第10話:裏切りと分裂の危機
沈黙の谷は、その名の通り不気味な静寂に包まれていた。
峡谷の両側には切り立った岩壁がそびえ立ち、谷底には古代の遺跡群が点在している。風すら吹いていないかのような完全な静寂の中で、《蒼き観察者》の一行は慎重に歩を進めていた。
「ここが沈黙の谷ですか」
セリスが呟いた。彼女の声すら、谷の静寂に吸い込まれるように小さく聞こえる。
「魔法の反応が異常に弱いですね」
「この谷には、音と魔法を吸収する特殊な鉱物が含まれているんだ」
レックスが説明した。彼は以前、別の依頼でこの地域を訪れたことがあった。
「だから『沈黙の谷』と呼ばれている」
ミナトは《理知の眼》で谷全体を観察していた。すると、通常の視覚では見えない多くの情報が得られた。
「古代文明の遺跡が、想像以上に多く存在しています」
「どのくらいですか?」
「少なくとも12の遺跡群。それぞれが異なる時代、異なる文明のもののようです」
《理知の眼》によって、各遺跡の年代、用途、危険度まで詳細に分析できる。そして、その中の一つから、強力な魔法的反応を感知していた。
「あそこです」
ミナトが指差した先には、谷の最奥部にある巨大な石造建築があった。他の遺跡とは明らかに異なる、威圧的な存在感を放っている。
「魔王が待っているのは、あの遺跡ですね」
三人は慎重に最奥の遺跡に向かった。途中、いくつかの小さな遺跡を通り過ぎたが、それらからも危険な魔法的残滓を感じ取ることができた。
「この谷全体が、禁断の知識の宝庫なんですね」
「ええ。そして、それらを封印するのが今回の任務です」
遺跡の入り口に到着すると、そこに見覚えのある人影が待っていた。
しかし、それは魔王ゼル・エンブリオではなかった。
「お疲れさまです」
現れたのは、《鋼鉄の刃》のリーダー、ガロン・ブラックスミスだった。
「ガロンさん?なぜここに?」
ミナトは困惑した。魔王から届いたメッセージには、他の冒険者について言及はなかった。
「実は、我々も同じ依頼を受けているんです」
ガロンが依頼書を見せた。
「『沈黙の谷の危険遺跡封印作業』。王国考古学会からの正式な依頼です」
「でも、僕たちは魔王から直接…」
「魔王?」
ガロンの表情が変わった。
「まさか、魔王ゼル・エンブリオと接触しているんですか?」
「はい。平和的な解決を図り、協力関係を築きました」
「協力関係?」
《鋼鉄の刃》の他のメンバーも姿を現した。盗賊のロック、魔法使いのマリア、僧侶のベネディクト、弓使いのアーチャー。全員が警戒した表情を見せている。
「魔王と協力するなんて、正気ですか?」
マリアが厳しい口調で言った。
「魔王は世界の敵です。協力などありえません」
「でも、実際に平和的解決が…」
「騙されているんですよ」
ベネディクトが神殿の僧侶らしい口調で断言した。
「魔王の甘い言葉に惑わされている」
「そんなことはありません」
ミナトは《理知の眼》でガロンたちを観察した。すると、彼らの心の奥に強い敵意と不信があることが分かった。
しかし、同時に純粋な正義感もある。彼らは本当に世界の平和を願っているが、魔王との協力は受け入れ難いのだ。
「とにかく、魔王との接触は危険すぎます」
ガロンが決断した。
「我々と一緒に行動してください。魔王から距離を置くべきです」
「でも、約束が…」
その時、遺跡の奥から声が響いてきた。
『観測者よ、来たのですね』
魔王ゼル・エンブリオの声だった。しかし、以前とは何かが違う。声に緊張と警戒の色が混じっている。
『予想していませんでした。他の者たちも来ているとは』
巨大な影が遺跡から現れた。魔王の姿だったが、完全に顕現しているわけではない。半透明の状態で、実体と霊体の中間のような存在感だった。
「魔王!」
《鋼鉄の刃》のメンバーが一斉に武器を構えた。
「ついに姿を現したな」
「待ってください」
ミナトが仲裁に入った。
「魔王は敵ではありません」
『観測者の言う通りです』
魔王が穏やかな口調で話した。
『私は争いを望んでいません。ただ、この谷に眠る危険な知識を封印したいだけです』
「魔王の言葉など信用できません」
ロックが短剣を握りしめた。
「必ず裏があるはずです」
『裏などありません』
魔王が少し苛立った声を出した。
