第二章25 『Start from last time』
前回の続きから始めよう。
ソイルは、いつものように、そっと目を開けた。
「よう、ミント! 今日も可愛いな! わかってる、今日は仕事はないんだな! よっしゃ、俺はさっそく外に行って――」
ミントの姿はなかった。それ以前に、ギルドの中でもなかった。
「――――え?」
目の前にはフィオが居た。
銀色の瞳を、まるで今日初めて出会ったばかりとでもいうように、大きく丸く、見開いて。涙のあとが、頬にまだ残っていた。星明かりに照らされたフィオの姿は、本当に本当に綺麗で。
ソイルは息をするのも忘れてフィオを見つめていた。まるで夜空で瞬く白い星が、突然目の前に落ちてきたみたいな気がした。
「――――フィオ?」
ソイルが呼び掛けると、フィオはハッとしたような顔をし、次の瞬間に真っ赤になり、口をあわあわとさせたかと思うと、一瞬だけ不安げな表情を見せ、吊っていない方の手をソイルの頬に伸ばし、ぎゅっとつねりあげた。
「いでっ! いだだだだっ!」
「あなたって、ひとは、どうして、いったい、どっちなのよ!? なんなのよ!?」
「は、はぁ!? すまん、本当になんのことだか、いでっ!! いだい!!」
「うるさいうるさい! わ、私のことをずっと守るとか言ったあとに、そばにいるって言ったあとに、なのに、急にさよならって言ったり、そうしたと思ったら、今度は違う女の子の、ミントさんの名前を呼んで、か、可愛いね、ですって!?」
ソイルの脳内に、急激に記憶が戻ってくる。ループから抜けたとか、そんなどうでもいいことを考える余裕は毛ほどもなかった。フィオはソイルの頬をつねったまま怒鳴った。
「あなたはいったい何がしたいのよ!? 何が言いたいのよ!? この!! この!!」
「いだだだ、いでえっ!! ごめんあさい!! 離してください!! 謝るから!!」
「何に対して謝ってるのよ!? そばにいるっていったこと!? さよならって言ったこと!? そんなこと言った女の子の前で、ミントさんを可愛いって言ったこと!?」
「ぎゃああああっ!! ほ、ほんどにいだい!! ち、ちぎれ、もうちぎれちゃうからあ!!」
それからしばらく経って、ようやくフィオはソイルの頬を解放した。哀れなソイルの頬は、にんじんのような色になって腫れあがり、うさぎがむしゃぶりついたかのように引き延ばされていた。
「や、やりすぎちゃったのは謝るけど・・・でも、本当にわけがわからなかったんだから。あなたのほっぺもぐちゃぐちゃかもしれないけど、私の情緒はもっとぐちゃぐちゃなんだからね」
反省しているのかしていないのかわからないような口ぶりで、フィオは言う。ソイルにしても、その頃には自分の言っていたことを全て思い出していたので、まあ、フィオがそうなる気持ちもわかる気がした。
思いっきりループする前提で話しちまってたからな・・・。まさかこんな急に抜けるなんて・・・。
ソイルとしてはもちろん小躍りして、広場の樹木を手あたり次第なぎ倒したいほどに気持ちは高揚しているのだが、その前に目の前の少女のことをなんとかしなければいけなかった。
「・・・それで、さっきの話だけど。わ、私はちゃんと聞いたんだからね。そばにいるって、守ってくれるって・・・。まさかいまさら、嘘でした! なんて言わないわよね? 当たり前よね?」
ソイルには黙って頷くことしか出来なかった。もちろん、自分で言ったことに二言はないのだし、もしループが起こらなければ、フィオとこれからも一緒に居たいと思っていたことも本当のことだ。
それになにより、頬に風穴を開けられて、うしろの噴水の水龍のよろしく、水を口に含んだときに、それを自動で噴き出せるようにはなりたくなかった。
「うん・・・。それならもう、良いけど。あっ」
フィオがじとっとしたジト目でソイルを見た。彼は短い悲鳴をあげ、頬を手で隠すように覆った。
「調教済みの動物じゃないんだから・・・。えと、これも大事なことなんだけど・・・さっきの私に言ってくれたことって、実はミントさんに対して言ってた言葉とか、じゃないわよね? まさかとは思うけど」
「お、おう。それは当たり前だよ。どうしてそんなこと言うんだ? さすがに俺にもミントにも失礼だろそんなの」
「あなたが、おう、ミント! 今日も可愛いな! って言ったのよ・・・。私に向かって・・・!」
