第二章22 『これからのこと』
ソイルがフィオとイザルトを伴って訪れたのは、四番街にあるオニール宅だった。世界の豪傑十選などというものが仮にあるなら、間違いなくその名も刻まれるはずの家主も、フィオとイザルトがその名を告げた時には、さすがに度肝を抜かれている様子だった。
とはいえ、元より面倒見が良く、自分を刺したソイルをギルドに迎え入れるくらいには、動物愛護精神に富んでいるオニールは、二つ返事で二人の宿泊を了承してくれた。
ちょうどそのあたりのタイミングでミントが帰宅した。傷だらけのソイルとフィオを見て、さすがに彼女も悲鳴をあげていたが、持ち直したあとは持ち前の優しさと、手厚い看護と、美味しい手料理で、全員の体力も精神力も最大近く快復させてくれた。
特にフィオとは歳が同じなこともあって、すぐに打ち解けたようだ。その麗しい友情が、共に入浴することを約束している風呂を経たあとでも、末永く継続することを、ソイルとしては願うばかりである。
夕飯を馳走になったあと、ソイルはミント宅を後にしていた。ソイルは自分の狭いねぐらに辿り着くと、ぼすっと固いベッドに倒れこんだ。わずかに埃が舞って、ソイルはネズミのように鼻をひくひくと動かした。
身体は限界まで疲れきっているはずなのに、眠気はまったくなかった。そもそも眠るわけにはいかないのだが。フィオとの約束がある。
「しかし、結局何でこんなことになってるのかは、ここまでやっても全くわからなかったな・・・」
暗い天井の隅にある、破れかけの蜘蛛の巣に向かってソイルは言った。初めて死んだときのことを、そして初めて繰り返した日のことを、ソイルは思い出していた。フィオと出会った時も、正直、心に多少の変化はあったが、それ以外は特段変わったこともなかったはずだ。
たまたま街で出会った少女が、たまたま王位継承権を持っていて、向かった先で、元宰相を名乗る人物に不意討ちされ、殺されたというだけの話。酒を飲んだあとの妄想でも思いつくかどうかという話だとは認めるが、それでも物理的に実現不可能な話ではない。
やはり、問題はソイルが巻き込まれたこの、何かだ。なんらかの――おそらく魔術関連の――力が働いているのかもしれない程度にしか、ソイルはこの現象に対して説明できることはない。そして困ったことに、その謎が解けなければここからはやはり永遠に出られないという可能性も浮上する。
さきほどまで胸を満たしていた達成感や、充実感は、途端にその色を淡くしていく。一回乗り越えることが出来たのだ。また同じことするとしても、ある程度の因果関係は把握しているため、もしかしたら今日よりもずっと余裕を持って、フィオを助けることが出来るはずだ。そこは心配していなかった。
「……わからねえことをうじうじ悩んでても仕方ない」
自力での突破口が見えない以上、ソイルは自分が決めたことに従って動き、動き続けるしかない。フィオを救い、救い続けるしかない。次のループでも彼女が笑ってくれることを願って。
ソイルは布団からのそりと起き上がる。日付が変わるまでにはまだ少し時間があるが、先に広場に行って待っているとしよう。
◆
深夜の広場は、ほの暗く、当たり前だがソイル以外の人影はなかった。照明はマナを原動力とする魔導具の街灯がわずかに立っているだけである。この手のものは、マナディールの中でも三都市か王都にしか存在していない。
ソイルはそんな頼りない明かりのなかで、なんとか昼間に座っていた場所と同じであろうところの目ぼしを付け、噴水のベンチに腰を下ろした。
繰り返ししているという事実以外に、フィオに何かを伝えるべきなのか。それとも世間話で済ませる方が良いのか。ソイルの心はいまだに揺れていた。
ここまでの道のりなかで、培ってきたことは数えきれないほどある。
自分の想いを伝えるとしたら、最後に自分は何を伝えたいのか。
どんな言葉を選んでも、到底伝え切れるという気はしない。
ソイルが俯き悩んでいると、やがて誰かが静かにこちらに近づいてくる気配を感じた。思案の海に沈んでいたソイルはハッと顔を上げる。そこには彼女が居た。
汚れていた衣服は綺麗になっていた。ところどころに包帯が巻かれ、左腕は添え木で固定され、肩から吊るされている。そんな姿でさえ、ソイルはそれを美しいと思った。
「い、いまきたとこだけど……」
フィオはなぜかぶっきらぼうに言った。見ればわかる。としか感想を持てなかったので、ソイルはそのままそれを口に出すことにした。
「おう。見ればわかる」
「――――!」
フィオはなぜかキッと目を吊り上げると、ソイルの隣に乱暴に腰を下ろした。そしてそのままプイと横を向いてしまう。自分が一歩目から盛大に踏み外してしまったことを、ソイルはようやく悟った。