『なぜ理解してもらえないのでしょうか』
状況は悪化していた。《蒼き観察者》と《鋼鉄の刃》の間に深い溝が生まれ、魔王への対応を巡って対立が生じている。
「皆さん、落ち着いてください」
セリスが仲裁を試みた。
「まずは話し合いましょう」
「話し合い?」
マリアが嘲笑した。
「魔王を信用するなんて、正気の沙汰ではありません」
「でも、実際に平和的解決が成功したんです」
レックスが反論した。
「魔王は約束を守り、王都での被害も阻止しました」
「それは魔王の策略です」
ベネディクトが断言した。
「神殿の教えでは、魔王は絶対悪とされています」
「神殿の教え?」
ミナトが《理知の眼》でベネディクトを詳しく観察した。すると、興味深いことが分かった。
彼の記憶の中に、神殿の上層部から受けた秘密の指示があった。「魔王との協力は絶対に阻止せよ」「必要なら転生者を排除することも辞さない」という内容だった。
「ベネディクトさん、あなたは神殿から何か指示を受けていませんか?」
「何のことですか?」
ベネディクトが動揺した。
「そんな指示など…」
「《理知の眼》で見えています」
ミナトがはっきりと言った。
「神殿の上層部から、魔王との協力を阻止せよと指示されていますね」
「なっ!」
ベネディクトの顔が青ざめた。
「どうして…そんなことが分かるのですか」
「やはりそうでしたか」
セリスが険しい表情になった。
「神殿は魔王との平和的解決を望んでいないんですね」
『興味深い』
魔王が呟いた。
『神殿の本音が見えてきました』
「魔王、あなたは知っていたんですか?」
『薄々は感じていました。神殿には、私と敵対し続けることで利益を得ている者たちがいるのです』
恐ろしい真実が明らかになり始めた。
神殿の一部勢力が、魔王との平和的解決を妨害しようとしている。なぜなら、魔王という敵が存在することで、神殿の権威と影響力が維持されるからだ。
「つまり、神殿は平和よりも自分たちの地位を優先しているということですか?」
「全ての神殿がそうではありません」
ベネディクトが慌てて弁明した。
「しかし、確かに一部の上層部には、そのような考えの者もいます」
「それで、《鋼鉄の刃》に接触したんですね」
ミナトが推理した。
「魔王との協力を阻止するために」
「我々は純粋に世界の平和を願っています」
ガロンが反論した。
「神殿の思惑とは関係ありません」
しかし、《理知の眼》で見ると、ガロンの記憶にも神殿関係者との接触があった。報酬の約束、地位の向上、様々な見返りが提示されていた。
「ガロンさん、あなたも神殿から何らかの見返りを約束されていますね」
「…」
ガロンが沈黙した。事実を否定することができなかった。
「騙されていたんですか?」
レックスが憤慨した。
「最初から僕たちを妨害するつもりだったんですね」
「そうではありません」
マリアが弁解した。
「私たちは本当に世界の平和を願っています。ただ、魔王との協力は危険すぎると思うのです」
状況は複雑だった。《鋼鉄の刃》のメンバーは悪意ではなく、純粋な正義感から行動している。しかし、神殿の一部勢力に利用されている面もある。
『観測者よ』
魔王が静かに語りかけた。
『これが現実です。平和的解決を望まない者たちが、必ず妨害してきます』
「でも、諦めるわけにはいきません」
ミナトは決意を固めた。
「必ず理解してもらいます」
その時、遺跡の奥から新たな反応があった。
《理知の眼》で感知すると、強力な魔法的エネルギーが活性化している。何者かが遺跡内部の封印を解除しようとしているのだ。
「誰かが遺跡に侵入しています」
「誰ですか?」
「分からない。でも、封印を破ろうとしています」
『まずい』
魔王が焦った。
『あの遺跡には、世界を破滅に導く禁断の魔法が封印されています』
「どんな魔法ですか?」
『《現実改変魔法》です。現実そのものを書き換える危険な技術です』
恐ろしい魔法だった。もし悪用されれば、世界の法則そのものが変わってしまう可能性がある。
「急いで阻止しなければ」
「待ってください」
ガロンが制止した。
「魔王と行動を共にするわけにはいきません」
「でも、緊急事態です」
「我々だけで対処します」
《鋼鉄の刃》が遺跡に向かおうとしたが、その時更なる事態が発生した。
