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第一章7 『リフレイン』

refrain(リフレイン)

詩・楽曲の各節最後の部分をくりかえすこと。そのくりかえし。


「ソイルさん? ちょっと聞いてますか? ソイルさん?」


 パンッという音で、ソイルはハッと我に返った。目の前にはギルド受付嬢のミントの姿があった。白い手がカウンターの上に置かれている。どうやらさきほどの音は、彼女が受付台を叩いた音らしい。


「――――は?」

 

 ソイルは思わず言った。


「は? じゃ、ありません! ソイルさん私の話を聞いてましたか!?」


 目の前にはミントが居た。俺は。デリス通りに居て。


 黒騎士が。アードキルが。フィオが。


 俺は、死んで。


「――――え?」


「え? でも、ありませんっ! もう! からかってるんですかっ!?」


 温厚な彼女が声を荒げるのは珍しいな。と、ソイルはまだぼんやりとした頭で、他人事のような感想を浮かべた。 


「ご、ごめん。ちょっと頭がふらふらして。なんか、夢を見てたような、というか……」 


 夢? 今のが夢? まさか。 


「……大丈夫ですか? ソイルさん、本当に具合が悪そうですよ。私も大人げなく怒ったりして……す、すみません」


 ミントは我に返ったようで、ペコと頭を下げている。ソイルは慌てて言った。


「だ、大丈夫大丈夫。はは、ほんとにごめんなミント。いま出てくから……」


 そう言って、ソイルはそそくさと受付のカウンターを後にする。背後から、おそらくはソイルの後ろに並んでいただろう男の声が聞こえた。


「なんだ、あいつ?」




 

 ギルドが面している大通りは、都市の中でも特に人通りの激しい場所だ。当然、路面店なども多数居を構えていて、それらのおこぼれに預かろうと、道の端の地面に怪しげな品物ひろげている人間も多い。なかには通行人そのものを商品にしようと企む悪徳な商売人も混じっている。


 大通りの生態系を支えているのは、ゼルドアギルドだ。ゆえに、ギルドから見たそれは、道行く人々の姿も含め、ゼルドアのなかでも魅力ある風景のひとつとなっていた。


 ソイルはギルドの外壁にもたれながら、そんな、いつもと変わらないはずの大通りを見ていた。もちろん彼にとっては見慣れた景色。しかし今は、目に入るもの全てが強烈な違和感を伴ってソイルの瞳には映っていた。


「何がどうなってんだ……」


 ソイルは呟きながら、自分の胸元を何度もさすった。黒騎士に斬られたはずの傷はおろか、服にはわずかな血の跡さえない。死ぬまえの記憶がただしければ、自分の胴体はほぼ切断されていたはず……。


 いや、違う。そもそも死ぬ前の記憶というのがおかしい。なぜなら、自分はこうして生きているのだから。そうすると、考えられる可能性は。


「やっぱ夢、ってことだよな……」


 当然の帰結だった。むしろそう考えなければ、死んだのに、生きているというわけのわからない矛盾を説明することが出来ない。


 しかし。


 ソイルは乾いてザラついた口の中を舐めた。生ぬるい鉄錆の味は、それだけで思い出せるほどに鮮明だ。死んだはずなのではない、あれは確かに、間違いなく、本当に死んでいた。痛み。熱。匂い。絶望的な感覚……。


 それだけではない。


 フィオと出会い、話し、歩いた。フィオを知り、救われ、力になりたいと思った。彼女がくれた言葉が、声音が。手の温もりが。微笑みが。


 恐ろしい黒騎士、憎いアードキル。メロヌ。デリス通りの腐敗臭――。


 全て、夢だったとでもいうのか? これほどの色彩と質量と、感情の振幅を伴う記憶が、ただの白昼夢であるなどということが、そんなことがあり得るのだろうか? 


 しかし――。


「くそ……わけがわからねえ」


 ソイルは鈍い頭痛を感じ、額に手を乱暴に押し当てた。どれだけ考えても、思考は堂々巡りをする。夢のはずなのに、他ならぬソイルの自身のこころが、全力でその考えを否定するのだ。


「ただ、ここでこれ以上考えてもしょうがない。とにかく今は……」


 そう。やらなければいけないことがあるのだ。現実問題として、今日中に金が工面出来なければ、明日には家を追い出される。仕事も確保出来ていないのに……。そうだ、とソイルは思った。わけのわからない夢のことなど、考えている余裕も暇もない。ギルドの中に戻ろう。そしてミントに土下座してでも、仕事を――。


