精霊姫は相容れない
とってもとっても優秀な第二王子が大国の第一皇女と穏やかに愛を育んで婚姻をした、そのあとに不運にも第二王子が身罷ってからのお話。
とある大国のオーウェンという第二王子は、それは優秀で人望のある王子として他国にも名前が轟くほどだった。
魔法にも政治にも長け、戦えば敵はなく仕事を振ればどんなことでも完璧に仕上げた。そんな第二王子の唯一の問題は、十八歳になっても一向に婚約者を作ろうとしないことだった。
第二王子は頑なに婚約の話に首を振り、どんな好条件を出されても頷こうとしなかった。遊んでいるわけでもなく、色仕掛けで近づこうとした女性たちはことごとく排した。あまりの身持ちの堅さに、身分違いの恋人でもいるのか、いっそ同性愛者なのではという噂まで出るほどだった。
その状況に、痺れを切らしたのは祖母である王太后だった。彼女は第二王子に対して、自国を上回る国力を持つ皇国の四つ年下の第一皇女との婚約を命じた。
第二王子は強硬に拒否したそうだ。ならばいっそ王族から排してくれとまで進言したが、第二王子の乳母や幼い頃から仕えている執事、側近たちの進退にまで言及されて最終的には頷いた。
顔合わせをした第二王子と第一皇女は、それなりに上手くやっているように見えた。第二王子は常に第一皇女を尊重したし、他の女性を近づけることなど決してしなかった。ようやく心を決めてくれたのかと、第二王子の周りの人間たちはみな心をなで下ろした。
第二王子が二十二歳になって第一皇女が婚姻できる年齢になると、二人の婚姻式が執り行われた。それはそれは盛大で、近隣諸国から王族たちが集まった。微笑み合う第二王子と第一皇女の姿は絵になるように美しく、庶民たちにまで語り草にされるほどだった。
そうして、その一週間後に第二王子は亡くなった。苦しんだ様子もなく、眠るように安らかな表情だったそうだ。
第二王子が亡くなってから時を同じくして、国中どころか世界中の精霊樹に異変が起きた。宝石のような幹に滴るような果実をつける精霊樹は、第二王子の死を境にしてあっという間に濁り、二週間も経てば一本残らず朽ち果ててしまった。
精霊たちは精霊界に、妖精たちは妖精郷に姿を消し、地上からは魔力が枯れてもともと魔力が少ない土地からじわじわと植物たちが枯れ始めた。
噂程度に第二王子の死と精霊樹の枯死を関連づけるものもいたけれど、もはや第二王子が亡くなっている以上は、どうにもならないことだった。
それとほぼ同時に、王都の下町の片隅で、アビゲイルという名前のとある平民の少女が亡くなったことは、その両親や友人たちを除けば誰の話題にも上ることはなかった。
***
そうして今日も精霊姫であるところのアビゲイルは、精霊界で竪琴を弾いている。
宝石のような木材と、魔法蚕の糸から紡がれた弦で出来た竪琴だった。アビゲイルが一つ指を動かすたびに、水面で波が広がるように音と魔力が広がっていく。
「落ち着かれましたか、オーウェン様」
眼の前の、幾重もの薄い透明な葉で守られた蛹のようなものに包まれているオーウェンに対して、アビゲイルはそう声をかけた。
オーウェンは応えないし、眼も開かなかった。自分の意志ではないとはいえ結果的に精霊姫であるアビゲイルを裏切ってしまったから、随分と力を失っているのだった。
アビゲイルは気にしなかった。何千年も生きているアビゲイルにとって、オーウェンが眠っているであろう数年などほんの瞬きの間に過ぎないからだ。ちょっと歌でも歌っている間に眼を覚ますだろう。
アビゲイルの前には美しい黄金色の湖が広がっていて、その湖面には地上界の様子が映し出されていた。地上界ではもともと植物が育ちにくかったような土地から、草木が枯れていく。きっと、人類の生存圏は八割ほど削られることになるだろう。
アビゲイルは精霊王に娘として迎え入れられる前の遠い遠い昔には人間であったし、精霊になって既に数千年が経った今もアビゲイルなりに人間たちを愛していたので、そのことを残念に思った。
アビゲイルが地上に転生する前、地上には人間が増えすぎていたので、消費される魔力に自然回復が追いつかず地上は枯れゆく運命にあった。このままでは地上を豊かに保つ精霊樹たちが枯れてしまうと、人類の行く末を憂えた創世神から頼まれたので、アビゲイルは人間として一時的に地上に転生したのだった。
