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第二章24 『星の女神』


 ・・・記憶が持ち越せない? 全て忘れる? 


 アステライアはいま、確かにそう言った。つまり、いくらこの場所で繰り返し(ループ)の謎が解けたとしても、さらにいえば、もっと他の知識を得たとしても、それらは全て無意味になる。ソイルはどうしてループが起こったのかわからないまま、いつまでも考え、一生悩み続けていくことになるのだ。


 ソイルは腕組みをする。もちろんだからといって、なにも尋ねないという選択肢はない。


「じゃあ、このループは、俺はそう呼んでるんですけど、どうやったら抜け出せるんですか? つまり、ちゃんとした明日を迎えることが出来るんですかって意味だけど」


「では私もソイルさんに倣って、そう呼ばせて頂くことにします。結論から先に申しますと、ループはすでに解かれています。ソイルさんが向こうへお戻りになった時には、『明日』という刻が流れているはずです。刻は正常に流れ、明日も、その次の明日も、問題なく訪れます」


 ソイルは驚いた。つい先刻までどうやったら抜け出せるのかばかりを考えていたのに、それがすでに無くなっているなどとは思わなかった。


 そうか・・・。終わったんだ・・・。


 油断すると涙が零れそうになる。ソイルは必死でそれを堪えた。


「――つらいことがたくさんありましたね。それでもあなたは諦めることなく、前へと進み続けた。流れに逆らう舟のように。幾度となく、何度も、何度も、過去へと押し戻されながら。よく頑張りました、などという言葉ではとうてい足りません。あなたが望んでくれるのなら、ぎゅっと抱きしめて差し上げたいところですけれど、あなたはきっとそんなことは望まれないでしょうね・・・残念です」


 アステライアは微笑みを絶やすことなく、そう言った。ソイルとしては、ひたすら顔を赤くするしかない状況だったが、心からソイルを慈しむような、どこまでも優しい声音には、抗いがたい何かも感じていた。今すぐ腕を広げてアステライアに駆け寄り、包み込んでもらえたら。


 ソイルはぐっとそれを我慢した。もう、小さな子どもではないのだ。


「あ、いやその・・・。ありがとうございます。お気持ちだけで・・・。それよりも、終わったことはもちろんありがたいんですけど、どうして急にループは終わったんですか?」


「ループが終わったのは、あなたの願いが、本当の望みが叶ったからです」


 アステライアは言った。


「力に対してあなたの願いが触れ、力がそれに応えた。力のことは権能( けんのう)、とも呼びます。私は刻を司る女神、それが私の持つ能力なのです。あなたを閉じ込めていたループは、あなたの願いに触れた私の権能が作り上げてしまったもの。私にも意思はありますが、力と私はあくまで別のものなのです」


 彼女はそう言って、白く綺麗な手をテーブルの上にふわりと置いた。


「この手に対して、いくら動きなさいと願ったところで、手はまったく動かないでしょう? これと完全に同じというわけではないのですが、わかりやすく説明するなら、力と私は、このような関係なのです」


「ということは、だから最初に俺が訊いたときにあなたは」


「ええ。その通りでもあり、また、その通りでもない。そういう意味だったのです。ループを作り出したのはあくまで、ソイルさんの意志と願いなのです。それに私の権能が応えた。そして、願いが叶ったならばもはや力は必要ありません。フィオンさんを助けたことで、フィオンさんに伝えたことで、あなたの望みは叶ったのです。その結果、ループは消滅しました」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。その言い方だとまるで俺が、あなたに、アステライアさんに対してそれを願ったみたいになってるじゃないですか! でも、俺はまったくそんなことをした覚えはない・・・。本当に俺は――」


「――いいえ。あなたは願っているのです。フィオンさんと初めて出会った日のことを、その時のソイルさんの気持ち、感じたこと、思ったこと、願ったこと。ゆっくりで構いません、思い出してみて下さい」


 混乱しながらも、ソイルは気持ちを落ち着かせ、目を閉じてみる。記憶の海にこころを沈め、そのときの出来事を思い出そうとする。


 フィオと初めて会ったときは、たしか自暴自棄になってて、冒険者なんか辞めようと思っていた。そんなことを考えながら座り込んでいたら、フィオが現れて、大丈夫? と気遣ってくれた。その時に俺は彼女の手を払って、ひどい言葉をぶつけ――。


