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ヴィ・ルブニール ~un reve~(仮)  作者: さはら、かなや
一章   金烏玉兎
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記憶喪失者

「わぁ、すごいオシャレなところですね」


 入店して開口一番、少女から感嘆の声が上がった。

 

 内装を一言で表すなら自然が相応しい。

 赤茶色のウォールナットを中心とした椅子やテーブル。その色に合わせた観葉植物が至る所にさりげなく設置され、天井から伸びた蔦の先からは淡いライトが周囲をぼんやりと照らしている。それらが絶妙にマッチした結果、心が落ち着く空間が完成していた。


 内装を楽しそうに観察しながら空席状況を確認して、少女は入店手続きを始める。


「えーっと人数は二人で、目的は食事っと」


 入口には少女が持っていた電子端末を一回り大きくしたものが置いてあった。

 少女は慣れた手つきでその端末に次々と記入事項を入力していく。そして最後に端末の下部に備えつけられたボタンに指を置いて、指紋を端末に認識させる。

 手続きが終了した証として、席を案内する画面が表示された。


 終戦後。飲食店や高価な物品を扱う店では、入店時に盗難防止のための指紋認証システムが義務付けられるようになった。この政策のおかげで犯罪件数を大幅に引き下げることに成功したが、それに反比例するように餓死する者は増加していった。痩せ細った人間がどんどん街から消えて行っているのを住民は薄々だが感じていたが、人一人を養う余裕はどの家にもない。

 だからこそこの街には、いつからか暗黙の了解ともいえるルールが作られた。

 『物乞いを見かけたら、持ち物の内一つを渡す』というものだ。

 それが例えちっぽけでも分け与える。そうしてこの街は死者数を少しでも減らそうと努めてきた。

 

 だが少女はそのルールに従ったことを激しく後悔していた。


 顔を見合わせるようにしてテーブル席に座った二人は、テーブルの中央にある電子パネルに注目した。そこには提供されている料理が整然と載ったメニューが映し出されている。画面の大部分を料理の絵や説明で埋められていて、半透明ではあるものの相手の顔を窺うことは難しい。だから少女が苦悶の表情を浮かべたのは、二人が注文を済ませて伝票が電子パネルに表示された時だった。


「……なんですかこれ」

 

 額に手を当てて呆れを露わにする少女の問いに、悪びれる様子もなく少年はあっけらかんとして答える。


「奢ってくれると言ったから」


 確かに少女は少年の前に置いた端金を返してもらい、代わりにご飯をご馳走すると約束した。

 だがしかし。物事には限度というものが存在する。


「だからと言ってメニューの料理を全部頼む人がいますか!?」


 少女は本日二度目となる怒声を上げたわけだが、少年は動じずに頭を掻きながら笑う。


「いやー、悪い悪い。三日以上何も食べてなかったからさ。目の前の誘惑に拒めなかった」

「それなら仕方ないですね……」


 全く心がこもっていない反省ではあったが、事情が事情なだけに少女は溜飲を下げることにした。任務後で疲労が蓄積していて怒る気力が湧かなかったからというのもあるが、これ以上目立った動きをするのは得策じゃないと強く思ったからだ。


「まぁ、一品以外は全部キャンセルさせてもらいますけど。パスタでいいですか?」


 形式上質問をした少女だったが、返事を待たずに伝票に刻まれた料理を次々と一覧から削除していく。


「あー折角頼んだのに……」


 本気で残念そうにしている少年の後ろからウェイトレスが、先に注文を済ませていた少女の料理を運んできた。


「お待たせしました。こちらサンドイッチになります」


 大した時間は経っていない。むしろ早いくらいなのだから、これが決まり文句であることは言うまでもない。それでも少女は慇懃に徹する。


「ありがとうございます」


 座ったままなのにその所作は洗礼されていて、その姿が偶然視界に入った他の客はしばらく魅入られて静止を余儀なくされた。

 ウェイトレスは少女に負けじと一層恭しく腰を曲げると、席から離れて厨房の方へと消えていく。去り際に見せた暖かい眼差しは、二人の事を兄妹、もしくは恋人の喧嘩と思った故なのか。ともあれ接客は完璧だが、好奇心を隠せずに二人の会話を盗み聞きしている辺りに人間味を感じて、少女は逆にこの店に好感を抱いた。


 心証はどうであれ、事実として既に多かれ少なかれ注意を向けられていると知った少女はこれ以上自分たちに注目が集まらないように立ち回る必要性を感じた。


「一品食べられるだけでも満足してください。最初に言ったと思いますが、手持ちが多いわけじゃないんですからね」

 

 最後に釘を刺して、少女はサンドイッチに手をつける。


 だが残念ながら少女の小言は、少年の耳には届いていなかった。


 同様に運ばれてきた料理をみて、少年は大袈裟に落ち込んでいた態度を一変させて眼を輝かせる。


「おー美味しそう」


 まるで少女のことなど眼中にないかのように、少年はマイペースな態度で料理にありつく。

 反対に不満の色を強く募らせた少女だったが、沸々と湧いてきた食欲に大人しく従うことにした。


「いただきます」


 少年は見る者の食欲を刺激するような活気の良い食べ方をしているのに対して、少女の方は黙々とサンドイッチを口に入れては口元をナフキンで拭いてを繰り返えしている。

 傍から見れば相席しているだけの他人同士という印象を与える、気まずい空気が二人の間に流れていた。それでもギスギスしていた状況よりはマシなのに、過剰に周囲を意識している少女はそれを取っ払う為に、無理やり会話を始める。


