第二章18 『激闘』
ソイルは横目で隣の状況を見た。フィオとファーガスが、少しだけ間隔を置いて対峙している。単純な力や俊敏さなどの勝負になったらフィオに勝ち目はない。しかし、彼女にはそれを補って余りある魔術がある。簡単にやられはしないだろう。それは以前にレトと戦った時の経験からわかっていた。
もしかしたらアードキルは、フィオの戦闘センスを、ある程度情報として持っていたから、レトが言うようにだまし討ちを企てたのかもしれない。ファーガスとレトの二人を相手に立ち回れると考えるほど、ソイルは愚かではなかった。今は信じるしかない。
「――向こうが気になるか。てっきり、二対一で来るのかと思ったが、舐められてんのかね、俺ぁ」
「舐めてなんかない。お前らに勝つためだ」
「そういや兄ちゃん、あんたお姫さんの護衛か何かなのか? 傭兵か冒険者ってところだろうが、いったいどっちだ?」
「俺は傭兵じゃない。俺は冒険者だ。ゼルドアギルドのな」
「へえ。そいつは夢がいっぱいなことだな。悪くねえ、傭兵なんざ相手にしても、鏡を斬ってるようなもんだからよ」
レトは言った。
「兄ちゃんよ。いくらあんたが冒険者で、脳みそに希望の星が詰まってるとしても、手負いとはいえ、ファーガスを相手に回して、あのお姫さんがそれほど長く生きてられるとは思わねえ方が良いぞ、それに」
レトが言った。
「あんたを瞬殺したら、俺は即お姫さんを狩るぜ。どうだ、今からでも考え直した方が良いんじゃねえのか?」
「ほんとに喋るのが好きなやつだな」
ソイルは言った。
「瞬殺できるかどうか試してみたらいい」
「ははっ! あんたみてえなやつは嫌いじゃない。ファーガスに言われた、兄ちゃんと俺はへんなとこが似てるってな。せいぜい似てるのが性格だけじゃねえことを祈るぜ。・・・じゃあ、見せてやる」
瞬間。レトが視界から消えた。
ソイルは咄嗟に剣を構える。ほんのわずかでも判断が遅かったら、自分の腕は斬り落とされていた。
――疾い!!
かろうじてそれを止められたのは、僅かな奇跡と、一度見たことがある剣筋だったからに過ぎない。電光のような一撃。剣と剣がぶつかる。
続けざまに、上。下。横。右。ソイルは応戦し続ける。
「ぐっ!!」
火花が散り、鋼が閃き、二つの刃が飛び交う。
一撃一撃を受けることは出来ても、返しのことなど考える余裕はまるでない。
嵐のような連撃をまえに、刹那刹那に、自分の命をこの世に留めておくだけで精一杯だった。
嫌な予感が確信に変わる。ソイルと二回目に戦ったときでさえ、レトは全力など出していなかったのだ。
「おらおらおらっ!! ははっ! 頑張るじゃねえか兄ちゃん!! あんたへの評価を見直したぜ!!」
防戦一方のソイルからわずかに離れた場所で、フィオとファーガスの戦いも始まっていた。
「亡き皇女の丘の暗がりを、耀き灯せ!! ルキオラ・クルキアタ!!」
フィオの声と同時に、幾千の光の粒が一斉に室内へ解き放たれ、縦横無尽に飛び交い始めた。そのさまはまるで、幽玄な蛍の舞のようだった。
光の粒のひとつが、擦り寄るようにソイルの頬へ触れると、埋もれ火のように消えていく。その部分から淡い暖かさを感じた。レトは無言で、光の粒を鬱陶しそうに顔から払いのけた。
「なるほど……。俺たちが触れればほんの少量だがマナを喰われ、兄ちゃんたちが触れれば微細な快復効果か。ファーガスとやりあいながら、あんたの支援も同時にしたわけだ。すげえお姫さんだ。愛されてんな、兄ちゃん」
レトがどこかからかうように言った。
「ここまでの魔術を使うとは、こりゃ、うかうかもしてらんねえな。悪りいが、早めに決めさせてもらう」
レトは再び滑るように疾走し、ソイルの首を刎ねようと横薙ぎに剣を振るった。
◆
レトとソイルは正面からぶつかり合い、組み合った剣は、そのまま鍔迫り合いの形となる。レトの呼吸は、まるでひと息ごとに炎を吐いてるようだ。
蛍火がちらりちらりと舞い、両者の顔に陰影をつける。
「があッ!!」