遺跡の入り口から、見覚えのある人影が現れたのだ。
「こんなところで何をしているんですか?」
現れたのは、《雷光の剣》の勇者カイルだった。しかし、その表情は以前とは明らかに違っている。冷たく、計算的な眼差しで一行を見つめていた。
「カイル?なぜここに?」
ミナトが驚いた。カイルたちには沈黙の谷のことは話していなかった。
「偶然ですよ」
カイルが不自然な笑みを浮かべた。
「たまたま近くで依頼を受けていて、魔法的な異常を感知したんです」
しかし、《理知の眼》で観察すると、カイルの言葉は嘘だと分かった。彼は最初からここに来る予定だったのだ。そして、その背後には神殿の影があった。
「カイル、あなたも神殿から指示を受けているんですね」
「何のことですか?」
カイルがとぼけたが、その記憶は《理知の眼》に筒抜けだった。
神殿の高位聖職者から、秘密の任務を与えられていた。「魔王との協力を阻止し、必要なら《蒼き観察者》を無力化せよ」という内容だった。
「裏切ったんですね」
ミナトは深い失望を感じていた。信頼していた仲間が、陰で自分たちを裏切っていたのだ。
「裏切りじゃありません」
カイルが弁明した。
「僕は正しいことをしているんです。魔王と協力するなんて、間違っています」
「僕たちは友達じゃなかったんですか?」
「友達です。だからこそ、間違った道から引き戻したいんです」
カイルの正義感は本物だった。しかし、その正義感が神殿によって歪められ、利用されている。
『悲しいものですね』
魔王が呟いた。
『善意が悪意に利用される。これが人間社会の現実です』
「魔王、黙っていてください」
カイルが剣を抜いた。
「あなたの甘い言葉にはもう騙されません」
「カイル、やめろ」
レックスが割って入った。
「魔王は敵じゃない」
「レックスまで洗脳されているのか」
カイルが悲しそうな表情を見せた。
「みんな、魔王に騙されているんだ」
状況は最悪になっていた。
《蒼き観察者》と《雷光の剣》《鋼鉄の刃》の三つのパーティが対立し、魔王を挟んで複雑な関係になっている。そして、遺跡内部では何者かが禁断の魔法を解放しようとしている。
その時、遺跡から強烈な魔法的爆発が起きた。
《現実改変魔法》の封印が破られたのだ。
周囲の空間が歪み始め、重力の方向が変わり、物質の性質が変化し始めた。草が金属に変わり、石が液体になり、空気が固体化する。現実の法則そのものが不安定になっていた。
「誰がやったんだ」
「遺跡の中を調べましょう」
しかし、現実改変の影響で遺跡内部に入ることは危険だった。空間が不安定で、一歩間違えば異次元に飲み込まれる可能性がある。
『私が案内しましょう』
魔王が提案した。
『現実改変魔法には詳しいのです』
「信用できません」
カイルが反対した。
「魔王の策略かもしれません」
「でも、他に方法がありません」
ミナトが決断した。
「《理知の眼》と魔王の知識を組み合わせれば、安全に進めるはずです」
「ミナト、君まで…」
カイルが絶望したような表情を見せた。
「もう止められないのか」
その時、遺跡の奥から新たな人影が現れた。
現れたのは、意外にも神殿の大司祭マクシミリアンだった。
しかし、その姿は以前とは大きく異なっていた。邪悪な魔力のオーラを纏い、目は赤く光っている。明らかに何かに取り憑かれているか、魔法によって変質している。
「大司祭様?」
ベネディクトが驚いた。
「なぜここに?」
「愚かな者たちよ」
マクシミリアンが邪悪な笑みを浮かべた。
「お前たちの争いのおかげで、計画が順調に進んだ」
「計画?」
「《現実改変魔法》の解放です」
マクシミリアンが手に持っているのは、古代の魔法具だった。それが現実改変魔法の制御装置らしい。
「なぜそんなことを?」
「神殿の真の目的のためです」
マクシミリアンが真実を語り始めた。
「我々は1000年間、魔王という敵を利用して権力を維持してきました。しかし、平和的解決などされてしまえば、神殿の存在意義がなくなってしまいます」
「それで、わざと危険な魔法を解放したんですか?」
「そうです。世界に新たな脅威を作り出し、再び神殿の権威を確立するのです」
恐ろしい陰謀だった。神殿の一部勢力が、自分たちの権力維持のために世界を危険に晒していたのだ。