「あははっ。さすがにそれは良くないよ、ルーちゃん」
いつの間にかイザルトが横に立っていた。初めて会った時もそうだが、ほんとにこの男は地面から湧いてでるように現れる。たしなめるような言葉とは裏腹に、イザルトはにこにこしながら言った。
「ルーちゃんが先に帰ったあと、フィオンってばミントさんとずっと話し込んじゃっててね。化粧がどうとか、香水がどうとか――」
ドンッと、隣で何かを拳で叩くような音が聞こえた。
「先生っ!! 余計なこと話さないでくださいっ!!」
見るとフィオが音が出そうなほどの目付きでイザルトを睨んでいた。
「あ、あはは……。えっと、ルーちゃんが僕もと言ってくれたとはいえ、さすがに野暮だとは思ったんだけどね。一応、あんなことの後だからさ。でも、全然気にしないで。あのへんに立ってるから、僕のことは街灯か何かとでも思ってよ」
イザルトは言った。
「ありがとな、イザルト。オニールさんはあれからどうだった?」
「うん。たくさんいろんな話をしてくれたし、聞いてもくれた。すごく優しくて、気持ちの良い方だね。ただ、僕におかしな衣装を――女の子ものの服を着せようとするのだけは、さすがに困っちゃったかな……」
思い出したくないことなのか、イザルトは笑顔を保ったまま、どこか遠くを見るような目をした。
「ルーちゃん、フィオンに優しくしてあげてね。僕が治癒魔法使おうとしても、そんなのそっちのけで、ルーちゃんと会うことばっかり考えてたみたいなんだ。お風呂あがりなんか――」
ドンッともう一度鈍い音がした。
「先生、街灯は話しません。口を利きません」
フィオの目が怒りを通り越して座っている。さすがに怖かった。
「あ、うん、そ、そうだよね。それじゃ、ごゆっくりだよ」
イザルトはその場から足早に去っていき、声が届かない程度に離れた場所で立ち止まった。
「せ、先生の言ってることは嘘だから。私たちをからかってるだけだから」
「あ、ああ。もちろんわかってる。ありがとな、来てくれて」
「別に、約束だもの。それだけ……」
フィオはなんとなく気落ちしたふうに言った。自業自得によって、いきなり会話の難易度を上げてしまったソイルだが、様子見などとは言っていられなかった。ループまで、あと半刻。
「フィオ達は、これからどうするんだ? 明日以降というか」
ソイルは尋ねた。
「そうね。オニールさんの御厚意に甘えて、もう一泊はさせて頂くつもり。いくらでもっておっしゃってくれたわ。私がどういう立場の人間かオニールさんは全てご存じのはずなのに、本当に優しい方」
フィオは言った。
「明日、いろいろと準備を整えて、明後日にはゼルドアを出るわ。次にどこに向かうかは決まってるの。魔法都市メルドナ、その中にあるエイラ正教区。そこにいらっしゃる大教母様に会いにいくつもり」
――エイラ正教。国内外問わず、世界的にも信徒が多い宗教だ。神への一途な献身と、清貧を通じて、永遠の歓喜へ。すなわち真理に到達することをその教義として掲げている。
しかし、宗教などとはまったく無縁に生きてきたソイルにとって、エイラ正教信者は、金に興味がなく、優しすぎる人たち。その程度の認識しかない。
「大教母ってことは、エイラ正教の実質一番上の人か。そらまた規模が大きい話だな。知り合いか何かなのか?」
「全然知り合いなんかじゃないわよ。だから謁見が叶うかどうかもわからないし。でも、もしお話を聞いてもらえるのなら、大教母さまの力をお借りしたいと思ってるの」
フィオは前を見た。
「王位継承だなんて、言葉で言うのは簡単だけど、私みたいな小娘がそこに辿り着くためにはそれこそ果てしないくらいの障害がある。叶うなら、アンガス殿下と穏便に話が出来たらそれで良かったんだけど、今回のことで、それは望み薄だっていうのもわかったから」
アンガス。現マナディールの王太子。アードキルを使い、フィオを殺そうとした人物。ソイルにはもちろんそこまでの事情はわからないが、フィオの口ぶりからするとほとんどそれは確定的なものなのだろう。
「情けない話だけど、私は一人じゃなにもできない。自分の身を守ることさえ、ね。だからまずは、私を信じてくれる人を、私が信じられる人たちを探そうと思うの。もしものときには、一緒に立ち上がり、共に戦ってくれる仲間を。オニールさんにもその辺りの事情は話したわ。本当にありがたいことに、オニールさんは、ゼルドアギルドは私への支援を表明してくれた」