ソイルが必死で堪えていると、レトは雷のような気合とともに、力任せに剣を押してきた。
このまま力で押されたら、すぐに押し負ける……!!」
ソイルはなんとか力を受け流し、レトの左がわへ廻り込もうとした。その動きを読んでいたかのように、レトは下段からソイルの胴に向かって剣を振った。かろうじて受け止める。だが。
「ぐぎっ……!!」
片手で振ったとは思えないほどの豪剣は、受けた剣ごとソイルの身体を弾き飛ばす。ソイルは背中を壁に激しく叩きつけられた、メキッと内側で何かにひびが入るような音がする。ソイルは壁にもたれかかるようにして、崩れそうになる身体を支えた。
ぶつかった時に側頭部を打ったのだろうか、こめかみのあたりから血がこぼれてくる。
「ぜっ、はぁ……はぁ……ぎっ、はぁ……」
――強い。
そんなこと、いまさらしみじみ思うことでもないが、それでも。
「よく受けたな、兄ちゃん。大抵のやつはあれで二つに別れるとこだ。ファーガス相手にやり合ったのも納得だぜ」
震える手でなんとか剣を持ちあげ、構えを取る。
「すぐに剣を構えるか、根性もある。だが、体力はねえようだ。よくやったと言いてえが、次で終わりだな」
後ろは壁、逃げ場はない。なら、前に出るしかない。
レトが止め刺そうと、ゆっくりソイルへと近づいてくる。
腕に力が入らない。剣は心で振れとオニールは言っていた。
精神力で振れという意味だろうか?
そんなことが出来るなら苦労はしない。
このままでは、あと数舜後に自分は死ぬ。
俺が死んだらフィオはどうなる? 嫌だ、そんなことはもう、絶対に嫌だ。
俺はレトを倒したいのか。俺はレトに勝ちたいのか。
俺は、レトを殺したいのか?
レトが剣を振り上げる。死と生の、ほんのわずかな隙間に、ソイルの思考から一切のものが消えた。
違う。
俺は、フィオを守りたい。
レトの剣を最小限の力で受け流す、右足が斬られるが、痛みを知覚するよりわずかに早く、身体は素早く返しを放つ。レトはそれを読んでいた。一撃目は撒き餌、本命は二撃目。
電光石火の二撃目をソイルは紙一重で躱す。
勝ちも負けも関係ない。
俺はただ彼女を守りたい。
だから力を、力を貸してくれ!
その瞬間。まるで剣が、ソイルを導くかのよう動き、鋼が宙をひらりと躍った。
ブロードソードとソイルは一つになっていた。レトの顔が驚愕に歪む。
その一振りは、ソイルの心と剣とが一致して放たれた斬撃は、その日はじめて、レトに届いたのだった。
「なにっ……!!」
鎧の隙間に切れ込みをいれるような正確さで、ソイルはレトを斬り付けた。予想もしていなかった傷を負い、後退するレト。ソイルは半ば呆けたようにその光景を見ていた。
――――当てた、のか? 俺が? どうやって?
そう思った途端、全身に軋むような激痛が走る。立っていられず、思わずソイルは剣を突き立て、片膝をついた。
「はぁ、はぁ、はぁ……いっづ、ぐっ……!」
ソイルは前を見据える。視界が狭い。ひたすらに荒い息をつく。かろうじて一撃を当てることは出来たが、今のをもう一度やれと言われても不可能だろう。
「はは、はははっ……。こりゃ久しぶりに、良いの貰っちまった……。手を抜いてたわけじゃねえが……認めるぜ、あんたを舐めてたのは俺の方だ……。強ぇな、兄ちゃん……」
レトが斬られた部分を手で押さえながら、ソイルに語りかけた。
光がゆらめき、レトとソイルの影を床に這わせる。
体力は限界などとうに越えていた。休みたい。倒れ込んでしまいたい。
ソイルは気力を振り絞り、立ち上がった。
まだだ、まだ何も終わってなどいない。
明らかに千載一遇の好機だ。レトに損傷が残っている今このときが。態勢を整えられたら、おそらく次はない。ソイルは残された力を、身のうちから引きずり出すように、剣を握った手に力を込めた。
ソイルは構え、地面を蹴って駆けた。まだ構えが整っていないレトに向かって。
――刹那。レトがくるりとソイルに対して背を向けた。
後ろを向いた? なぜ? どうして?
