を見張るカイトは、銃を確認し、全神経を集中させた。
部屋の中。アイコは壁に掛かった絵を眺めるふりをしながら、緊張を隠していた。田辺はワインを注ぎ、得意げに言う。
「僕の家に招いた女性は、貴女で二人目なんですよ。」
「それは……光栄だわ。」
だが笑顔の裏で、彼女の鼓動は早鐘を打っていた。
「ちょっと席を外すよ。」田辺はバスルームへ。
アイコはすぐに小声で囁いた。
「カイト……今よ。」
瞬時に彼は車を飛び出し、階段を駆け上がる。
その頃、戻ってきた田辺の手には長い刃の輝き。艶やかな笑みと共に囁く。
「完璧だ……悲鳴すら必要ない。」
アイコは微笑み返した。
「……残念ね。」
バッグから拳銃を抜き、胸元に突きつける。
「間違った女を選んだわね。」
驚愕する田辺。その瞬間、扉が開き、カイトが飛び込み、銃のグリップで男のこめかみを殴りつけた。リョウイチは床に崩れ落ち、気絶する。
「ちょっと乱暴すぎない?」アイコが眉を上げる。
「安全第一だ。」カイトは息を吐いた。
二人はロープで田辺を縛り、意識が戻るのを待った。やがて彼は目を開き、冷たい笑みを浮かべる。
「お前たち、本当に分かっていないな。誰を相手にしているのか。」
カイトの圧力に屈し、ついに吐いた情報。
――今夜、郊外の廃工場で「荷物」を渡す予定。仲間が待っている。
「……だが、後悔するぞ。」不気味な笑みを残して。
カイトは山本レイコに連絡を入れる。
「廃工場だ。今夜、奴らが動く。」
『待て、危険すぎる。すぐに応援を向かわせる。』
「遅れれば、犠牲者が出る。俺たちが先に行く。」
レイコは渋々了承し、増援を手配する。
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深夜。郊外の廃工場。錆びついた鉄骨と、闇に沈む広い空間。静寂が不気味に響く。
「……静かすぎるな。」カイトは囁く。
二人が進むと、中央に小さな机。その上に枯れた一輪の花、そして血の染みた紙切れ。
カイトが拾い上げ、声に出す。
「……『申し訳ない』?」
アイコが顔を上げた瞬間――叫んだ。
「カイト、後ろ!」
振り返ると、十人の男たちが銃や鉄パイプを構え、取り囲んでいた。その中心には見知らぬ男。そして――隣に立つのは、先ほど倒したはずの田辺リョウイチ。傷一つなく、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「ようこそ、探偵さんたち。」両手を広げる田辺の声が、廃工場に反響する。
笑い声が、冷たい鉄の壁にいつまでも木霊した。
――最終決戦の幕が、今まさに上がったのだった。




