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蒼穹のイカロス  作者: レイチェル
第二章 ウバルト王国 海岸沿いの街:シモーネ
20/60

赤ひげ(領主)の嫌がらせっ!——③

 風が横切った――。


「えっ?」


 思いっきり杖を振り下ろした領主が、勢い余って前方に転んだのだ。

 

 何が起こったのか、領主は理解できなかった。

 唯一分かったのは、痛み……それも激痛だった。勢いのあまり、身体が右肘から地に落下し鈍い音が鳴る。それが身体の芯まで伝わった。


「……ぐぁああ」

 

 声にならない呻き声が、領主の喉から響いた。


 振りかぶった領主すら何が起こったのか、分からずにいた。

 

 だけど、ラムザは理解してしまった。

 

 そう、目の端で捉えていたのだ。


 杖の先端が宙に舞う瞬間を――。


 だからヨゼフは杖を空ぶったのだ、と。


「ラムザ、大丈夫?」

 

 そうして、跪くラムザに手を差し伸べる男がいた。

 

 眼に血が入って、目の前が見えていないが――存在自体は感じる。

 

 その人は、とても朧げだった。それほど希薄な存在だ。手を刺し伸ばしてしまうと、そのままどこか霧散してしまう幽霊のようだ。

 

 だけど、手を伸ばして立ち上がらせてくれた瞬間——。

 

 確かな感触が伝わる。

 

 暖かい、そんな小さな手の感触が伝わる。


「……隊長? 隊長殿ですか」

「うん、そうだよ。ラムザ、丸い頭がジャガイモみたいだ」

「デコボコって言いたいんですか? 私の頭を一番悩ませているのは、あなたなのに?」

「……僕は頭をスッキリさせてるだけ」

「怖いこと言わないで下さいっ!」

そんないつものやり取りをしている二人を、領主は地面で蹲りながら恨めしそうに見つめた。

「き、貴様、何をした?」

「杖が古くなっているみたい。ほら、先端が折れてる」

「は?」

 

 カイトは、領主が握っていた杖の先を指差した。


 その先端が――。

 

 綺麗さっぱりなくなっていたのだ。


「ど、どぅいうこと?」

 

 領主はマヌケな表情で呟く。


 頭にクエスチョンマークが浮かぶのも無理はない。

 折れたような断面ではない。振り下ろしたその杖が地面に当たって砕けわけでもない。その奇怪な現象に、頭がフリーズしそうになった。


(……隊長、やってくれましたね)

 

 ラムザは、理解していた。

 

 それは達人の業だった。

 

 ラムザもその一部始終を捉えたわけではない。それは一瞬の出来事だったのだ。


 領主が、杖を振り下ろしたそのとき——。


 腰を低くしたまま跳躍したカイトが刀を鞘から抜いた。


 それは、僅かに視認できるほどの細い閃光。


 その閃光が到達する先に杖の先端があり、青白い光が弧を描く。


 そして気づいたら、カイトは抜いた剣を鞘に納めてしまっていた。


「あぁ、ああああ」

 

 情けない声を上げながら、領主は慌てふためく。

 

 ようやく理解したようだ。

 

 つまり、これは居合。

 

 飛んでもない速さで、斬ったということを。


「お前、まさか斬った……というのか?」

「ん? 刀は鞘に収まっているけど? 斬ったというのなら、抜いてみる?」

「ひひぃぃぃっ!」

 

 刀身が僅かに鞘から顔を覗かせる。次は杖どころの話ではない。まるで刀に手をかけるカイトは、今度は首を斬るといっているようだった。


「お、覚えてろぉっ!」

 

 まるで典型的な悪役の捨て台詞みたいだ。その姿はみすぼらしい。しがみつくように、背の高い馬に昇り、何度も馬の腹を蹴って去っていった。


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