第10章 – 待ち伏せ
シーン1:準備
カイトの事務所、18:45
机上のランプが、散らばった書類や写真の海を淡く照らしていた。煙草の煙がゆっくりと渦を巻き、天井へと昇っていく。
カイトは血塗られた唇の殺人鬼に関するメモや証拠を、もう一度丁寧に確認していた。
壁には新聞記事、法医学写真、そして京都の地図が、不気味なコラージュのように貼り付けられている。
最新の手掛かり──サトルが解読してくれたもの──がまだ頭に鮮明に残っていた。
「もしあの野郎が本当に俺を追っているなら、必ず仕掛けてくる…」
女の唇を切り取った死体の映像が、妻の面影と重なった。カイトは目を閉じ、頭を振って振り払おうとしたが、痛みは離れなかった。
「サトルの言う通り…これは予想以上に危険だ」
カイトは電話を取り、サトルの番号を押した。
『はい?』キーボードの打鍵音が背後で響いていた。
「もっと大胆な手を打つ。あいつは近いうちに俺を狙ってくる」
打鍵音が止んだ。
『本気か?』
「ああ。もし何か不審な動きがあったり、俺と連絡が取れなければ…最悪の事態だと思え。気を付けてくれ」
『カイト…馬鹿なことはするなよ』
「必要なら、馬鹿じゃない」
カイトは返事を待たずに通話を切った。
彼は立ち上がり、拳銃をホルスターに収め、予備のマガジン、折り畳みナイフ、戦術用ライトをジャケットの内ポケットに滑り込ませた。
窓から夜の冷気が忍び込んでくる。事務所を閉める時間だった。
シーン2:予期せぬ遭遇
京都の埠頭近くの人けのない通り、21:15
潮と金属の匂いを帯びた海風が吹き抜ける。埠頭のランプが時折ちらつき、通りを不安定な影に染めた。
カイトはポケットに手を入れたまま、無言で歩いていた。何かがおかしい。
数メートル後ろで、一定のリズムで響く足音。角を曲がるたびに、同じ音がついてくる。
「一つ、二つ、三つ…足音は三人分」
通行人の歩調ではない。
カイトは歩調を速め、よく知る路地に入った。そこを抜ければ、車を停めてある駐車場に出られる。
だが途中で、三つの人影が行く手を塞いだ。
中央に立つ男は、革ジャンを羽織り、頬に大きな傷跡がある。黄ばんだ歯を見せて笑った。
「余計なところに首を突っ込んだな、探偵さん」男は手にしたバットを弄びながら言った。
カイトは表情を変えず、一歩前へ出た。
「誰に雇われた? 女を殺しているのと同じ奴か?」
別の一人が鼻で笑った。
「俺たちは質問しねぇ。ただ命令を遂行するだけだ」
「なら…叩き出して聞くまでだ」
中央の男がバットを振り上げて突進してきた。
カイトは身をかわし、肘を相手の脇腹に打ち込む。男が呻く間もなく、バットを奪い取り、その膝を叩き折った。悲鳴と共に男は倒れ込んだ。
二人目がナイフを手に突っ込んできた。カイトは斬撃をかわし、バットで相手の手首を叩く。ナイフが床に落ちた瞬間、側頭部へ追撃。男は昏倒した。
三人目は仲間の様子を見て後退し、次の瞬間には闇の中へ逃げ去った。
「おい!」カイトは叫んだが、追わなかった。まずは倒れた二人の確認が先だ。
ポケットを探ったが、身分証はない。安物の携帯が一台──SIMカードは抜かれていた。
「やっぱり使い捨てか…」
シーン3:サトルの部屋にて
サトルのアパート、22:05
カイトがドアをノックすると、サトルが開けた。
「眉に切り傷、手は血まみれじゃないか。何があった?」
「こいつらだ」カイトは部屋に入り、バットをソファに放り投げた。「俺を消したい奴がいる」
サトルはドアを閉め、鍵をかけた。
「言っただろ、カイト。あいつは正々堂々なんてやらない」
カイトは椅子に腰を下ろした。
「分かってる。だが俺が先に見つけ出す」
サトルはバットを手に取り、眺め、首を振った。
「雇われただけだな。雇い主の名前すら知らないだろう」
「ああ。でも俺を脅すか殺すか、そのどちらかを望んでる」
「こんな調子で攻撃を受け続けるわけにはいかない。計画を立てないと」
「計画は立てるさ。ただ、お前にはこれからも暗号を解いてもらう」
「任せろ」サトルは真剣な目で彼を見つめた。「ただ…死体になって持ち帰るなよ」
カイトはわずかに笑った。
「善処する」
シーン4:最後のメッセージ
埠頭近くの廃墟、23:30
湿ったカビ臭い壁が声の反響を吸い込んでいた。
薄暗い部屋、揺れる電球の下で、三人のチンピラが跪き、影に包まれた人物の前にいた。
男はじっと座ったまま、膝の上で手を組んでいる。光に照らされているのは口元だけ。
「探偵一人に手こずったそうだな」低く冷たい声が響いた。
傷跡の男が唾を飲み込む。
「す、すみません…予想以上に…」
「言い訳は聞かん」男はゆっくりと立ち上がった。「俺の計画に失敗は許されない」
ジャケットに手を入れる。三人の目に動揺が走った。
次の瞬間、鈍い金属の光がちらついた。
三発の銃声。三つの体が床に崩れ落ちた。火薬と血の匂いが混ざり合う。
男は銃を収め、割れた窓辺に歩み寄った。遠くに埠頭が見える。
「藤本探偵…」闇に笑みが浮かぶ。「思っていたより面白い。次は…逃げられんぞ」