第二章19 『友達』
「はじめまして。僕はイザルト。イザルト・シングルクォーツ」
この場にあってさえ、その姿を見間違えることなどない。相変わらずどこか間の抜けたような声。ひと目では男か女か判別不可能な、華奢な身体と整った顔立ち。
右手に持った彼の背丈よりも少しだけ高い白杖だけが、見慣れないものだった。イザルトがソイルに歩み寄ってくる。
「まずはお兄さんにお礼を言いたいところだけど、その前に――」
イザルトが壁際に後ろ向きで両手を付き、頭を抱えて震えているアードキル向かってすっと指をふった。意味が取れない叫び声を上げ、逃げ出そうとするアードキルを氷の輪が取り囲み、急激に収縮し、アードキルの身体を縄で縛ったようにガチリと拘束した。走り出した勢いのままに、アードキルは無様に地面へと転がった。
「うん。これでいいかな。大丈夫? お兄さん」
「なんとかな……。助けてくれて、ありがとう」
もちろん、来てくれることを祈って、以前に教えてもらったマーキングの魔術を、廃墟へ入る前に付与してはおいた。それ自体はしっかり成功していた。
しかし、この段階で自分とイザルトは知り合ってさえいないというのに。それでも、気付いてくれたのか。それでも、来てくれたっていうのか。目頭が熱くなる。
なんてやつだよ。そんなの。
最高の友達じゃねえか。
「ううん、お礼を言わなくちゃいけないのは僕の方なんだ。フィオンを――」
イザルトが言いかけたとき、ソイルの身体にすっぽりくるまれていたフィオが、もぞもぞと這い出すように顔を出した。
「ソイル!? 大丈夫!? 急に前が見えてなくなって、そしたらすごい音がして、いったいなにが――」
そして、顔を出した途端にイザルトの姿を見つけ、フィオは素っ頓狂な声を上げた。
「せ、先生!? ど、どうしてこんなところに!」
「無事で良かったよフィオン。本当に無茶なことをするんだから君は。なんとか間に合ったから良かったものの……そこのお兄さんが居なかったらどうなってたか」
「う。す、すみませんでした……。私、先生を巻き込みたくなくて……」
この二人、まさか知り合いなのか? ソイルは若干混乱しながらも、これまでのイザルトとフィオとの会話を記憶から引き出し、繋げようととする。
イザルトに会ったとき、彼はゼルドアで人を探していると言っていた。フィオはさきほど、もともとは師匠的な人物と旅をしていて、この街で合流するつもりだと言っていた。
そんなことがあるのか。でも、そういうことだったのかよ・・・。イザルトが人探しをソイルに手伝わせようとしなかったのも、フィオが絡んでいたと考えれば謎も解ける。
「そのあたりの事情はあとでゆっくり聞くよ。お説教も交えながらね。覚悟しておくように」
「は、はい……。本当にごめんなさい」
フィオがうなだれると、イザルトは、だからもういいよとでも言うように、フィオの頭にぽんと優しく手をのせた。
「お兄さん、改めてお礼を言わせて下さい。フィオンを助けてくれて本当にありがとう。そんなにぼろぼろになるまで戦って……」
イザルトはソイルに向かって深々と頭を下げた。
「ああ、こんなの気にしなくて良い。乗り掛かった舟だっただけだ。こっちこそ、来てくれてありがとな。すげえタイミングだった。天使か何かが来たのかと思ったぜ」
「天使……。あははっ。面白いこというお兄さんだね」
「ソイルだ。ソイル・ラガマフィン。そっちのことはイザルトって呼ぶけど、こっちのことはそう呼びたかったらルーちゃんとかでも良いぞ」
「ちょ、ちょっとソイル!? す、すみません先生。こ、このひと悪いひとじゃないし、あ、いやむしろすっごく良い人なんですけど、なんていうかちょっとだけおかしい人で――」
アードキルに、ファーガスに、イザルトに。これから俺はフィオと誰かに会うたびに、この説明をされ続けるのだろうかと、ソイルは軽く頭を掻いた。
慌てたようにイザルトに言ったフィオだったが、当のイザルトはフィオの言葉などまるで聞いていないようだった。目を丸くし、パチパチと二、三度またたかせてから、本当に嬉しいといったふうに、にっこりと笑った。
「ルーちゃん。すごく良い呼び方だね。イーちゃんって呼んでもらえないのは残念だけど、僕たち絶対に良い友達になれるよ。うん、絶対に」
「奇遇だな、俺もそう思ってた所だ。これからよろしく頼むぜ」
「ねえねえ。ルーちゃんはいくつ? なにしてる人なの? あ、それよりも僕ルーちゃんに聞きたかったことがあって、あのマーキングの『印』っていったいどこで――」
「せ、先生? あの、とても楽しそうなところたいへん恐縮なのですが……そしてお二人に助けられた私が言うのもどうかと思うのですが……今はそんなこと話してる場合じゃないと思うんです……明らかに」
フィオがイザルトに声をかけると、イザルトはしまったというふうに、苦笑してみせた。
「ご、ごめんねフィオン。うん、そうだね。二人とも怪我してるし、まずはこの場を収めて帰らなきゃだ」
イザルトはアードキルの方へ歩み寄って行き、ソイルはファーガスの様子を見に行った。取り残されたフィオがポツリと呟いた。
「あんなに楽しそうにしてる先生初めて見ちゃった……。ルーちゃん……。ソイルってほんと人たらしなのね……。男でも女でも見境ないなんて……」