アビゲイルの夫であり、つまりは精霊王の娘婿であるオーウェンがアビゲイルに先んじて王族として転生したのは、アビゲイルを守るためだった。いずれオーウェンは地上でもアビゲイルと出会い、二人は精霊として在ったときと同じように婚姻するはずだったのだ。
アビゲイルは今となっては実に精霊らしい、人間であった頃から精霊に気に入られるのも当たり前と思われるような素直で素朴な娘だった。そして素直で素朴なぶん、人間社会を上手く渡り歩くのは少しばかり難しかった。見た目が可愛らしいのも相まって、そういう娘は意味もなく軽んじられるし、悪党が寄ってくることが多かったからだ。
だから地上の権力者たちから守るためにオーウェンは王族として転生して、アビゲイルはオーウェンに守られながら精霊樹たちに力を分け与えるはずだった。
地上界の豊かさを保ち、地上の生き物たちや人類を守るための行いだった。けれど精霊王の娘婿であるオーウェンに無理な婚姻を強いたということは、人類たちは精霊たちの助力など必要としていないのだろう。
人間社会でのこととはいえ、精霊姫を裏切り別の女性と婚姻することになったオーウェンは魂に大きなダメージを受けて、地上で生き続けることができなくなってしまった。アビゲイルはどうにも困り果てて、オーウェンの傷ついた魂を抱きしめて精霊界に出戻ったのだった。
地上界の様子を眺めていれば、精霊樹のあった場所に人びとが縋りつき、貴族らしい身なりをした男性を人びとが責め立てていた。その形相が恐ろしくて、アビゲイルは首を竦めて映し出されていた景色をかき消した。
「どうしてあんなに怒っているのでしょう……」
創世神からの頼みとはいえ精霊姫が差し伸べようとした手を振り払ったのだから、地上界の精霊樹が枯れるのも、それによって自然魔力が減退するのも当たり前のことだった。精霊たちの助力を拒んだのだから、きっと人びとは自力で生き延びるつもりなのだろうと思っていたのに、どうして精霊樹が枯れたことをあれほど嘆いているのか、アビゲイルには理解ができなかった。
アビゲイルにはいまいち理解ができなかったけれど、人びとにとっては政略による婚姻が何よりも重視されるらしい。だから郷に入っては郷に従うべきなのだろうと、オーウェンは自分が地上で生きられなくなることを承知で婚姻を受け入れたのだ。
オーウェンの王国は大きな皇国との婚姻を結べたのだから、きっとこれで良かったのだろう。何もかも自分たちの思うようにことを進めたのにどうにも混乱している様子の人びとが不思議で、アビゲイルは首を傾げた。
周りの小さな精霊たちが、どうしたのかと問うてくる。いつも困ったときに色々なことを教えてくれるオーウェンが眠ってしまっているので、アビゲイルは曖昧に笑って首を振るに留めた。
精霊界に出戻ってからこちら、アビゲイルはずっと胸の奥が何か苦しいことを自覚していた。その感情が理解できずに、そっと胸をさするのが癖になりかけている。
アビゲイルの感情の動きに呼応するように、精霊たちがさざめく。気を取り直すように小さなものたちに微笑んで、アビゲイルはまた竪琴を弾くために指を動かし始めた。
その感情は嫉妬だよ、と目覚めたオーウェンが教えてくれるのは、数年後のことだった。
精霊姫の婿に無理やり政略結婚させようとしたらそりゃー問題が起こるよね、ってお話。このパターンで無理な結婚を強いられるのってだいたい女の子ばっかりで男が婚約を無理強いされるお話ってあんまり見ないなーって思ったので書きました
なるべく判りやすく書くようにしましたが、精霊姫はそこそこズレてます。まあでも人間から精霊に迎え入れられるほど素直で純朴な人柄をしていたらそりゃー人間には逆に受け入れられないよね、って思いながら書きました。たぶん人間だった頃にはそれなりに苦労したはずだし、あんまり人間との交流が少ないまま精霊として迎え入れられたのでしょう
これ王国(というか人類)側からすれば何が起こっているのか判らなくてほとんどパニックです。何しろオーウェンが精霊姫の婿であることも、アビゲイルが精霊姫であることも、ネタバレしてくれるひとが誰もいなかったので。それどころか王家はアビゲイルという少女のことを認知すらしていません。まことに残念でした。まあオーウェンに無理な政略結婚を強いることさえしなければ避けられた事態だったので、不運なすれ違いでしたね、っていう。感覚の違いが事故に繋がりました