『やはりそうでしたか』
魔王が悲しそうに呟いた。
『人間の中にこそ、真の悪が潜んでいる』
「大司祭様、正気に戻ってください」
ベネディクトが必死に呼びかけた。
「そんなことをすれば、世界が破滅してしまいます」
「破滅?」
マクシミリアンが高笑いした。
「破滅こそが目的です。現在の世界を一度リセットし、神殿が支配する新しい世界を作り上げるのです」
《現実改変魔法》の影響がさらに拡大していた。
谷全体が異常な状態になり、物理法則が不安定になっている。このままでは、影響が王都まで達する可能性がある。
「何とか阻止しなければ」
「でも、どうやって?」
「《理知の眼》で制御装置を分析してみます」
ミナトは魔法具を詳しく観察した。複雑な古代魔法の構造が見えてくる。
「制御装置には弱点があります。特定の周波数で魔法を当てれば、停止させることができるかもしれません」
「どんな魔法ですか?」
「複数の属性魔法を同時に使用する必要があります」
「それは…」
セリスが考え込んだ。
「一人では不可能ですね」
「みんなで協力すれば可能です」
ミナトが提案した。
「《蒼き観察者》《雷光の剣》《鋼鉄の刃》、そして魔王。全員で協力すれば」
しかし、パーティ間の対立は深刻だった。
「魔王と協力するなんて」
カイルが拒否した。
「僕にはできません」
「カイル、今は非常事態です」
「分かりません」
ガロンも迷っていた。
「魔王を信用していいのか判断がつきません」
その時、マクシミリアンが攻撃を仕掛けてきた。
現実改変魔法によって、空間を歪ませ、重力を操作し、物質を変化させて一行を攻撃する。
「うわあああ!」
地面が突然液体になり、カイルが沈み始めた。
「カイル!」
ミナトが《理知の眼》で空間の安定化を図る。
『私も手伝いましょう』
魔王が協力して、カイルを救出した。
「魔王…」
カイルが困惑した。
「なぜ僕を助けるんですか?」
『あなたも大切な存在だからです』
「大切な…存在?」
『はい。敵味方に関係なく、すべての生命は尊重されるべきです』
魔王の言葉に、カイルの心が動いた。
マクシミリアンの攻撃は激しさを増していた。
現実改変魔法により、周囲の環境が次々と変化する。安全な場所がどこにもない状況だった。
「このままでは全滅してしまいます」
「やはり協力するしかありません」
ガロンが決断した。
「魔王の正体はともかく、今は共通の敵がいます」
「そうですね」
カイルも納得した。
「魔王より、あの大司祭の方が危険です」
こうして、ついに四つの勢力が協力することになった。
《蒼き観察者》《雷光の剣》《鋼鉄の刃》、そして魔王ゼル・エンブリオ。
「作戦を説明します」
ミナトが指揮を取った。
「制御装置を停止させるため、五属性の魔法を同時に当てる必要があります」
「五属性?」
「火、水、土、風、そして闇です」
「闇属性は魔王が担当します」
『承知しました』
「火属性はセリスさん、水属性はマリアさん、土属性はベネディクトさん、風属性はカイルさん」
「分かりました」
「僕とレックスさん、ガロンさんは、マクシミリアンの妨害を阻止します」
「了解」
作戦が開始された。
マクシミリアンは現実改変魔法で激しく抵抗したが、四つのパーティの連携によって徐々に追い詰められていく。
「火属性魔法、発射!」
「水属性魔法、発射!」
「土属性魔法、発射!」
「風属性魔法、発射!」
『闇属性魔法、発射』
五つの魔法が制御装置に命中すると、装置から強烈な光が発せられた。そして、現実改変魔法の効果が徐々に収まっていく。
「やった!」
「成功です」
しかし、マクシミリアンは最後の悪あがきを試みた。
「ならば、この身と引き換えに」
自爆魔法を発動しようとしたのだ。
「危険です!」
その時、魔王が身を挺してマクシミリアンを押さえ込んだ。
『私が止めます』
「魔王!」
魔王は自分の魔力を使って、マクシミリアンの自爆魔法を封じ込めた。しかし、その代償として魔王自身も重傷を負ってしまった。
『観測者よ…みんなが無事でよかった…』
魔王の姿が薄くなり始めた。自爆魔法を封じるため、自分の存在力を消耗してしまったのだ。
「魔王、しっかりしてください」
『もう長くはありません…』
「そんな…」