気勢がわずかに削がれた。大きく空いた背中は隙だらけに見える。
諦めたとでもいうのか? 大人しくやられるつもりだとでも?
俺は背中を向けた相手を斬るのか? しかしもう、考えている猶予などない。
「くっ……!!」
ソイルは大きく踏み込み、剣を上段に振り上げる。がら空きのレトに背中に向かって、剣を撃ち下ろ――。
ガンッ!! と鈍い音がしたのと、吹き飛ばされたのはほとんど同時だった。間違いなく、レトはソイルなど見ていないはずなのに。後ろを向いたまま、レトは攻撃をあてた。まるで竜が、その尾でしたたかに獲物を打ち据えるかのように。
ソイルは激しく吹き飛ばされ、床に転がる。口の中が大きく裂け、ぬるい鉄錆の味が広がる。歯が何本か飛んだかもしれない、だが、そんなことに構っている暇などなかった。
意識が朦朧とする。おそらくこれは脳が揺れているのだ。立ち上がろうにも、身体がふらつく。
「――ソイル!!」
何かが自分の身体を横から支えている。フィオ。ああ、良かった。まだちゃんと、彼女は生きてる。
フィオに肩を貸してもらい、ソイルは立ち上がった。ソイルはレトを見据え、フィオはファーガスを見据えた。ソイルとフィオは互いに背中を預けるような形で密着する。どちらも限界が近いことは、互いの息遣いでわかってしまった。
「……フィオ、大丈夫か?」
「ええ……。と言いたいところだけど、中身をやられちゃってるみたい……。上手くマナが練れなくなってる、左腕は折れてて使えない。ソイルは?」
「・・・右足が斬られてる。あばらも逝ってるな。視界が狭い、しかも揺れてる気がする。身体中がしぬほど痛い。ぶっちゃけ、我慢しなくていいなら、今すぐぶっ倒れて楽になりたいくらいだよ」
「ねえソイル」
フィオが言った。
「まだ諦めるつもりはないけど、死ぬ前に言わせて。勇敢なあなたと共に戦えて光栄だった。それと」
フィオはわずかにソイルの方を向きながら、
「初対面なのに、どうしてかな、ソイルとは初めて会ったって気がしないの。こんなときに言うのもなんだけど、あなたと一緒に居れて、私も嬉しい。助けてくれて、本当にありがとう」
フィオは優しく微笑みかけた。目の奥が熱くなる。ソイルは必死にそれを堪えた。フィオもソイルもまだ生きてる。諦めるつもりはない。けれど、これでも届かないのかと思う。
繰り返し続ける。その覚悟がブレることはない。
しかし、これがもし最後だったとしたら?
身体が震える。次があるという保証などどこにもない。
次があったとしても。もっと強くなりたいと願ったとしても。その次があるという保証はない。
「くそっ……!!」
ソイルは前方を見据える。レトとファーガスはいまだに余力を残して健在だ。ソイルとフィオは満身創痍。次の接敵で、おそらくやられる。自力で状況打破する術もない。
「――悔いはないわ。共に戦いましょう、最後まで」
ファーガスとレトが同時に動くのが見えた。
フィオ。せめて、フィオだけでも。
ソイルはフィオを守るように。覆うように。かばうように。抱きしめるように。
その小さな身体をぎゅっと包んだ。
勝敗は、この場にいる誰もがまったく予期しない方向から突然もたらされた。
ソイル・ラガマフィン、ただ一人をのぞいて。
「――氷槍抜錨。グレイシア・ドゥオ・ミーリア」
刹那。凄まじい轟音とともに、無数の氷の槍が驟雨ように降り注いだ。
氷槍はファーガスの大腿を貫き、地面へと縫い付ける。獣のような速さで初撃を躱したレトも、追いすがる槍に左手を穿たれる。
倒れたレトとファーガスの周囲をなおも槍が隙間なく埋め、まるで銀の檻で囲うかのように、二人の動きを完全に封じた。
「誰だてめぇ!!」
レトが激昂したように吼える。
ソイルは、ただ呆然と、その姿を見ていた。
『ルーちゃんが僕に会いたいなって思ったときに、いつでも呼び出せる魔法だよ。どう? すごいでしょ?』
「……はははっ」
ソイルは思わず笑ってしまっていた。本当に、すごい魔法だ。人生が、変わるくらいの。
「――形勢逆転、ってやつかな」
若葉色のローブを身にまとった氷の魔術師が。にっこりと笑いながら、ソイルを見ていた。