 待て。


 そうだ、俺は確かにひどい言葉をフィオにぶつけた。でも、心ではこう思っていた。違う生き方が出来ていたなら良かったと。そうしたら、フィオにありがとうと、伝えることが出来たのにと。


 鼓動が。鼓動が速い。


「――私の権能は、それを願う人が、本当の望みを二回持つことで、真の意志をもって告げることで顕現します。そのご様子だとひとつは思い到ったはず。もうひとつも、同じように」


 アステライアの声が遠い。ソイルは胸を押さえ、荒い呼吸をしながらもうひとつを思い出した。


 フィオが目の前で殺され、俺もファーガスに斬られた。その死の直前に、たしかに俺は思っている。願ってしまっている。叶うなら、フィオを死なせたくない。フィオを助けたい。彼女の笑った顔が見たいと、フィオのために。違う生き方がしたいと、違う生き方が出来たらと。


 ソイルは鈍器で頭をガツンと殴られたような感覚に陥った。いや、衝撃としてはそれ以上のものだった。まさか、自分が勝手に巻き込まれている、知らぬ間に放り込まれてしまったと思い込んでいたものがすべて、自分のせいだったなんて。


「・・・思い、出しました。たしかに俺は、間違いなく、そう願っています・・・」


 ソイルは震える声で言った。違う生き方が出来たら良かったというのは、やり直したい。やり直せたらという願望に他ならない。フィオを死なせたくない。そのために、違う生き方を選べたら良かった。そう考えた死に際のソイルの、その望みを何かが叶えようとするなら、時間を巻き戻し、全てなかったことにするしかない。


 フィオにありがとうと伝えたいなら、フィオに笑ってほしいと願うなら、フィオが死んだことも、俺が死んだことも、世界も、何もかも、いっさいを巻き戻して。


 俺の願いが叶うまで、永遠と繰り返させ続ける・・・。


「――私は、私の力は、フィオンさんの身に着けている髪飾りを通して、あなたの願いをすくいあげてしまったのです。もちろん、どこにでも、誰にでも起こることではありません。フィオンさんの持つ髪飾りには力が秘められていました。力とは想いです。フィオンさんのお母さんが、ガーリンネさんが死の淵で、フィオンさんを守りたい、守ってほしいと、強く願い、あの髪飾りに想いを込めたのです。母が子を想う愛とは、ときに時間や世界も越えるほど強い力となります」


 そこまで言って、アステライアはにっこりと笑った。


「ソイルさん。あなたとガーリンネさんは、二人で、ふたつの願いで、フィオンさんを守ったのです。私はあなたに、こころから感謝を伝えたい」



 ソイルはもう。とめどなくあふれる涙を止めることが出来なかった。このひとをひと目みたときから、心のどこかではわかっていたのだ。だって彼女は、目の前のにいる美しい人は、自分の一番大好きな女の子に、とても、とても良く似ているのだから。



「――私の娘を助けてくれて、救ってくれて、本当にありがとう。こんなに素敵な男の子に想ってもらえて、あの子はきっと、世界でいちばん幸せだわ」



◇ 



 ソイルは目をこすり、鼻水も服で拭った。着ている服も、顔も、すでに惨憺たる状態だが、アステライアはソイル泣きじゃくるソイルに寄り添うに傍らに立ち、優しくソイルの背中をさすり続けた。そしていまこのときも、ソイルを撫で続けている。


「あー・・・。いや、ほんとお恥ずかしいところを・・・。も、もう大丈夫です。泣き止みました」


「あら? ひとつも恥ずかしいところなんてありませんでしたよ。それよりも、本当に抱きしめて差し上げなくて良いのですか? 何も遠慮なさることなどないというのに・・・」