 ふと。ソイルの視界を何かが横切った。白を基調にした衣服は、飾り立ての少ないシンプルな。彼女の亜麻色の髪は、青空によく、映えて。


 それまで考えていたこと全てが、頭から一瞬で吹き飛んだ。


「フィオっ!!」


 ソイルは少女の背に向けて、思い切り叫んでいた。少女の動きがピタリと止まり、振り返る。銀色の瞳が、本当に驚いたとでもいうように大きく丸くなっている。


「――え? えっと。あなた、誰ですか……? 私の名前、どうして――ひゃっ!?」


 ソイルはフィオの言葉を全て無視して、なかば突進でもするように近づき、


「ない……」


「な、な、な、なっ!?」


 フィオの左胸のあたりをごそごそと触りながら言った。


「ない……ないっ!」


 傷跡が。とソイルが口にしようと顔上げた瞬間。そこには身体をぷるぷると震わせながら、右手を掲げ、涙目でソイル睨みつけるフィオの姿があった。


「落ちろ! ギラ・パルダリス!!」


 フィオが叫ぶのと同時に、ソイルの頭に凄まじい激痛が走った。まるで神の怒りに触れた古の石塔が、崩れてきたような衝撃とともに。


「ばべるっ!!」


 ソイルは地面に突っ伏し、そのまま気絶した。





「ええ、この度はですね、ええ……私と致しましても、ええ、私の浅慮な行動に対し遺憾の意を表明するところでごさいまして、ええ、つきましては、ええ――衛兵などには、通報しないでいただけると、ええ、誠に私としましては大変――」


「素直にごめんなさいって言えないの!? もう! さっきからわけのわからない喋り方して……」


 頭を下げて謝罪の言葉を続けるソイルに対し、腕を組みながらフィオは言った。


「本当にわるい。誓っていうけど、悪気があったわけじゃないんだ」


「……反省してるならいいけど。それを言うなら、私だって魔法であなたの頭に岩落としちゃったわけだし……それを許してくれるなら」


 フィオはなんともいえないため息をつきながら言った。


「平気か? なんか疲れてるみたいだぜ」


「平気なわけないでしょ……。いきなり呼び止められてびっくりして、なにかと思ったらいきなりむ、胸……を」


「ああ、そのことなら」


 ソイルは言った。


「大丈夫だ。本当に服の感触しかなかったからな。なにも気にしなくてい――」


「――は?」


 バチリとフィオの手に小さな稲妻のようなものが見えた気がして、ソイルは再び地面に頭をこすりつけた。


 フィオが放った魔法の直撃を受け、気を失ったソイルはほどなくして大通りで目を覚ました。かなりの衝撃だったことは憶えているものの、それにしては痛みなどはほとんどなかった。


 激しく葛藤しているような苦悶の表情を浮かべながらも「大丈夫?」とソイルを気遣うフィオに対して、ソイルは開口一番に無礼を謝罪した。そして現在に至るというわけである。


「なあ、もっかい変なこと聞くけど。俺とフィオンさんが会ったのって、本当に今日が初めてだよな?」


「フィオで良いわよ。そうね、本当に変なこと聞かれてるって私も思うけど、ソイルさんの質問に答えるなら、イエス。こうみえても私、一度話した人のことは忘れないの。だから、私はソイルさんのこと本当に知らないし、あなたに会ったのも、声を聞いたのも今日が初めて」


 雑踏の中を並んで歩きながら、フィオは言った。


「付け加えるなら、初対面の人に魔法を撃ったのも今日が初めてだし、直後にその相手を治療したのだって初めての経験よ。もう。いろいろ強烈過ぎて忘れたくても、一生忘れられなそう……」


 軽い頭痛がするでもいうように、フィオは片手を額に添えていた。


 彼女が嘘をついているとは思えなかった。そもそもソイルを相手に嘘などつく理由がないのだ。だからフィオの言う通り、ソイルとフィオは間違いなく初対面だということになる。亜麻色の美しい髪も、小ぶりな耳も、銀色の髪飾りまで、ソイルはハッキリと覚えているのだが……。


「今度はこっちが聞く番。あなたは何者なの? どうして声をかけたの? どうして私の名前を知っているの?」


 矢継ぎ早に尋ねるフィオの声には、どことなく緊張の色が混じっている気がした。当然だろう。ソイルだって見知らぬ相手に突然名前を叫ばれたら、それだけで最大限に警戒する。


 フィオはじっとソイルを見ていた。どう答えるべきか。正直に話すなら、もちろん夢のなかで知り合った、ということになるが、そんな戯言を信じてもらえるわけがない。


「俺は何者でもない。ただの、しがない冒険者だ。ゼルドアギルドに所属してる」 


 すこし考えた末に、ソイルは言った。


「君に声をかけたのは、そう。ただのナンパだよ。女の子に声をかけるとき、どこかで会ったことない? なんて常套句だろ。胸のことだけど、あれはたんに勢いがつきすぎて転んだというか。ほんと、それだけだ。悪かったと思ってる」


「……そうなのね。でも、一番肝心な質問には答えてない」


 二つの質問に答えることで、そこから話を派生させていくことで、その問いを煙に巻くというのが、短い時間で考えたソイルの作戦だったが、やはり見逃してはもらえないようだった。


「誰だったかわからないけど、君の名前を呼んでるのを聞いたんだ、それで――」


「それは嘘ね」


 フィオは言った。



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