カイルが涙を浮かべた。
「僕は間違っていました。あなたは本当に平和を願っていたんですね」
『分かってもらえて嬉しいです』
魔王が微笑んだ。
『これで…真の平和が訪れるでしょう…』
魔王ゼル・エンブリオの姿が完全に消えた。
現実改変魔法の事件は解決したが、大きな犠牲を伴った結果となった。
マクシミリアンは魔法的な拘束具で封印され、王国に護送されることになった。神殿内部の腐敗についても、徹底的な調査が行われることになった。
「魔王は…本当に良い存在だったんですね」
カイルが反省していた。
「僕は偏見に囚われていました」
「仕方ありません」
ミナトが慰めた。
「神殿の洗脳工作もありましたし」
「でも、真実を見抜けなかった自分が情けないです」
「これからは、もっと慎重に判断しましょう」
ガロンも反省していた。
「神殿の甘い言葉に騙されました」
「でも、最後は正しい選択をしました」
セリスが励ました。
「それが重要です」
四つのパーティは、今回の事件を通じて深い絆を築くことができた。最初は対立していたが、共通の危機に直面することで、真の協力関係が生まれた。
「これからも協力していきましょう」
「はい」
「きっと、また困難が待ち受けているでしょう」
「でも、みんなで力を合わせれば乗り越えられます」
沈黙の谷から王都への帰り道、ミナトは魔王のことを考えていた。
最後まで平和を願い、みんなを守るために自分を犠牲にした魔王。彼こそが真の英雄だったのかもしれない。
「魔王の意志を継いで、平和な世界を作っていきましょう」
「そうですね」
仲間たちも同意した。
しかし、ミナトは知らなかった。魔王ゼル・エンブリオは完全に消滅したわけではないということを。
彼の意識の一部は、《理知の眼》と共鳴して、ミナトの心の奥深くに宿っていたのだ。
そして、いつの日か、真の最終試練の時に、再び力を貸してくれることになるのだった。
だが、それはまだ先の話。
今は、新たに築いた仲間たちとの絆を大切にして、一歩ずつ平和な世界を作っていくことが重要だった。
《蒼き観察者》《雷光の剣》《鋼鉄の刃》の三つのパーティが協力すれば、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
ミナトの《理知の眼》も、また新たな段階に入ろうとしていた。魔王の記憶と知識を受け継ぎ、さらなる進化を遂げる準備が整いつつあった。
世界には、まだ多くの秘密と危険が隠されている。しかし、信頼できる仲間たちと共に歩めば、必ず希望の光を見つけることができるだろう。
王都に戻った一行は、まず王国政府への報告を行った。
「沈黙の谷の事件、お疲れさまでした」
王国騎士団長アルベルト・ハイムが労いの言葉をかけてくれた。
「神殿内部の腐敗について、詳しく報告してください」
会議室には、王国の重要人物が集まっていた。国王、宰相、各省庁の長官、そして神殿の新しい代表者たち。
マクシミリアンの陰謀が発覚したことで、神殿内部では大規模な粛清が行われていた。腐敗した聖職者たちが排除され、真に平和を願う者たちが新しい指導部を形成している。
「今回の事件で、我々は重要な教訓を得ました」
国王が厳粛な表情で語った。
「権力は常に腐敗の危険を孕んでいる。それを防ぐためには、相互監視と透明性が必要です」
「はい、陛下」
新しい大司祭となったベネディクトが答えた。彼は《鋼鉄の刃》のメンバーだったが、今回の事件で神殿改革の中心人物として選ばれた。
「今後は、神殿の活動をより開かれたものにしていきます」
「それと、魔王ゼル・エンブリオについてですが」
宰相が重要な話題を切り出した。
「彼の最期の行動を考慮し、王国としては名誉回復を検討しています」
「名誉回復?」
ミナトが驚いた。
「はい。1000年間『絶対悪』とされてきた魔王でしたが、実際は平和を願っていたことが判明しました」
「歴史の修正が必要でしょう」
国王が決断した。
「真実に基づいた歴史を後世に伝えるべきです」
これは画期的な決定だった。魔王の名誉回復により、偏見と憎悪の連鎖を断ち切ることができる。
「ミナト・カワグチ」
国王がミナトを呼んだ。
「君の《理知の眼》による真実の発見に、深く感謝している」
「ありがとうございます」