「はは・・・。お気持ちはほんと嬉しいんすけど、そんなことされたら、もう一度涙腺がぶっ壊れちまいそうなので・・・。ありがとうございます」


 アステライアはまるで子どもの熱をはかるように、ソイルに顔を近づけ、ソイルの額にそっと口付けてから、ゆっくりと顔を離した。ソイルは固まって、言葉も出せなかった。


「ふふふ。では、これくらいにしておきますね」


 彼女は笑うと、またゆっくりと自分の椅子の場所に戻り、静かに腰を下ろした。


「アステライアさん、いや、えっと。ガーリンネさんって呼んだ方が良いんですかね・・・」


「さきほど私は、この空間そのものであると言いました。私に実体はないのです。今はガーリンネさんの姿をお借りしてソイルさんとお話していますが、私は彼女の記憶も持っているのです。私はアステライアでもあり、同じくらいガーリンネでもあるのです。どちらでも、ソイルさんのお好きなように呼んで下さって構いませんよ」


 そういうことだったのか。ガーリンネさんと呼びたい気持ちもあったが、いろいろとややこしくなりそうなので、ソイルは引き続きアステライアさんと呼ぶことにした。


「アステライアさんは、その、すごく俺を甘やかして、褒めてくれますけど、俺はそんなに良い人間なんかじゃないんです」


「どうしてそう思うのですか?」


「――ループの中で、俺はたくさんの間違ったこともしてきたんです。フィオを力づくで引き留めようとしたり、彼女が死ぬとわかっていながら、見捨てたこともあります。友達に、仲間に、酷いことを言ったりもしました。自分の個人的な欲求を叶えるためだけに、ループの性質を利用したこともあります。って、こんなこと言わなくても、アステライアさんなら知っていることだとは思いますが」


「ええ。その通りです。私は最初のループのときから、ずっとあなたと共に在りましたから。ループする世界というのは、いわばいくつもの望みの道なのです。どんなことをしてもいい、どんなこともしなくてもいい。一日が終われば、全ては元に戻るのですからね」


 アステライアは言った。


「道というのは、けっしてまっすぐなものではありません。曲がりくねったり、枝分かれしていたり、時には目的地につくまで、大きく迂回しなければならないこともあるでしょう。けれど、良い望みも、悪い望みも、どちらも辿らなければ本当の望みには、見いだせたとしても、届かない。ソイルさんの辿ってきた道もまた、まっすぐなものではありませんでした。しかし、あなたは辿り着いたのです。大事なのは、迷わないことでも、立ち止まらないことでも、振り返らないことでもない。どんな道順を辿ったしても、そこへ辿り着くことこそが、いちばん大切なことなのです。だから、あなたは幸せを掴むことが出来たのです。フィオンさんを、幸せにすることが出来たのです。ループする世界で、それが出来る人などそうはいません。これは、ミントさんにも言われていたことだと思いますが?」


 そう言って、彼女はどこかいたずらっぽく微笑んだ。その時の笑顔が、一番フィオによく似ていた。ソイルは思わず頭を掻いた。胸は誇らしさでいっぱいになっていた。


「・・・しかし、これをあなたにお伝えしなければならないのは、本当に辛くて、そして心から申し訳のないことなのですが」


 アステライアはそう言って、ここへソイルが来てから初めて、表情を曇らせた。


「今回のループは、あなたが望みを叶えたことで消滅しました。しかし、あなたに巻き付いている、いえ、刻み込まれてしまっていると言ってもいいかもしれません。私の権能は、あなたから離れたわけではないのです。またあなたの本当の望みに反応して、力が顕現すれば、私にはそれをどうしてあげることも出来ない。その結果、あなたはまたループに巻き込まれてしまう。あなたに刻み込まれた権能は、ソイルさんに与えられた力は、時間の経過とともに薄く小さくなり、やがては完全に無くなります。しかし、それがいつになるのかは私にもわからないのです。本当に、本当にごめんなさい」



 ――――え?