◆
ソイルとフィオとイザルトの三人は、レトを捕らえている氷の檻から少しだけ離れた場所に並んで立っていた。レトはというと、特に暴れる様子もなく、地面に腰を下ろしている。何か策を練っているのだろうか。
「……くく。ここまでいいようにやられたのはガキの頃まで遡らなきゃいけねえな。お噂はかねがね、会えて嬉しいぜ。『氷の魔術師』さんよ」
「へえ。僕のことを知ってるような口ぶりだね」
レトを前にしても、イザルトはあくまで穏和な表情は崩さない。たんにそういう性格なのかもしれないが、さきほどの光景を見たあとでは、それはどこか強者の余裕にも感じる。
「国中の魔術師の総本山であるメルドナ魔術学院を、十二歳という若さで首席で卒業した神童。国王から魔術師にとって最高の栄誉である宮廷魔術師の打診を受けるもそれを固辞、以降は消息不明。ここまでが俺の持ってる情報だが、まさかお姫さんのお守りをしてたとはな。さすがの俺でも、あんたがここに現れるなんて予想は出来なかった。まあ、あのじじいが俺たちには教えなかっただけかもしれねえが」
レトはイザルトを見上げながら言った。メルドナ魔術学院。マナディールの三大都市である魔法都市メルドナの名を冠する魔術士育成機関。世事に疎いソイルでさえも、その名は知っている。ギルドの冒険者の中にも、メルドナで魔術を学んだというものも多い。そして彼らは総じて優秀な魔術師ばかりだった。
ソイルもさすがに驚く。初めて会ったときにも、明らかに普通のやつではないと思っていたが、まさかそこまでの人物だったとは。
「あんたがお姫さんの側にいるってことは、メルドナはそっちに付いたってことで良いのか?」
「……そういうわけじゃないよ。僕は、メルドナからはほとんど放逐されてる身だからね。フィオンと一緒にいるのは、僕が僕の意志で、彼女の志に賛同したからさ」
イザルトは言った。
「君こそ、僕の知っている黒騎士の人たちとはずいぶんと毛色が違う人みたいだ。あっちの人なんて、何を話しかけても、まったく答えようとも、そもそも話そうとすらしないのに」
レトと会話する前に、アードキルとファーガスの様子は先に確認していた。アードキルは失神していた。転んだときの打ち所が悪かったのかもしれないが、延々と悲鳴をあげられるよりはマシだろう。
ファーガスはイザルトの言葉通り、ひたすら黙してなにも語らなかった。身体がときおり動いていたので、死んではいないはずだ。氷に貫かれた足も、満足に動かせる状態ではない。
「あいつはあれで極端に堅物なやつだが、この本来の役割としては正しいことをしてる」
レトはそう言って、自分の鎧をコンコンと叩いた。
「あんたの言う通り、俺はイカレ野郎だからな。国がどうとか、王がどうとかもぶっちゃけたいして興味がねえ。俺は戦えりゃそれでいい。出来ればあんたみてえに強い奴か、そっちの兄ちゃんみたいに戦ってて楽しいやつとな。まあ、このザマじゃどのみち次はもうねえが、くははっ」
「――レトって言ったわね。私を殺すようにあなたに命令したのは、アンガス殿下なの?」
フィオがレトに一歩近づいて言った。
「お姫さん、現場の兵隊にんなこと聞いても答えられるかよ。仮に知ってたとしても、教える義理もねえ。まあ、あんたにもうちょっと色気があったなら、考えないこともなかったかもしれねえけどな」
レトはくつくつと笑いながら答えた。
「イカれた黒騎士に、勘当された魔術師、ボンクラ王太子、極めつけはそこの謎兄ちゃんだ。あんたは周りに、そういうやべえ男が集まる星の元にでも生まれてんのかもしれねえな。せいぜい寝首を掻かれないように気を付けな。それが出来りゃ、あんたはもしかするところまで、行けるかもしれねえ。俺からお姫さんに言えるのはそれくらいだ」
ソイルはずっと黙ったまま、黒騎士、レトが話すのを聞いていた。自らも殺されたし、フィオを殺された恨みもある。それは決して消えるものではない。けれども、それと同時に、ソイルがこれほどまでに変わるきっかけとなったのは、この男の存在があったからでもあるのだ。
「最後になるが、俺が今一番興味を持ってんのは実はあんただ、兄ちゃん」
レトはまるで旧友にでも話しかけるような口調で言った。
「兄ちゃんには、してやられたって感じだ。ファーガスを止め、俺と戦りあって生き残り、そこの魔術師姉ちゃんが来るまでの時間を稼がれた。言わなかったが、仕込みがどうとかは聞こえてたぜ。つまり、結局は全部あんたの手のひらの上だったわけだ」
姉ちゃんと言われたことで、イザルトが短く息をついた気配がした。
「戦いってのは、最後に立ってたやつの勝ちだ。素直に賞賛するぜ。ま、俺に言われても嬉しかねえだろうがな。わははっ! 兄ちゃん、名はなんて言う?」
「……ソイルだ。ソイル・ラガマフィン」
「ソイルか。やっぱり名前を聞いたところで何も思い出せねえ。俺とあんたは確かに初対面のはずだ。だが、ファーガスも言ってたが、あんたは先に俺たちの名前を知っていた。この仕事を長いことやってるから言えるが、それは本来あり得ねえことなんだ」
レトはそう言ってソイルを見た。青灰の瞳が、まるで猛禽類のように冷たく光った。




