第18章 ―盗賊の贖罪―
夜の京都に静けさが降りていた。藤本カイトの家は質素で整えられ、本棚には古びた資料や調査で使った道具が並んでいる。その居間で星野ユメは部屋を見渡し、にやりと笑った。
「悪くないじゃない、探偵さん。でも高そうな絵画は一つもないのね。」
カイトは眉をひそめ、乾いた声で返す。
「俺は美術泥棒じゃない。」
ユメは小さく笑った。
「それならいいわ。ちょっと確かめたかっただけ。」
彼は黙って鍵を手に取り、ドアへ向かう。
「行くぞ。仕事だ。」
二人は夜の闇へと歩み出した。
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車内はしばらく沈黙に包まれていた。ユメが口を開く。
「工場は港の近く。あそこに奴が隠れてる。冷酷で計算高い男よ。子供を人質に使うことも平気でやる。」
カイトは横目で彼女を見た。いつもの軽薄さはなく、真剣な眼差しだった。
「本当に確かか?」
「ええ、間違いないわ。私の目で見たもの。」
廃工場に着くと、錆びた鉄と潮の匂いが漂っていた。壁はひび割れ、窓は割れている。ユメが囁く。
「ここで止めて、カイト。見張りがいるわ。」
入り口には屈強な男たちが三人、バットを手に立っていた。ユメはふっと笑みを浮かべる。
「任せて。」
カイトが止める前に、彼女は男たちへ歩み寄った。
「すみません、道に迷ってしまって……」
一人が鼻で笑い近づいた瞬間、ユメは小さなスプレーを取り出し、霧を吹きかける。三人はその場に崩れ落ちた。
カイトが目を見開く。
「何だ、それは。」
「象用の麻酔。数時間は起きないわ。」
彼は深いため息をつき、頭を振った。
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工場の敷地内。七人の男たちが鉄パイプを手に巡回している。奥には頑丈な扉。ユメが低く言う。
「撃つしかないわ。」
カイトは首を振る。
「非武装の人間は撃てない。俺には出来ん。」
彼女は苛立ちを隠さず、単独で動こうとした。だがカイトが缶を蹴ってしまい、音が響く。男たちが一斉に振り向いた。
「誰だ!」
瞬く間に囲まれる。ユメは上方の窓へ飛びつき、ひらりと身を翻す。
「ごめんね、探偵さん。ここからは一人で頑張って!」
「ユメ!」
叫びもむなしく、カイトは一人で立ち向かった。数で圧倒されながらも、彼の動きは研ぎ澄まされていた。警官時代に培った技術で次々と相手を倒す。最後の男が崩れ落ち、息を荒げながらもカイトは立っていた。
扉を蹴破り、中に入ると異臭が漂っていた。そこには筋骨隆々の男が待ち構えていた。その傍ら、床に倒れるユメの姿。
「こいつがヒーローか? ユメ、お前も随分な芝居をする。」
ユメは声を出せずに睨むだけ。カイトが一歩前に出る。
「お前の話には興味はない。ここで終わりだ。」
巨体が笑い声を上げ、突進してきた。鈍い衝撃が部屋を揺らす。カイトは身をかわし、必死に耐えた。ユメが近くの花瓶を投げる。
「カイト、これ!」
彼はそれを受け取り、渾身の力で相手の頭に叩きつけた。巨漢はよろめき、うめき声を上げて崩れ落ちた。
「助かった。」
ユメは弱々しく笑う。
「どういたしまして、ハンサムさん。」
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地下室には怯えた子供たちが鎖につながれていた。ユメが膝をつき、優しく声をかける。
「もう大丈夫。怖くないわ。」
カイトは鎖を壊し、一人一人を解放していった。そのとき、外からサイレンが響く。警察が突入し、子供たちは保護された。
指揮官がカイトの肩を叩く。
「よくやったな、藤本。奴らは全員裁かれる。」
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夜遅く、カイトはユメと彼女の姪を家まで送り届けた。少女は泣きながら家族に抱きついた。ユメは振り返り、いたずらっぽく微笑む。
「ねえカイト、私……行くところがないの。だから、あなたと一緒でもいい?」
「泥棒と組む気はない。」
「じゃあ……探偵助手ってことで。」
彼は苦笑し、何も答えなかった。
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翌朝。カイトが目を覚ますと、隣の布団は冷たかった。枕元には小さな手紙。
『カイト、昨夜はありがとう。あなたなら必ず子供たちを救ってくれると信じていたわ。いつかまた会えるといいわ。その時は仲間として――。星野ユメ』
彼は小さく笑い、手紙を引き出しにしまった。胸の奥で何かが疼く。しかし確信していた。星野ユメとは、必ずまた道が交わると。