「ところで何故物乞いなんてしていたんですか? この街にいたのなら、退役兵である貴方でも仕事を見繕ってもらえるはずですが……」


 肉体や精神に異常が見られない退役兵は、申請さえすれば都市から仕事を優先で斡旋して貰えると記憶していた少女は、見るからに正常な状態の少年に疑問を抱いたのだ。退役兵であるブレンデットのマスターの裏付けもあるので確かな情報だ。


「物乞い? 退役兵? 俺はただ、記憶がない一般人だぞ?」


 まるで些細なことだとでも言うように、一瞬で食事を済ませた少年は頬杖をついて窓の外の海域を眺めていた。


「一週間前くらいに気づいたら樹海で倒れてて、適当に歩いてたらこの場所。エスポワールタウン? に着いてたって感じだな」

 

 少年が置かれている状況が想像よりも深刻で驚きは会ったが、記憶喪失は今時珍しい疾患ではない。特にPTSDによる症状は少なくない。

 

 少年の身なりからして退役兵ではないという点には違和感が残るが、取り留めておくほどではないと少女は判断した。疑念よりも興味の方が勝り、少女は深堀していく。


「記憶喪失ですか。募唯んとかには行ったんですか? ……いえ、すみません。病院と言っても伝わらないですよね」

 

 少女は自分の失言に気づき、すぐさま頭を下げた。

 記憶喪失について知識としては知っていたが、実際目の前にして会話するとやはり配慮と失念してしまう。

 

 申し訳なさそうにしていた少女の姿を横目に入れた少年は、手を振って訂正する。


「常識的な記憶までは無くなっていない。とはいえ五歳までの記憶しかないから、たかが知れてるけどな」


 その発言を聞いて少女は眼を丸くした。


 医療に精通しているわけではないが、少年の話を聞く限り恐らく限局性健忘だろう。だがその期間は他の限局性健忘患者とは比較にならないほどかけ離れている。過去に一度少年とは別の解離性健忘の記録を読んだことがあるが、その者はたった二年の欠損だったが、記憶の不一致による精神錯乱で心身を病ませていたはずだ。少年の言葉を信じるのなら(外見からの判断にはなるが)十年近くの欠損を生じさせているのに、既に正常な状態を取り戻している。

 

 少年のその精神力の強さに、驚きよりも恐怖が先行して少女の思考を蝕んだ。あまりの衝撃で、自分でさえも疑う言動を気づいたら取っていた。


「一つ勝負でもしませんか?」


 欠伸をして開いていた口をそのままに、少年は眼を瞬かせる。


「勝負? 俺と? 飯を奢ってもらった恩もあるし、構わないけど……勝負内容はどうする? もしかしてだけど、立ち合いをご所望か?」


 少年が直剣の柄に手を置いた瞬間。たちまち店内の雰囲気が剣呑になる。

 柔和な笑みに変化はないが、圧迫感が増した。あるい空気の密度が増大したとでも言うべきだろうか。首筋に剣を突きつけられているような、そんなプレッシャーが少年の全身から放たれている。

 

 その変化に気づいたのは目の前にいた少女だけではなかった。

 

 テーブルの上にはまだ温かい料理が残っているというのに、店内にいた客は既に会計を終えて退店を始めている。店員も例外ではなく、先程のウェイトレスなんかも一緒に混ざっている。


「ま、まさか。今すぐもう一振りを調達することは難しいですし、残念ながら私には時間的な猶予がありません。なので腕相撲で勝負しませんか?」

 

 怯えた素振りを悟られないよう少女は努めて冷静に、空になった皿を端に寄せてテーブルの中央に肘を立てて手を差し出した。

 少年は数秒考え込むと、少女と同じようにテーブルに肘を置く。

 確かな自信を覗かせていた少年だったが、同等に少女のことを訝しんでいた。


「勝負内容に不満はない……が、何か裏でもあるのか?」


 純粋な力勝負という趣が強い腕相撲で、女が男に勝てる可能性は限りなく0と言っても過言ではない。体格差があるわけでもないのだから、少年の有利が覆る可能性は無いだろう。疑いの眼差しが少女に浴びされるのも当たり前の話だ。


「裏なんてありませんよ。どうせなら賭けでもしましょうか? 勝った方が相手の言う事を一つ聞くということで」

「ますます怪しいけど、まあ掛け金は無いわけだし……。オーライ、さあ、始めようか」


 勝利を確信した笑みを浮かべた少年は少女の手を握る。


(やっぱりこの人相当強い)


 握られた手から伝わる、複数の肉刺と筋肉の付き方が熟練の剣客のそれと判断できる。少年が自信に満ち溢れているのも頷けた。


 だが、所詮はそれだけだ。


「じゃあ、カウントしますね。3、2、1、0――」  

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