「今後も、その力を世界の平和のために使ってくれることを願う」
「はい。必ず」
会議後、三つのパーティは合同で祝賀会を開いた。
『王都の星』の最上階にある特別な宴会場で、豪華な料理とワインが振る舞われた。
「今回は本当にお疲れさまでした」
ガロンがグラスを掲げた。
「最初は対立しましたが、最終的に協力できてよかったです」
「こちらこそ」
カイルが応じた。
「僕の偏見のせいで、みんなに迷惑をかけました」
「気にしないでください」
ミナトが微笑んだ。
「誰でも間違いはあります。大切なのは、間違いに気づいて修正することです」
宴会は深夜まで続いた。普段は競合関係にある三つのパーティが、心から打ち解けて交流している。
「これからも協力していきましょう」
「定期的に合同訓練をしませんか?」
「良いアイデアですね」
新しい協力関係の基盤が築かれていた。
しかし、祝賀会の最中に、ミナトは奇妙な感覚を覚えていた。
《理知の眼》に、微かな異変が生じているのだ。魔王の消失以来、時々別の意識の断片が混じり込んでくることがある。
『観測者よ…』
魔王の声が、心の奥から聞こえてくる。
『私の記憶と知識が、あなたに受け継がれています』
「魔王…まだ存在していたんですね」
『完全ではありませんが、意識の一部はあなたの中に残っています』
『これからも、あなたを支援していきます』
不思議な感覚だった。敵だった存在が、今は心強い味方になっている。
『ただし、注意が必要です』
「何にですか?」
『私の記憶には、この世界の深い秘密が含まれています』
『それらの知識は、使い方を間違えれば危険です』
「どのような秘密ですか?」
『いずれ分かる時が来るでしょう』
『今はまだ、あなたには重すぎる真実です』
魔王の謎めいた言葉に、ミナトは不安を感じた。この世界には、まだ知らない大きな秘密があるのだろうか。
翌日、ミナトは王国図書館で古代文献の研究を続けていた。
魔王から受け継いだ記憶の中に、興味深い情報があったからだ。
「『世界樹理論』について調べているんですか?」
セリスが資料を覗き込んだ。
「はい。魔王の記憶に、この理論に関する重要な情報がありました」
世界樹理論は、古代エルヴァナ文明が提唱した仮説だった。全ての世界は巨大な樹木のような構造で繋がっており、それぞれの世界は枝や葉に相当するという理論だ。
「つまり、僕たちの世界も、巨大な世界樹の一部だということですか?」
「その可能性があります」
ミナトは魔王の記憶を詳しく調べていた。
「魔王は、世界樹の存在を確信していました」
「それが事実なら、他にも多くの世界があるということですね」
「はい。そして、それらの世界は相互に影響し合っている」
興味深い発見だった。しかし、同時に新たな疑問も生まれた。
「なぜ魔王はその知識を隠していたんでしょう?」
「おそらく、危険すぎるからでしょう」
ミナトは魔王の警告を思い出した。「重すぎる真実」という言葉の意味が、少しずつ分かってきた。
その時、図書館に緊急の知らせが届いた。
「ミナトさん!大変です!」
駆け込んできたのは、ギルドの職員だった。
「王都東部で、空間に亀裂が発生しています!」
「空間の亀裂?」
「はい。まるで世界が割れたような、不可解な現象です」
ミナトとセリスは急いで現場に向かった。
王都東部の商業地区で、確かに異常な現象が起きていた。
空中に巨大な亀裂が浮かんでおり、その向こうに別の世界が見えている。緑豊かな森、青い空、しかし明らかにこの世界とは異なる風景だった。
「これは…」
ミナトは《理知の眼》で亀裂を詳しく調べた。すると、衝撃的な事実が判明した。
「世界樹理論が正しかったようです」
「どういうことですか?」
「この亀裂は、別の世界への入り口です。世界樹の枝と枝を結ぶ通路のようなものです」
魔王の記憶にあった情報と一致していた。世界樹の各世界は、特定の条件下で繋がることがある。
「なぜ今、亀裂が開いたんでしょう?」
「おそらく、沈黙の谷での現実改変魔法の影響です」
「あの魔法が、世界の境界を不安定にしたんですね」
亀裂は徐々に拡大しており、このままでは両世界に悪影響を与える可能性がある。
「何とか封印しなければ」
「でも、どうやって?」