フィオはそう言って、ソイルを見た。その表情はとても穏やかだった。フィオは戦争を止めたいと思っている。オニールは開戦時から戦争へは徹底的に反対という主義を掲げていた。ギルドの運営的な問題もあるとはいえ、両者が意気投合するのに、それほど多くの障害は無かったのではないかとソイルは思う。
「これも全部ソイルのおかげ。ゼルドアへ立ち寄ったのは、アードキルに釣り出されたからで、危うく命まで取られかけたけど、オニールさんとお話出来たおかげで、充分過ぎるくらいに元は取れた。それに――あなたにも、会えたし」
少しはにかんだように言うフィオを見つめながら、彼女が描こうとしているこれからの道筋が、ソイルにもほんのわずかに見えたような気がした。
「えっと。ソイルは、どうするの? これから」
フィオが尋ねる。ソイルは答えに詰まる。
「そう、だな・・・。何かしたいことがあるわけじゃないけど、とりあえずは生きていかなきゃいけないからさ。冒険者を続けるよ。依頼があればそれをこなすし、無かったらこの噴水に金をくすねにきたりな」
「……ソイルさえ良かったらこの先も一緒に」
フィオは何かを言いかけて、急に口をつぐんだ。彼女が何を言いかけたのかわからないほど、ソイルは馬鹿ではなかった。それはきっと、とてもありがたくて、そして嬉しい申し出のはずだ。でも、応えることは出来ないのだ。
もうじきループが起こり、全てはリセットされる。フィオが喜ぶようなことを言うのは簡単だ、その事実もなかったことになるのだから、それこそ、どんな浮ついたことを口にしたとしても。
けれど、それはフィオに嘘をつくことになる。たとえ、次に会う彼女が何ひとつ、自分の顔さえ覚えていなかったとしても。だから、ソイルは、これから本当に自分がすると決めていることだけを、フィオに伝えることにした。
「なあ、フィオそれは」
ソイルは声を掛けたが、フィオはソイルの方を向かなかった。
「い、今のは本当にごめんなさい……。ソイルを、こんな目に遭わせちゃったっていうのに、私、何を言おうとしたんだろう……。巻き込んでごめんなさい、なんて、口先ばっかりじゃない・・・。自分が恥ずかしい、こんなに嫌な子だったなんて」
ソイルは一度空を見上げた。澄んだ夜空には、変わらぬ白い星が瞬いている。綺麗だった、美しいとさえ思う。その淡い星光は、ときに見る人の心をなぐさめたり、励ましたりもするだろう。
それでも、光はただの光なのだ。星が綺麗なのは、人の心など知らずに輝いているからだ。だから、最後に人を悲しい気持ちから救うのは、いつだって人なのだ。
ソイルは優しくフィオの頭に手をのせた。
「俺は、これからも君のそばにいて、君のことを守るよ」
フィオがハッとしたように顔をあげ、ソイルを見つめた。銀灰の瞳の中にも、同じように白い星が瞬いている。ソイルは言った。
「次も、その次も、その次だってな。俺は君のそばにいて、何度だって君を守る。俺に出来ることなんてたかが知れてるけど、それでも君が笑ってくれるように、笑ってくれるまで、手を伸ばすことをやめたりしない」
「……ソイル、それって」
「メロヌだって何個も買うよ。欲しいならレモムだって、指輪だって、何十個でも買う。君が強い人だってことはもう十分わかってる。今までたくさんの辛いことを、立ち上がって、乗り越えてきたこともわかってる。それでも無理はしすぎなくて良いんだ。君は君の本当の望み叶えて、幸せになるべきだし、そうならない世界なんてクソ食らえだ」
ソイルは優しく微笑んだ。フィオの目から涙がひとつぶあふれてこぼれ、柔らかな頬をゆるやかに伝っている。彼女の指は、ソイルからもらった銀色の指輪の上に置かれていた。
「君は何度も俺を救ってくれた。君が覚えてなくても、俺が覚えてるから良いんだ。だから俺は、いつか俺じゃなくなるその日まで、何度だって君を守る。何度だって君を助けるよ。俺がそうしたいから。約束する。これからだって、ずっとずっとだ。だから――」
視界が白み始めていた。時の揺り戻しが訪れようとしていた。
これまでと同じように、何も変わらず。
寂しさも、後悔もなかった。
「ソイル……?」
ソイルはにっこり笑って言った。彼女も釣られて笑ってくれますようにと。
「さよなら。俺と出会ってくれて、本当にありがとう。フィオ」
瞬間。
世界は白く、白く、どこまでも白くなった。全てが時の波にさらわれていく。
ソイルは、いつものように、そっと目を開けた。
「よう、ミント! 今日も可愛いな! わかってる、今日は仕事はないんだな! よっしゃ、俺はさっそく外に行って――」
ミントの姿はなかった。それ以前に、ギルドの中でもなかった。
彼は思わず、目をごしごしと拭った。
「――――え?」