オーウェンは第一皇女に対して別に通俗小説よろしく『お前を愛することはない』なんてことは言ってませんし、全く愛してはいなかったけれど『婚約者に対してはこうするべきだろう』という観念に従って第一皇女を丁寧に遇しています。ただし婚姻を結んだ直後に大きく体調を崩してそのまま亡くなったので結果的には白い結婚のままとなりました。オーウェンは自分が死ぬことを予期していたので、自分が死んだあとも第一皇女が困ることのないようにそれなりの財産を渡せるように手はずを整えてます。後半の場面でオーウェンが起きてこなかったので何も説明できなかった
なろう小説って『政略結婚マンセー!』みたいな小説が多いイメージなのですけれど、いつも『どうして……?』って思ってしまうのだよな。というか小説とか関係なく、わたしは現実での政略結婚そのものを不思議に思っている。相手と結婚したからって何の意味があるの? どうして?? っていう。もちろん古今東西いろいろな権力者が政略結婚を繰り返してきたことも、それによって色々なことが締結されてきたことも判ってはいるのですけれど、『それって結婚を挟む必要があったの? 普通に契約を結べば良くない? どうして……?』ってなってしまうのだよな
実際に娘を権力者に差し出したところで、その娘が大事にされるとは限らないし、気に入られるとも限らないし、娘を差し出したからって贔屓してくれるとも限らないし、契約を裏切られる可能性だって幾らでもある。なのに娘を差し出すの? どうして? 単に欲を満たすのに使って良いっていう貢ぎもの感覚なのか、人質を差し出す感覚なのか。でも、当主が娘を大事にしていなかったら人質としても機能しないし、娘が当主の命令を携えてたら婚姻相手が暗殺される可能性だって幾らでもあるし、逆に娘が当主を恨んでいたら当主を追い詰めるためだけに婚家で問題を起こす可能性だって幾らでもあるわけだよね。夫婦だろうが親子だろうが兄弟姉妹だろうが赤の他人に違いないのだから、娘が当主の思うように動いてくれるとは限らない。そもそも世の中には娘を不幸にするためだけに最悪の相手と無理に結婚させようとする親だっているんだから、同じように娘を不幸にするためだけに商売相手としても結婚相手としても最悪な男と政略結婚させるなんていう本末転倒なこともありえただろうし。人間なんてどんなに理屈で塗り固めていても感情に振り回される生き物だからね
なので、感情を伴わない結婚って恐くない? って思っちゃうんだよな。感情を伴った結婚だって幾らでも問題が起きるのに、感情を伴わない結婚だったら情が働かないだけブレーキが利かない気がしてしまって。いくらでも相手に冷酷になれるよね。それとも逆に、感情を伴わなくて相手に興味がないから問題も起こらないってこと? まあ、愛情の反対は無関心って言いますけれども。無関心なら憎しみも生まれないってことなんだろうか。恋する相手から引き離されたら無理な政略結婚の相手を憎む可能性は幾らでもありそうだけれど、まあ政略結婚に使うような娘なら最初から誰かに恋をする可能性があるような環境には置かないか。でも人間の感情なので、絶対はないんだよね
と、いうのは現代人(というより、現代日本人)の感覚なのかなぁ……っていっつも不思議に思っちゃうんだよな。たぶん『政略結婚マンセー!』っていう感覚にチューニングして小説を書けば良いのだろうけれど、どうしても自分の中でエラーが出るのでチューニングできない。世界観を考えるときに、この世界観で矛盾はないか?もしくはちょっとくらい矛盾したとしても多少の屁理屈でゴリ押しできるか?ってとこがクリアにならないとエラーが出るので……。みたいな、もろもろモヤモヤした感覚を吐き出す気持ちで書きました。さらっと読み流してください
【追記20250604】
活動報告を紐付けました! 何かありましたらこちらに
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/799770/blogkey/3451764/
【追記20250605】
政略結婚について何人か教えてくださった、ありがとうございます! へえーって感じ
現代日本人の感覚からはいまいち判んねーな…と思ったけど、いまでも実子に継ぎ続けてる会社とかあるんだから全く無関係ではないのか。わたしの好きな生活雑貨会社も、いまの十三代目は外部から入社してきたひとが社長だけど十二代目までは家督で継いでたらしいもんな。ちゃんと調べたわけじゃないで記事で読んだだけだけど。なんとなくそっちに落とし込めば理解できる。自分の中で理屈をつけたり身近なものから連想して納得できれば、あぁーってなるよね