その時、亀裂の向こうから人影が現れた。
現れたのは、この世界の人間とよく似ているが、微妙に異なる特徴を持つ存在だった。耳が少し尖っており、エルフのような雰囲気がある。
「こちらの世界の方ですか?」
相手が流暢にこちらの言語で話しかけてきた。
「はい。あなたは?」
「私はアリエル・シルバーウィンド。隣の世界『エルヴァリア』の調査官です」
エルヴァリア——魔王の記憶にもあった、エルフたちが住む世界の名前だった。
「空間亀裂の件で、こちらに調査に参りました」
「こちらも同じです」
ミナトとアリエルは情報交換を行った。
「実は、私たちの世界でも同様の現象が起きています」
「同様の現象?」
「はい。複数の世界で、同時に空間亀裂が発生しているようです」
事態は予想以上に深刻だった。
「原因に心当たりはありますか?」
「世界樹の不安定化」
アリエルが深刻な表情で答えた。
「何らかの要因で、世界樹全体のバランスが崩れています」
「それは…」
ミナトは現実改変魔法の件を説明した。マクシミリアンが引き起こした異常現象が、世界樹レベルの影響を与えていたのだ。
「なるほど。現実改変魔法なら、確かにそれほどの影響力があります」
「どうすれば安定化できますか?」
「各世界の『核』を同調させる必要があります」
「核?」
「世界樹の各枝に対応する、魔法的な中心点です」
「この世界の核はどこにありますか?」
ミナトは《理知の眼》で魔王の記憶を探った。すると、重要な情報が見つかった。
「王都の地下深くにあります」
「地下?」
「はい。王城の真下、約1000メートルの深さです」
そこには古代から存在する『世界の心臓』と呼ばれる魔法的な核があるという。
「でも、そんな深い場所にどうやって?」
「古代の秘密通路があります」
ミナトは魔王の記憶に従って、王城地下の隠された入り口を探した。
王城の地下調査には、王国政府の正式な許可が必要だった。
緊急事態ということで、国王自ら許可を出してくれた。
「世界樹の安定化という重大な任務、よろしく頼む」
「はい、陛下」
《蒼き観察者》に加えて、《雷光の剣》と《鋼鉄の刃》、そしてエルヴァリアからの調査官アリエルも参加することになった。
「みんなで協力すれば、きっと成功します」
カイルが前向きに言った。
「今度は最初から協力体制ですね」
ガロンも笑顔を見せた。
「前回の教訓を活かしましょう」
一行は王城地下の探索を開始した。
魔王の記憶に従って、隠された通路を発見する。石造りの古い階段が、地下深くまで続いていた。
「1000年以上前に作られた通路ですね」
セリスが古代建築の特徴を分析した。
「エルヴァナ文明の技術です」
「私たちエルヴァリアの祖先も、この建設に関わったかもしれません」
アリエルが興味深そうに壁の装飾を見ていた。
「共通の文様が見られます」
地下500メートル地点で、一行は巨大な空洞に到達した。
そこには古代都市の遺跡が広がっていた。石造りの建物群、複雑な魔法陣、そして中央には巨大な水晶が浮遊している。
「あれが世界の心臓ですね」
ミナトは《理知の眼》で水晶を観察した。膨大な魔法エネルギーが込められており、確かに世界全体と共鳴している。
「しかし、共鳴が不安定になっています」
水晶の光が不規則に明滅しており、明らかに異常な状態だった。
「どうすれば安定化できますか?」
「複数の世界の核を同調させる必要があります」
アリエルが説明した。
「私が持参した『共鳴石』を使います」
彼女が取り出したのは、手のひらサイズの美しい石だった。エルヴァリアの世界核と繋がっており、同調魔法の媒体として使える。
「でも、同調には複雑な魔法陣が必要です」
「魔法陣なら、ここにあります」
ミナトが古代都市の魔法陣を指差した。
「ただし、作動させるには多くの魔力が必要です」
「みんなで魔力を提供しましょう」
三つのパーティ合計で15名。これだけいれば、巨大な魔法陣を作動させることも可能だ。
同調魔法の準備が整った。
しかし、魔法陣を作動させる直前に、予想外の事態が発生した。
古代都市の遺跡から、巨大な石像が動き出したのだ。
「ガーディアンです」
アリエルが警告した。
「古代の守護者が、侵入者を排除しようとしています」