そうだった。失礼というか、頭がおかしいのは完全にソイルの方だった。
「いやあれはっ、ちょっとその、ボケてたというか、夢を見てたというか、本当にそれだけなんだ!」
「ふーん・・・。とりあえず、今日のところはそれで信じてあげる。ミントさんは確かに可愛いし、とっても素敵な人だし、それについては私だって異論はないわ。でも、私が居るところで、あなたの口からそれを聞くと、すっっごく良い気分になるってわけでもないってことは、その、覚えておいてくれたら・・・」
「わ、わかった。まあ、普通に考えて俺が一番悪い。ほんとうにごめんな、嫌な思いさせちまって」
「もう良いのよ。それに、今は嫌な気分ってわけでもないから。えっと・・・嬉しかった。恥ずかしいけど、泣いちゃうくらいに嬉しかったの。ソイルのくれた言葉の全部がね。だ、だから」
そう言ってフィオは、ソイルの手に自分の片手を重ね、上からぎゅっと掴んだ。まるで、抱きしめるかのように。
「き、今日はこのくらい・・・。あ、会ったばかりだし。でも次はもうちょっと、頑張ってみるから・・・」
フィオはそう言うと、さっと立ち上がった。
「し、出発は明後日! ちゃんと準備はしておいてよね。行先はメルドナ、私の側に居てくれるっていうなら、ソイルにもしっかり働いてもらうんだから」
そう言い残すと、彼女は小走りに駆けていってしまい、やがて見えなくなった。
頬をさすりながら、それを半ば呆然と見送るソイルのもとへ、イザルトが近寄ってきた。
「ねえ、ルーちゃん。ちょっとこれ見てよ」
イザルトが指をパチリと鳴らすと、小さな氷の粒がソイルの頭上に現れ、パっと砕けて、氷の華のように咲き、跡にはきらきらとした粒子が散っていった。
「・・・花火?」
「うん、氷の華火なんだ。どのタイミングで打ち上げようかと思って、ずっと狙ってたんだけど、今だ、って思ったときから、急に雲行きが怪しくなっちゃったじゃない? それで雨天中止になっちゃったんだ」
「いやそこは雨天決行で頼みたかったぜ」
「あははっ。じゃあお詫びといったらなんだけど、飴ちゃんおひとつどうぞ」
イザルトはいつかソイルにしてみせたように、クルミほどの大きさの氷を、ひょいっとソイルの口の中へ放り込んだ。
「ころころしながら、ほっぺたを冷やすと良いよ。僕も、ルーちゃんとこれから一緒に旅が出来るのが本当に嬉しいんだ。仲良くしてね」
ソイルはイザルトが差し出した手をぎゅっと握った。
「ああ。右も左もわかんねえけど、これからよろしく頼むよ」
イザルトは去り際に振り返り、ソイルに言った。
「ルーちゃん、またね」
ソイルも元気よく、それに応えた。
「ああ、またな!」
二人が居なくなったあとも、ソイルはずっと広場のベンチに腰を下ろしたままでいた。考えることはそれこそ無限にあった。どうしてループが終わったのか。またループに巻き込まれることはあるのだろうか。いったい何がこのループを引き起こしていたのか。
もちろん、いくら考えてもそれは答えが出るものではなかった。他のことも考えた。もちろんこれから先のことだ。
フィオ達に付いていくというのは、ゼルドアから出るということだ。住んでいる家のこと。ギルドのこと。ギルドはやはり辞めた方が良いのかとも思う。フィオを守ると決めた以上、はっきり現王家とは敵対することになるのだから。黒騎士やアードキルのことをレーベンへ告げたときのことは、忘れてはいなかった。
旅をするとひとくちにいっても、荷物も新調しなければいけないものもあるし、路銀だって必要だ。剣も旅立つ前には修繕して、研いでもらった方が良いだろう。
ソイルは夜の空気を思い切り吸い込んだ。夜空の星は、もうだんだんと見えなくなっている。ふと、ソイルは不思議な気持ちになった。
それをどう表して良いのかはわからないが、まるで、とても美しい夢を見ていたはずで、それは美しすぎたので、はっきりと憶えていると思っていたはずなのに、次の瞬間にはまるで思い出せなくなってしまっていた、とでも言うような。
ソイルはしばらくそのこと考えていたが、やがて諦めて、立ち上がった。
空が白み始めていた。もう一度、この夜の残り香を鼻で吸い込もうとした。そのときになぜか、どこか遠くから、菜の花の匂いがしたような気がした。
彼は一度首をひねってから、朝焼けの街の中へ向かって歩き出した。