血統を大切にするって、不思議な文化だなあと思うけど、まあ蛙の子は蛙とも言うわけだし、成功している相手と番わせて優秀な子どもを期待する、みたいな考え方もあるのかな。なんにせよ、無理に結婚する必要のない、子どもを産む必要のない現代日本に生まれて良かったー!とは思いますけれども。少子化とか知らーん
魔法のある世界なら、現実世界よりもなお血統を大事にしそうだなーとはぼんやり思っている。頭脳や運動神経なんかより、魔法なんていかにも血筋に影響されそうだもんね。いや、もちろん根拠はゼロですけれども。ただ女性も魔法を使えるなら、男性に暴力を振るわれても魔法で対抗できるぶん現実世界よりは女性の社会的な地位が上がりそうだろうから、いまの現実世界みたいな人口の爆発的な増加はなさそうだなーとも思っている。逆に特別な魔法とか莫大な魔力とかを持っている女性が孕み腹にされる、みたいなことも起こりうるだろうけど
【追記20250623】
この数日…数日かな?コメント多いし(なんで急にコメント増えたん?どこかで晒されてます??)随分と『精霊が悪い』と思う方が多いようなのですが、わたしとしては『なぜ???』って感じですね
そもそも人類が滅びの危機に瀕しているのは人類が勝手に過剰繁殖したからであって、別に神や精霊が何かをしたからというわけではありません。現実世界で例えると人類が勝手に繁殖して勝手に自然環境を破壊して勝手に追い詰められてるみたいなもん。仮にこのまま人類ががーっと滅びに向かったとしても、繁殖しすぎた人類が数を減らせばいずれは魔力の消費と回復の関係が逆転して状況が改善してまた人類は殖え始めます。別にそのまま完全に滅んでも良いんだけど。なので神なんかにしてみれば『放っておいても良いけどなんか可哀想だから助けておくか』という程度のお話。で、そのために精霊に『ちょっと行ってきて』したわけです。なので精霊たちの手を振り払った時点で『あ、助けなんぞ要らんのだな』って思って『あ、っそ』ってなっただけのお話
『先に教えとけよ』って意見を見かけましたが、それこそ『なぜ???』ってお話で。神や精霊は人類のためにいるのではないので、何もかも人類に都合よくご親切にご丁寧にお客さまに対するように接してくださると思うのはあまりに人類が傲慢な世界観なのでは??って思っちゃうな。現実の神さまだってそんなに人類にとって都合よくないでしょうに。別の作品でちらっと言いましたが、わたしの作品は基本的に『隣人は人間に見えるけど実は神さまかも知れない』という考え方を忘れた人間ほど痛い目に遭いやすいです。つまりそれは信仰を忘れるということであり、良心を失うということなので。わたしの持つ信仰のお話なので別に共感は求めてませんけれど。何を信じるかは個人の自由だからね。ただわたしの作品にはわたしの思想が表れているというだけのお話
あと精霊姫のお話、これ言い当ててくださった方がいますが精霊姫としては『あ、わたし(精霊姫)がいなくても人類は自分たちで頑張るつもりなんだな、だから精霊姫の婿に対して人類の都合を押しつけて無理を強いたんだな』って理解してます。なので、精霊樹が枯れたことを嘆く人びとを眺めて『当たり前のことなのに、どうして今さらそんな判りきったことを嘆いているのだろう』と不思議に思っています。このことを理解してくださるかたが少なかったので、これは単純にわたしの筆力不足かも知れませんね。人類は人類の都合で生きており、精霊は精霊の都合で生きています。噛み合わなかっただけのお話。強いていえば、世界は人類のためにあるのではないのに、それを忘れて無作為に繁殖して自然を破壊して回復が追いつかないほど魔力を消費した人類が悪い。世界の機構からすれば、人類の個体数が増えすぎたので『ちょっと減らそうかー』ってなっているだけです
まあこのまま地上が枯れ果てたとしても、たぶん三百年もすれば人類が作中時点よりも激減して、そうしたらまた数百年かけて地上の環境は改善するので神や精霊にとっては大したお話じゃないです。精霊姫の手を振り払った結果、人類が一時的に衰退のフェーズに入ったというだけのお話。丸ごと滅びるほど深刻なお話ではない