石像は高さ10メートルの巨人で、古代魔法によって動いている。圧倒的な力で一行を攻撃してきた。
「戦闘態勢!」
カイルが剣を抜いた。
「魔法陣を守りながら戦います」
激しい戦闘が始まった。
石像ガーディアンは強力だったが、15名の連携攻撃により徐々に押されていく。
「今です!魔法陣を作動させてください!」
レックスが叫んだ。
ミナトは《理知の眼》で魔法陣の構造を解析し、正確な作動手順を把握した。
「魔力注入、開始!」
15名が一斉に魔力を魔法陣に注入すると、古代都市全体が光に包まれた。
世界の心臓である水晶が安定した光を放ち始め、エルヴァリアの共鳴石と完璧に同調した。
「成功です!」
アリエルが喜んだ。
「両世界の核が同調しました」
ガーディアンも役目を終えたかのように、元の場所に戻って石像に戻った。
地上に戻ると、空間亀裂が安定化していることが確認できた。
亀裂は完全に閉じるのではなく、安全な通路として機能するようになっていた。
「これで両世界の交流が可能になりますね」
「はい。新しい時代の始まりです」
アリエルとの協力により、ミナトは多世界理論の実践的な知識を得ることができた。《理知の眼》の能力も、異世界の存在を認識できるレベルまで向上していた。
数日後、エルヴァリアとの正式な交流協定が結ばれた。
王国とエルヴァリアの間で、文化、技術、魔法の交換が行われることになった。
「ミナトさんのおかげです」
アリエルが感謝を表明した。
「《理知の眼》がなければ、この成功はありませんでした」
「僕たちもたくさん学ばせてもらいました」
ミナトは謙遜したが、内心では大きな達成感を感じていた。
しかし、魔王の記憶には、まだ多くの秘密が隠されている。世界樹理論は氷山の一角に過ぎず、この宇宙にはさらに大きな謎が存在するようだった。
『観測者よ』
魔王の声が心の奥から響いた。
『あなたはまた一歩、真実に近づきました』
「まだ隠されている秘密があるんですね」
『はい。しかし、それらの真実は段階的に明かされるべきです』
『今のあなたなら、次の段階の知識を受け入れる準備ができています』
「次の段階?」
『《理知の眼》の最終進化形態についてです』
ミナトの心臓が高鳴った。《理知の眼》にはまだ上位の形態があるのだ。
『それは《真理の眼》と呼ばれます』
『宇宙の根本法則を直接操作できる究極の力です』
「宇宙の根本法則?」
『時間、空間、因果律、存在の確率…全てを自在に制御する力です』
想像を絶する能力だった。しかし、同時に恐ろしい責任も伴うだろう。
『その力を得るためには、まず自分自身を完全に理解する必要があります』
『そして、宇宙の構造を深く学ばなければなりません』
「どのくらい時間がかかりますか?」
『人によります。しかし、あなたなら数年で到達できるでしょう』
数年間の修行。長い道のりだが、世界の平和のためには必要な投資だった。
その夜、ミナトは仲間たちと今後の計画について話し合った。
「《真理の眼》の修行をするんですね」
セリスが興味深そうに聞いた。
「どんな修行ですか?」
「宇宙の法則を学ぶ理論的な学習と、《理知の眼》を使った実践的な訓練です」
「俺たちも手伝えることがあれば言ってくれ」
レックスが申し出た。
「修行中も、一緒に冒険を続けたい」
「ありがとうございます」
ミナトは仲間たちの支えに感謝していた。一人では決して成し遂げられない目標も、仲間がいれば実現可能だ。
「それに、修行中にも様々な依頼を受けることになるでしょう」
「実戦経験も重要ですね」
カイルが同意した。
「僕たちも一緒に成長していきましょう」
こうして、新たな修行の段階が始まることになった。
《理知の眼》から《真理の眼》への進化。それは単なる個人的な成長ではなく、世界全体の未来に関わる重要な使命だった。
しかし、ミナトはまだ知らない。《真理の眼》を狙う新たな敵が、既に暗躍を始めていることを。
異世界からの侵略者、古代文明の生き残り、そして宇宙の根本に潜む真の脅威。
これらの敵との戦いは、これまでの冒険を遥かに上回る困難さを持つことになる。
しかし、信頼できる仲間たちと、魔王から受け継いだ知識があれば、必ず乗り越えることができるはずだ。
ミナトの真の試練は、これから始まるのだった。
第10話 終