 ソイルは一瞬、目の前が白くなるような気がした。今回は終わったが、今回のようなことがまた起こる可能性があるって、ことか? 俺が生きている限り? そんな馬鹿な。


 いや、しかしだ。ループの仕組みは完全にではないものの、理解はした。あとはそこから逆に考えて、ループが起こらないような状況を保ち続ければ良い。ソイルは取り繕うように言った。


「だ、大丈夫っすよ。その、アステライアさんのせいじゃないってことは良くわかりましたし。それに、今のお話だと、俺が気を付けてさえいれば防げることなんじゃないかとも思うんです。だから」


「――いいえ。そうは出来ないのです。ここで話したこと、見聞きしたこと全てを、向こうに戻った時に、あなたは忘れてしまう。記憶にはひとかけらすら、残らないでしょう」


「――あ」


 そうだ。すっかり忘れてしまっていた。アステライアは事前にそのことを、ちゃんとソイルに伝えていた。はは・・・まじかよ・・・。ソイルは思わず口元がひくついた。


「あなたに与えられたものは、祝福であり、呪いなのです。力は善悪を区別しません。あなたが今回と同じように二回、本当の望みを抱いたそのときに、おそらく力は再び顕現するでしょう。どのような形でそれがもたらされるかは、予想も出来ません。そして私は、顕現してしまった力に対して干渉することが出来ない。ソイルさんをこうしてここにお招き出来たのも、ループが消滅したからです。あなたと一緒に繰り返す刻のなかで、何度も何度も、私は自分の無力さを嘆きました。こんなことを伝えたところで、あなたの痛みが消えるわけではないのですが・・・本当に、申し訳ありません」


「・・・まじ、すか。それは、その・・・なんというか」


 なんと言えば良いのだ。こんなものに、なんと言えるというのだ。


「・・・もし、ソイルさんが望むのであれば、ここから出ないことで、それを防ぐことは出来ると思います。私の力が及ぶ限りのことしか出来ませんが、私はあなたのことが大好きですし、いつまでもここに居て下さっても構いません。あなたをたくさん楽しませてあげたいし、たくさん愛してあげたい。こころから、そう思っています」


 そうか。そういう選択肢もあるのか。ここにいればきっと、痛みも悲しみも、ずっと何も起こらないだろう。おそらく腹を空かせることもなければ、病気になることだってない。


 俺はここまで、自分で言うのもなんだが、充分過ぎるほど頑張ってきたはずだ。ランクDのクソ虫が、夢も希望も持っていなかった男が、王様になるかもしれない少女を救って、おそらく誰も会ったことのない女神にまで感謝されているのだ。


 ソイルもアステライアのことは好きだ。彼女と静かに、楽しく過ごすだけでいい。そして、そうするのは決してわるいことではないように思えた。


「ありがとうございます。でも、俺は戻ります」


 だから、ソイルは言った。


「アステライアさんのことを恨んだりなんかしていません。いや、そう思ったこともあるけど、それでも今では感謝しています。またループに巻き込まれたとしても、それは俺の責任です。そもそも今回のことだって、自分で招いたことなんですから。もしまたループが起こったとしても、俺はそれを乗り越えてみせます。またいくつもの道を辿ったとしても、必ずそこに辿り着いてみせます。だから、安心して下さい。気にも病まないで下さい」


 ソイルは笑った。こころにはなんの邪念も虚飾もなかった。


「向こうには会いたい奴らがたくさんいるし、したいこともたくさんある。あなたのことは俺も大好きだけど、フィオに、君を守ると約束したんです。ずっと守るって。それはまだ果たせていないから。だから――俺は、帰ります」


 アステライアは立ち上がり、ソイルへ歩み寄った。

 

 銀色の瞳はうるみ、中には白い星が瞬いていた。


「――勇敢な人。お願いです、一度だけで良いんです。私に、あなたを抱きしめさせて下さい」


 アステライアは優しくソイルをその腕の中に包んだ。彼女の温もりに触れたとき、彼女の匂いを嗅いだとき、ソイルはふと、ずっとまだ幼い頃に、こんな気持ちになったことを思い出していた。それは、おそらく母親に抱きしめられながら、眠った夜に感じた気持ちだった。


 アステライアはそっとソイルの身体を離すと、その頬に優しく触れた。


「あなたが私のことを忘れてしまっても、私はいつでもあなたと共に在ります。夜空に輝く、星の光のように。さようなら、ソイルさん。フィオンのことを、どうか、よろしくお願い致します」


 ソイルは力強く頷き、頭を下げてから、戸口へと向かった。


 扉をあけ放つと、そこは白い光に溢れて、前が見えないほどだった。


 ソイルは一歩を踏み出し、光の中に身をゆだねた。



 振り返ることは、しなかった。



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